18(完)
久本との事はさっぱり決着が付いているが、付き合っていると思っていた人の本命でないことを目の前で知ったショックはまだある。そう簡単に忘れられるものではない。
それにあれからわずか三ヶ月ですっかり立ち直ったというのも、軽い女に見られやしないかと不安がよぎったせいもある。
しかし三村はそれを見逃がさなかった。
「それってどっち?」
真顔で問い詰められ目を泳がせながら弁明する。
「いやー、さすがに今報告すべきことではないなーと喋ってる間に思って誤魔化そうと」
里沙の声は段々小さくなっていったが、三村は逆に強く断言した。
「大丈夫だよ、すぐ想い出にさせる」
その言葉は里沙の胸にまっすぐ届いた。おかげで顔はまっ赤になってしまったが、里沙の心は今までにないほど熱くなっていく。
「なんだその自信は!」
照れてそんな風に茶化したが、三村はどこまでも真剣に答える。
「自信というか、あちこち目を向けないようにしないとなって思ってるから」
「そんな浮気者じゃないんだけど」
「高峰がじゃなくて、周りの男が狙ってくるから」
それこそ里沙は大爆笑だった。
「あははは、そんなの絶対ないって! 要らぬ心配しすぎ」
里沙は告白したことはあってもされたことは一度もない、そんな秋波を感じたこともない。さらに久本とのこともあったので三村の心配はとても的外れに思えたのだ。だが三村は本気で気にしている様子でさらに確信まで得ているらしい。
「木之下さんにも忠告されてるから」
「翔ちゃんが?」
里沙はなぜここで翔子が出てくるのかと一瞬ドキッとしたが、三村の話を聞いて驚いた。
「高峰がバスケ部の先輩と噂になる前くらいかな、俺の気持ちに感づいてたみたいで本気で好きなら気を配っとかないとすぐ攫われるって」
そういえば翔子が心配していることがまだあると言っていたことを思い出しだが、翔子も的外れなことをと里沙は呆れた。
「ないない、モテたためしもないのに……」
全力で否定する里沙だったが三村に考えを改める様子は全くない。
「きっと気付いてないだけ、だから俺が注意しとかないとさ」
「必要ないと思うけどなー」
「うん、ぜひ俺だけを想ってて下さい。できれば男とは仲良くしないこと、特に多岐とか」
突然の多岐の登場にまたもびっくりする里沙だったが、多岐とは仲が良いなと生徒会役員によく言われたりもしていたので、里沙は一応弁明する。
「えーっと、多岐君とのこと心配してるの? あれはちょっと、あたしはかませ犬的役割って言うか、多岐君には好きな人にアピールするためにあたしを使ってるって言われてるから」
「本当ですか?」
「本当だって、相談ってほどじゃないけどちゃんと話ししたから間違いない」
「恋愛相談は、一歩間違えば恋仲になったりしますよ」
どこまで疑り深いんだと思いながらも、どこかちょっと嬉しくもある里沙はむず痒さを感じては話を逸らしてしまう。
「いやだからなんで敬語に……」
「つい」
「ついですか、ちょっと迫力増すから有効的な使い方だとは思いますよ」
「高峰はちょっと可愛くなるな」
さらっと言われて思わず顔が火照る。
「…………一応ありがとうと言っておくよ」
「それで男から恋愛相談を受けるときは俺も同席ってことで」
そこへすかさず三村の忠告が入り心配性だと呆れながらも頷いた。
「……されることないから大丈夫だと思います」
「じゃあ、もしものときはね」
「意外に束縛屋?」
普段の三村からは感じられないことだったので里沙は思わず聞いていた。
「うーん、どうだろ。高峰限定でそうみたいかな」
三村自身もあまり感じたことのない感情であるためか考えながらだ。
「あ、そうなんだ。それって喜んでいいのかな?」
「嫌われるほどはしないよ、大丈夫」
「ありがと」
