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作戦会議1

 芝県茂田市。人口十五万人の中規模市。この街は数十年前から男女が壁を隔てて別々に暮らしている。市外への旅行なども認められず、どうしても必要な場合は市長の許可を得た後に監督者同行の元、出かけることになる。


 茂田市尾崎戸部高校に通う僕、慎伍、泰三、新次郎の4人とも当然女子は見たことがない。想像は際限なく膨らみ、頭の中は良からぬことで常にいっぱいである。4人に訪れた最大のチャンス、それは堂々と市街に出かけられる修学旅行である。


 修学旅行を前に、生まれて初めて女性を見るための熱い作戦会議が開かれる。

 午後六時。僕らは修学旅行の作戦会議を開くべく、慎伍のうちの最寄りの停留所でバスを降りた。待ちわびて待ちわびてようやく訪れた旅行である。失敗は許されない。絶対に。

 修学旅行ごときで何を大袈裟な、と笑いたければ笑うがよかろう。どのみち他市の人間には僕らの気持ちはわかるまい。

 夢にまで見た女性とは一体どんな存在なのだろうか? 顔は? 身体は? 声は? これまで何度思い描いたことだろう。ついに……ついに女性をこの目で見ることができるのだ。

 何を訳の分からないことをほざいておるのか、と言われる方もいるかも知れない。そう思われても仕方がないが、実際に僕らは女性というものを見たことがないのである。


 目の前には灰色の壁が偉そうにふんぞり返っている。泰三、新次郎、そして僕の三人は揃って親の仇のようにこの壁をにらみつけた。

 無愛想な、いけ好かない、無意味に巨大なこの壁は、僕たちを麗しの女性から隔離している憎らしい存在である。


 芝県茂田市。人口十五万人の中規模市。この街は数十年前からほかでは考えられない取り組みを行っている。

 男女七歳にして、席を同じゅうせず。この街は七歳どころか、生まれてすぐにこれを実行している。真ん中を走る巨大な壁が市を東西に二分し、男性、女性が別々に住んでいる。市と市外の境にも、もれなく高い壁が巡らされている。市外の勤め人(男に限定されることは言うまでもない)は入ることを許されているが、市内からは市外には行けない。公共交通機関は市内の循環バスのみである。

 当然、学校は先生・生徒とも男性しかいない。物心ついた頃から僕の周りは男・男・男である。

 市外への旅行なども認められず、どうしても必要な場合は市長の許可を得た後に監督者同行の元、出かけることになる。以前、旅行先で脱走をはかった猛者がいたというが、失敗に終わったらしい。その者の消息は今もって杳として知れない。

 修学旅行は大手を振って市外に出かけられる絶好のチャンスなのである。かく言う僕もこの日のために日々精進を続け、遂には我が尾崎戸辺高校の女性研究の大家を自認するに至ったのである。


「ねえ、いるかな。慎伍のお父さん」

 僕の後ろから少し距離を置いてついてきた新次郎が言った。さっきから同じことばかり言っている。暖かそうなダッフルコートに身を包んでいるが、小さく震えている。確かに親父さんはいつだって寡黙で強面、話しかけるのも憚られるようなオーラを遠慮会釈なくまき散らしている。僕も密かに留守であることを願っているが、あまりにしつこいので、ここは聞こえない振りをする。

 バス停から慎伍の家へは香芝市との市境にある巨大な壁を右手に見ながら歩いていく。日が落ちて辺りはすっかり暗い。吹く風は冷たく、僕らは背中を丸めて歩いていた。数十メートルおきに設置された街灯がはるか上空から弱弱しい光を発している。

 この壁は僕らを女性と接触させないためのものであるが、考えた輩は余程底意地の悪い人間に違いない。とにかく至るところでこの壁にぶつかる。高さにしても、ゆうに十五メートルはある。騎馬民族が攻めてくるわけでもあるまいし、何もここまで高くする必要があるのか、甚だ疑問である。狭量にもほどがある。

 世界遺産をも凌駕するほどの壁であるから、その向こう側を見ることはできない。夏の宵など、花火の音はすれども夜空に咲いた艶やかな花を見ることはできない。だからこそ、小さな物音一つにも、想像力をフル稼働して、ありとあらゆる状況を思い描くのだ。

 花火の音に浴衣姿を想い、サイレンの音に女性警官もしくは看護師の姿を想う。言うまでもないことだが、これは僕のスケベ心から出てくる発想ではない。日ごろの絶え間ない研究の賜物と言うべきである。


 左手には畑が広がっていて、周りにはまばらに家が建っている。家から漏れるかすかな明かりが闇にぼんやりと浮かんでいる。あの明かりの下で小さな幸せを育んでいることだろう、とほかの街の人ならば思うであろう。しかし茂田市では普通の人が思い描く、家族団らんの風景はないのだ。

 あの明かりの一つ一つには男だけの団らんが息づいている。むさ苦しい、虫の湧きそうな環境の中で、男どもが鼻にツンとくる酸っぱい臭いを漂わせながら、毛むくじゃらの体を押し合いへし合い蠢いているのだ。僕は猛烈な寒気を感じコートの襟を立てた。

