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六神遊戯の謎

作者: 砂虎


明確な法律こそないが、緊急事態でない限り警官が深夜や早朝に市民の家に押しかけて

捜査協力を求めることは通例として禁止されている。

それはそうだろう。

日々の仕事を終えてようやく寝床についた善良な市民を叩き起こして尋問など警察の敵を自ら増やすようなものだ。

だが泣く子も黙る捜査一課のエース船引太郎警部にはそんな常識は通用しないらしい。


「ねぇ兄さん、今が何時か分かってます?」


「午前1時だな。腹が減った、何か食うものはあるか?」


家主の同意をとる間もなくズカズカと部屋へ入っていく兄の背を見て

弟はため息をつきながらその後に続き、買い置きのスナック菓子をテーブルに開ける。

太郎は部屋の隅に置かれたレトルト食品と菓子の山に眉根をひそめる。


「おい次郎、面倒がらずにちゃんとした飯を食え。

 ただでさえ不健康な生活をしてるんだ。自炊くらいやらんでどうする」


「兄さん、そういうのライフスタイルハラスメントって言うんですよ。

 だいたい半年前までは兄さんも僕と大差ない生活だったでしょ。

 それが恋人の手作り料理を食べれるようになった途端にマウンティングとはね」


「ぐっ、むっ」


「それで今日は何の用ですか?正直今すぐ寝たいくらいなんですが」


「嘘つけ。配信中に今日は興奮して眠れそうにないとか言ってたじゃねぇか」


「配信と現実を混同しないで下さいよ。船引次郎とバーチャル探偵王子の天海士郎は別の存在です。

 というか家族に配信見られるのは流石の僕も恥ずかしいんでやめて欲しいんですけど」


「だったらやめちまえVtuberなんてヤクザな仕事。お前なら他にいくらでも仕事が見つかるだろ」


「正直そういう気持ちもなくはないんですよ。この5年でやりたいことはやりきった気もしますし。

 ただ簡単に辞めるに辞められないところまで来てしまったといいますか」


次郎の言葉は決して大袈裟ではない。

Vtuber天海士郎の登録者数は255万人。そこらの芸能人を軽く凌駕している。

人気の秘密は中の人である船引次郎の明晰な頭脳にあった。

バーチャル吸血鬼やバーチャル海賊王といったVtuberの設定の多くが形だけのロールプレイでしかないのと違い

バーチャル探偵王子の天海士郎は視聴者からの相談や質問に回答する形で様々な難事件の真相を暴き

「バーチャルなのにリアル名探偵コナン」「金田一は生きていた」とたびたびネット上を騒がせていた。

兄としてその正体を知る太郎からしてみれば気怠そうに喋るアラサー男の何がいいのかさっぱり分からないが

天海士郎に魅了された熱狂的な女性ファンは大勢いて太郎が交際している田貫明美もまたその一人だった。

それが理由で太郎は近いうちに結婚をと考えているにも関わらず未だに弟に恋人を紹介していない。


「商売繁盛で結構なことだな。だったら今回の事件も綺麗に解決してくれ探偵王子」


「助けて欲しいならそういうイジりはやめて下さい。それで、どんな事件なんですか。

 こんな時間に来るくらいだから緊急性は高そうですが」


「正直まだ分からん。ただ俺たち二人にとっては緊急になりうる事件だからこうして来た」


「………?どういうことですか」


「順を追って話そう。昨日の昼に一人の女が自宅の階段下で死んでいるのが見つかった」


「殺人ですか?」


「現時点では事故と殺人どちらの可能性もあると考えて捜査している。まだ検死や鑑識の情報も出揃っていないしな。

 死亡していたのは投資家の朝倉響子26歳。この名前に聞き覚えは?」


