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幸せオムライス

幸せオムライス 3

作者: 瀬嵐しるん



アニエス・トスチヴァンは休日を街中で過ごそうと考えていた。


二十三歳の彼女は王立学園の補助教員として働いている。

生家は伯爵家で、自らも学園の卒業生だ。


学園生寮から、同じ敷地内の教員寮に移って早五年。

やっと正規の教員免許を得ることが出来た。

来年からは自らカリキュラムを組み、思うまま生徒を指導できる……かといえば、そう簡単にはいかない。


王立学園は国内に一つだけの貴族の子女向けの学校だ。

貴族として学園の卒業は必須ではないが、ほとんどの貴族がその門を潜る。


教育内容は基礎教育と、それぞれの資質に合わせた専門教育。

一応、六年間の教育期間とされているが、文官など卒業を条件とする就職先を目指すのでなければ、在学年数は自由だ。


基礎教育だけで卒業する者もいれば、既に家庭教師から学び終え、試験で基礎をスキップして専門教育から受ける者もいた。

中には人脈作りだけのために通う者もあるが、他の学園生の邪魔にならなければ、それでも構わないのだ。



教える側には教授、教員、補助教員という序列がある。


教授の席には、専門分野の研究成果等で既に実績のある者が招かれる。

年に数回の特別授業もするが、最大の仕事は各教科における教育内容を決定することだ。

そして、教授は五年以内で入れ替わるのが通例になっている。

研究者として長期の拘束が望ましくないことと、新しい学説を取り入れる必要があるためだ。


常に生徒に接して、直接教えるのは教員の仕事となる。


王立学園の教員になるのは、主に嫡男ではない貴族家の子息だ。

ほとんどの学園生が貴族家の子女である。

そのため貴族の常識と言われながらも明文化されない、面倒なあれこれを知っている人物が望ましい。


教員を希望する者は採用試験に通った後、まず補助教員の職に就く。

教育内容に精通することはもちろんだが、慣習に従って問題を起こさず、また貴族家出身ではない学園生にも差別なく接することが求められる。

三年以上の補助教員期間を経て認められた者が教員となるのだが、一度職に着いた教員は滅多に失態を犯すことなく、ある程度の年齢まで長く勤める。


……となれば、教員の枠はなかなか空かない。


採用時に男女の差別はないのだが、補助教員から教員に上がる令嬢は少ない。

その理由は、主に令嬢としての結婚適齢期という問題のせいだ。


結婚までの腰掛気分の令嬢はそもそも受験しない。

だが、採用されて補助教員になった後、経験を積んでもなかなか教員に上がれないのが実情だ。

すると、家族や関係者から横やりが入り、辞めて結婚したほうがいいと見合いを進められる。

それでもと頑張る令嬢もいる。しかし、時間が経過するにつれ不安や焦りが芽生え、結局、家族の意向に副う道を選ぶ場合が多い。


これが男子の場合だと、平民向けの学校教員も選べた。

王都にある平民向け学校は教員を募集してもすぐに埋まってしまう。だが、地方ならば、どこかには空きがある。

しかし残念なことに、王都ほど各地の治安が安定しているとは言えない。

貴族家令嬢という立場では護衛やメイドが必要になるが、それらを自分の給料内で賄うのは不可能だ。

となれば、そんな危険や面倒は避けてお見合いを、と話は戻ってしまうのである。



教員免許が取れたアニエスだが、専攻は魔術。

平民向け学校では魔術を扱うところはほぼ無いので、王都だろうが地方だろうが転職は期待できない。

幸いなことに、両親も周囲もアニエスに結婚について急かすようなことはない。

今のところ、補助教員の月給でも学園内の教員寮にいれば生活していける。

だが冷静に将来を見据えるなら、どれだけ早くとも、アニエスが正式な教員になれるのは三十歳を過ぎてからだろう。



『やめやめ! 気分転換に外出するんだから、今日はこのことは考えないのよ!』


今日は突然思い立って、一人で出かけることにした。


『最近人気のオムライスを食べに行こう。

