ウーラノス Ουρανος
テルース!
テルース!
遠くからあたしを呼ぶ声がする。
テルース!
テルース!
ああ、何て慕わしい声なんだろう。この声をずっと聞いていたい。
テルース!
「テルース!」
はっ、と目を開ける。目の前にギュゲスさんの心配そうな貌があった。あたしは二度三度と目をパチクリさせる。ちょ、ちょっと近いんじゃないかな。
「よかったぁ。いきなり倒れるから、すごい焦ったよ」
「だから、大丈夫だっていっただろっ」
メガイラさんが呆れた顔でギュゲスさんを見ていた。ちょっと能力使い過ぎただけだから放っとけば直るって言ってるのに、とぶつぶつ呟いてた。
「あ、あの、ちょっと近い……」
「あ、ああ、ごめん……」
何やってんだ、という雰囲気全開のメガイラさんがあたし達をジト目で見ていた。
でもそんな、空気を我関せずとばかりにぶち壊しにする人の声がギュゲスさんの背後から襲ってきた。
「これはどういう事だ! ここで何があったんだ! 説明しろ!」
その声の持主はコットスさんだった。
改めて周りを見ると、壁二面と天井は崩壊、辺りは砂塗れ、その砂を縫うように幾筋もの植物の蔓が絡み合っている。惨状を作った張本人は、多分この世には居ない。
「僕とメガイラが来た時には既に状況は見た通りになっていました。ここでテルース君が、大男に襲われていて、あわやという処で防護の力場で彼女を護りました。そしたら、彼女から強烈な光が放たれ大男は消滅し、彼女は気絶、たった今目を覚ました処です」
コットスさんは目を白黒させながら、ギュゲスさんの説明を聞いていた。けど、次にあたしに向けられた目は、猜疑心に満ちたものだった。
「では、テルース君。最初から説明してもらえるか」
説明できるものならな、と言葉が続きそうな目だった。
カチンときたあたしは、最初の最初から説明してやった。六人の顔を閃光に中に見た事まで話した。それを聞いたコットスさんは、猜疑の残る目のまま、
「その大男は、クロノスと名乗ったんだな。セイトカイとも。何だ、そのセイトカイとは」
「あたしも知りませんよ」
「隠すと為にならんぞ」
脅迫するように言われても知らないものは知らない。
「それにしても六人か。今この国には丁度六人の悪党がいる。エルメス、アプロディテ、クロノス、ウーラノス、ポセイドーン、ジーウスだ。君の言う事が本当なら、ここに来たのはその内の一人だと言う事になるが……今の君の説明だと、クロノスは君を狙ってここに来た事になるが?」
何であたしを襲うんだ、と言われても知らないものは知らない。
「君の失われたという記憶に関係があるんじゃないか?」
あくまで、あたしに猜疑の目を向けるコットスさんだったが、部屋の惨状を見て疲れたように溜息を吐いた。
「ここ迄の能力を持つとは、昔話の魔人みたいな奴等だな……」
魔人、という言葉が心に引っ掛った。どこかで聞いたような気がしたのだ。あれは何時の事だったのか……頭がズキズキと痛み始めるが、もう慣れてきたのか意識を失う程では無かった。
「君をこのままにしては置けないな……」
不穏な言葉を発するコットスさんは、その目に不穏な光を宿していた。ギュゲスさんとメガイラさんは、はっと息を飲んだ。
「君を重要参考人として勾留しておきたい処だが、魔術師棟自体、機能不全の状態に陥っていて勾留には使えない。さてどうしたもんか……」
* * *
今目の前には容貌怪異な男が眼光鋭くあたしを見詰めていた。
此処は王宮内、警備統括の執務室だった。目の前の男は、王宮警備、王宮魔術師、王都警備の三つの組織を統括するブリアレーオスと名乗った。
コットスさんは、魔術師棟では扱いきれなくなったあたしの措置を、上長であるブリアレーオス統括に委託する事にしたのだった。