「いいえ。しかし26歳の女性投資家とはなかなか珍しいですね」


「先祖代々金持ちの家に生まれたのさ。一応株の売り買いはしていたが働かなくても生きていけるご身分ってことだ」


「羨ましい話ですねぇ」


「週に数回ゲームして俺の30倍稼いでるお前が言うな」


「いや仕事としてゲームするのも結構大変なんですよ。動画の編集は外注してますが指示書の作成は必要ですし。

 しかし検死の情報も出ていない段階で来られても推理のしようがありませんよ。探偵は超能力者じゃないんですから」


「推理が必要な代物が出てきたのさ。被害者が自分にもしもの事があった際に開封しろと弁護士に預けていたセキュリティケースだ」


「セキュリティケースですか。遺書とはいえ手紙1つに随分と厳重ですね」


「中身は手紙じゃなかったんだよ。いや正確には手紙も1枚入っていたが主役じゃなかった」


「どういうことです」


「セキュリティケースには数枚のカードが入っていたんだ。手紙には遺書の二文字と被害者の署名が入っていた。

 署名が本物かも確認中だが本人が弁護士に預けていたってことを考えるとまず本物だろう」


「カードというのは?」


「お前も好きなやつだよ。六神遊戯ってトレーディングカードゲームだ」


「つまり警察はこう考えているんですか。

 遺書として残されていたカードは被害者が残した暗号で、これを解けば犯人の名前が分かると」


「警察もそこまでお気楽じゃねぇよ。だいたいそれが事実なら被害者は事前に自分を殺す人間を知ってたことになる。

 それこそ超能力じゃねぇか。ただ遺書として残されていた以上は調べる必要がある。

 そう、どうしたって調べない訳にはいかねぇんだよ」


「うん?分かりませんねぇ。調べることに何の問題があるっていうんです」


「ケースに入ってたカードはな、六神遊戯だけじゃねぇんだよ。

 1枚だけこんなものが入ってたのさ」


そういって太郎は写真を見せる。次郎の表情が一瞬で凍りつく。

それはそうだろう。太郎とて最初にこれを見た時は愕然としてしまった。


スーツケースの一番上に配置されていた一枚のカード。

そこにはこう記されていた。



バーチャル探偵王子天海士郎ファンクラブ会員証 会員No325







翌日。太郎は再び次郎のマンションを訪れた。

昨日と同じく日付が変わった深夜の来訪なのは1ヶ月前から恋人である田貫明美とディナーする約束があったからだ。

次郎は「それなら顔合わせもかねて3人で食事しませんか」と提案したが太郎はきっぱりと断った。

Vtuberは意識して普段の声とネット上での声や口調を使い分ける人間も多いが

次郎は天海士郎の時でも普段とまったく変わらない。

明美は真面目で誠実な素晴らしい女性だし上司として自分を尊敬してくれている。

だから自分より顔が良く、頭が良く、稼ぎが良い憧れのVtuberと会っても

弟の方へ乗り換えるなど絶対にありえないが世の中には万が一というものがある。

半年間の交際で人生初の恋人にメロメロとなっている太郎は万が一を起こさせる気など毛頭なかった。




「こんばんは兄さん。事件の方は何か進展ありましたか?」


「何もなしだ。このところ殺人事件が続いて鑑識の方も遅れている」


「明確な殺人事件と単なる事故かもしれない事件では優先度が変わってしまうのも仕方がないことですか」


「限られた人員でやる以上はな。お前の方はどうだ。暗号の謎は解けたのか」


「まぁ、ある程度は」


「ある程度?どういうことだ」


「結論を急ぎすぎですよ。まだ来たばかりじゃないですか」


「警察だからな。必要なのは答えで名探偵のもったいぶった台詞じゃないんだ」


