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久本との決別から二日後、辻口がキレたと新しい噂が駆け巡っていた。
里沙の元にその情報をもたらしたのは未佐子だった。
「里沙、辻口先輩がやらかした」
「へ? 何を?」
未佐子が言うには一条のために辻口ははっきりと交際宣言をして、一条に何かしたヤツはぶっ殺すとまでいったらしい。それを聞いたときに里沙は思わず笑ってしまった。
「辻口先輩っぽいなー、いつかはそうなるかなって思ってから案の定だな」
里沙がそう言うと未佐子も同意したが、同時に怒ってもいるようだった。
「全く! どうせするなら最初からしなって感じ」
「それはあたしが止めたからさ」
「それ以前よ! 付き合いだしたときから公言してたら里沙に迷惑掛からなかったでしょ」
「それはーまー、いろいろ事情もあったんだから仕方ないって。とりあえずこれからも二人が仲良く、一条さんが幸せになってくれればあたしはそれで良いよ」
「ホントに里沙は一条さんの肩持つね」
「あたしはカワイイ人の味方なのです」
その後、前の噂が本当だと思っていた人たちは里沙を腫れ物に触るように扱ったが、一条と辻口は里沙の予想通り、なかなか幸せな時を過ごせるようになったと二人からあらためてお礼を言われ、実際は何もしていない里沙は恐縮しっぱなしだった。
乗りかかった船で対応していたことが一つ落ち着いて、せっかくいろいろとすっきりしてきてるので、里沙は気にかかっていることを全部すっきりさせるために杉の家に行った。
「そろそろ我が家の事情を聞きたくなった?」
里沙の雰囲気の微妙な変化が分かるのか杉は里沙を部屋に招くなりそう言った。
「いやそれは別にいいや」
里沙が聞きたいことはそれじゃない、大変そうだってのは伝わってきているのに今更根掘り葉掘り聞くつもりは本当に全然なかったのだが、なぜか杉の方がしゃべりたがった。
「えー、聞いてよ。どうせだしさ」
里沙が返事をする前に杉は話し出す。
聞くと複雑すぎて里沙には処理しきれなかったが、再婚話があってそこで親権の奪い合いが起こっているとか、杉家の大黒柱の母親が勤める会社の倒産しただとか、その他にも親族の介護に兄弟の世話、とにかく昼ドラを凝縮したような出来事が次々と杉の身に起こったということだった。
「なんか……壮絶すぎないか……」
目の前にいる杉からはそんな大変な様子はあまり伺えないので余計に信じられない気持ちの里沙は励ますよりただ感想を述べるように呟くしかできなかった。
「まーね、でも一気に来てくれたおかげでかえって割り切れるものよ」
さっぱりと言い切る杉は強がっているわけでなく、それが本心のようだった。
「杉さんは凄い……てか凄すぎだし」
「でしょ? 自分でも思う。だから余計誰かに聞いて欲しくてさー、先生とかには言ったんだけど反応がイマイチだったのよね」
「そりゃ、聞いたほうがどうすることもできないしさぁ」
里沙が正直に白状すると杉はそれが良いと言って笑う。
「高峰さんの反応はばっちりだったよ、話してる最中から表情が良かった」
「どういう意味かなー、それは」
里沙は途中からまるでドラマでも見ているようなリアクションをしていたらしく杉はそれが面白かったと言って里沙をからかった。
それでも里沙は真剣に聞いていたのだ。真剣すぎるあまり妙な反応になっていただけで。面白がられるところではない。
「ヒドッ! まー今の杉さんの状況に免じて許してやるが。そんな事が言えるくらいに元気だということだな」
しかし杉はふっと表情を曇らせた。
「でも心残りはある」
突然の変わった雰囲気に里沙も瞬時に再び真剣な表情に戻った。
「何?」
ヘビーな話を聞いた後だけに里沙にできることならと思って尋ねていた。
「それが高峰さんに託した体育祭委員よ」
杉の答えはすっかり忘れそうになっていた里沙が今日来た理由だったので飛びつくように反応していた。
「そう! それが聞きたかったんだって、なんであたしなの?」
杉はきちんと説明するといって話し出した。
「ずっと体育祭委員やりたいって思ってたのよ。三年になったら団に専念するためになれないでしょ、最後のチャンスで念願叶ったのにね」
「そうなんだ」
「だからこそ、自分以外の人に任せるのはすごく嫌だった。それでも家のこと放っておけないから仕方なく谷岡先生に言って辞めさせてもらうことにしたの。そうしたら先生がせめて後任は私が決めていいって言ってくれて、それで高峰さんにお願いしたのよ」
「そこでどうしてあたしが出てくるの? 一番不適任でしょ」
杉はニヤリと笑って答えた。
「そこが良かったのよ、だって悔しいじゃない! 私がやりたかったこと違う誰かが楽しんで夢中になってるのなんて耐えられない」
思いがけない返事に里沙はつい呆れてしまった。
「……そこだけは捻くれてるんだ」
「私は腹黒いのよ」
杉は笑いながら言う。
それにしたって里沙には杉の行動がいまいち納得できなかった。
「でも心配じゃなかった? いくら悔しいからって体育祭の足引っ張る可能性のが大きいじゃん」
「それは適度にはやってくれるって確信があったから。でも私がやることになってた以上に高峰さんは忙しそうだけど」
「大変だけどこんなもんじゃないの?」
興味の薄いために他の体育祭委員の活動量なんて気にしたこともない。里沙はそんなもんだと思っていたが、杉は知らぬが仏だと苦笑した。
「高峰さんからもいっぱい聞いたけど、谷岡先生もこの前来ていろいろ話きかせてもらったからね」
そう言われて里沙ははっとした。杉が一番嫌だと言っていたことではないだろうが。自分が過ごせなかった時間を誰かが夢中で過ごしていること。
里沙は面倒臭がりなので楽しんではいないが充実しているとは思っている。それを杉にも言ったような気がする。自分の行動を振り返って冷や汗が滲んできた。
「もしかしてあたしを選んだこと後悔してたりして……いろいろ働いて一々報告しにくるんじゃ、なによ! って思ってる?」
杉は怖い顔で脅える里沙を見て、次の瞬間には笑い出した。
「嫉妬してないって言ったら嘘になるかな。でも高峰さんで良かったとも思ってるよ」
どこか切なそうに里沙には見えた。それでも杉はにっこり笑っている。
「私さ、正直もう体育祭どころじゃないって感じでさ。それどころか学校にもまともに行けないくらいだからね。でも委員の活動は出来ないまでも高峰さんがウチの団のこと聞かせてくれるし、それどころか少しでも参加してる雰囲気味わえるように配慮までしてもらって本当に感謝してる」
「それは翔ちゃんがさ、全員参加をモットーにやってくれてるからであたしはそれを伝えたりしてるだけだよ」
「それで十分、きっと他の人に任せてたら私のことなんて気にも掛けなかったと思うもの」
「そうかなー、心配してる人結構いるよ」
「ありがとう、でもできるだけ学校行けるように頑張れるのは高峰さんが来てくれてるからだってのも事実なんだと覚えておいてね」
里沙はまさかそこまで言ってもらえるとは思っていなかったので本当に胸が熱くなるほど嬉しかった。
「ありがとう」
素直にそう言えた。