「おおい、元気にしてっかよ。未来の俺の嫁さんよ」

 泰三が口に手を添えて壁に向かって小声で叫んだ。壁を見るといつも泰三はこれをやる。もはや条件反射と言っていい。

 子供のときには特段気にもならなかった壁であるが、思春期に入った途端、壁の持つ意味を知った。憎しみを知り、愛を知った。それ以来、悲喜こもごも、時には憎悪の対象となり、時には壁の向こうに甘い夢を見た。

 やがて、左前方に夜空を我が物顔で侵食するいかつい建物群が見えてきた。ここで壁から離れて左に大きく曲っていく。突然、ひなびた風景は一変し、辺りは高級住宅街の様相を呈してきた。

 わざとらしく出現した街路樹、敷地一杯に建てられた無機質な矩形の建物、ゴテゴテと余計な装飾を施した門扉、燃費のことなどまったく気にもしてませんよと喧伝してるかのような外車。第一、車を持っていたとしても、市内をグルグル回るだけである。要は見せびらかしたいのだ。どうにも鼻持ちならない。そんなことを思いながら歩いていると、

「ウワン!」

 犬に吠えられた。突然だったこともあり、心臓が止まるかと思った。犬の分際で人様の心臓を止めようとするとは……。暗闇からいきなり吠えると言うのはいくら畜生とは言え卑怯である。しかも、生意気に小さめのログハウスに住んでいる。犬まで鼻持ちならない。その後もバカ犬は姿が見えなくなるまで吠え続けていた。

 どいつもこいつも鼻につく。少しは我が家の慎み深さを見習うがいい。特段質素を旨としているわけではないが、決して出しゃばらず、どこまでも慎ましい。その佇まいはさながら道端に咲く野菊のようである。さりとて、男四人が暮らすにはなんの問題もない。いかにも分を弁えた振る舞いと言えよう。

 などと考えているうち、慎伍の家に着いた。ちなみに慎伍とは僕の小学校一年からの親友で僕たち二年D組の組長でもある(うちの高校は委員長のことを代々こういう物騒な言い方をしている)。

 その家は家と呼ぶにはあまりにも自己主張の強い、可愛げのない大邸宅である。ずぬんと建ったその建物はどこか僕ら庶民を遠ざけるような冷たさがあった。

「へえ、すげえうち住んでんだな、アイツ」

 泰三が慎伍の家を見上げながら言った。

「何やってるの? 慎伍の親父。ヤクザ?」

 実になめらかに泰三が言う。

「確か不動産関係だったかな?」

「そうか、ヤクザか」

 泰三の頭の中ではそういった公式が成り立つらしい。反応するのも面倒くさいので放っておくことにした。

「今日いるかな。慎伍のお父さん」

 新次郎が言った。

「今日は機嫌がいいって慎伍言ってたろ。だから大丈夫だ」

 そう言いながら僕自身その言葉を信用していない。あのオヤジの機嫌がいい顔など想像できない。

 新次郎は「そだね」とだけつぶやいた。余程怖いらしい。そこへ泰三の余計なひと言である。新次郎は小動物のように怯えている。

「親父さんは確かに迫力あるけど、僕も直接怒られたことはない。大丈夫だ……、多分」

 僕が言っても、新次郎は「何で今大丈夫の後、間が空いたのさ」となかなか面倒くさい。

 ベルを鳴らすと、インターフォン越しに慎伍が親父さんの留守を告げた。新次郎はとても安心したようである。僕もほっとした。慎伍には悪いが、楽しい話をする前に、あの不機嫌が服を着たような仏頂面ににらまれると思うと興ざめなことには違いない。


 作戦会議を開くべくすぐさま慎伍の部屋へと向かった。十二畳はあろうかという部屋はフローリングで、緑と白の市松模様の絨毯が敷いてある。机とベッドのほか、絨毯の上には少し早めのこたつが置かれている。早速、思い思いの場所に陣取った。ダークグレーのスウェットに身を包んだ慎伍は皆が座ったのを確認すると、メガネの黒いフレームをクイと上げ、咳払いを一つして立ち上がった。

「諸君、いよいよ修学旅行だ。是が非でもこの旅行は成功させなくてはならない。これは単なる権利ではない。脈々と続く不条理を耐え忍んできた我々が、後に続く者たちへ贈る希望の種なのだ。そのために明確な爪痕をこの旅行で残さなくてはならない。今日という日がその大切な礎として、後々まで語り継がれていくことを強く願う」

