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 翔子の家に着き、キッチンにいた翔子の母親にあいさつだけすると先に里沙だけ部屋に上がり、その後すぐ着替えた翔子がお茶を持って入ってきた。


「さっきので気付いた?」


 里沙の前にグラスを置きながら、翔子はまた突然だ。

 それでもすぐに聞き返すことはせず、考えるだけ考えてから聞こうと里沙は腕を組んで今日の翔子の様子を邪心無く思い返す。すると里沙自身も驚くような結論を導き出してしまった。


「もしかして翔ちゃんの好きな人って……」


 里沙の表情から考えが分かったのか、里沙が口にする前に翔子が告げた。


「うん、谷岡先生なんだ」


 つい、ほんのついさっきまで翔子の想い人は三村ではないかと疑っていた里沙がなぜそんな事を思いついたのか里沙もうまく説明できなかったが、降って湧いたように突如里沙はそれが分かってしまった。


「そう……なんだ、それは告白できないね」


 驚きつつも、里沙は翔子の心情を察した。立場的なことを思えば当たり前なことだ。

 里沙は翔子の苦しい胸のうちを想像して心が痛くなったが、それを翔子本人が覆した。


「うーん、だからってわけでもないんだけどね」

「……?」


 それ以外の理由など思いつきもしない里沙は首を捻るばかり。

 翔子はそんな里沙を微笑ましく思いながら、順を追って説明し始めた。


「ほとんど一目惚れだったんだよぉ、入学式で見てカッコいいなって思って初めての授業で声聞いたらもう好きだなーって」

「そんなにすぐ……」

 少し顔を赤らめて当時を思い出しているらしい翔子の表情に思わず目を奪われる。えも言われぬ可愛さにため息が漏れそうになっていた。


「それからはもう気がついて欲しくて構って欲しくて先生にイタズラばっかりしてた」


 里沙は入学したての頃のクラスに居たまだ親しくなる前の翔子を思い返した。


「……そういえばそうだ、あたしそれでめっちゃ弾けた人だって思ったし」


 だからってあれが恋心の裏返しだとは里沙には分からなかった。


「えへへ、未佐子はそれでなんとなく勘付いたみたい」

「さすが未佐ちゃん。幼馴染だからこそ尚更分かるんだろうなー、すごいなぁ」

「ちょっとたしなめられたけどー、全然気にならなかったよぉ。好き好きオーラ出しっ放しで、いつ告白しようかとか、どうしたら好きになってもらえるかばっかり考えてたよ」


 里沙の知る翔子の性格でもそれは当然の行動の様に思えたが、矛盾する点も思い出した。


「でも告白しないって前言ってたよね?」

「うん、今はしないよぉ」


 翔子は手に持ったグラスのふちをなぞりながら当たり前のように言う。そんなあっさりした翔子の様子に里沙はらしくないが追及したくなった。


「なんで……って聞いてもいい?」


 翔子が言いたくないなら聞かないと含みを持たせて遠慮がちに聞くと、翔子は躊躇う素振りもなく快諾した。


「里沙っちには特別ね」

「うん」

「先生がね……独りで泣いてるの見ちゃったんだ」


