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組長会議

僕たち尾崎戸部高校二年生はA組からD組まであるが、致命的に仲が悪い。不俱戴天の敵といった趣がある。女性がいない潤いを欠いた生活がその根本にあると思われる。しかし、一世一代のイベント、修学旅行を前に足を引っ張りあっていては旅行の成功は覚束ない。そこで慎伍は一計を案じ、組長会議を提案する。A組組長の豚也、B組組長の平野、C組組長の槌田、D組組長の慎伍からなる組長会議の行方はいかに。

「お前、明日の放課後空いてるか?」

 新次郎たちと別れた後、慎伍が後ろから声をかけてきた。

「またか? 特段予定はないが」

「じゃあ、六時にジャンボで待ってる」

 ジャンボとは寡黙なマスターが切り盛りしている僕ら行きつけの喫茶店である。

「ジャンボ? 大丈夫か。今、塚チンたちが張っているんじゃないのか」

「このところ塚チンたちは、ラリホーに行ってるということだ」

 ラリホーはジャンボとともに尾戸高校の生徒の人気を二分する喫茶店で、ジャンボとは少なくとも五キロメートルは離れている。暗黙の了解でAB組はラリホー、CD組はジャンボとテリトリーが分かれているのだ。

 気が進まない反面、三起也から言われたひと言が気になっていた僕は、目の前に突如として現れた由々しき問題について慎伍の腹蔵のない意見を聞いてみたいと思っていた。


 というわけで僕は今ジャンボにいる。

 カウンターでは、黒のベストに蝶ネクタイのマスターが静かな笑みをたたえている。全てを心得、全てを知り尽くしたかのような笑み。マスターはこんな瑣末なことに悩んだりはしないのだろう。「女性の実態 第十三巻 恋愛における傾向編」に出てくるモテる男性の典型である。

 珍しく客はほとんどいない。カウンターにお爺さんが一人いるのみである。二人がけのテーブルに座ろうとすると、なぜか奥の六人がけのテーブルに案内された。僕だけならば六人がけのテーブルは必要ない。嫌な予感がする。

 お世辞にも愛想がいいとは言えないウェイターの遠慮のない視線をあびながら、席に着いた。寡黙なマスターの応対とはえらい違いである。おそらく新しいバイト君だろう。

 外からの視線が気になったので、扉を背に座った。六時までまだ五分ほどある。僕は楕円形のテーブルの中央にポツリと座って慎伍を待った。

 遅れること五分、慎伍がやって来た。大人びたグレーのコートに身を包んだ慎伍は学校とはかなり印象が違って見える。

「悪い、遅くなった。金をおろしてたんだ」

「それは構わない。だがなぜこの席を予約したんだ? 他に誰か来るのか?」

「ごめん、その前にトイレ」

 慎伍はコートを脱ぐとすぐにトイレに向かった。慎伍にしては礼儀を欠いた振る舞いだ。しかし、便意を催したとあれば、是非もない。

 手持無沙汰なこともあって、メニューを広げ改めて眺めてみる。

 お馴染みのメニューの後には大盛りメニューが並んでいる。ちなみに泰三はメガ盛り(三人前)をよく頼む。メガ盛りの下はギガ盛り(四人前)やガリバーサイズ(六人前)があるが、僕は誰かが頼んだところを見たことがない。おそらくこれは客の受けを狙ったメニューで実際に頼む人間はいないのだろう。

 来客を告げるチャイムの音がした。誰だろうと振り返り、そのまま固まった。人とは違ったサイズ感、こちらに迫ってくるような圧迫感。店内にただならぬ存在感を放っていたのは豚也だった。なんでA組の豚也がこの店に来るのか。奴らの行き付けはラリホーだったはずだ。

 おまけに客は僕とお爺さんのみである。どうしたってばれてしまう。聞くところによれば、彼には他のクラスの生徒を見れば誰彼構わず襲うという、常人には理解しがたい習性があると言う。怯えているのではない。恐れているのだ。僕という余人には代えがたい女性研究の大家が、凶暴な怪獣によって、志半ばで研究断念を余儀なくされることを。