 その声は十二畳の部屋に朗々と響いた。さすがは我が朋輩。見事な決意表明である。それでこそ僕らの意気も上がろうというものだ。

「おう!」

 泰三が叫ぶ。

「そだね」

 新次郎がうなづく。

「当然だ」

 もちろん僕も了解した。慎伍に言われるまでもない。中学校は市内の『自然の家』に宿泊だったから、市外には出ていない。当然、この旅行にかける意気込みは並大抵ではない。

「この後、特別ゲストもお呼びしているんだ」

 自慢げに慎伍が言った。

「特別ゲスト? 誰だ?」

「後のお楽しみだ」

 やけにもったいをつける。余程の人物と見てとった。よかろう。慎伍が選んだ男がどの程度の人物か、しかと拝見するとしよう。

「けどやはり三起也は来なかったみたいだな」

 慎伍が言うと、泰三は、

「ほっとけ、あんな奴」

 と剣のある口調で言った。三起也が来れば、我が班は勢揃いになるのだが、勉強で忙しいらしい。泰三がしつこいぐらいに誘っていたが、取り付く島もなかったということである。

「残念だよな。アイツ超イケメンだからモテるだろうに。ああ見えてスポーツマンだし」

 慎伍が言った。

「誰が?」

 新次郎と声が合った。三起也がイケメンと言ったような気がするが、気のせいだろうか。

「三起也だよ。中学までサッカーやってたらしいしな」

「いや、スポーツの話はいい。それより三起也がイケメンて言ったのか?」

 やはり聞き間違いではなかった。短髪で切れ長の目の泰三ならかろうじてわからなくもないが、三起也だけは絶対ない。

「いやいや、三起也には悪いが、それはないぞ。一目瞭然じゃないか」

 確かに髪はサラサラで、鼻も高いし背も高い。イケメンの要素がまったくないわけではない。ただいかんせん目が小さ過ぎる。

「そうかな。イケメンだと思うが」

「慎伍、アイツの話はいいよ。胸クソ悪くなってくる」

 泰三がはき捨てるように言った。その割にいつも三起也に絡むのは泰三本人なのだが。

「そうだな。本題に戻すぞ」

 慎伍が言った。イケメンだろうが醜男だろうが関係ない。それより修学旅行である。


 僕らが生の女性を見たことがないと言ったのは前にも述べた通りだが、それだけではない。茂田市のやり方は実に徹底していた。

 僕らの住む男性居住区には女性に関する情報すら入ってこない。テレビでは女性の画像は黒くマスキングされ、その容姿を見ることはできない。女性の声は意図的に周波数を下げられ、恋愛ドラマは何を見ても『おっさんずラブ』のごとき有様である。

 市民がスマホやパソコンを買おうとすれば、とあるアプリを強制的にインストールされ、動画、写真に関わらず女性の映像を徹底的にブロックするのだ。郵便は例外なく検閲され、一枚の写真すら手に入れることができない。

 それでも、男が女を求めるのは自然の摂理。壁越えなど、果敢な行動に及ぶ勇者(僕ら庶民は尊敬の念を込めて彼らをこう呼ぶのである)は、未だ後を絶たない。

 幼い頃からその状況に慣れてきた僕らであるから、子供の頃はそれで良かった。しかし、今や高校生である。多感な時期である。体はだんだん大人になり、わけのわからない情動に悶々とすることも少なくない。

 隠されれば隠されるほど見たくなるのが人情というもの。想像は際限なく膨らみ、頭の中は良からぬことで常にいっぱいである。ひょんなことから頭の中のことが少しでもこぼれ落ちるようなことがあったら、恥ずかしさのあまり悶死してしまうに違いない。


 泰三が目をギラつかせ「いよいよだな」と言った。そして不敵な笑みを浮かべて続けた。

「チッキショー、ワクワクが止まらねえ」

「どんなだろうね、女の子って。声もかわいいのかな」

「小鳥の鳴き声だ」

「小鳥? なんのこと?」

「女の声だよ。去年結婚した兄貴が言ってた」

「小鳥かぁ。早く聞いてみたい」

「表都でイヤってほど聞けるぜ」

「そうだよね」

 泰三と新次郎の会話は尽きない。彼らの気持ちは痛いほどわかる。長かった。ずっと理不尽な境遇を強いられてきた。

 しかし、僕とて座してこの状況に甘んじてきたわけではない。女性を知るべく、万巻の書を読み、日々高みを目指してきたつもりだ。特に高校に入ってからは、「女性の実態 全二十四巻」に出会い、すべての内容を我が血肉とし、遂には我が校の女性研究の第一人者を自認するに至ったのである。

 ここで茂田市での女性研究の状況について触れておこうと思う。女性に関する書籍の執筆は既婚者には許されておらず、すべてが未婚者によるものである。であるからして、研究者たちは鍛え上げられた想像力を駆使して、ありとあらゆる方向からアプローチを試みるのだ。まさに血の滲むような思いで女性研究に身を賭しているのである。

 こうして茂田市では、女性の画像等は厳しく取りしまわれているにも拘わらず、数多の女性研究書が存在するのである。中でも「女性の実態」は古典の域に属していながら、名だたる研究者の叡智を集めた女性研究書の最高峰として、今なお燦然と輝いているのだ。