「そのせいで今回ピンチになっているんでしょう?」


「ぐぬっ」


図星を突いた弟の台詞に太郎は黙り込む。


県警が誇る天才捜査官船引太郎。

数々の難事件を解決してきたその手腕は警察内部で高く評価されているが

実際に謎を解いていたのは昔からろくに勉強もしていないのに成績は常にトップの弟の次郎だった。


太郎は頑固で融通の効かない点はあるとはいえ基本的には正義感の強い善良な男だ。

弟の助言で事件を解決することに手柄を横取りしているような後ろめたさは以前から抱いていた。

しかし弟の次郎に表舞台に立つ意志がなく両親に

「お兄ちゃんのプライドよりも事件が解決される方が大事でしょ」

「仕事というのは結果が全てだぞ太郎。次郎も遊んでばかりでなくたまには世間の役に立った方がいい」

と諭されたことで兄弟の秘密の協力関係は続き、次第にそれに慣れてしまった。



そこへ来て今回の事件である。

警察とて馬鹿ではない。

遺書として残されたケースの中にVtuebrの会員証が入っていたからといって

「この事件の犯人はバーチャル探偵王子天海士郎だったのか!!」と逮捕状をとるような真似はしない。

しないが、仮にも遺書である。何も調査しないという訳にはいかない。

どこまでやるかは捜査員次第だが船引警部が率いる捜査一課のメンバーは太郎に似て真面目で仕事熱心な者が多い。

所属事務所にメールを送って終わりにせず、直接本人に事情聴取をする可能性もゼロとはいえない。

そうなれば必然、天才捜査官の弟がネットの天才探偵であることの符合に気がつく者も現れるだろう。

もしもそれが自分の部下であり恋人である田貫明美だったら。

太郎は目眩がした。

正々堂々と事実を公表するのが最も正しく男らしい道なのだろう。

だが太郎にはもうその道を選ぶ勇気がなかった。そうするには自分はあまりに明美のことを愛してしまった。

彼女が上司の活躍が虚像に過ぎなかったことに失望し去っていく姿を想像するだけで涙が出そうになる。



「そんなに心配しなくても平気ですよ。そっちの問題は最悪どうにかなります」


「何だと?」


「事実を逆にすればいいんですよ。バーチャル探偵王子天海士郎が事件を解決できたのは

 兄である天才捜査官船引太郎の力を借りていたからだったということにすればいい。

 これなら兄さんの地位は守られますし僕も炎上して仕事を引退できる」


「……見損なうなよ次郎。俺が弟を犠牲にしてまで地位にしがみつくと思ってやがるのかっ!!」


「思ってませんよ。失うものの大きさに悩み、迷いはしても最後には正しい道を泣きながら突き進む。

 それが僕の兄さん、船引太郎という男です。そしてそういう男が警察にいることは大きな意味がある。

 そのためなら探偵王子の首の1つや2つ、軽いもんです。

 それにこれはあくまで最悪の場合の対処法です。僕らには別の道がある」


「――暗号を解く」


「その通り。天海士郎が事件に無関係だと分かってしまえば僕のところに捜査員は来ません」


次郎は6枚の写真を並べていく。いずれもケースの中に入っていたカードを撮影したものだった。


「まず僕のファンクラブ会員証は除外します。暗号とは無関係なので」


「無関係!?そんなものが何故ケースに入っていた!」


「保険ですよ。暗号は解かれてこそ意味がある。でもそれを見た人間が必ずしも解いてくれるとは限らない」


「つまり開封者に意味が理解できなくてもお前ならば暗号を解いてくれると信じて会員証を入れた?」


「おそらくは。朝倉響子という女性に聞き覚えはありませんでしたが

 会員証のナンバーを事務所に照会したことで誰だか分かりました。

 彼女のネット上の活動名は朝ぴょん(女子高生)