 豚也は大都会に現れたガジラのごとく、周りを睥睨しながら奥へと入って来る。僕はゆっくりと顔を戻し、テーブルに設置されたオブジェと化して、ただ時の過ぎるのを待った。

 誤解しないでもらいたいのは僕は臆病者でも卑怯者でもないということだ。ただ、あくまでそれは相手が人間だった場合で、怪獣の場合は当てはまらない。ガジラに対してガムシャラに向かって行くのは勇気ではない。ただの阿呆である。

 できるだけ遠くへ座ってくれとの願いも空しく、豚也の足音は真っすぐにこのテーブルに向かっている。そしてこともあろうに、僕の目の前に座ったのである。

「ちょっ……」

 思わず声をあげると、豚也にジロリとにらまれた。目の前で見るとすごい迫力である。季節外れの半袖のシャツを身につけた豚也はもはや人間の範疇ではなく、やはり怪獣であった。百六十キロの巨体に座られた気の毒な椅子は、悲鳴のような軋み音を立てている。

「いらっしゃいませ」

 豚也の迫力に圧されたものか、バイト君の態度がさっきと全然違う。愛想笑いを浮かべながら水とお絞りを置いていった。

「ふぅ暑い暑い」

 豚也は席に着くやいなやコップに注がれた水を一気に飲み干した。

「あっ、ちょっとそれ置いといて」

 カウンターに戻ろうとしているバイト君を呼び止め、冷水ポットを奪うと、立て続けに三杯飲み干した。

「ふぅ、ひと息ついたぜ」

 豚也はおしぼりのビニール袋を両手でパンと叩き割り、豪快に顔を拭いた。そしてメニューに目を通すと、ためらうことなく「スパゲティナポリタン ガリバーサイズ」を頼んだ。やはり人間ではない。

 豚也は注文を済ますとニタァと笑った。顔の肉が盛り上がっているので、目鼻口が肉に押されて全部中央に寄っている。

「同じ学校だよね。なんか、君見たことある」

 暑苦しい笑顔を浮かべたまま豚也が言った。当たり前だが、オブジェ作戦は完全なる失敗に終わった。

「そ、そうかな」

 思わず顔が引きつる。僕がD組の人間だとわかったら、何をされるかわからない。密かに私服に着替えてきたことに感謝をした。

「飲む?」

 豚也は少しだけ減った僕のグラスを見てポットを持ち上げた。僕はちぎれるほど首を振った。

 僕の思いとは裏腹に豚也はニコニコしている。こんな顔は学校でも見たことがない。いつも不機嫌な顔をして、ことあるごとに泰三やC組の槌田たちと揉めていた。

 まもなく推定直径五十センチの大皿に山盛りのナポリタンが届いた。豚也はブヒと鼻を鳴らすと、ナポリタンをかっ込み始めた。

 名は体を表す。言葉通り、その食べ方は人間とは思えなかった。口をナポリタンで一杯にしてるので息ができないものか、鼻をフガフガ鳴らしながら、凄まじい勢いでナポリタンが吸い込まれていく。これに比べれば、泰三の食べ方は上品なものである。

 とても人が食事をしているとは思えないような品のない音が店内を蹂躙する中、再びチャイムが鳴り、扉が開いた。扉の前に立っているのは、薄っぺらいカバンを手にした知らないオッサンだった。冬も間近だというのに、この男も薄手のTシャツ一枚だ。貧相な体型が寒さを一層際立たせている。

 何日も洗濯してないようなTシャツ、股間に怪しげなシミのある黒いズボン、カビが生えたようなカバン、どれを見ても臭ってきそうである。

 張りのない長髪を肩まで垂らし、青々とした髭剃りあとの男はなぜか豚也の横に座った。豚也だけでも手に余るのに臭そうなオッサンにまでこのテーブルに座られるいわれはない。

「あの、大変申し訳ないのですが……」

 意を決して声をかけた。汚らしいオッサンと言えども年嵩の相手である。最低限の礼儀は弁えなくてはならない。

「いいんだよ、僕ちゃん」

 豚也が言った。

「そうは言うが、誰だ? この人」

「平野だ」

「え?」

 思わず二度見する。言われてみれば、青白い顔といい、ギョロリとした目といい、不健康そうなこけた頬といい、とても十代とは思えない髭剃り跡といい、確かに平野である。

 平野清と言えばB組の組長である。普段から他のクラスの連中と必要以上の接触を避けている僕としては、間近で見るのは初めてだ。

 平野はその容貌から落武者と呼ばれている。老けた顔をしているが、普段は学ランを着ているのでかろうじて学生だとわかる。しかし学ランから解放された彼はオッサンそのものではないか。さすがに高校生にして四十の顔を持つ男と言われるだけのことはある。