行列らしいけど、一人なら相席で早く入れる時もあるし』


オムライスは、この辺では珍しい米を使うためエキゾチックだと評判の料理だ。しかも値段も手ごろで街の食堂でも食べられる。


五年間働いて自分の稼ぎで生活することに慣れたアニエスには、街中での一人歩きにも不安は無い。

友人たちは皆結婚してしまい、付き合いもあまりなくなった。


『見栄を張らなくていいから、悪くはないけど』


気楽なのはいいが、少しばかりの寂しさは残る。



ゆっくりと正門へ向かって歩いていくと、後ろから元気に走って来る靴音が聞こえてきた。


「おはようございます!」


追い抜きざま、にこやかに振り返って挨拶してきたのは一年生のジョエル・ルクヴルール。筆頭公爵家の末っ子である。


「おはよう、ジョエル君」


『魔力と魔術の基礎学』の補助教員をしているアニエスは、ジョエルの出る授業を手伝うこともある。


基礎学はとにかく生徒のばらつきが大きい。

座学は一律に出来るものの、実習となると大変だ。

魔力の大きさから、呑み込みの早さから、全てが生徒によって違うのだ。

その分、補助教員の出番も多かった。


大きな事故が起こらないよう万全の注意を払うのだが、絶対的な安全などない。

先ずは、注意事項を実地で教え込むのが一苦労だった。


最初の実習で、とある生意気な男子生徒が女子生徒の気を引こうと勝手に魔力を放った。

どれだけ口を酸っぱくして教えても、聞く耳を持たない生徒はいる。


その授業は、各自が魔力の出し方と消し方を身体で覚えるものだった。

けして、他人に魔力を向けないように言い聞かせてあったのだ。


男子生徒がいい加減に放った魔力は、他の生徒の出していた魔力を取り込んでいき、膨れ上がって行った。


指導していた教員たちが気付いた時には、対処方法がすぐに思い浮かばないほどの大きさに成長していた。


そして、その魔力が向かう先にいたのはジョエル・ルクヴルール。

在学生の中で最も身分が高く、彼に何かあったら非常に不味い。


たまたま魔力の進路に近かったアニエスは、思わず飛び出して彼を庇おうとした。

無事では済まないかもしれないが、魔術初心者でまだ子供の彼が受けるよりはマシなはずだ。そう判断した。


ところが、踏みだそうとした途端、魔力がシュンと音もなく消えたのだ。

思わず見つめたジョエルの口元がニンマリしていたのは、見間違いだったのだろうか?


気負った分、力が抜けて座り込んだアニエスにジョエルが駆け寄り、助け起こしてくれた。

右手を差し出そうとして一瞬迷い、左手に替えた彼。

ちらりと見た右手には、光る魔力の残滓があったような気もする。


とはいえ、いち補助教員にそれ以上の調査機会などなく、事故にならなくて良かった、と男子生徒が叱責されたのみで、事件は半ばもみ消されたのである。



疑惑のジョエル君は、なぜか後期から入寮した。

寮に入るのは王都に家を構えていなかったり、馬車で通うにも時間がかかったりといった生徒たちである。

王都中心に近い学園と、筆頭公爵家の屋敷はごく近い。


何か事情があるかもしれず、詮索はしなかったが少し気になった。

それで、授業中やふと見かけた時に気にしていたのだが。


アニエスの見る限り、彼は……とにかくいつでも楽しそうだった。



アニエスを追い越して、そのまま通り過ぎるかと思えたジョエルが速度を落とす。


「先生、外出ですか?」


「ええ。街で評判のオムライスを食べに行こうかと」


彼女にしてみれば、流行りのランチの話題は、ちょっとした挨拶に沿える言葉として無難だろうと思っただけだ。

だが、ジョエルは完全に足を止めてしまった。


「オムライス、ですか?」


「ええ」


いつになく真面目な彼の表情に、不安さえ募る。


「僕もオムライスを食べに行くところなんですけど、よかったら、ご一緒しませんか?」


「え?」


アニエスは戸惑う。十歳近く年下の男子にナンパされた?

いやいやいや! 無いから。筆頭公爵家のご令息だから。

自分のような行き遅れ伯爵令嬢が何をいい気になっているの?


