6
「芯のお礼言ってないよなー」
里沙は自宅の部屋のベッドに転がってスマホと見つめ合っていた。
ついさっきまで忘れていたがスマホには三村のアドレスが入っていた。去年の文化祭か何かで連絡の必要があって交換したものの、それ以来まったく用も無かったのですっかりスマホの中に埋もれさせていたのだ。
「向こうも残ってるのかなぁ」
里沙はスマホのデータの整理なんてしないに等しいので、くだらない写真も意味も無いメッセージも溜まっていくばかりだった。おかげで三村のアドレスも残っていたのだが、三村もそうだとは限らない。それどころか里沙が考える三村の性格では必要のないデータなどさっさと消してしまっていても不思議は無かった。
「……流石にブロックはされてないだろうけど、そもそも削除されてる可能性はあるか?」
思わず独り言を漏らすくらいスマホと睨み合っていた。三村のアイコンを表示する画面に話しかけても、それはどこにも繋がっていないので意味の無いことだが、ボタン一つ押せば里沙の今はその相手に繋がるかもしれないと思うと、つい念じるようにスマホを握ってしまう。
「…………なんかこれって、三村のこと本当にスキみたいじゃん」
言った瞬間、リアルになってしまったような気がした。
「ないないない!」
思わず笑ってごまかそうとしたが、どうも好きになりかけていることは認めざるを得なかった。
だからとは里沙は言いたくなかったが次の日のメイクは気合が入っていた。
「今日の目力は半端ないねー」
朝一番の翔子の挨拶代わりの一言だ。おはようより先にそう言うということはよっぽどだ。
「ちょっと早起きしたからさ」
「あいつのこと少し吹っ切れたみたいだね」
「え、なんで?」
「だって、なんとなく生き生きしてるように見えるよー」
ニコニコと笑う翔子の顔を見て里沙は少し気恥ずかしくなった。まさか里沙の心の中が丸々分かるわけではないだろうが、ちょっと透けてしまっているような感覚だ。昨日なんとなく意識してしまった気持ちを知られている錯覚がする。
「これが普通で、元に戻っただけでしょ」
そう言うと翔子はわざとらしく納得して笑っている。
翔子が席に戻るとすぐ先生が教室にやってきて、一日が始まった。
ようやく慣れてきたシャープペンで授業を受けながら里沙は授業内容とは関係ないことを考えていた。
里沙がメイクをするようになったのは中学の頃からだった。当時は校則があって色付きのリップクリームを塗ったり、眉毛を整えるくらいなもので大したものではなかった。それが今のようにガッツリメイクをするようになったのは久本を好きになってからだったと里沙はふと思い出していた。
もともと興味があったのもあるだろうが、久本と仲の良い女子を見ているうちにそれを真似てどんどん凝った仕上がりになっていった。久本の理想を聞いて尚更拍車がかかり、そのうちメイクしていない顔ではなんだか恥ずかしくなってきて今では外出するには欠かせないものになっている。
なぜ里沙がそんな事を思ったか。それは翔子が笑う姿のせいだった。
翔子はいつも日焼け止めを塗るくらいでほとんど何もしていない。それがなんだかとても可愛く見えたのだ。
それが羨ましいというわけではなかったが、里沙にはなんだか少し眩しく映った。
「翔子さんはなんか可愛いよねー」
昼休み、里沙が突然そんなことを言い出したので、翔子も未佐子もすっかり目が点になっていた。
「急にどうしたの?」
お弁当を広げようとしていた未佐子はその手を止めて里沙の額に手をあてたりした。
「昼ごはん忘れちゃった? お弁当半分欲しい?」
いきなり褒められた本人は何か下心があるんじゃないかと疑ったようだ。
「単純にそう思っただけですよー」
語尾だけわざとリズミカルに言って、里沙も誤魔化した。
「何故そんな話し方なんですか?」
呆れながらも未佐子が笑いながら言う。
「別に~意味はーありませーん」
今度は歌うように言うと二人はカラカラと笑った。