 今回の暗号に使われているトレーディングカード「六神遊戯」の開封動画や対戦動画にもコメントしていました。

 頻繁に赤スパもいただいていたのでよく覚えています」


「……赤スパってあれか。1万円以上払うと赤くなるやつか」


「それです」


「前から思っていたがあれは異常だろ。そんな大金払ってもお前が何かする訳じゃないんだろ」


「そうですね。ありがとうとお礼を言う、コメントを読む、それくらいです」


「いくらお金持ちのお嬢様だからって金銭感覚が壊れすぎだ」


「まぁ価値観は人それぞれですよ。

 それに文化というのは表面的な価値以上の金額を投資する人間がいてこそ花開き守られていくものです」


「そんなものかねぇ。俺にはどうにも理解できん」


「別にそれでいいんですよ。ある人にとって大切なものが別の人にとって大切とは限らない。

 重要なのは理解することではなく理解できないものにも寛容であることです」


「話が逸れちまったな。つまり暗号は残り5枚の六神遊戯のカードだけで構成されているのか」


「そういうことです。ただしここから先の話は事件現場へ行ってからしましょう」


「現場に!?今から行くのか!?」


時刻は深夜1時を過ぎていた。


「暗号の厄介なところは答え合わせをしない限り、複数の解釈が可能ということです。

 僕は「答えかもしれない推理」を思いつきましたが

 もしかしたらそれは偶然そういう読み方も出来るというだけで被害者の狙いとは全く違うかもしれない。

 確認作業は絶対に必要です」


「分かった。どっちの車で行く?」


「もちろん兄さんのですよ。こんな時間に住人のいなくなった屋敷を探索するんですから

 通報された時に言い訳の出来るような形作りはしておかないといけません」




朝倉響子の家は次郎のマンションから車で30分の距離にあった。

二人の生活圏は重なっていたと言ってもいいだろう。

もしかしたら同じ道ですれ違ったこともあったかもしれない。

お互いがVtuberとその熱烈なファンだと知ることもなく。

太郎はその情景を思い浮かべて何故だかとても悲しくなった。


しかし当の次郎はファンの自宅に入っても特別な感情は湧き上がらないようだ。

被害者が亡くなっていた階段下の床と上までの距離を目測で図っている。


「外から見た時から立派なお屋敷だとは思いましたが、この階段はなかなかにすごいものですね」


1階から2階、そして3階までを一直線で繋ぐ階段。

大階段と呼ぶほどの幅こそないが普通の家では見られない圧巻の光景だ。


「インスタ映えはするだろうが傾斜も急だし安全性を犠牲にした作りだ。

 自分から足を踏み外した事故の線もあるのはそのせいだしな。

 それで現場を確認する必要があるって話だがまずどこからだ」


「写真立てのある部屋からです。最初のカードである「追憶」には

 私は写真立てを並べて思い出の数を数える。失ったものの数をとありますから」


「はぁ!?何だそれは!?そもそもまず何で5枚のカードのうち追憶が一番最初のカードだと分かるんだ」


「一番左に置かれたカードだからです。

 カードゲームというのは配置に関する特別なルールがない限り左から順番にカードを置いていくものなんですよ。

 六神遊戯においてもそれは変わりません」


「それはまぁ、分かった。納得する。だが追憶に関しては意味不明だぞ!!

 お前が最初に言った「私は写真立てを並べて思い出の数を数える。失ったものの数を」なんて言葉は

 カードのどこにも書かれていないじゃないか!!」


太郎はそういって写真のカードを突きつける。


「追憶」コスト3 墓地のカードを3枚手札に戻す。このターンに自分のクリーチャーが破壊されていたなら5枚戻す。


「フレーバーテキストですよ」


「フレーバーテキスト?」


「今兄さんが読み上げたのはゲームの進行に直接関係するカードの効果です。

 カードゲームではそれとは別にルール上は全く意味がないがゲームの世界観を表現するような言葉が記されているんですよ。

 だからflavor(雰囲気)txt、大抵のカードゲームに採用されているシステムです」


「仮にそういうものがあるとしてもこのカードにはそれがないじゃないか」


「カードゲームは売上を伸ばすために様々なバージョン違いを出すんですよ。

 単純にゲームを遊ぶだけなら同名のカードは3枚持っていれば4枚目以降を買う必要はありませんが

 自分が持っているのよりカッコいいデザインのものが出たら新しく購入したくなるでしょう?

