作戦会議2(大家 鈴木三郎)
慎伍の紹介とともに、部屋の扉が開いた。
現れたのは、采女高二年鈴木三郎である。女性研究の大家の名をほしいままにしている鈴木三郎の実力が今宵明かされる。
空気を察したかのように、ベルが鳴った。
「おっ、来たな」
慎伍は部屋の入口に設置されたインターフォンに向かう途中で、振り向きざま念を押すように「とにかく、油断は禁物だ」と言った。
「すげえな、それぞれの部屋にインターフォンがあんのかよ」
泰三が言った。でも、僕は特別ゲストが気になっていた。この大切な時期に慎伍が選んだ特別ゲストとはどんな人物であろう。
「ここで采女高と子山高から本日の特別ゲストをお呼びしたいと思う。今日の作戦会議をより有意義なものにするための一助になることを切に願う」
慎伍が言った。采女高と子山高とは、我が尾戸高校と同様、茂田市の男性居住区にある高校である。全生徒、教師が男性であることは言うまでもない。
「紹介しよう。采女高二年、鈴木三郎さんと子山高二年、佐藤信二さんだ」
慎伍の紹介とともに、部屋の扉が開いた。中から現れたのは、神経質そうな男子高校生二人である。鈴木三郎の名前は市内でも有名である。采女高の二年にして、女性研究の大家であると。例えて言うなら、尾戸校における僕のような存在であろう。会うのは初めてだが、大家同士、一度意見を交わしたいと思っていたところだ。だが、もう一人の佐藤某なる男は知らない。
鈴木氏は一見ひ弱な高校生であるが、メガネの向こうには鋭い眼光が炯々とし、ただならぬ存在感を放っていた。隠そうとしても、僕のような男が見れば、石に混じった玉ははっきりとわかるものである。
「へえ、何なの、この人たち」
泰三が言った。本人を目の前にして、この言い方は失礼である。これが尾戸高校のレベルだと思われては甚だ心外だ。ここは僕が出ていかないと申し訳が立たない。
「ちょっといいかな、泰三」
僕は鈴木氏の正面に座っていた泰三を押しのけて言った。
「なんだよ、なんでこっち来んだよ」
泰三が何やらわめいているが、ここは尾戸高校のメンツに関わる大切な場面である。強引に席を確保した。
「お会いするのを楽しみにしておりました、鈴木さん。お名前はかねがね伺っております。ご存知かと思いますが、僕が尾戸高の谷口です。一度『女性の実態』について、とことん意見を交わしてみたいものですなあ」
「……ども」
懇切丁寧なあいさつに対し、返ってきたのがこれである。僕はたったひと言のこのやり取りで、鈴木なるこの人物の器の小ささを思い知った。お前のことなんか知らないよ、といった態度をあえてとることで、自分の大物ぶりをアピールしようという腹積もりらしい。ただの目つきの悪い貧相な高校生を捕まえて、僕ともあろうものがとんだ勘違いであった。こんなつまらない人物に対して、なんというあいさつをしてしまったことか、と後悔しても吐いた言葉が露と消えるわけではない。
慎伍が続けて紹介する。
「鈴木氏は長きに及び女性の研究を重ねた結果、遂に女性の外見について最終的な結論に至ったということで、今日、その絵をお持ちいただいている。佐藤氏はそのイメージを具現化した絵師である」
何? 悔しいことだが、鈴木が女性の外見について遂に最終段階に到達した旨の噂は聞いていた。僕より先にイメージを完成させるとは。しかもこんなにつまらない人物が。なぜ、完成をもっと急がなかったのか。いまさら嘆いてもせんないことだが、悔やんでも悔やみきれない。
茂田市では、女性の話をすることは厳禁であることは既に述べた。だから父親などから情報を聞くことは難しい。しかし、既婚者が市内にいる以上、外見についてもどこからかは漏れてくる。と言うより、実にさまざまな情報が流れている。当局による情報操作と一般には言われているが、どれが本当の情報かは未婚者には判別できないのだ。
「ご存知のとおり、女性の外見を市内で手に入れることができる資料に基づき作成することは困難を極める作業だった。中でも一番厄介なのは、ご存知のとおり胸である。胸と言っても問題になる点は、一つではないことはご存知のとおりだ」
鈴木が自慢げに言った。自分の研究を披露する段になって、いきなり饒舌になりやがった。それに何度『ご存知のとおり』を使うつもりなのか。こんなこと、知っていて当たり前だよね、こんなことも知らないの、という気持ちが透けて見える。その器の小ささは尋常ではない。
まだ、しゃべりやがる。
「そこで哺乳動物の子の数との相関関係を始め、あらゆる因果関係を徹底的に調べた。ご存知のとおり、哺乳類と言っても、子の数は千差万別だからね。それと位置、これを忘れちゃならない。女性研究の大家と自慢げにいう輩は多いが、地道な研究なくしてはあり得ないよ」