 里沙はこれには本当に驚いた。どこかお気楽そうで、でも実は生徒のことをよく見ていて頼れる担任だと知っている里沙はそんな谷岡が泣いている姿はあまり想像できない。


「泣いて……」

「とっても苦しそうで、本当に悲しく泣いてるんだなって分かったの。でも声殺してて、必死で涙堪えようとしてるの、私まで泣きそうだったよ」

「声、かけたの?」


 里沙ならどうしたか分からなかったが、実際その場面に直面した本人はどうしたのだろうかと聞かずにはおれなかった。

 翔子は首を横に振った。


「できなかった、その時気がついたんだよ……私は子供なんだって」


 ようやく目があった翔子の表情にまた里沙は驚く。


「…………」


 あまりに綺麗な微笑みに里沙は思わず息をのんでいた。


「だって、先生きっと私に何言われても表面的な慰めにしかならないよ。なんで泣いてるのかなんて絶対に教えてもらえないし、むしろ泣き顔見せて悪かったなくらい言うもん」

「谷岡先生なら言うね……」


 里沙にも気遣い上手な谷岡ならうまくはぐらかす事もできるとそれは簡単に予想できた。翔子はそれが悔しかったという。


「今の私がしてあげられることなんてほとんどなくて、精々迷惑掛けるのがいいところでさ、好きだなんて言うのもそうでしょ」

「……うん」


 それは里沙もあえて否定しなかった。どんな言葉で翔子を慰めても否定しても、翔子が言うことがリアルだと認めるしかない。


「優しく断られて、それでも迫ればますますだよね」

「谷岡先生そういうモラルは高そうだ」


 教師とは元来モラルの高いものだが昨今のニュースを見ていればそうでない輩もいると誰もが知っている。でも里沙の知っている担任はそんな次元とはまったく無縁の、逆にお硬すぎるんではないかと思うほどのモラリストだった。


「それに万一告白受け入れてもらっても、バレた時のリスク高いのは先生の方だもん。私そうなった時守ってあげられない」

「だから告白しないんだね」


 心から頷けた里沙に、翔子はもう一つの理由を挙げた。


「あとね、私が卒業するまでどれくらいだろうって考えたんだ」


 里沙は親によく高校時代はあっという間だと言われている。しかし、だからこそ今しかできないこともあるんだとも言われているので、日々の時間は大切にするように教えられていた。それを考えるともし里沙が翔子と同じ立ち場に立ったとき、感情をコントロールできる自信などまったくない。それでも卒業さえすればと思い込めばと翔子の意見に賛同できた。


「あー卒業したらリスクは減るか」

「それもあるけど」


 それにもまたも翔子は違う見解があるらしい。


「それ以外にも何か?」

「生徒と教師って関係は今だけだなって」

「へ?」


 理解できなかった里沙のために翔子は詳しい説明を加えた。


「生徒として甘えられるのは高校生のうちだけでしょ? しかも今年なんか担任なんだよぉー、こんなに歳が離れてるのに学校行事一緒に楽しめるのなんて今だけなんだからぁ」


 不思議な考え方のようだが、言われてみれば的を射ている気がする。学生同士ならば当然の話かもしれないが、大まかにひと回り以上歳が違う相手とは学校行事など無縁なはずだ。それを共有できるとすればとてつもなく貴重なことだ。