「じゃあこれからよろしくお願いします」
「あ、お願いします」
これで付き合うことになったのかと里沙は思った。
嬉しいがどうしてだか落ち着かない。
少し考えてあらためて三村に向き合う。
「あの、」
空を見上げていた三村が振り向く。
「ん?」
「好き」
そう言うなりふいに目の前が陰ったと思った次の瞬間、里沙は唇に温かさを感じていた。目をつむる間もなく熱は離れていく。
「だから言わせなかったのに」
何が起こったのかわからない里沙は目を瞬かせてすぐ近くにいる三村を見つめる。
「…………」
「嫌だった?」
三村が少し困ったように言うので、ぼーっとしながらも否定する。
「え……いや、ちょっとびっくりしただけ」
「良かった」
三村の安堵のため息を聞いて、里沙も何故だかほっとする。すると急に自分に起こったことを自覚した。
「初めてだったからさー、ホントびっくりした!」
それに三村が反応した。
「えっ?」
「え!」
三村に驚かれて、里沙もさらに驚く。
「久本とはしなかったんだ?」
「一ヶ月くらいしか付き合ってなかったし」
「あいつ手が早そうだから」
「なんかね、恥ずかしいっていうか緊張っていうか、あたしがおどおどしちゃってそういう雰囲気にならなったのかな」
付き合っていたと言っても実際一緒に居た時間は長くない。手を握ったかどうかも里沙の中ではあやふやだった。
その当時を思い出して里沙は少しだけ切なくなった。
その横で里沙を見ていた三村はふいに問いかけた。
「俺とは?」
「え? あっ、えーっと」
「ドキドキしない?」
「……します」
「緊張もする?」
「……今は、か、かなり」
じっと目を見つめられて、里沙の心拍数がみるみる上がっていく。それでも視線をそらさず見つめ合える。
三村がふと微笑んだので、次は空気を感じてギュッと目を閉じた。
さっきより長めに重ねた唇が離れると里沙はたまらず下を向いて三村から顔を隠してしまう。それでも髪の間から覗く里沙の耳が赤く染まっているのを見た三村は里沙の心情を読み取って胸を撫で下ろし、そっと里沙を抱きしめた。
「ちゃんとそういう雰囲気になるね」
頬も耳も熱くしている里沙は対応できずにされるがままで、小さく返事だけする。
「……そうですね」
その少し上ずった声と体に感じる自分のものとは違う鼓動の早さに三村は嬉しくなって思わず口から感情が漏れる。
「やっぱり可愛い」
「そういうことは心で思えって」
「検討しておくよ、たぶん無理だと思うけど」
体を離して睨む里沙だったが、その効果は逆に三村を嬉しがらせるだけに終わった。
そんな雰囲気に二人でなんとなくまどろみ、夏至を過ぎてもまだまだ日の長い空を眺め
ていると気付けば自然と手を繋いでいた。
それを見て二人で思わず笑っていた。
「翔ちゃんと未佐ちゃんにはなんて話そうかなー」
「うーん」
翔子と未佐子にどうやって報告しようかと今から赤くなり挙動不審になる里沙と、その横で最早小姑と化している里沙の友人二人には真剣に挨拶しておいた方がいいと考え出した三村も、これから楽しい毎日になると、そう不思議と確信しているのだった。
それは高峰里沙が偶然通った改札から始まった出来事。
浮かれているような日々は急転直下でどん底に落ちた。
でも、そこで手を差し伸べてくれたから。
癒えない傷から目を逸らすために、握ったシャープペンシルはどうしてだか、励ましてくれてる気がして。それをくれた人を意識するには十分だった。
ふわふわ浮いているだけだった以前の自分じゃない。
気付けば乗っていた上昇気流をしっかりと自分で捉えて、自分の意志で乗りこなしていく。
新しく始まる理沙の三村との日々も、その気流の先に。
(おしまい)
読んでいただいてありがとうございました!