途中おかしな身振り手振りを付けながら話し出した。聞けば聞くほど腹が立つから不思議である。
「詳細なデータを元に検討に検討を重ねた結果、遂に女性の外見イメージを完成させたってわけだ。茂田市が男女別々に住むようになって数十年、ご存知のとおり、これまでこのような偉業を成し遂げた男は一人たりともいない。一人たりともだ。今日こうして……」
「能書きはいいよ。早く見せて」
泰三が鈴木の話を遮った。今までの泰三の発言の中で最も光輝くひと言である。
「……能書き」
泰三の言葉に鈴木のこめかみがピクピクしている。急速に溜飲が下がるのがわかる。
「能書きかどうか、判断はこれを見てからにしてもらおう」
鈴木はカバンの中からクリアファイルを取り出すと、こたつの上に叩きつけた。佐藤某による女性の裸像である。
「おおっ」
こたつの上に四人の頭が集まった。いかに器の小さい男によるものとは言え、大の男が数年がかりでたどり着いたという代物である。今後の僕の研究にも多少の影響は与える可能性もないとは言い切れない。というわけでとりあえず見ることにする。
見た瞬間、言葉を失った。なんというクオリティ。と言うより、ほぼ写真と言っていい。それほど佐藤某の画力は素晴らしかった。今にも動き出しそうである。髪の毛はセミロングでストレート、肌の色は白く透きとおるようだ。肩幅は狭く、全体的に男性に比べ華奢であるのは「女性の実態 第一巻 外見に関する考察編」にあるとおりである。
でも、これが女性といわれても、素直に受け入れられない自分がいる。僕だけではない。泰三も新次郎も、二人を招いた慎伍でさえ、微妙な顔をしている。この違和感はなんだろう。一枚の絵を囲んで、皆腕を組んで唸っている。
「どうやら声も出ないようだな。この魅力的な女性の姿。これが僕の研究の集大成だ」
魅力的? この女性が? そういうものだろうか? それとも僕たちが期待し過ぎているんだろうか?
確かに華奢で、髪の毛も男に比べれば長い。肌も白い。しかし、ほかは男となんら変わらない。父親たちをあそこまで喜こばせる女性とはこのようなものだろうか? でも、最も違和感を感じたのはそこではない。
女性には四つの乳房があった。しかも腹部に。まるで牛のようである。
愚にもつかないウンチクは続く。
「乳房の数はご存知のとおり、斉藤剛四氏による二つ説、高橋十四男氏による四つ説が有力だ。中には中村健三氏のように八つ説を声高に主張していた大家もいたが、多くの研究者が言うように子供の数からして排除していいと思う。僕も最後まで二つか四つか、悩んだ。考えうるさまざまな条件を詳細に検討した結果、遂にこのような結論に至ったわけだ。ま、難しいことを言っても君たちにはわからんだろうがね」
いかにも学者然とした顔を繕い、偉そうに延々としゃべっている。
しかし、初めて見る女性の裸体に僕らは戸惑っていた。これが果して正解なのかよくわからない。ただ、はっきりしているのは、あの体の奥底から込み上げてくるような熱量も何も感じないということだ。
「……ちょっといいか?」
長い沈黙を破って泰三が言った。
「もちろんさ、忌憚のない意見を言ってくれ」
さもうれしそうに鈴木が言う。その癪に障る顔は明らかにほめ言葉を待っている。
「なんか気持ち悪くね、コレ」
泰三が言った。
「うん、想像と全然違うよね」
新次郎が言った。
「これで欲情する者は異常者と言っていいだろう」
僕が言った。
「だけど、なかなか魅力的に描けてるよ」
慎伍がフォローしたが
「魅力的? ないない。これじゃ、牛だろ」
泰三がとどめのひと言を言う。同感だ。こんなものが憧れの女性のわけはないのだ。
たちまち鈴木の笑顔が凍る。これまで無表情を貫いていた佐藤某も顔が引きつっている。
「ご苦労なこった。何年もかけて行きついたのがこれか? これが女か? ありえねえ」
泰三は腹を抱えて笑い始めた。
鈴木は大量の苦虫をエスプレッソで流し込んだような顔をして、プルプル震えている。やがて、クリアファイルをひったくるようにして立ち上がると
「非常に不愉快だ。残念だが、慎伍君。まだ君たちは僕のレベルには遠く及ばないようだ。僕らを呼ぶんなら、もう少し勉強してからじゃないと話にならんな」
と言って、佐藤某を連れてさっさと帰ってしまった。余程腹に据えかねたのだろう、ドアを思いっきり閉めていきやがった。どこまで小さい人物なのか、底が知れない奴だ。
「あらら、怒っちまった」
怒らせた張本人が言った。でも、非常に愉快だ。こんなイメージが長年の研究の成果とは片腹痛い。
「とりあえず盛り上がると思って来てもらったんだけど、後で俺から丁寧に謝っとくよ」
いつも慎伍にはいろいろと気を使わせる。僕は心の中で密かに手を合わせた。