 次になすべきことは研究対象を間近で事細かく観察するだけである。ああ、早くじっくりと観察したい。


「楽しそうだな」

 慎伍が唐突に言った。間延びした顔を慎伍に見られてしまった。目が笑っていない。

「お前たち、大丈夫か? そんなに無邪気に喜んでいて。あまりに楽観的じゃないか」

 浮かれ気分の僕らに釘を刺す。

「うまく行くって。修学旅行では、きっと女の子が見られるよって健二先輩が言ってたし」

 泰三が言った。健二先輩は泰三の陸上部の先輩で、今年三年生である。同じ短距離ということもあって、泰三が先輩というと必ずこの先輩の名前が出てくる。

「その健二先輩は修学旅行で女の子を見ることができたって言ってたか?」

「いや、はっきりとはわかんねえよ。そんなこと言えねえだろ、バレたら大変だ……」

 段々と声が小さくなるのは自信のなさの現れである。

「そこなんだよ。修学旅行については、学校から厳しく箝口令が敷かれている。だから、先輩方も詳しく話すことができない。情報の出所がバレたら、大変なことになるからな」

「だけど、いろいろ噂は聞くよ。慎伍だって聞いてるんじゃない?」

 新次郎が言った。

「それは噂の域を出ない信憑性のないものが多い。中には真実の情報もあるだろうが、俺たちには区別ができない」

 確かに僕も本人が修学旅行の最中に女の子を見たという話は聞いたことがない。誰々が見たらしいとか、かわいかったらしいとか、すべてが又聞きの情報なのだ。いやな沈黙が続いた。

「じゃあ、女を見られないって言うのか?」

「その可能性も十分にあるってことだ」

 泰三の問いに慎伍が答えた。

「それは困る!」

 つい大声が出てしまった。あまりの声の大きさに慎伍も泰三も新次郎もあっけにとられている。妙な間の後、物言いたげな、いやらしい笑いを浮かべ、

「このスケベ」

 泰三が言った。女性という未知の存在に対し果敢に挑み続け、我が校の女性研究をけん引してきたこの僕に対してスケベとは。大いにムッとするも、大家たる者、この程度のことに腹を立てるわけにはいくまい。大人の対応で聞き流す。

 だが、実際そんなことがあっては困るのだ。この日のために日々研鑽を重ねてきた。のほほんと修学旅行を楽しみにしていた泰三とは違う。未知なる女性研究のため、書籍を求めて東奔西走を始め、早四年。研究を進めれば進めるほど、謎は深まるばかり。あまりの不可解振りに匙を投げたことも一度や二度ではない。その度に刻苦勉励し、常に高みを目指してきたのだ。直前になって見られないかもしれないと言われ、平然としていられるほど、浅い研究はしていない積りである。


「困ると言ってもそれが現実だ。見ろっ、この胡散臭い旅のしおりを!」

 僕が言うと、慎伍は旅のしおりをこたつの上に叩きつけた。ウグイス色の表紙の旅のしおりは、我が担任塚チンのお手製である。表紙にはギターを抱えた塚チンのイラストが二割増しの格好よさで描かれており、吹き出しには「一生に一度の修学旅行! きっと想像以上のことがあるはず。素敵な思い出作ろうぜ!」と書かれている。

 僕ら二年D組の担任であり、生活指導の担当でもある飯塚先生、愛称塚チンは、古文の担当教師である。古文をこよなく愛し、飯塚式古文三読法なる独自の古文攻略法を編み出した教師で、生徒からの信頼も厚い。

「どこが胡散臭いのさ」

「お前たち浮かれすぎだよ。中身見たのか?」

新次郎の問にあきれ気味に慎伍が答える。

「見たよ。失礼だな、君は」

 泰三が茶化して答えた。慎伍はニコリともしない。

 一ページ目は旅行前日、当日の諸注意、二ページ目は持ち物リスト、三ページ目は行程表、四ページ目はメモ欄となっている。見る限りごく普通の旅のしおりである。

「どこが変なんだ」

 僕が聞くと

「やれやれ、お前までわからないのか」

 と言った。確かにわからないが、泰三と一緒にされるのは誠にもって心外だ。同じ『わからない』でも僕の場合は『もうちょっとでわかる』の『わからない』、泰三の場合は『何が何だかさっぱりわからない』の『わからない』である。そのぐらいの違いはあるはずだ。でもそれをそのまま口に出すわけにもいかず黙っていた。

「これが胡散臭くないとでも言うのか」

 慎伍が乱暴に広げたのは行程表のページである。

 一日目は、朝六時学校出発。車中で昼食。その後、鹿苑寺、そして宿、二日目は宿から水清寺、そしてバスにて学校へと書いている。

「胡散臭い? そうかな、こんなもんだろ」

 僕も泰三と同じ意見だが、それを言うとまた泰三と同レベルにされるので口をつぐむ。

「たったこれだけだぞ? あっさりし過ぎだろ? それに一日目、どこにいくと書いてある? こんな寺なんて聞いたことがない」

「えっ?」

 泰三が大袈裟な声を上げた。同時にニタァと、下品な笑みを浮かべた。

「おい、慎伍。お前まさか知らないのか?」

 見下すような目、口元に浮かんだ半笑い、典型的なドヤ顔である。

「鹿苑寺ってのはなあ、金閣寺のことなんだよ。知らないのかな? 慎伍君。今日、ちゃんぺが言ってたろ。ちゃんと聞いてなかったのかな? 驚きだね」

 こっちこそ、泰三が授業を聞いていたとは驚きだ。ドヤ顔も納得できる。ちなみにちゃんぺとは日本史の加藤先生のことである。加藤だからカトちゃんペ、略してちゃんペ先生である。