「王宮地下牢に拘禁してしまうのが手っ取り早いんだが」
ブリアレーオス統括が、とんでもない事をボソッと溢す。
「魔術師棟襲撃のような被害を王宮で起す訳にもいかん。王宮だけではないな。街中で暴れられても困る。勇者とでも名目を付けて、悪党共の討伐に向わせろ。六人とも魔人の様だと言うのだから、おとぎ話みたいで適当な役割だろう。王宮魔術師から二人監視に出せ。王都警備からも二人出す。怪しい行動を見せたら即始末で構わん」
絶句した。
こんな対応をされて、あたしは黙ってそれに従うのか? こんな不条理を黙って受け入れろというのか? 腹の底が熱くなってきた。でも、今は抑えよう。これを解き放つのは今では無い。ブリアレーオスはどうなっても構わないが、ここには何も知らない人が大勢いるのだから、彼等に迷惑を掛ける訳にはいかない。
今じゃない、今じゃない、と呪禁のように唱えながら熱を抑えるのだった。
* * *
数日後、王宮魔術師のギュゲスさんとメガイラさんの二人、王都警備のアーレクトーさん、ティーシポネーさんの二人から成る"勇者一行"が仕立てあげられた。
ギュゲスさんとメガイラさんは自らこの役目を引き受けたようだ。
アーレクトーさんとティーシポネーさんは、メガイラさんの話によると、王都警備の厄介者らしい。腕は立つが上官反抗、命令違反の常習者だということだった。
あたしにとってはどうでも良い情報だった。残る"魔人"、五人の居場所が分かれば彼等を振り切って一人で行動する予定だからだ。いや、マールスだけは連れて行くが。
そんな思いを胸に秘めながら、あたし達五人は"魔人"討伐に向うのだった。
* * *
今あたしたちは、ウーラノスと呼ばれる悪党、もとい"魔人"の本拠地へ向う途中だった。ウーラノスは祈祷師を名乗り、各地で活動しているという。日照りが続く地では雨乞いをし、逆に雨の続く地では晴れ乞いをしているらしい。それだけを聞けば立派な人の様に見えるけど。実情はといえば、日照りが続いた原因も、雨が続いた原因もウーラノスが関与していたようだった。
つまりは、全てはウーラノスの自作自演という事だ。そうやって、大量の金品を巻き上げていく。人の弱味に付け込んだ悪どい遣り口だった。
そうやって巻き上げた金品で、本拠地では何をやっているのか。それを調べに向っているのだった。
「テルース君、ちょっといいかな」
ギュゲスさんが真剣な顔であたしに話し掛けてきた。ここ迄あたしは、意識的にギュゲスさん達との交流を頑に避けてきた。そのあたしの態度にギュゲスさんとメガイラさんは心を痛めていたようだけど、あたしだって良心が痛いんだ。でも、二人があたしの仲間だと思われると、あたしが事を起こした時二人に迷惑が掛かってしまう。それだけは避けなきゃいけない。
だから、今もギュゲスさんを無視する態度を貫いた。
「はぁ、そのままで良いから聞いてくれ。この間襲って来たクロノスの残していった植物の蔓を分析した結果が先刻届いた」
そう言って、ギュゲスさんは一枚の紙を取り出した。魔術便というらしいそれで届いたのをあたしも見ていた。
「これによると、エルメスが販売していた、そしてアプロディテが乱用していた違法薬物の主成分があの蔓に含まれていた。つまり、原料はあのクロノスが栽培していたって事だ」
とても興味深い話だったが、それでも無視を通した。
「そして別の情報源から、クロノスは今向っているウーラノスの本拠地周辺でしばしば目撃されていたらしい。原料の栽培地は、ウーラノスの本拠地にあるという事だ」
「だから、そこを叩き潰せば多くの人が助かるって事だよ」
メガイラさんが総括する。それは朗報だ。あたしが見た事も無い、そしてこれからも見ることの無い多くの人びとの為になる、という情報は確かにあたしの心を慰めるだろう。
