ジーウス Ζευς
ジーウスが王都に現れたとういう情報に、あたしは言葉を失なった。ジーウスは王国東端のアララト山麓に居るの筈なのに。なんで王都に。
今から引き返したとしても、数日はかかる。それでも、行かないという選択肢はない。あたしはマールスを呼んで立ち上がつた。
「テルース君、何処へ行くんだ。一人で、王都へ行こうなんて考えてないよね。」
ギュゲスさんを無視してあたしは歩き出した。マールスもあたしに続く。待って、と呼び続けるギュゲスさんの声に耳を塞ぎ、あたしは罅割れたエドミレトの街を後にしたのだった。
* * *
「よう、ダイチ。エルメス特急便で王都まで送ってやろうか?」
そんな声が聞こえてきたのは、エドミレトの街を離れて直ぐのことだった。声のする方、上を見あげるとエルメスが居た。
「なに。あたしを処分しに来たの?」
尖った声を出したあたしに、エルメスは大げさに肩を竦めてみせる。
「僕の話、ちゃんと聞いてた? 送ってやろうっていってんの。ダイチのその歩く早さじゃ王都まで何日もかかるでしょ? ライコウさんだったら暇潰しで王都消滅させちゃうよ?」
そんな馬鹿な話が、と言いたい処だけど、エルメスの表情を見ると嘘を吐いてるようには見えなかった。ジーウスなら本当に暇潰しで王都を消滅させるのだろう。
「対価は何?」
あたしはエルメスを睨みながら聞く。エルメスは薄笑いを浮べながら、
「何が良いかねぇ。ダイチが払えるものって何があるの?」
と、品定めするような目であたしを見てきた。
「何にも無いわよ! 記憶喪失で目覚めて、無一文なんだから!」
ついカっとなって言い返してしまった。
「へー、その身体は売り物にはならないんだ。御愁傷様」
などと憎たらしい事をほざいてきたエルメスを、あたしは更に睨みつけてやった。
「冗談はさておいて、対価はライコウさんから貰うから。さっさと行くよ」
最初からからかうつもりだったようだ。その事がどうにも癪に触ってしかたがなかった。
「早く連れてけ!」
つい命令口調で応えてしまったのだった。
* * *
空を飛んでの輸送は王都まで数時間もかららなかった。
マールスと共に上空から見た王都は酷い有様だった。幾つもの黒煙が立ち上っていた。壁が崩れた建物や、焼け焦げた外壁などが至る所にあった。王都の人びとは、まだかろうじて残っている建物に身を秘そめているうようで、時折顔を出しては王宮を見たり、こちらを見上げたりしていた。何をどうすれば、こんなふうになるのだろう。
「ねぇ。これ全部ジーウス一人でやった事なの? 何でこんな事、できるの。 何の関係も無い人が一杯いるのに……」
おもわず声を詰まらせてしまう。だがエルメスにとっては関心の無い事の様だった。
「さあ、何でだろうねぇ。暇だったか、煩かったからじゃない? 良く知らないけど」
そんな、こんな被害を齎した理由がそんなつまらない事だったなんて。ジーウスは一体何様のつもりなんだろう。
そうエルメスに言うと、彼は何でもなさそうに、さらっと答えた。
「神様のつもりなんじゃない? 転生前からそうだったよね。って、ダイチは記憶喪失だったから覚えてないか」
呆気にとられて声も出せなでいるあたしに向かって、
「さ、こんな所で油を売ってないで、さっさと王宮に行くよ。ライコウさんが待ってるんだからさ」
と、エルメスはつまらなそうに言ったのだった。
* * *
「遅かったね、ルドウ」
何の感情も籠っていない声を掛けてきたのがジーウスだった。優れた芸術家の手による彫像だと言われても良い位、顔立ちから何から、その造形は整っていたけど、彫像でさえ宿している人間味が彼には一つも無かった。
ここは王宮の一番奥にある部屋だった。その場には豪華な服を着た初老の人物とその護衛・付き人と思われる人数人と、コットスさん、ブリアレーオス統括が居た。彼等は突然、部屋に入ってきたあたし達に驚きの目を向けてきた。コットスさんとブリアレーオス統括は驚きというより、やっぱり、という視線をあたしに向けていたけど。
「ごめんごめん。あ、それと以前から疑ってたけど、ダイチ、やっぱり記憶が無い……」
「やっぱりお前達は仲間だったのか!」
と、エルメスの報告を遮り、怒声を発したのはコットスさんだった。彼の紅潮した顔は、憎しみの籠った視線とともにあたしに向けられていた。