冷静になって、ジョエルならばどこのレストランで食べるのだろう、と想像してみるが、全くわからない。

あまり高い所なら、一緒に行くのは無理。訊いたほうが早そうだ。


「どこのお店に行くつもりなの?」


「お店ではありませんが、元祖です。そして、並ばなくても食べられます」


歩き始めたジョエルにつられ、アニエスも正門の方に足を進めた。

門衛に会釈し、二人で外に出てみると、そこにはすらりとしたイケメンが待ち構えていた。



「エリク先生、お待たせしてすみません」


「いや、私も今来たところだ。……そちらの方は?」


「こちらは魔力と魔術の基礎学の補助教員のアニエス・トスチヴァン先生です。アニエス先生、こちらは僕の家庭教師で王立魔術師団に所属しているエリク・ダルシアク先生です」


「あなたがアニエス先生ですか」


「初めまして、ダルシアクさん。あの、私が何か?」


「失礼、こちらこそ初めまして。

貴女が実習授業で、ジョエルを助けようとしてくださったことは聞いています」


「いいえ。結局、何も出来ませんでした。

そうだわ、あの時、ジョエル君が暴走した魔力を消したように見えたのだけど」


アニエスはジョエルに向かって訊いてみた。


「あ、バレてましたか?」


「あまり先生方を舐めないほうがいいぞ」


「そうですね、確かに舐めていたかもしれません。

でも、あの一件で僕は目が覚めました」


話の方向性が掴めず、アニエスは戸惑う。


「アニエス先生が腰を抜かしたのを見た時、これが現実なんだなって思えて」


「現実?」


「僕はずっと魔力過剰のせいで、森で暮らしてたんです。

世話係のカイロは万能で、二十四時間付きっ切りで面倒を見てくれて。

魔力の対処や、森の結界はエリク先生がしてくれました。

僕は二人に護られて、いつだって安心安全だったんです。


王都に戻れるようになっても、公爵邸内は安心安全でいられます。

僕はまだ子ども扱いされて、甘やかされている」


「その安心安全な公爵邸を出て、寮に入ったのはどうして?」


「僕はずっと、森に居たから、周りにいた人たちのことしか知りません。

他人が何をするかわからないし、その結果、どうなるかもわからない。

だから、まず寮に入って学園生を観察することにしました」


アニエスにはよく理解できなかったが、否定するのも違う気がする。

その表情をエリクに読まれたらしい。


「軟禁状態で育った彼だからこその考え方かもしれません。

理由はどうあれ、小さい頃は不可能だった友達付き合いをしてみるのは、いいことです。大人の立場としては見守ればいいのだと思います」


「そうなのですね」


「では、話が一段落したところで今から転移しますよ」


三人は学園の向かいにある公園を歩いていた。

今は丁度、背の高い植え込みの陰に入って人目がない。


「はい?」


アニエスの疑問は取り残され、気が付けば香辛料の香りが漂う市場の裏にいた。


「ここは?」


「南の国境に近い市場です。

今日はここで買い物をしてから、ルクヴルール公爵領に向かいます。

ところで、ちょっと相談があるのですが」


「なんでしょうか」


「今から、この市場で目立たぬように姿を変えます。

それで、しばらく親子連れの振りをお願いできますか?」


「私が母親役でよろしいんですか?」


「そういうことです」


話が早くて助かると、エリクが微笑む。


「わかりました」


「ではスタートです」


認識阻害用の小さな結界が外され、香辛料の匂いがさらに強くなる。



アニエスがエリクを見ると、南風の裾の長い上着が長身に似合っていて感心した。

顔は変えていないが、イケメンはなんでも似合うようで浅黒くなった肌も素敵だ。


自分の肌もこんな色に見えているのだろうか、と何気なく視線を下げると……

そこにあったのは、中ほどまでしか布に覆われていない二つのたわわな果実。


「あら」


驚いて顔を上げれば、エリクの耳が赤い。


「済みません、お見苦しいものを」


アニエスがそう言ったのは、謙遜でも何でもなかった。

胸の膨らみを強調するようなドレスは淑女らしくないと、幼い頃から祖母にうるさく言われていたためだ。