でもあたしは二人への感謝の気持ちを押し殺して、無関心な態度を取り続けた。
はぁ、と溜息を吐いて二人が離れていくのを感じる。その様子をアーレクトーさんとティーシポネーさんがじっと見ているのも感じる。ギュゲスさん達には悪いけど、このまま仲が悪いふりをさせて貰う。でないと、王都警備の二人はギュゲスさん達を裏切り者と認めてしまうから。
心が痛い。ギュゲスさん達を無視するのが辛い。足下を歩くマールスが心配そうな顔であたしを見上げていた。その様だけがあたしの心を救ってくれていた。
* * *
ウーラノスの本拠地は山の麓にあった。
「あの山はイーデー山っていってね、キュベレーという聖女が住んでいたっていうおとぎ話があるんだ」
ギュゲスさんが説明してくれるが、興味の無いふりをする。興味が無い訳じゃないけど、それを満たすのは全てが終わってからだ。そしてその時ギュゲスさんは、あたしの隣りには居ないし、居てはいけない。
あたしは、山麓に広がるウーラノスの本拠地を凝視した。
「ついてくるなって言っても、あたしを見張るのが仕事なんだからついて来ない訳にはいかないんでしょ。だから一言だけ。手出しはしないで」
あたしは四人に冷たく言い放つと、本拠地へ向って歩き出した。ギュゲスさんとメガイラさんはあたしの両隣に並び、アーレクトーさんとティーシポネーさんはあたしの後に着く。あたしは、四人に構う事無く、ずんずんと歩いて行くのだった。
* * *
山麓に近付くにつれ、靄が濃くなってきた。先程見た時は、晴れ渡っていたのに。これはウーラノスの妨害なんだろう。妨害であればあたしは晴らす事ができそうだった。ウーラノスの行いへの憤りを燃料に熱を作り出すと、前方へと薄く光を放射する。あたしの進む道を閉ざしていた靄は、いとも簡単に消え去った。
そんな事を幾度か繰り返した先に、その男は突然現れた。
「やあ、お嬢さん。エルメスから話は聞いてるよ。顔立ちは美しいけど、中身はあのダイチなんだってね。実に惜しいことだ」
その気障な言い草が鼻につく、嫌な男だ。
「皆してダイチ、ダイチって煩いわね。あたしはテルース。ダイチじゃない!」
啖呵を来ったあたしに、ウーラノスは薄笑いを浮べる。
「へー、あいつ君にはそんな名前を付けたんだね。お似合いじゃないか。知ってるかい、テルースって言うのは別名ガイア……っと」
あたしは話を遮るようにウーラノスに光をぶつける。けど、それは簡単に躱されてしまう。
「人の話を最後まで聞かないとは、いけない娘だね。ちょっとお仕置きが必要かな」
というやいなや、強烈な雨を降らせ始めた。雨に視界を閉ざされたあたしは、光の盾で雨を防ぎながら、前方に放射する事で雨を払い視界を確保しようとした。だが、濃密な降雨は払ったさきから視界を奪い続ける。
どうすれば良いか必死で考えていると、真横から冷く固い礫があたしに襲いかかってきた。その礫は頭に、こめかみに、肩にと半身を打ちつけた。激痛に見舞われたあたしは、思わず蹲まってしまった。
「へー、君の能力ってその程度のものだったんだね。クロノスがやられたなんて、ちょっと信じ難いな。どんないかさまを使ったんだい?」
礫がやって来る方向さえ分かれば大した攻撃では無いけど、濃密な雨の所為でそれが見えないのが痛かった。全方向に光を放っても良いが、能力を使い過ぎればこの前みたいに意識を失う可能性がある。できれば最後の手段にとっておきたい。
蹲まるあたしに、不規則に、四方八方から冷い礫が襲いかかる。何度も激痛に見舞われながら、あたしは打開策を考えていた。
突然、一陣の突風が駆け抜け、身体を打つ雨や礫が止んだ。顔を上げると、あたしの身体の周囲で雨が弾け、礫が跳ね返されるのが見えた。