「なんか本当に元気になったみたいだね、良かった!」
翔子はふざけた様子の里沙に本気で安堵していた。未佐子も同じようで頷いていた。
その日の授業後、部活がなかった里沙は教室に残ってクラスメイトの女子達と雑談をしていた。そんなことも久しぶりで、昨日までは久本を極力避けるように行動し、遭遇しそうな状況にいることもできずにいた。だから部活や委員がなければさっさと家に帰ったし、教室になんて留まることは恐怖に近いものがあった。
それが今はなんとなく学校に残っていたい気分だったので、クラスにいた女子とどうでもいい話をしながら笑いあっていた。
しかし、それもしばらくするとみんなバラバラと帰っていった。最後に残った里沙もさすがに帰ろうかとカバンを持ち上げた時だった。
「あれ、高峰。なんでまだ残ってんの?」
期待していたわけではなかったが、やっぱりどっかで待っていた人が里沙の前に現れた。
「三村君こそ部活は?」
廊下から覗き込んできていた三村は、廊下の先を指さした。
「今休憩中。教室に忘れ物したから忘れないうちにと思って取りに来たところ」
「そーなんだ……」
そこで里沙は突然三村と何を話せばいいのか分からなくなった。共通の話題なんてほとんどない上に、つい昨日自分で導いてしまった想いが訳もなく緊張をもたらしたせいだ。
「一人で残ってるから、居残りかと思った」
言葉に詰まった里沙には気付かなかったようで、三村はジャージ姿で教室に入ってきた。
「ちょっとなんで入ってくる!?」
とっさにそんなこと言う自分の口を憎む里沙だったが、三村は気にした様子もなく軽い足取りで歩を進める。
「理系の教室ってさ、すげー隅だろ。教室の窓からなんて木が邪魔でなんにも見えないんだよね」
「木が見えるじゃん」
里沙がそういうと三村は一瞬びっくりしたようだがすぐにケラケラ笑った。
「確かにな、でもできれば景色が見えたほうがいいだろ。ここからだとグランドが見えるんだなー」
窓際に立って外を眺める三村の姿に里沙は鼓動が早くなりそうな不思議な感覚を治めようと自分も窓の方に目を向けた。
少しして、いつの間にこちらを向いていたのか三村がポケッと里沙を見ていた。
「なっ何?」
胸のざわめきが声にも出てしまったが、次の言葉で里沙の感情は違ってきた。
「何を塗ったらそんな風になるのかな」
「え?」
「目の周り真っ黒だからさ、どうなってるのと思って」
里沙は慌ててカバンから鏡を取り出して自分の顔しげしげと見つめたが、どこも滲んでいないし、崩れてもいない完璧な状態だった。
「変?」
「変って言うか、不思議かな。別にもとのままでもいいのに、すごく塗ってあるから大変そうだと思った」
「大変って、それってどういう意味?」
「そのままもカワイイって意味」
「え? ……そんなのいつ見たの」
「あの時」
それは久本と別れた日のことだとすぐに分かった。その日里沙は三村にメイクを直す姿を見られている。
「あんなの忘れて!」
今頃本気で恥ずかしくなった里沙はそれこそ本当に今更顔を両手で覆い隠して、それを見た三村は笑いながら里沙に告げる。
「それはさすがに無理かなー、結構インパクトあったし」
「ヒドイ!」
里沙が抗議の声をあげると三村はその誤解を察知した。
「あ、顔がってわけじゃなくて、道で泣いてる知り合いに出会うなんてめったにないだろ」
「……うん」
それはそうだと素直に頷いた。
「だからさ、男はナチュラルな方がわりと好きだと思うぞ」
「え?」
唐突な物言い里沙は混乱する。
「ま、一般論っていうか、俺の周りの統計って感じってことでさ。じゃあ俺戻るわ」
「あ、うん。バイバイ」
入ってきた時と同じ足の軽さで部活へ戻っていった三村をぽかんと見送る。三村が去った教室で一人、会話の内容をリピートする里沙の思考はすっかり嵐の中だ。それでもそこが三村らしいなんて思ったりもする。
「今のどういうことなんだろ……やっぱり訳わかんないな」
里沙の顔は少し赤くなっていた。