「いえ、すばらし……いや、ありが……何でもありません」


エリクは視線を外すと、アニエスの肩をそっと抱くようにしてショールを扱う店先まで急いだ。


「彼女に似合う色のものをくれないか」


「はいよ。そうだね、この二枚が合いそうだけど……奥さん、どっちにします?」


女店主はふっかけるでもなく、すぐに見繕ってくれた。


「じゃあ、こちらで」


「はい、銀貨五枚だよ。毎度」



「お父さん、お母さん?」


先を行っていたジョエルが戻ってきた。

しかし、アニエスの背中からショールをかけてやるエリクには返事をする余裕がない。


「ありがとうございます」


「いや、女性の姿を変化させるのに慣れていなくて……

気が利かなくて申し訳なかったです」


傍から見れば、イチャつく夫婦にしか見えないが、本人たちは気付いていなかった。



「坊や、ご両親は熱々だね」


子供好きなのか、女店主はジョエルに声を掛けてくれた。


「うーん、いいことだけど、僕も年頃だから複雑」


「はは、おませさんだ。一人っ子かい?」


「うん。でも、そろそろ兄弟が出来ても嬉しいかな?」



ジョエルが目をあげると、話が聞こえたらしいエリクが呆れ顔をしていた。

何か言われる前に、ぺろりと舌を出して見せる。


「ねえ、お父さん、卵買って! 大きな鳥の大きな卵!」


ジョエルは走り出した。


「まったく、いつまでも子供だな」


と、父親ぶってみるエリクがアニエスには微笑ましい。


「お父さん! 卵屋さんあったよ!」



卵を専門に扱っている露店には、様々な大きさや色、模様の卵が置かれていた。


「いらっしゃい!」


「焼いて美味しい卵が欲しいんだが」


「お客さん、うちのはどれも焼いて美味しい卵ばかりだよ!」


そう言われて、エリクは素直に全種類を買った。


「そんなに買って、大丈夫ですか?」


「余っても、回せる先が多いから問題ないでしょう」


アニエスが心配するが、行先はカイロの元だ。

保存の仕方も調理法も任せておけばいいし、付き合いも広いから問題ない。


他にもいくつかの買い物を終え、籠いっぱいの卵を運んでいると声がかかった。



「おじさん達、珍しい卵を探してるなら、相談にのるよ」


ジョエルと同じ年頃の少年二人組がエリクたちを見ていた。


「珍しい卵?」


「ああ、殻が七色に輝いているんだ。味もいいよ」


「その分、ちょっと値段が張るけど」


「ほお、そうだな、見せてもらえるか?」


「オーケー。着いてきて」



少年たちは路地裏に入って行く。


「あの……」


アニエスが心配そうに口を開くと、エリクが声を潜めた。


「少し様子を見ます。危ないと思ったら、先ずは自分の身を守ってください」


真剣なエリクの声音に、アニエスはただ頷いた。


着いた場所は廃屋に見える建物だった。

ボロボロの扉をそっと開けて、少年たちはエリク一行を迎え入れた。


「慣れてない人が開け閉めすると壊れるから、抑えている間に中へ入って」


埃の舞う部屋に入ると、少年の片方が奥から卵の入った籠を持って来た。


「わあ、お父さん、七色の卵だ!」


「ああ、綺麗だな。中から光っているようだ」


「すごいだろう? こんなの他にはないぜ」


少年が自慢げにする。


「これは、どこで手に入れたんだい?」


「それは秘密だよ」


「もしかして、危険を冒して魔物の卵を?」


「魔物の卵? まさか」


「これは、鳥の卵ではないだろう? こんなふうに光るものは見たことがない。ということは、普通の鳥ではないということだ。ならば、魔物の……」


「何言ってるんだいおじさん、普通の卵に決まってるさ。

ちょっと魔力を流してやれば、こんなふうに綺麗な殻が出来るんだ」


黙っていた方の少年が口を挟む。


「お前、馬鹿か! バラしてどうすんだ?」



「魔力ねえ……。見たところ君たちには魔力はないようだが、誰がやってるんだ?」


「おっと、これ以上は何も話さないぜ」


「ここで話さなくても構わないが、違法の疑いがある。

魔術師団の調査が必要だ」