 平野は手を上げて、バイト君を呼ぶと小さな声でオーダーした。オーダーが終わるとカバンから本を取り出し読み始めた。

「相変わらず、変な野郎だ」

 豚也が吐き捨てるように言った。つりあがった細い目も、大きく広がった鼻も、ムスッと下がった口角もすべてが不機嫌だと言っている。中々の迫力だが、如何せん、口の周りはケチャップだらけである。

 悪夢としか言いようがない。片や体重百六十キロの怪獣、片や推定体重四十五キロ、見た目四十代のオッサン。この二人が同級生であるとは誰が信じよう。

 慎伍はD組の組長であるから、A組とB組とD組の組長がここにいるということになる。ということはC組組長の槌田も来るに違いない。なぜなんの関係もない僕がこの場にいなきゃならないのか、理解に苦しむ。

「おっ、早いなみんな」

 ようやく慎伍がトイレからひょっこり現れた。のん気な口調にちょっとカチンときた。オマケに慎伍は皆がここに来ることを知っていたらしい。なんの説明もなしに、こんなデンジャラスゾーンに人を招いたにも拘わらず、自分はセーフティゾーンでのんびり用を足しておいて、その言い草はなんだ。

「おう、来てやったぞ」

 早くも六人前を平らげた豚也が言った。顔はギトギトにテカっている。

「ここ、お前のおごりだよな」

 口をモグモグさせながら、言うだけ言うと慎伍が答えるのを待たずにLサイズのピザを二枚注文した。

「すごい食欲だな、琢也」

「まだまだこれからよ」

 豚也が笑う。拍子にベーコンが口から飛び出た。

「お前がコイツらを呼んだのか? なんで僕まで呼んだんだ?」

 声を潜めてるつもりでも、つい声が大きくなる。

「悪い、トイレから出たら話すつもりだったんだ。奴らには六時半って言ってたんだけど、意外に早く来ちゃったみたい」

 手を合わせて謝ってるが納得できるわけがない。誠意を見せたいのであれば、A級クラスのお宝映像でも持ってくるがいい。

「第一、何でコイツらを呼んだんだ。今日ここで何があるんだ」

「後で話すよ」

「なんでお前がおごることになってる?」

「それはいいから気にするな」

 さては何も話さない気だな。そっちがその気なら僕にだって考えがある。今は思いつかないが、とっておきの考えだ。楽しみに待っておくことだ。

 平野の注文したメニューが届いた。常識的な量のサンドイッチだ。ほっとした。僕が払うわけではないが、慎伍が払うと思うと、何を頼んだかやはり気になる。

「さすが平野だな。抜け目ない」

 平野の注文したサンドイッチを見て、なぜか慎伍は感心している。

「何がさすがなんだ」

「奴が頼んだのは、フカヒレのサンドイッチ。ガリバースパの倍はする」

「そうなのか?」

 驚く僕をよそに平野は平然とフカヒレサンドを食べている。ただ、その食べっぷりは豚也とは比べるべくもなく、どちらかと言うと遅いぐらいである。

 口をあんぐりと開け、サンドイッチをひと口かじる。もたらもたらと食べるその食べ方は年老いたラクダのようだ。口を開ける度に覗く前歯は銀歯で中年サラリーマンのような悲哀が漂っている。

「ひとつ確認するが……槌田も来るのか?」

「もう来てるよ」

 慎伍は親指を立て、肩越しに背後の扉を指した。振り向くと、両手を学ランズボンのポケットに入れ、いかにも不機嫌な顔をした槌田がいた。泰三もそうだが、この手の輩は一体何がそんなに気に食わないのだろう。