「鹿苑寺ならな」

 慎伍が言った。そして、泰三の目の前にしおりを近づけると「ようく、見ろ」と言った。

「何だよ、違うってのか?」

 泰三はしおりを奪うと、じいっと目を近づけた。その体勢で固まっていたかと思うと、今度はしおりを縦にしたり横にしたりし始めた。一緒に頭も同じ方向に動かすので、まったく意味がないことに気づいていない。

「『苑』の字が『怨み』という字になってる」

 しばらくして慎伍が言った。

「えっ?」

 僕らはしおりをこたつに広げ、再び見た。確かに「苑」の字が「怨」になっている。

「単なる変換ミスじゃないか?」

 僕はこういった事態の原因となりうる事例のひとつを鋭く例示した。

「わからん。確かに鹿怨寺という寺はネット上では見つからなかったのは確かだが」

「ただのミスだろ。気にすんなよ」

 泰三が言った。

「気にしちゃいないさ。ただ、修学旅行を素晴しいものにするためには、教師たちから与えられる情報を鵜呑みにしない方がいい」

 慎伍がつぶやく。

「何言ってるの? 塚チンだって楽しもうって言ってくれてるじゃない。市内じゃないんだから、きっと大目に見てくれるよ」

 新次郎が訴えるように言った。こんな新次郎を見ているとついヨシヨシしたくなる。

「甘い。甘いぞ、新次郎」

「……どういう意味?」

「お前たちはどう思ってるのかわからんが、教師は敵だと思っていた方がいい」

「敵?」

 思わず僕らはお互いの顔を見た。僕もまさか塚チンたちが表都で女の子を紹介してくれるとまでは思ってはいないが、少なくともこの修学旅行だけは、敵だとは思っていない。何せ市外である。半数は女性である。妨害のしようがない。

「……考えすぎだろ」

 間をあけて泰三が言った。珍しく神妙な面持ちを浮かべている。

「知ってるか。古文の教科書で紫式部や清少納言の肖像画までマスキングされてるの、市内でもうちの学校だけだって話だぞ」

 慎伍が突然話題を変えた。

「なんだよ、藪から棒に」

 泰三が言った。

「それだけ厳しいって話だよ」

 確かに古文の教科書は古の女性作家の肖像画に至るまでマスキングされている。そこまでやるか、と初めて見たときはあきれ果てたものだが、うちの学校だけとは知らなかった。

「何でうちの学校だけなんだ?」

 泰三が聞いた。

「塚チンの仕業だっていう専らの噂だ」

「何でわかるんだ? 塚チンの仕業だって」

 泰三が畳みかける。

「消し方がバラバラなんだ。ほかの教科書は教育委員会でまとめて消しているから、マスキングの仕方が統一されている。それに比べて古文の教科書は消し方が雑でいかにも手で塗りつぶしましたって感じなんだ」

 と、慎伍はカバンの中をひっくり返し、古文の教科書をめくりながら紫式部の肖像画が載っているページを開いた。

「ほら、これさ」

「なんだ、こりゃ」

 思わず声が漏れる。それほどマスキングは雑だった。肖像画の人物の上だけをサインペンらしき物でグチャグチャに消している。まるで幼稚園児の塗り方だ。手書きで消すとすると、うちの学年だけでも、ざっと百五十人分である。面倒くさくなって当然だ。