更に罵声を浴せようとしたコットスさんに突如電撃が襲いかかった。身体が痺れたのか、細かく震えながら口から泡を吹いてその場に蹲まってしまった。
「煩いです。騒がないで。口を閉じなさい」
ジーウスの言葉は、既に意識を失っていたコットスさんにだけ向けられたものでは無かった。ブリアレーオス統括を始めとした、王宮の人全てに向けられていたのだ。彼等は皆、微かな溜息さえ漏れないよう、慌てて手で口を抑えた。
「続けなさい」
はーい、と軽い調子でエルメスは報告を続けるのだった。あたしは今のやりとりに、恐怖していた。あんなに簡単に、何の感情も乗せずに、人に危害を加えられるなんて。ジーウスは人が自分より下等な存在、虫けらの様に思っているのではないか。王都上空でエルメスが言った言葉を想い出した。
『神様のつもりなんじゃない?』
ジーウスは本気で自分を神だと思っているのだろうか。今のやり取りを見ている限りそうだとしか思えない。あたしは身震いを抑えきれなかったのだった。
* * *
エルメスの報告が続いていた。
「で、アイカワもウンノもやられちゃった。ウンノの支配空間で通用するのは不条理じゃなく、悪意とか暴力への怒り位なんだよね。だから、ダイチがどうやって、あいつらをやっつけたのか興味津々なんだけど、どうやったのダイチ?」
エルメスの興味が突然あたしに向けられた。ジーウスもじっとあたしを見詰めてきた。
あたしに答えられる筈もない。あたしにも分からないんだから。特にポセイドーンの事は、意識を失なってる間に起きた事で、その顛末を知らないんだから。
「好きに想像したらいいじゃない」
減らず口を叩くあたしに、エルメスは懐からナイフを取り出し、刃をあたしに向けてきた。
「ねぇ。甘えていいのは今回までにしよっか。その顔、二目と見られないようにしてあげよっか」
ギラギラと怪しい光を放つそのナイフは、あたしの記憶を刺激した。
「流動!」
思わず口から出てきた言葉に、あたしは焦る。そんなあたしに流動は、悪意の欠片も無い笑顔をあたしに向けた。
「あ、やっと思い出してくれた? いやあ、神様の話じゃ、姿が変わってもお互いの素性は分かる筈だったんだけどねぇ。そう僕は流動だよ。古希学院生徒会役員の。で、どうやって愛川と海野をやっつけたのか、さっさと話してよ。時間がもったいないでしょ」
流動がナイフの刃をあたしの頬に当てながら、笑顔で問い質してきた。
ヒヤリとした感触だけではなく、微かな痛みが走る。
こいつは今浅くだけど、あたしの頬を切ったのだと分かると、声が出なくなってしまった。
「ねぇ、早くしてよ。本当に傷だらけにしちゃうよ。あっ、ナイフ当てたままじゃ喋れないか。ごめんごめん」
と言って、漸く刃を離した流動だが、それはあたしの顔の直ぐ近くに置かれたままだった。あたしはか細い声を震わせる。
「アプロディテ……愛川の時は、突然湧き上がってきた能力で蒸発させた。けど、ポセイドーン……海野の時は覚えてない。散々蹴られて気を失っていたの。気が付いたら海野はもう居なかったわ」
「ふーん。とう事らしいよ。雷光さん」
どうにも納得し難い様だったが、取り敢えず聞きたい事を聞けた流動は、ナイフを懐に仕舞った。
「全然気がつかなかったけど、あの場に火野でも居たのかなぁ」
流動の呟きが耳に入った。火野。火野菜摘。その響きに、撲る蹴るの暴行を受けていた一人の女の子のイメージが閃いては消えた。彼女は誰なのか。火野菜摘。あなたがその女の子なの?
「火野の事は放っておいて良いです」
そう返したジーウスに、流動は不満気にしていたが、溜息一つで気分を切り替えたようだ。
「で、どうします。雷光さん」
「折角こうして来て頂いたんです。少しだけ、遊びに付き合って貰いましょう。流動君、君に先を譲りますよ。思う存分やって下さい」
今迄のやり取りを見ていたブリアレーオス統括が目を剥いてあたしを見たのが分かった。やっと納得してもらえたようだ。あたしと"魔人"達が仲間ではない、少くとも今は敵対的関係だという事が。まあ、あたしにとっては今更どうでも良い事ではあったが。
こうして、あたしと流動・エルメスとの闘いが開始したのだった。
* * *
「あ、最初に一言。雷光も海野と同じ支配空間を創れるけど、今は創ってないからね」
そう言うと流動は風を巻き上げ上空へと舞い上がる。ちょっと。それが、こんな部屋の中でやる事なの!?