「ケッ、本当にそろってやがる」

 オールバックに鼻の下に髭をたくわえた槌田はズカズカと僕らのテーブルにやってくると、豚也の左横の椅子を静かに引いて座った。

「おい、邪魔だ。肘をどかせ。第一ここは人間様の座る場所だ。家畜は外で待ってろ」

 座るなり肘を大きく槌田側に出している豚也に文句を言い始めた。

「てめえ、今なんつった?」

 いきなりのバトルモードである。豚也はグイグイと左肘を槌田の右肘に押し付けながら槌田をにらんでいる。負けじと槌田も右肘で押し返す。でも、体格の差は如何ともしがたい。徐々に槌田が押されてきた。

「グへへへッ」

 豚也が下品な笑いを浮かべると、槌田は、ぬぅおおおっと唸り声を上げた。顔はどす黒く変わり、こめかみには血管が浮かんでいる。すると今度は徐々に豚也が押されてきた。

 二人とも鬼のような形相で相手をにらんでいる。目の前で二本の腕がプルプル震えている。コップが巻き添えになって音を立てた。

「おい、やめろ。店に迷惑がかかるぞ」

 慎伍は前三人のコップを自分のほうに避難させた。

 槌田は「た、確かに」とようやく肘を引っ込めた。そのまま背もたれに寄りかかり、大汗をかいている。呼吸は乱れ、話もできない有様である。

「まったく、顔を合わす度に喧嘩するなよ」

 慎伍は呆れ顔である。

「う、うるせえ。コ、コイツの、で、でけぇ顔見てると……ム、ムカつくんだよ」

 息も絶え絶えに槌田が言った。

「……こ、こっちの……セリフだ、バ、バカ」

 豚也はテーブルに突っ伏している。シャツは汗で斑になっている。心なしか酸っぱい臭いが漂っている気がする。

 そんな中、平野は一人食事を満喫していた。本を読みながらフカヒレサンドをひと口噛んでは、ゆっくりと咀嚼し、首を伸ばしてゴクリと飲み込んだ。余程おいしかったのだろう、ほんの少し口角を上げた。小さく何度かうなずいたあと、またひと口食べてはラクダのような咀嚼をし、飲み込んだ。

 怖いもの見たさか、その観念のような咀嚼から目が離せなくなった。青青とした髭剃り跡、もたらもたらと動く口、筋張ったのど元、飲み込むたびに大きく動くのど仏を見ているうち、なんだか気持ち悪くなってきた。

 隣では豚也がようやく身を起こした。背もたれに寄りかかり、呼吸を整えながら、血走った目で槌田をにらんでいる。槌田も負けじとにらみ返す。事態はまったく好転していない。一触即発の状況が続いている。

 汗をかいてのどが渇いたのか、豚也は槌田をにらんだまま、手探りで慎伍の前のコップに手を伸ばした。

 同時に平野の細い腕が、同じコップに伸びてきた。平野は豚也の手に気づくとその手をピシャリと叩き、コップを奪うとおいしそうに水を飲んだ。そのまま、何事もなかったかのように読書を続けている。

 叩かれた瞬間、豚也は小さく跳ねた。何が起こったのかわからないようだったが、叩かれたと気づくと首を百八十度回転し、平野をにらみ始めた。鼻の穴を大きく膨らまし、今にも飛び掛かっていきそうである。

 平野は涼しい顔である。その後も我関せずでラクダ咀嚼を繰り返す平野を見て、憎らしく感じると共に、感動すら覚えたのはどうしたことだろう。なんというマイペース。見た目だけだとは言え、人間四十にもなれば、惑うことなどなくなるのだろうか。