「そう言われればそうか」

「今焦らないといけない気持ちじゃないんだぁ、先生のこと世界一大切だから、ちゃんと大人になるまで告白しないって決めたの」

「……それがすでに大人だなって思いますよ」


 気持ちのコントロールなんて簡単にできることではないと里沙も重々承知しているので尊敬してしまう。


「でもちゃんとアピールしてるよ、大学行ったらちゃんと付き合って大学卒業したら結婚するんだ。里沙も絶対結婚式呼ぶからね」

「なんだかそこは乙女的思想なんだ……」

 唐突な未来予想図があまりにもいままでの現実感からかけ離れていたため里沙は気が抜ける想いだった。

 それでも翔子は楽しそうに笑っている。


「えへへ」

「翔ちゃんらしいよ」

「でも里沙っちは私の中で、なかなか強力なライバルなんだよ」


 いまさら翔子からそんな事言われるとは、いよいよ想定外過ぎて翔子はもしやテレパシーでも使えるのではないかと里沙は思わず疑ってしまった。


「な……なんのライバル?」

「先生ね、里沙っちのこと結構気に入ってるんだよ」

「えぇー、別に超普通だし」

「ううん、だって杉さんのこと里沙には話してるんでしょ?」

「成り行き上だって。杉さんがたまたま委員をあたしに任せたからさ」


 恋する乙女は些細なことでも気になるし、大いに勘違いする生き物だ。里沙も翔子と三村のこと疑っていたのだからもちろんだが、翔子もまたそうらしい。


「でもさー、先生があんまり心配してるから、今日里沙に声掛けたんだよ。だから先生が教室来たとき隠れたの」

「え、どういうこと?」


 関連が分からない里沙には翔子の思考は理解できない。谷岡は里沙のことを気に掛けているとなぜ翔子が里沙と話をすることになるのか。


「先生とは折角適度な距離を保ってる。それでも先生と生徒の距離を踏み越えないように。だから杉さんの事は私知らなかった」


 なんでも話すような関係ではないということだ。それでも特別な生徒でありたい。それが翔子が今一番求める居場所なのだ。


「でも、その距離を踏み越えるすれすれの場所にはいたいの。だから先生が里沙のことすごい心配してるのはなんとなく分かって。先生が心配してるから私が里沙と話してると感づかれたら、また距離計られちゃうかもしれない」


 ちょっと考える時間は必要だったが里沙には思考回路がつかめた。


「……何となく理解できた」


 つまり谷岡の気がかりを少しでも減らすために里沙にさっさと問題を解決してほしかったのだ。杉のことは翔子には話していなかったので、気がかりは噂のことだと考えた翔子はそれで里沙にあんな助言をしたのだ。しかしその様子を谷岡が見たら、心配している様子を翔子に見せたから里沙の行動に口出しするような事をしてるんだと思われて今後警戒されるのを嫌がったのだ。

 そこまで里沙が考えて思ったことは、翔子の思い込みも激しい、だった。教室で里沙と翔子が話していても友達なんだし変なかんぐりはしないだろうし、谷岡と里沙は単純に気さくに話ができる教師と生徒という以上になりようが無い。

 でも普段の里沙だったらあきれるようなことでも、今の里沙にはそんな突飛な発想もなんだか理解できてしまって自嘲気味に笑うしかなかった。

 それをみた翔子は焦って弁解した。


「でも私が里沙を気にしてのも本当だよ、ちょっと前まで悩んでるぽかったし。先生より先に私に相談して欲しいっていうのも本音」

「さすがに担任に恋の相談はしません。だから翔ちゃんも余計な心配は無用だよ」


 翔子の不安を払拭するためにもはっきりと言ったのだが、乙女の心配は尽きないらしい。


「先生の心配は杉さんのこと以外にもあるんだよー、でも教えない。私と先生の秘密ー」


 里沙が考えるより二人は親密なのかと思ったが、そこはあえて深追いしなかった。

 その晩、翔子宅に突然訪れたにもかかわらず、またも食事をご馳走になってから帰路に着いた。


 家に帰り、ゆっくり湯船に浸かりながら里沙は考えた。結局勘違いだった翔子の相手とその真相。

 翔子の話は里沙の心に深く残り、そして自分を顧みた。

 恋のこともそうだが、翔子は早く大人になるため将来について真剣だった。

 ここのところ将来のことなんかまったく眼中に無かったが、それを考える手がかりにするために受けにいった模試も結局受けなかったし、それからあれよあれよと有耶無耶になってしまった。

 将来を決めることが大人になることではないと分かってはいるが、それでも考えなしに時を過ごしている自分では先は果てしないように思える。

 恋に現を抜かしているだけではいけない。

 だが自分以上に大人な考えを持っている翔子でも、似たような勘違いをする。それは恋をいているからこそだ。

 翔子も自分自身も、今とても貴重な時間を過ごしている。

 翔子は大人になりたいと言った。だから今を充実させることも大切にするのだとも。そんな風に考えることができるだけで、翔子は確実に大人に近づいていっていると感じられる。


 自分はどうか……。

 今したいことは何か。

 はっきりしたものは何も見えない。

 それでも少しずつ考える。

 ゆっくり慌てず。

 みんなはどうか?

 きっとちゃんと考えているんだろう。

 それでも慌てず。

 今のことも将来のことも。

 時が来たら躊躇わないこと。

 それだけを心に刻みバスタブから勢いよく立ち上がった。



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