「だって、外に出たら僕が有利だからね。これ位の枷があって丁度良いんじゃないかな」
と言いながら上下左右、縦横無尽に飛び回る。流動の通り道に居た人は、彼の起こした強風に巻き込まれ、床へと放り出されていった。
「邪魔、邪魔。隅っこで大人しくしてないと、怪我するよ。頭から落ちて首の骨を折っても自己責任だからね」
愉しげに嗤う流動は、更にもう一つの空気の渦巻をあたしの周囲に作り出した。それは、一番最初に遭遇した時に見せたものと同じだった。今は、あの時の様なギュゲスさんの助けはない。
あたしは先刻の内心の怯えを、彼の驕慢さへの怒りで塗り潰す。その怒りを熱から白光へと変え、あたしの周囲を覆うように展開した。流動の驕慢さは、あたしだけでは無い他の人にとっても理不尽なものだ。ならば、この光の覆いは流動の起す現象を消す事ができる筈。
その狙いは的中した。あたしの纏う光の覆いは、取り巻く渦巻を近寄せなかった。
「そこまでは、前回と同じだね。じゃ、これはどうかな?」
そう言って流動は、懐のナイフを渦の中に放り込む。ナイフは何故かその刃をあたしに向けたまま、渦巻と同じ速さで旋回したのだった。ナイフのギラギラとした反射光が、またあたしの心中に怯えを引き出そうとした。一瞬光の出力が落ちそうになった。
落ち着け、落ち着け。あの渦巻はあたしには近寄れないんだから。ナイフがあたしを傷つける事はできないんだから。
怯えを宥めつつ怒りの熱を白光へと変えてゆくと、出力は回復を見せていく。
今度はあたしの番だ。エドミレトの街で掴んだ、あの光弾を流動へぶつけるんだ。白光で全身を包む。そして莢から豆が弾け出すように……今だ!
無数の光弾が一方向へと弾け出した。その勢いは力一杯射られた矢のようだった。
「ひゅー、凄いねそれ。でももう一工夫必要かな。じゃ、今度はこっちの番ね」
闘いの最中に、無駄口を叩くなんて。あたしを何処まで下に見ればすむんだ!
「ねえ、場って分かる。フィールドって言ってもいいんだけど。場って動かせるって知ってる? 動かせるものなら、僕なんでも動かせちゃうんだよね」
と言うなり、あたしの身体は宙に浮かび上がる。
「今、重力場を動かしたんだ。そもそも僕が今浮いてるの、風のせいだけじゃないんだ。それからこういう事もできちゃうんだよ」
この部屋の全ての照明の明りがただ一点、あたしの目を目指して収束した。収束した灯りの攻撃自体は、身体の他の部分に当たったのなら大した事は無かったのかもしれない。けど、突然の強い明りに晒されたあたしの目は何も見えなくなっていた。
頭の中が白一色で塗り潰されたようになり何も考えられない。白光で防御する事も出きなくなっていたようだ。体中を何かが切り裂く痛みが走る。
「動かせるものなら何でも動かせるからさぁ。僕この世界で流通を牛耳って皆があたふたするのを愉しもうと思ってたんだけど、君達邪魔されてちょっと不愉快だったんだよね。だから君はその責任とって消えてちょうだい」
痛みが全身を駆け巡った。もう駄目かな、と諦めようとした時、あたしを責め続けていた風の流れが止んだ。あたしの身体は床に投げ出される。
頭の中の白い闇は既に消えていたが、目はまだ部屋の照明に慣れていなかったので、何が起こったのか分からなかった。
「おま、え、火……野……」
声のする方向へ顔を向けると、一際明るい、青白い光源だけが認識できた。声はそれ以降一言も聞こえなくなった。
しばらくして漸く目が部屋の明りに慣れた頃、部屋の中を見わたしたあたしの視界に流動は存在していなかったのだった。
* * *
「やっぱり、君は約束を護る良い娘だね」
ジーウスが何を言っているのだろう。やっと回復した視界にジーウスを収めたあたしは、彼の様子を伺っていた。ジーウスはあたしを見ているようで見ていない。あたしの背後の何かを見ているようだった。後は気になる。けど今ジーウスを視界から外せば何をしてくるか分かったものではない。
あたしは、じっっと彼を睨みつける。
「何を言ってるの? それともこれから第二回戦でも始めるの?」
ジーウスが薄く笑う。初めて彼の顔に表情が浮ぶのを見た。でも、その笑いは薄ら寒さをあたしに感じさせるものだった。
「先ず初めに言っておきましょう。私は全知全能。先程お見せした雷は能力の一端にしか過ぎませんし、王都の現状も私の雷だけで起こしたものです」
あれで? 王都の惨状も?