 平野の周りを気にしない様子はある意味で目立った。いつの間にか、槌田も豚也越しに平野を見ている。

「食べながら本を読むな。お店の人に失礼だぞ」

 槌田が言うも、平野は知らん顔で本を読み続けている。

「おい、平野。聞いてるのか?」

「うるさい」

 一人熱くなっている槌田に対し、平野は無表情のまま槌田のほうに首を九十度向けて言った。

「お前な……」

「槌田」

 槌田が立ち上がったところで、慎伍が言うと「そ、そうだった」と大人しく座った。

「てめぇバカじゃねえのか」

 豚也が言った。ミックスピザが運ばれてきて、あっという間に機嫌が直った豚也はひと口で食べられるようにピースごとに丸め始めた。

「てめえこそなんだ、その口は。そういう口紅流行ってんのか」

「やんのか、てめぇ」

「てめえが学べ。ここじゃダメだっつったろ」

「喧嘩売ってきたのはそっちだろうが」

「黙れ、豚」

「てめえ、今なんつった?」

 また始まった。もうしっちゃかめっちゃかである。


「慎伍、何するか知らんが、もう始めた方がいいぞ」

 危険を察知した僕が実に的確なアドバイスをすると慎伍はおもむろに立ち上がった。

「では、これから組長会議を開催する。先例では書記は議題の提案者がすることになっている。ゆえに書記はD組から出すこととする」

 僕を見ながら言った。書記と言うのはこの場合、僕のことを指しているのは明白だ。なんのことやらわからぬが、柔軟に対応するのが大人というもの。愛想笑いを浮かべて、頭を下げておいた。でも、豚也はピザに夢中だし、平野は本を読みながらサンドイッチを食べている。槌田も豚也に遅れまじとガリバーミートスパと格闘中である。だれも話なんか聞いちゃいないのだ。それでも構わず慎伍は話を続けた。

「今日、皆に集まってもらったのは、他でもない。修学旅行についてだ。知ってのとおり、修学旅行は僕らにとって初めての市外への旅行である。これまでとは比較にならない絶好のチャンスである」

「ケッ、今更何言ってんだ。そんなことは百も承知だ」

 フォークで大量のスパゲティを絡めとりながら槌田が言った。言い終わるやズゾゾゾッと音を立ててすすり始めた。自慢の髭にソースが付くのを気にしながら。

「いいか、これまでのように足を引っ張り合っていたら絶対に成功しない。教師陣が妨害してくるのは目に見えている」

「バーカ、市外に出るんだぜ。周りの半分は女だっちゅうの。どうやって妨害すんだよ」

 咀嚼音をたてながら槌田が言うと慎伍は

「そううまく行くかな」

と言った。まるで前野の言い草である。

「ケッ、何言ってやがる」

 槌田も豚也も特段気にする様子もなく、スパゲティとピザを食らい続けた。慎伍は小さく笑うと、

「俺は今までの修学旅行で女の子を見られた生徒は一人もいないと思っている」

「ゲ、ゲホッ」

 慎伍の発言に突然槌田と豚也がそろってむせた。口いっぱいにほおばったミートソースとミックスピザは散々咀嚼された挙げ句、テーブルの上に見るも無惨に飛び散っている。

「い、いかん」

 槌田は血相を変えてカウンターに向かった。そしてマスターに何度も頭を下げたかと思うと台ふきんを手に戻ってきた。

「豚也、腕どかせ。テーブルを拭く」

「てめえ、今なんつ……」

「やかましい! お店の人の迷惑になるだろうが」

 豚也の言葉を遮って槌田はテーブルを拭き始めた。大声にビックリしているバイト君に頭を下げ、台ふきんを洗うため何度もトイレに行き来してピカピカになるまで拭きあげた。豚也も自分が吐き出したピザまで拭いてくれてるため、文句も言えず、最後はちょっと手伝っていた。

「てめえ、あんまり適当なこと言ってんじゃねえぞ」

 テーブルを拭き終わり、髭に付いたスパゲティをティッシュで丁寧に拭き取った槌田が凄んでみせた。

 慎伍には悪いが、同感である。この衝撃発言は聞き流すわけには行かない。確かにあの夜、見られない可能性があるとは言っていた。でも、今まで誰も女の子が見られていないんて初耳である。