「冗談じゃない、ずらかるぞ!」



逃げ足に自信があるらしい少年たちは、半ば壊れかけた窓から外に逃げようとする。

ところが、一人がその場で前に倒れた。


「なにやってんだよ、早く……」


「急に藁が足に絡まって……」


不思議なことに、床に散らばっていた藁が足首を拘束していた。


「そんなもの、引っぺがせばいいだろう!」


もう一人が乱暴に藁を引っ張ると、すぐに外れそうだったが。


「え? え、あ? ふぎゃ!!!」


藁を解こうとしていた少年も床に転がる。

その姿は、まるで包帯の代わりに藁でくるまれたミイラさながら。


「見事だが、口と鼻は開放しておくように」


エリクがジョエルに向かって声をかけた。


「あ! 可哀そうなことになるとこでした」


ジョエルが涼しい顔で人差し指を回すと、顔面だけは開放される。

口がきけるようになったというのに、少年はただ荒く呼吸をするのみだった。


「それにしても、とっさに藁で足止めとは。

アニエス先生、お見事です」


「こういう細かい魔術は得意なんです」


アニエスは少し恥ずかし気に微笑んだ。


「ジョエル君もすごいわ。一目でわたしの魔術を理解して応用するなんて」


「お褒めにあずかり光栄です。僕は、エリク先生の一番弟子ですから!」


エリクはポンポンとジョエルの頭を軽くたたく。



「何かあったの?」


その時、奥から十歳くらいの少女が出てきた。


「え? 兄ちゃんたち、どうしたの?」


「逃げろ!」


「表の様子が変だったら、一人でも逃げろっていつも言ってるだろ!」


拘束されている少年たちが、少女に向けて言った。

だが、戸惑ううちにエリクがそっと少女の肩に手を添えた。


「逃げないほうがいい。悪いようにはしないから、大人しくついておいで」


「信用すんな。大人なんて何するかわからない!」


「特に男は絶対駄目だ! 汚ねえ手で触んな!」


ミイラ少年も血相を変えて叫ぶ。

アニエスは、彼らの置かれている状況を思ってため息をついた。

少女と入れ替わりに奥の部屋に入って行ったジョエルが戻って来る。


「エリク先生、奥には普通の卵が何個かあるだけです」


「なるほどな」


「この子たちをどうなさるのですか?」


「アニエス先生、その話の前に昼飯にしましょう」


アニエスが返事をする前に、そこにいた全員が転移していた。




「カイロ、久しぶり!」


「先生、坊ちゃま、いらっしゃいませ。

おや、お客様もご一緒ですか」


「うん。僕の学校のアニエス先生……とその他おまけ。

アニエス先生、この人はこの国におけるオムライスの始祖たるカイロです。

カイロ、全員分オムライス頼める?」


カイロは笑顔で頷くと卵を受け取り、皆に向けて好き嫌いがないか訊く。

まだ戸惑うアニエスは、会釈をするのがやっとだ。


「皆さんを歓迎いたします。ごゆっくりなさってください」



やってきたのは、公爵領にある森の近く。

カイロの結婚相手であるボンキュッボン、いや、農業を営むしっかり者のセリーヌの家だ。

彼女は祖母から、農地と家屋を継いでいる。


カイロは相変わらず、森で預かっている魔力過剰の子供の世話をしている。

だが、エリクの部下も常駐しているので適宜、休みを取ることが出来た。



勝手知ったるジョエルは、庭のテーブルに置かれた果実水をコップに注いで配った。


「ありがとう、ジョエル君。君は公爵家のご令息なのに素晴らしい気遣いね」


やっと現状を納得したアニエスから言葉が出るようになった。


「ありがとうございます。僕は、師に恵まれましたから」


彼が言う師とは、エリクだけではなくカイロのことも指している。

森に籠っていた時、身の回りのことが出来るように、いろいろ教えてもらったのだ。

おかげで寮に入ってからも不自由はない。



「はい、君たちもどうぞ」


ジョエルは、全く状況が呑み込めない少年少女にもコップを配る。


「……うまい!」


「おいしい」


「お前ら、毒が入ってるかもしれないんだぞ」


「大丈夫だよ、僕達も同じものを飲んでる。

カイロは食材に精通していて何を作っても美味しいんだから、飲まないと損!」