「そしてポセイドーン同様、世界を支配する、つまり私にとって都合の良いルールを定める事もできます。まあ、しませんけどね」
ジーウスが語れば語る程、あたしは胴震いする。こいつが、一番やばい。
「だから私が支配する世界にあなたの思う不条理はありません。そして私はそれを悪意なく行います」
何故、悪意なんて付け加えるんだろう。誰に向って語ってるんだろう。
「大地さん。テルースさん。部分的に思い出してはいるようですが、それではお困りでしょう。全て思い出させてあげますよ」
そう言ったジーウスの両眼は発光し、あたしの頭の中に今迄見た事のない物事が溢れだしたのだった。
古希学院旧校舎理科室。掃除が行き届いてなくて埃っぽい。
理不尽な要求・暴力に晒される菜摘。雷光生徒会長は撲る蹴るを繰り返していた。
暴力の対象されるあたし。菜摘への暴力を見ていられず介入したあたしが、次の対象に選ばれてしまったんだ。
河の中をどんどん歩いてく菜摘。わかってた。あいつらを焼きつくして、自分も最期にしてしまおうって思ってた事。
菜摘を岸へと引き戻そうとするあたし。でもあたしは、菜摘と一緒に最期を迎えるつもりだった。
白い空間。あたしは"神様"と約束した。理不尽を消し去る事を対価に菜摘と会うために。菜摘の"ごめん"という伝言。
「次は君が知らない事を教えましょう」
白い空間。あたしも居た事があるあの空間。五人の男女が横柄な態度で"神様"に"いちゃもん"をつけていた。
「俺等被害者だろう。何とかしろよ」
"神様"はあたしの時と同じように、異世界での役割りを果す約束の対価として、転生を提示した。
「へー、転生して特別な能力を貰って好き勝手やれば良いのね。儲けもんじゃない」
五人はその話に乗った。
「ところで、雷光が居ないけど?」
「彼は一足先に転生したよ」
"神様"の言葉に五人は、ずりーなあいつ、生徒会長のくせに、等と文句を言い早く転生させるよう"神様"文句をつけていた。
また場面が変わる。
五人は居なくなり、菜摘が一人そこに居た。
「あたしを、恵の行った世界へ送ってくれませんか?」
「その為には僕と約束しないといけないんだけど、出来るかな?」
どこかで見たような光景が再現されていた。
「はい。約束します」
菜摘は即断即決した。やめて、やめて菜摘。
「君は六人の魔人が撒き散らす悪意を全て消してきて欲しい」
やめて菜摘。その時あたしはまだそこに辿りついてすら無いの。
「わかりました。それで恵に会えるんですね」
「ああ、彼女とも似たような約束をしたから、必ず会えるよ」
そいつの嘘に気付いて、菜摘。
「君の向こうでの名前はマールスだ。彼女の名前は……会えば直ぐにわかると思う。じゃ、行っておいで」
そうして菜摘は白い空間から薄れて消えさった。
* * *
「僕が、君と契約した存在だよテルース、大地恵君。僕は君に六人の"魔人"が居るといったね。最後の魔人は君の後ろに居る。彼女は無制限に悪意と暴力を消去させるんだ。これって理不尽な事だよね。君が僕との約束を完遂する事を期待してるよ」
そして、あたしの後にいる誰かにこう告げる。
「マールス、火野菜摘君。このテルース君は、見境い無しに不義・不正・不条理を撲滅しようとするんだ。そんな事、悪意と暴力無しには出きない事だよね。君が僕との約束を守ってくれる事を期待してるよ」
あたしの後に菜摘が居る! 歓喜の余り振り返りたくなる。でもジーウスに聞かなければならない事がある。それ迄は我慢だ。
「雷光が居なかったけど、彼はどうしたの。そもそも貴方は何なの?」
ジーウスは薄い笑いを口元に貼り付けたまま答えた。
「最初に言ったじゃないか。地球を含む銀河の、その銀河を含む銀河団の、その銀河団が存在する全ての次元の多世界の管理者だって。雷光は僕だよ。僕は時々管理下の世界に降り立って、そこの生命体に試験を施すんだ。今回は、雷光として古希学院の生徒会役員達と恵君、菜摘君を試験したんだど。君等全員寿命を終える前に最期を迎えたしまったから、この世界で再試験する事にしたんだ」
約束は絶対だよ、じゃあね、そう言い残したジーウス・雷光は光の粒子となって宙に消えていった。
こいつは何を言ってるんだ? 雷光が神だって? 何の冗談なの。
後を振り返ったあたしが目にしたものは、燃えるような真っ赤な髪をした女の子だった。
「……マールス?」