「女が見られないってんなら、理由を言ってみろ」

 普段大っ嫌いな槌田だが、こればかりは同調せざるを得ない。こんなことを言うからには、慎伍はその証左を示さねばなるまい。

「いいか、女の魅力はおそらく俺たちの想像をはるかに越える。それはお前らの父親がハネムーンに行く前の様子を見ればわかるだろ」

 それは認めよう。ハネムーンから行く前の父親は見てて滑稽な程である。

「既婚者ですらその有様だ。女性にまったく免疫のない俺らが女の子を見た場合、しばらくは抜け殻みたいになっちまうんじゃないか」

「だからなんだってんだ。結論を言えよ」

槌田が言った。

「これまで修学旅行から帰ってきた先輩の中でそんな人がいたか? 少なくとも俺は見たことがない」

「バーカ。これまで何人もの先輩が、女を見たらしいって話じゃねえか」

 槌田はスパゲティを口に運びながら、バカにしたような笑みを浮かべた。

「その中に自分が見たって言ってきた先輩はいたか? どうだ? 琢也」

「そ、そりゃあ、いるだろ」

 突然指名された豚也はたちまちしどろもどろになる。

「名前は?」

「名前?」

 慎伍が言うと、豚也は太い腕を組んで考え込み始めた。徐々に顔が険しくなって、遂には低くうなり始めた。まさに怪獣だ。

「ちょっと待てよ。じゃあ俺らがずっと楽しみにしてた修学旅行は全部嘘っぱちってことか? そんなことあってたまるか」

 槌田はミートソースを脇によけ慎伍に食ってかかる。

「お前の気持ちはわかるが、俺は冷静に見ているだけだ。どうしても成功させたいからな」

「じゃあ、どうすれば成功するってんだ?」

「少なくとも俺たちが足を引っ張りあってちゃ話にならない」

「お前、まさか……」

「そのまさかさ」

「まさかってなんだ?」

 豚也は不安げに槌田と慎伍、交互に視線を送っている。

「ふざけるな。今まで俺らがどれだけいがみ合ってきたと思ってやがる。今さら手を組むって言うのか?」

 槌田が言った。

「手を組む? ざけんな。あのソフトボール大会のことは忘れねえ」

 ようやく理解した豚也がここぞとばかりに声を荒らげる。

「琢也、あれはお前が悪い。ソフトボールでタックルする奴があるか」

「したっていいだろうが」

 いいわけない、と言いたかったが言えるわけない。怪獣には道理は通じないのだ。

「とにかく、組む気はねえよ」

「僕もだ」

 槌田と豚也は一斉に席を立った。平野も食べ終わったのか、ほぼ同時に席を立った。

「慎伍、奴ら行っちゃうぞ」

 慎伍は腕を組んだまま目を瞑っている。ここままじゃ修学旅行が失敗する。直感で思った。僕の研究成就のため、ひいては茂田市の中高生のため、それだけは断固避けなくてはならない。

「ちょっと待てよ、槌田、豚也、平野」

 勇気を振り絞って呼び止めた。奴らだって話せばわかるはずだ。

「てめえ、今なんつった?」

 なぜか豚也が怒ってる。やはり怪獣にはわかってらえないのか。と言っても僕はまだ何も話していない。ふと見ると、慎伍が頭を抱えている。

「なんで怒ってるんだ? 豚也?」

「お前、さっきも今も豚也って言ってるぞ」

 なんたる失態、と天を仰いでみたところでどうにもならない。徐々に豚也の大きな顔が近づいてくる。血走った一重の目、大きく膨らんだ鼻、不機嫌そうに上を向いた唇、ドアップで見るその顔はこの間やったゲームのラスボスの迫力がある。

「ここではやめておけ、豚也」

 槌田が豚也の肩をむんずとつかんだ。

「てめぇ、さっきから豚也、豚也っていい加減にしろよ。やってやんぞ」

「面白い。外に出ろ」

 槌田は勢いよく立ち上がるとそのまま店を出ようとしたが、ミートソースが残ってるのに気づくと再び座り綺麗に食べてから、手を合わせ、ごちそうさまでしたをした。そしてカウンターのマスターとお爺さんに、お騒がせしました、と一礼してから店を後にした。

 店を出る直前、慎伍は

「女の子っていい匂いがするらしいな」

 と後ろ姿に話しかけた。一瞬、ピクリとしたが、振り向かずそのまま出ていった。

「危なかった」

 僕はお絞りで額の汗を拭った。あたら若い人生が終わりを告げるところであった。慎伍たちといる時は普通に豚也と言っているので、迂闊にもまったく気づかなかった。安心したと同時に、腹が立ってきた。