 ケースに入っていたフレーバーテキストがないカードもそうしたデザイン違いの1つです。

 このバージョンは超レアで安いものでも3万円以上しますから

 5枚全てが偶然ノンフレーバーだったとは考えにくい。暗号のために意図して揃えたんでしょう」


「じゃあ追憶に限らず、残りの4枚にもそういう文章があるのか」


「えぇ、しかしとりあえず写真立ての部屋を探しましょう。

 これがないなら僕の推理は的外れの単なるこじつけですから」


そうはならなかった。2階の一室には写真立てを並べた部屋があった。


「家族写真か。いい顔で笑ってるな」


「重要なのは数です。写真立ての数は7つ。覚えておきましょう」


「次のカードは……栄光を振りかざす者だったか」


「フレーバーテキストはお前は俺が手にしたトロフィーの数を知ってるか、です。

 推理が正しければトロフィーを飾った部屋もあるはず」


部屋はすぐに見つかった。


「小学校はピアノ、中学は陸上、高校はフェンシングか。

 英語スピーチコンテスト優勝なんてのもあるな。文武両道ってやつか。大したもんだ」


「トロフィーは全部で5つ。次へ行きましょう」


3枚目のカードは崩落。

テキストは「僅かな間にいったいどれだけの命が失われたのか」

朝倉響子は海外留学していた際に爆破テロに遭遇。

友人を含む6名が死亡する中でただ一人生き残っていたことが

壁に貼り付けられたアクリルフレームの新聞記事に記されていた。


難題は4枚目だった。カード名は聖域。


「ここが私の居場所。やっと見つけた私の居場所だ、か」


太郎は六神遊戯のwikiでフレーバーテキストを確認しながら周囲を見渡す。


「この4枚目のカードが僕が現場まで足を運んだ最大の理由です。

 5枚目の金庫破りは4枚目までに見つけた数字を入力することを示しているだけで

 既に金庫は見つけていますからこれが最後の謎になります」


「これまでに比べると随分とふわっとしてるな。

 3枚目の崩落も分かりにくかったが数えるべきものは具体的に書かれていた」


「ここに来るまで僕の考えていた答えは隠し部屋でした。

 やっと見つけたという表現と聖域のイメージが符合しますしね。

 ですが探索してもそれらしき部屋は見つからない」


「そりゃあ隠し部屋だからな。簡単に見つかるもんじゃないだろ」


「ミステリーでは終盤まで誰にも発見されない隠し部屋は定番ですが

 現実では隠し部屋があるという前提で探されたら簡単に発見されるものですよ。

 部屋である以上は間取りに空間的な制約がありますし。

 朝倉さんの家は一人暮らしの女性が住む家としてはかなり広いですが

 巧妙な隠し部屋を作れるほどの大きさではない。見つけるべきものは隠し部屋でない可能性が高そうです」


「なるほどな………ん、待てよ」


「どうしました?」


「ここまで来たなら頑張って4つ目の答えを探す必要はないんじゃないか?

 7、5、6までは分かってるんだから最後の数字のパターンを全て試してもたったの10通りだ」


太郎はそう勢い込んで金庫に数字を入力していくが……


「………開かなぇな」


「兄さんの作戦は最後の数字が一桁だと決まっていたなら有効なんですがね」


「お前は一桁じゃないと分かってたのか」


「4枚目だけ一気に難易度が上がってますからね。

 わざわざ手製の暗号を用意するのだから最低限の総当たり対策はしていると思っていました」

 

「仮に最後の数字が4桁だとして総当たりで試すとどんくらいかかる?」


「10時間以上はかかるでしょうね。休まず同じペースで試したとしても」


現実的なプランとは言い難い。

既に時刻は午前5時を回っている。撤収を考え始めないといけない時間だ。

 