「うちの教師が塗ったとしたら、誰が塗ったと思う? 古文担当の塚チンしかいないだろう。そこまでする教師だぜ、塚チンは」

「クッソォ、俺たちゃ、紫式部の顔すら拝めないのかよ。何か恨みでもあんのかよ」

 泰三は短い髪の毛をかきむしっている。

「言ったろ。塚チンを甘く見るなって話だ」

 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。新次郎がビクッと体を動かす。

「慎伍、入っていいか」

 親父さんの声だ。一瞬で緊張感が漂う。僕と新次郎は、急いでこたつに入れていた足を折り曲げ、正座をした。

「いいよ」

 慎伍の返事に続いて入ってきたのは、満面に笑みをたたえた見るからに人が良さそうなおじさんだ。親父さんとは似ても似つかない。

「悪いね、友達同士で盛り上がってるのに。いや、ケーキを買って来たから、みんなでどうかなって思ってね」

 おじさんはそのまま、僕らの方へ歩みよって来ると机の上を見て、

「おっ、旅のしおり」

 と言った。

「そう言えばそろそろ修学旅行だね。楽しみだね。いろんな意味で」

 ムフフと小さく笑うとケーキの箱をしおりの脇に置いた。そして僕らの顔を楽しそうに眺めながら、部屋を出ていった。

「なんだ、いい人じゃん。お前の親父」

 おじさんが出ていくなり、泰三はケーキをいろいろ物色し始めた。

「勘違いするな。今のは親父さんじゃない。親父さんはもっと迫力がある。なあ新次郎」

 僕の言葉に新次郎が大きくうなづいた。

「親父だよ」

 慎伍はクックと笑ってる。

「ウッソ!」新次郎が驚きの声を上げた。

「……別人だな」

 僕の知ってる親父さんは、強面で寡黙で、と言うよりいつも機嫌が悪いのだ。愛想を振りまけとは言わない。でも年がら年中機嫌が悪いというのは、社会人としてどうかと思う。

「一体どうしちゃったの、お父さん?」

 新次郎は目を丸くしている。

「親父、明日からハネムーンなんだよ。だから、ここ数日、機嫌がいいのさ」

「だからって、あそこまで変わるもの?」

 新次郎が素っ頓狂な声を出した。

「変わるんだろうな」

 慎伍が物知り顔で答える。


 この街にも当然既婚者はいる。かと言って、常に一緒にいられるわけではない。既婚者が一緒に暮らすことが許される月に一週間ほどの期間、それがハネムーンである。この一週間、既婚者たちは壁の間に設けられた緩衝帯、通称ハネムーンベルトで甘い日々を過ごす。

 この日が近づくと、たちまち男どもは色めき立つ。新しい服を買ったり、香水をつけてみたり、妻に何とか気に入られようと涙ぐましい努力をするのだ。ハネムーンを過ごせるのはもちろん既婚者だけだが、まったく関係のない僕らでさえ(家事のことを考えれば関係なくはないのだが)、あれやこれや想像を廻らし、平常心とは程遠い状況にある。


「ああ、うらやましい。俺も早く行きてえ」

 泰三は誰に断るでもなく、モンブランを手づかみで食べながら言った。

「ところで慎伍のところは、何人きょうだい?」

 新次郎がいたずらっぽい目で言った。

「なんだ、藪から棒に。六人だけど」

「案外少ないね。慎伍はやっぱり五男?」

「いや、兄貴、姉貴を入れて俺が五番目だ。あと、妹が一人いる」

「今回のハネムーンで、またできたりして」

 新次郎が意味深に言うと慎伍は「ありえる」と真顔で答えた。

「そういうお前のところはどうなんだ、やっぱりお前が次男なの?」

「うん。でもうちは女のきょうだいが多いんだ。あと姉貴が二人に妹が七人いる」

「みんな、よく覚えてんな」

 泰三はあっという間にモンブランを食べ終わり、親指と人差し指についたクリームを交互に舐めている。

「覚えてないの?」

 驚く新次郎を横目に

「俺の上に兄貴が二人だろ、姉貴も一人か二人いる。あと弟一人に妹が一人か二人か三人だったかな」

 と言った。

「何で覚えてないんだよ」

 と慎伍が笑って突っ込む。

「一緒に住んでたらわかるだろうけど、姉貴や妹は顔も見たことねんだぞ。しようがねえだろう」

「でも、普通覚えてるよね」

 新次郎はショートケーキのセロファンをはがしながら、からかうように笑っている。

「どうせおりゃ、物覚えがわりいよ」

 言いながら、泰三は二個目を物色している。

「すごいな、女って」

 慎伍が噛みしめるように言った。

「どうしたの、改まって」

 セロファンをきれいにたたんで、新次郎が言うと

「また親父が子供を作ったとしたら、七人だぞ。母親ももう四十を超えてるのに、それでも求めてしまうんだな。男のさがだろうな」

 しみじみ答えた。

「うちの母親なんて五十近いが、ハネムーンの前の父親は、遠足の前の小学生よりもはしゃいでる。いやはや、女とはすごい存在だな」

 母親の何がそんなに父親を喜ばせるのか。男にとって女性とは一体なんなのだ。知れば知るほど謎は深まるばかりである。

「そうさ、女はすごいんだ。だからこそ、今度の旅行はぜひとも成功させねばならない。話を戻すぞ」

 慎伍は行程表を広げて話し始めた。

「知ってのとおり、移動はバスである。だとすると表都市へまでは少なくとも八時間は見なくてはならない。泰三、どうする?」

「どうするってったって、まあ、ゆっくりとバスの中の時間を満喫するよ」

「僕もこのために新しいカメラを買ったんだ」

 新次郎は手でシャッターを切る仕草をした。カメラの前には麗しの女性がいる。いい。それはいい。考えれば考えるほどいい。

「僕にも貸してくれるか?」

「いいよ」

 僕が言うとあっけないほどあっさりと新次郎は了解した。

「あ、俺にも」

「……やだ」

「えっ、なんだよ。依怙贔屓すんなよ」

「やだよ、泰三は乱暴に扱うから」

「そんなこと言うなよ」

 と言うと泰三は新次郎をくすぐり始めた。やめろ、と言いつつ、新次郎は笑っている。これも皆修学旅行のなせる業である。もうすぐ修学旅行に行けると思うだけで自然と顔がほころぶのだ。鋼のような僕の精神力を以ってしても、顔がピクピク動いてしまう。