「慎伍、どういうことだ。お前には説明責任があるはずだ。説明してもらうぞ」

「悪い。でも修学旅行を成功させるには、こうするしかなかったんだ。わかってくれ」

「事前の説明もなしというのは信義にもとるとは思わないのか」

「だが、事前に話したら来てくれたか?」

「そりゃ……来ない」

 当たり前だ。来るわけない。あんな怪獣ばかりがいるところ、何が悲しうて顔を出さなきゃならないというのだ。

「ちょっと刺激を与えたかったんだ。修学旅行イコール女子が見られると思ってる感じだったから。それに今は少なくともいがみ合ってる場合じゃない。手を組まないと」

 問わず語りに慎伍が言った。

「でも、その目的は果たせなかったようだ」

「いや、ちょっとこちらから後押ししてあげれば、手を組むんじゃないか」

「後押しって?」

「そこで書記の出番だ」

「え?」

「会議録を作るんだ。D組の組長が涙ながらに手を組むようにお願いしたとかなんとか」

「大ウソだ」

「そうさ。でも、手を組むとは自分からは言い出しづらいだろうからな。手段は選んじゃいられない」

「けどお前はそれでいいのか?」

「プライドなんてつまらんものはどうでもいい。女の子は全てのことに優先するんだ」

 慎伍は静かに宣言した。僕は猛烈に感動していた。自分の悩みなんてちっぽけなものに思えた。本当に女の子が好きかなんてどうでもいいことはないだろうが、今は慎伍の男気に免じて考えないことにする。

 そうなると気になるのは、ほかの組長の意向である。さっきのやり取りを見る限り、絶望的と言ってもいい。

「うまく行くのか?」

「平野はすぐに了承するだろう。一番頑固そうなのは槌田だが、きっと了承してくれる」

 なぜか慎伍は自信たっぷりだ。

「どうしてわかる?」

「女の子のことを求めていたのは俺たちだけじゃない。槌田だってそうだ。修学旅行が最大にして最後のチャンスであることは奴だってわかってる。最後には絶対に手を組む」

「平野は? なんか年寄りじみてるし、もともと女の子に興味ありそうには見えんが」

「大ありさ」

「どうして?」

「例えば、さっきまで本を読んでたろ。奴が読んでた本、何かわかるか?」

「わからん」

 さっきまでやたら熱心に本を読んでたが、タイトルなんて見ていない。

「『出会ったばかりの女の子と恋に落ちる方法100』だ」

「ウソだろ?」

 そのイメージから、時代小説でも読んでいるのかと思っていた。そんな軽薄で魅力的な本を読んでいるとは夢にも思わなかった。

「そうさ、アイツが一番ヤル気マンマンかもしれない」

「第一、平野が組長ってのが信じられんな。覇気というものが微塵も感じられん」

 僕が言うと慎伍はチッチッチと人差し指を僕の前で左右に動かし、「甘いな」と言った。

「俺はアイツが一番手強いと踏んでるんだ。いつでも抜け目ないしね」

 慎伍は言うものの、吹けば飛ぶようなその風貌からは、とてもそんなふうには見えない。

「アイツをなめると痛い目に会うかもしれない。自分が得するなら何でもする奴だし、そのためには、他人を犠牲にするなんて何とも思ってない。徹底した利己主義だ。とにかく油断ならない相手だよ」

 慎伍の言い振りは、とてもほめているとは思えない。

「とにかく会議録は俺が作るから。書記欄に名前だけ貸してくれ」

 と言うと、慎伍は伝票を持ってレジに向かおうとした。豚也も槌田も山ほど食べたし、平野は高額なフカヒレサンドを食べている。多分見たこともない額になっているはずだ。

「大丈夫か、慎伍? 大変な散財だな」

「何、修学旅行が成功するなら安いもんだ」

 言いながら慎伍はチラリと伝票に目をやった。

「えっ?」

 一瞬の沈黙の後、突然大笑いを始めた。

「これだよ、奴のすごいところは」

 慎伍は笑いながら伝票を僕に見せた。ギョッとした。合計二万九千五百円也。そこには、ガリバースパなどに混じって、フカヒレサンド(お土産)五人前の文字があった。

「言ったろ、油断してるとやられるって。金をおろしてきて正解だったよ」

 もう何も言うことはない。僕が平野の恐ろしさを知った瞬間だった。


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