「兄さん、朝倉さんは投資家になる前に就職していませんでしたか?」


「就職……?いやそういう情報は見ていない。どうしてだ?」


「ここまでの3つの数字は時系列順でした。

 幼少期の家族写真。小学校、中学校、高校のトロフィー。大学時代に遭遇したテロ。

 普通に考えれば4つ目の数字は社会人としての何かにまつわるものかなと」


「どうだろうな。会社を聖域だと思うやつは珍しいんじゃねぇか。

 どっちかといえば人生の墓場とか地獄とかそういうイメージだ」


「たしかに」


その瞬間、太郎の脳裏にあるアイディアが閃いた。

物は試しだ。数字を入力しボタンを押す。


「………開いたぞ」


返事はない。次郎は絶句していた。

そりゃあそうだろう。

生まれてこの方頭脳勝負では一度として自分に勝ったことのない兄が先に金庫の番号を当ててしまったんだから。


「いったいどうやって」


「まぁ待て、まずは中身の確認が先だ」


金庫の中から最初に出てきたのは遺書だった。


「………ごく普通の遺書だな。署名入りで全財産を慈善団体に寄付すると書かれている」


「……それだけですか?」


「あぁ。どうかしたか?」


「いえ……他には何が入ってますか」


「箱が1つ、これも六神遊戯か」


「スノードロップ。ドラフトボックスですね」


「何だそりゃ」


「カードゲームでは自分で集めたカードを自由に編成して対戦する構築戦が主流ですがそれ以外の遊び方もあるんです。

 その代表例がその場でカードパックを開封して出てきた限られたカードを使って対戦するドラフト戦。

 構築戦よりも運の要素が強く真剣勝負というよりもパーティゲームとして向いている遊び方ですね。

 ドラフトボックスとはドラフト戦用に作られた商品でこれ1つあれば二人のプレイヤーがすぐに遊べます」


「フレーバーテキストは何だ?」


「分かりません。箱には大量のカードが入っているし中身はランダムです。

 未開封である以上は朝倉さんもそれを利用して謎を作ることが出来なかったはず」


不可解そうに考え込む次郎。一方の太郎は携帯で何事か調べ始める。

沈黙の時間。やがて太陽の光が差し込んでくる。朝だ。


「次郎、もう出るぞ」


「待って下さい。あと少し………」


「大丈夫だ。謎は全て解けた」


「えっ!?」


「……てのは言いすぎだな。だがお前が今考えこんでいる部分に関しては分かった。

 だから撤収するぞ。続きは帰りの車内で話そう」






帰路。次郎は太郎が運転する車の振動に揺られながら戸惑っていた。

さきほど兄は謎は解けたと言った。本当だろうか?