 ふと見ると慎伍がこちらを見ている。なんの表情も浮かべぬまま、大きな目だけが蔑んでいた。氷のような視線に僕は戦慄した。

「……甘いな」

 慎伍はひと言つぶやいた。

「甘いって、ほかにどうしようもないだろ」

 ようやく気づいた泰三が唇を尖らす。

「士気を下げてはならないと思って黙っていたんだが、これは言った方がいいようだな」

 僕らの目を見ながら慎伍が言った。えも言われぬ迫力がある。思わず唾を飲みこむ。

「な、何だよ、いきなり」

 慌てる僕らをよそに慎伍はゆっくりとジュースを口にした。そして恐怖が行き渡ったのを確認するように十分に間を置いてから、おもむろに口を開いた。

「実は昨夜、壁に行ってきた。もちろん、この修学旅行の成功を祈るためにな」

 慎伍が居住まいを正して話し始めた。慎伍の言う壁とは、市と市外を隔てる壁ではなく、市を東西に二分する一段と高い壁のことである。冷たく見下すようにそびえたつこの壁は、憎い存在ではあるが向こう側の女性を想い、人が多く集まる場所でもある。さまざまな都市伝説がある壁には、慎伍のように願掛けに来る人間も多い。

「実は見たんだ」

 小さな声だ。

「み、見たって、何を見たんだ?」

 僕の質問にすぐに答えようとせず、慎伍はじっと僕の目を見ている。何も悪いことはしていないにも拘わらず、何か慎伍から責められたような気になった。迂闊にも目が泳いでしまう。ささやくように慎伍が続ける。

「……当局だ」

 慎伍の答えは予想されうる回答の中でも、最も恐ろしいものだった。当局。それは茂田市に住む男にとって、疫病神であり、死神であり、悪魔であった。

「また、またぁ」

 あまりのことに僕としたことが泰三のような軽薄な口調で話してしまった。

「俺も初めて見た。詳しくはもちろんわからない……。捕まったのは、うちの学校の生徒じゃないが、おそらく高校生だろう。ブルーレイディスクを隠し持ってたらしい」

 ブルーレイディスクなら何度か貸し借りしている。もちろん女性研究のために。僕だけじゃない。慎伍も泰三も新次郎も思いあたることはあるはずだ。

「ケッ、当局がなんだってんだ」

 泰三がやけに険のあるものいいで言った。慎伍は構わず続けた。

「背後から現れた黒い服を着た四人の男たちに囲まれ、カバンを調べられた。そして抵抗も空しく、壁の向こうに連れ去られていった。でも一番怖かったのはそこじゃない」

 慎伍が震えている。僕らのリーダー的存在であり、極珍空手の有段者であり、D組の組長でもある慎伍が。

「無関心なんだ、皆。目の前でそんなことが起こっているのに、周りの人たちは知らない振りだ。心底怖かったよ。俺たちだっていつああなるかわからない。その高校生の断末魔が今も耳を離れない」

 その話はこれまでに聞いたどんな怪談より、恐ろしかった。当局の話は時折耳にしていたし、恐ろしいとも思っていた。今もってどんな組織なのか、本当に存在するかもわからない。もしかしたら噂に過ぎないかもと、どこかで期待していた。慎伍が見たことで急に実体を伴う恐怖として現実味を帯びてきた。

 胃の辺りにずしりと重たいものを感じる。とても口を開くような雰囲気じゃない。

「当局はもちろん、塚チンたち教師も絶えず俺たちを監視している。それをわかってないと修学旅行は大失敗に終わるぞ。甘い考えは捨てるべきだ」

「もういいよ、奴らの話なんか聞きたくねえ」

 顔中に嫌悪感を表しながら泰三が言った。でも、慎伍の説教は終わらない。

「何か勘違いしていないか。この修学旅行が俺らにとってどんな意味を持つのかわからないお前でもあるまい」

「どんな意味って待ちに待った楽しい修学旅行だよ。女の子に会えるんだからな」

 泰三が言った。

「なんの努力もせずに女の子に会えると本気で思ってるのか」

「本気も本気、大真面目だよ。市外に出られるんだぜ。街に女の子がいる以上、どう考えたって見られるだろ。違うってえのか」

 慎伍に強い口調で言われて、泰三は少しムッとして答えた。

「俺たちがこれまでどんなひどい目にあってきたか、思い出してみろ。右を向いても左を見ても、周りには男しかいない。部活ひとつとってみても、大会で思うような結果が出せなくて悔し涙を流した時、そばに誰がいてくれた? 男だろう。逆に素晴らしい成績を上げたときはどうだ? 男だろう。うれしいとき、悲しいとき、つらいとき、楽しいとき、常にお前の周りにいるのは男、男、男だ」