ああ、またギュゲスさんとメガイラさんに助けてもらったんだ。メガイラさんが突風で雨を払いながらあたしの居場所を特定し、ギュゲスさんが力場を展開してあたしを護ってくれた。
「やっぱりずるしてたんだ。じゃなきゃクロノスがダイチなんかにやられる訳ない」
いつまでもダイチ、ダイチ。気障で鼻に掛かったような声が、疎ましくなったあたしは、声の方目掛けて一際強い光を放射した。
「消えろ!」
でも、光は空を切るだけだった。
「ふふん。僕はそこには居ないよ。声を曲げてるからね。君は僕を見付ける事さえ出来ない。でもやりたいなら好きなだけやると良いよ。無駄足掻きも悪くないね」
挑発だと分かってはいた。けれど、これだけ言われてしまえば、一矢報いない限りあたしの気が済まない。
あたしは湧き上がる熱を全身に巡らす。熱は幾らでも供給されていくようだ。全身の熱が噴き溢れる瞬間、あたしは、全方位に強烈は光を放射した。
放たれた光は、あたしの周囲から雨と言わず礫を言わず、ウーラノスが創り出したもの全てを薙ぎ払った。
光が消えた時、あたしの周りは静寂に包まれていた。だが、その静寂はあたしが望んだっものではなかったようだ。
「へー、やるね。ちょっと見下し過ぎたようだ。でも、それで全力でしょ。僕には未だ奥の手があるんだよね」
余裕ぶったその態度が癇に障る。でも実際ウーラノスの言う通り、あたしの中の熱は切れそうだった。いくら憤ろうとも熱が湧出してこないのだ。
あたりが暗くなっていく。まだ夜には早い時間なのに、周囲には星々が瞬き出していた。
「これが最後かな。よくやった方だと思うよダイチ」
星々の煌めきが一層明るくなる。一際明るくなった星々から、次々と光線があたしに襲いかかって来た。光の速さで襲い掛かるそれを防ぐ事は誰にも出来ない筈だった。もう駄目と思った。目を瞑り、ギュゲスさん始め、あたしを大切にしてくれた人達皆にごめんなさい、と呟いた。そして……
そんな事を考えていられる事を不思議に思った。そんな時間、ある筈ないのに。瞑った目を無理矢理開ける。そこには、あり得ないものを見たようなウーラノスの立つ姿があった。
「馬鹿な……お前は、ヒノか?」
ボソボソ呟くウーラノスの言葉は、あたしには小さ過ぎて聞きとれなかった。
あたしの踝に擽ったい感触があった。足下を見るとマールスがあたしを舐めていた。そうされていると何故か不思議と熱が湧き上がってくるようだった。
あたしはもう一度、最大出力でウーラノスに光を放射する。何故か放心していたウーラノスは、あたしの一撃を避ける事すらしなかった。
あたしの光を浴びる寸前、
「お前の裏切り……」
と言ったのを最後にウーラノスは光の泡となって消え去ったのだった。
* * *
闘いが終わった後、あたしはメガイラさん、ティーシポネーさんと一緒にその場に留まった。ギュゲスさんとアーレクトーさんは麓まで行き後処理をしている。
その場に誰がいようと、その誰かが何を思おうと、知りたくない。そんなのは、何処かの誰かが上手い事対応して欲しい。
「なあ、テルース。気持ちは分からんでもないけど……」
メガイラさんが何か言いかけた。でもそれは最後まで言い切る事はできなかった。何故なら……
「へえ、アマタカまでやられちゃったか。クロノスに続いて快挙だね」
とう上からの声に遮られたからだった。反射的に上を見たあたし達三人の視線は一人の小柄な男に集まった。
「エルメス!」
あたしは叫ぶ。
「もう能力、残ってないでしょ。僕も今やりあう積りは無いから。次はポセイドーンの処へ行くんだよね。アプロディテも居るから、気を付けてねー。じゃ、また」
そう言ってエルメスは風に乗って瞬く間に消えさったのだった。