頭ではそれが事実だと認めている。こういう場で嘘をつくような人ではないし

実際に太郎は自分が分からなかった聖域の数字を発見して金庫を開けている。

だが心がそれを認めようとしない。

運動が得意で人に優しく、初対面の相手ともすぐに仲良くなる県警のエース。

そんな太郎に唯一自分が勝てるのが頭の良さだった。

普段は「このくらいの謎は自分で解いてくださいよ」なんて軽口を叩いておきながら

実際にそれを目にしたら嫉妬と劣等感に支配される自分は何て醜いやつだろう。



「さてと。どこから話すかな」


そんな次郎の内心に気づいた様子もなく太郎が口を開く。


「そうだな、まずこの謎解きの意味は何だったのかってとこから始めるか」


「……兄さんも気づいていたんですね」


「俺は県警の警部だぞ。最低限の論理的思考くらいは出来る。

 今回俺たちはカードの謎を解いて本物の遺書を発見した。

 だがそんなことをしなくても遺書は見つかった」


「そうです。カードの謎を解くことで僕らは金庫の番号を探り当てましたが

 もし誰も謎を解けなかったとしても金庫は業者に依頼すれば簡単に開いて遺書は見つかります。

 だから僕は金庫の中には暗号を解いた者だけに意味や価値の分かるものが入っていると考えていましたが

 中身はごく普通の遺書とスノードロップという未開封のドラフトボックスだけ。

 これでは何のための暗号か分からない。

 おそらくはドラフトボックスに何か仕掛けがあるんでしょうが僕が調べた範囲では分からなかった」


「その謎を解く鍵は聖域が示す数字にある」


「そうだ、聖域。兄さんはどうやって数字を突き止めたんですか」


「愛の力さ」


「真面目に答えて下さいっ!」


「大真面目だよ。半年前の俺だったらこの謎は解けなかったかもしれねぇ。

 だが明美と付き合い始めた今なら分かる。

 愛ってやつはとんでもなく大切で大事なものなんだ。

 たとえそれが片思いだったとしてもな。聖域の数字は325。

 バーチャル探偵王子天海士郎ファンクラブ会員証のナンバーだ。

 朝倉響子がやっと見つけた自分の居場所はお前のことだったんだよ次郎」


驚きのあまり絶句する次郎。太郎は謎解きを続ける。


「伏線もあったな。六神遊戯。

 六神が争う世界を舞台にしたカードゲームを使う謎解きなら

 使うカードは5枚でなく6枚の方がしっくりと来る。

 お前は自分のファンクラブの会員証を誰も謎が解けなかった時の保険だと言ったが大間違いだ。

 あれは保険なんかじゃない、一番大切な招待状だったんだよ。自分が理想の最期を迎えるためのな」


「招待状、どういうことです」


「朝倉響子は大学時代に遭遇したテロで唯一生き残ったが、五体満足無事に助かったわけじゃなかった。

 今回の事故、あるいは殺人がなくとも医者から長くは生きられないかもしれないと言われていたそうだ。

 おそらく彼女は常に死の恐怖と戦いながら生活していた。

 同時に自分が死んだ後のことも考えていた。どんな風に悼まれ、どんな風に埋葬されたいか。

 会員証は希望だった。計画通りに行く可能性は極めて低い、けれど叶って欲しい理想の結末」


「それが僕の来訪だったというんですか。

 僕が彼女の家に来て謎を解くことが。そんな馬鹿な」


「前に言ってたろ。ある人にとって大切なものが別の人にとって大切とは限らないって。

 逆にこうも言える。ある人にとって些細なことでも別の人間にとってはこの上なく大切なこともあると。

 お前にとっては朝倉響子は255万人いる登録者の一人に過ぎなかったかもしれないが

 朝倉響子にとってお前はいつ死ぬか分からない絶望の日々を照らす希望の聖域だったんだ」


「………」


「お前は暗号を解くために写真立てやトロフィーの数ばかり気にしたが

 彼女の願いは自分がどんな人間でどうやって生きたのかを知ってもらうことだった。

 だから家族写真、学生時代のトロフィー、テロの新聞記事と時系列順に並んでいた。

 幸福な時代。人生を狂わせたテロ。Vtuberとの出会い。

 全てを理解してもらい開かれた金庫から見つかるのはドラフトボックス。

 あの箱に仕掛けなんてない。スノードロップはお前へのメッセージだ。

 叶うならば二人で向き合って遊んでみたかった。一緒の時間を過ごしたかった。そう伝えるための」


「………僕は探偵王子失格ですね。

 頭が良い気でいてそのくせ何一つとして彼女のことを理解していなかった」


「誰にだって弱点はあるもんだ。お前は昔から自己肯定感が低すぎるんだよ。

 誰よりすごいやつなのに、自分は人から好かれるような人間じゃないと思ってる。

 だから無意識に朝倉響子が自分を愛してたって可能性を排除しちまったんだ」


車がゆっくりとスピードを落としてマンションの前で停車する。

次郎は車から降りてエントランスへ向かい、途中で振り返った。


「兄さん。朝倉さんの検死結果は数日以内に分かりますよね」


「あぁ。事故か殺人か、それではっきりするだろう」


「殺人だったら教えて下さい」


「どうする気だ?」


「僕にやれることをやります。僕にはそれしか出来ないから」


「出来ることは他にもあるさ」


「え?」


「一緒に葬儀に参列しよう。きっと彼女も喜ぶ」


「……はい」


弟の背中を見送りながら船引太郎はさきほど調べたスノードロップの花言葉を思い返す。

届かぬ想い。儚い恋。慰め。希望。

朝倉響子はドラフトボックスにどの願いを託したのだろう。



それを知ることは名探偵でも、もう叶わない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] このシリーズは以前にも読んだ気がしますが、やっぱり次郎は魅力的です。 [一言] 純粋に愛ゆえの行動だと見抜いた太郎警部が素敵! 被害者の気持ちを考えると胸が苦しくなります。
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