「そう男、男言うな。頭が痛くなってきた」

 泰三が頭を抱えた。珍しいこともあるものだ。

「本当、校歌思い出しちゃったじゃない」

 新次郎が言う校歌とは、我が尾崎戸辺高等学校の最低最悪な校歌のことである。

 我が尾崎戸辺高校は通称尾戸高と呼ばれる。校歌では一般に最後の部分で学校名が連呼されるケースが多いが、我が尾戸高校もご多分にもれず、そのパターンが使われている。

 一番は尾戸高、尾戸高、尾戸高、我らの尾戸高。二番は尾戸高、尾戸高、尾戸高、愛する尾戸高。三番は尾戸高、尾戸高、尾戸高、永遠に尾戸高、となる。

 いずれも「尾戸高、尾戸高、尾戸高」と歌っているのだが、どう聞いても「男、男、男」としか聞こえない。「愛する男」「永遠に男」など、傍で聞いている分には笑っていられるが、当事者となれば笑えない。永遠に男なんて御免こうむる。

「俺は何も男が悪いと言ってるわけじゃない。男だけしかいないこの状況が悪いと言っているのだ。男がいて、女がいる。これは当然だ。世の中、半分が男で半分が女だ。これが健全な世界ってもんだ」

「そりゃそうだけど、いないんだもん、どうしようもないじゃない」

 新次郎がつぶやく。

「どうしようもなくない。あきらめちゃどうにもならない。少なくとも俺たちは健全な世界に触れなくてはならない。でも、普段の生活では、残念だがそれは不可能に近い。でも、この旅行は……、この修学旅行だけは違う。チャンスが溢れてる。そのためには一瞬たりともおろそかにできない。念には念を入れ、作戦を立て、着実に実行に移さなければ」

 顔を真っ赤にして慎伍が語った。こんなに熱い男だとは知らなかった。否、慎伍は熱い男なのだ。ただ、奴を熱くするほどの対象に恵まれなかっただけだ。修学旅行に臨むに及び、初めてすべてをかけられる対象を得たのだ。その対象とは女性である。

「わかったよ。じゃあ、どうすりゃいいんだ」

 泰三が観念したように言った。

「さっきも言ったように表都市へまではたっぷり八時間はかかる。朝六時に学校を出ても表都につくのは午後も二時を過ぎる。となると、初めのチャンスはバスの中だ」

「だが、現実問題として普通にバスに乗っていれば、車窓からいくらでも女の子が見られるんじゃないか」

 僕の質問に慎伍は

「お前、何年塚チンとつき合ってきてるんだ。甘く見るなって言ったばかりだろう」

 と言った。それはこっちの台詞である。一体何年僕と付き合ってるんだ? 小学生以来の親友ならば、僕がほめて伸びるタイプということに気づいてなくてどうする?

 ほめておだてて讃えるぐらいで僕にはちょうど良い。それでこそ、余すところなく本来の力を発揮し、あらゆる分野で八面六臂の活躍をするというものだ。そんな言い方では伸びるものも伸びないでないか。

「だけど、車窓からは外が見えるんだから、どうしたって女の子が目に入るんじゃないの」

 新次郎も同じ意見を言った。女の子を消せない以上、車窓からは必ず見えるはずである。

 すると慎伍は冷静に

「未確認情報だが、バスの窓はすべて目隠しシートに覆われているという話だ」

 とつぶやいた。

「目隠しシート?」

 思わず口を衝いて出た。いくら女の子を見せないためとは言え、教師がそこまでやるだろうか。僕らはしばし言葉を失った。

「目隠しシートかぁ」

 新次郎ののんびりとした口調は、どこか人ごとのように聞こえる。

「目隠しシートねぇ」

 泰三は腕を組んで、しばらく悶絶したような顔をして考え込んでいたが、

「なぁんだ、簡単じゃねえか。トイレに寄ればいいんだよ。バスを降りれば目隠しシートなんて関係ない。塚チンだってまさかトイレに寄ってはダメだとは言わねえだろう。パーキングには女の子だってたくさんいるだろう」

 と言った。そのドヤ顔が妙に癇に障ったが、確かにパーキングに寄ればすべては解決するに違いない。

「あっ、そうか。泰三やるね」

 新次郎の言葉に泰三は

「お前らはバスの中にこだわるからわからねんだよ。もっと頭を使えよ」

 と上機嫌である。よりによって泰三に頭を使えと言われるとは世も末である。

「トイレ付きのバスだったら?」

 このひと言で、泰三の顔から笑みが消えた。

「俺の言うことは、全部未確認の情報だが、甘く見ない方がいい」

 慎伍が続けた。

「特に今回の修学旅行は塚チンが中心になってるって話だ。二重三重の手を打っていると考えた方がいいだろう」

 思わず唾を飲みこむ。もう誰も笑っていない。浮かれ気分がウソのようである。


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