ジョエルがあまりに自慢げなのが可笑しくて、アニエスはすっかり落ち着いた。



「君たちは兄弟なのか?」


エリクの質問に少年たちは押し黙る。

大人、特に大人の男に警戒心が強いと見て、アニエスがとりなした。


「ダルシアクさん、少し落ち着くまでは様子を見た方がいいと思います。

もし、魔術師団員として迅速に対処しなければならない、というのでなければ……」


「そうですね。うん、アニエス先生がいてくれてよかった。

私は、こういう状況の子供と対峙した経験が無い」


平民として育ったエリクだが、魔力過剰で苦労はしたものの、両親はしっかり彼を養ってくれた。

住んでいた町も治安は良く、ホームレスの子供はいなかった。


アニエスもホームレスの子と触れ合うのは初めてだ。

だが、そこは王立学園での補助教員として五年の経験が生きる。

基本的に十二歳から入園する生徒たちだが、その精神年齢は一律ではない。



「お待たせしました。

オムライスが出来上がりましたよ。どうぞ召し上がれ」


少年たちは、食べ物のいい匂いに思考を奪われたようだ。

皿が置かれるや、警戒など忘れて食べ始めた。

あっという間に空になった皿に、飲み物を警戒していた少年がハッとなる。


「……う、うまかった」


「でしょ? カイロのオムライスは世界一なんだ」


ジョエルが笑顔で応える。


「あいつはお前の料理人か?」


「いや、料理もするけど小さい時の世話係をしてくれてたんだ」


「いいとこのお坊ちゃんは違うな……」


「僕、ちょっと他の人と違ってて。

小さい時は、そこの森の中から出られなかった」


「え?」


「カイロと二人だけで、ずっと森の中。

そこのエリク先生が、森から出られるように、いろいろ教えてくれたんだ」


「病気だったのか?」


「そんなもの、かなあ?

魔力が多すぎて、周りの人に怪我させちゃって危なかったから……」


「おま……お坊ちゃんも苦労してるんだな」


「苦労、かな?」


「ジョエル、だっけ? 大人と二人ぼっちでよく頑張った!

俺、お前のことすごいと思う」


「あ、ありがとう?」



「皆さん、少しお昼寝なさっては?

一休みしたら、お菓子を出しますよ」


カイロがそう言うと、少年たちは木陰に広げられた敷物のほうに素直に移った。

ちゃっかりジョエルも参加して、四人で寝転がっている。




「ジョエルは寮生活でひと回り成長したようだ」


「ジョエル君は公爵家のご令息なのに、本当に貴族と平民の区別はしないのですね」


「彼の師匠は、私やカイロといった平民ですからね。

悪い影響も与えてしまったかもしれません」


エリクは苦笑した。


「私は単なる魔術の師匠なので、首を突っ込むのはどうかと思うのですが。

寮生活でのジョエルは、どんな感じなのでしょう?」


「そうですね、男子寮のことなので、わたしも人伝なのですが」


「はい」


アニエスがやけにもったいを付けるので、エリクは少々不安を感じた。


「あっという間に男子寮を掌握したらしいです」


「掌握……」


「とにかく彼は相手をよく見ていて、ちょっかいをかけられても、弱点を突いて返り討ちにするとか」


「返り討ち……」


「でも、陰湿さが無いので、その後は皆と仲良くしているようですよ」



それを聞いたエリクは柔らかく笑う。


「貴女のような先生がいらっしゃるなら、ジョエルの学園生活も心配ないようだ」


「僭越ながら学園を代表してお礼を。

お褒めにあずかり光栄ですわ」


カイロがさりげなく、新しいお茶を出してくれる。


「ありがとう」


「ありがとうございます」


「少し風が出て参りましたね。坊ちゃまたちに掛物を出しましょう。

先生方はひざ掛けなど?」


「私は大丈夫だ」


「わたしも。さっき頂いたストールがありますから」


変身はとっくに解かれていたが、店で買った色鮮やかなストールは手元に残った。

返さなくてもいいと言うので、大事に使わせてもらおうと考えている。


カイロは一礼して離れて行った。



「アニエス先生は学園の教師をされているのですから、貴族家のご令嬢なのですよね?」


「はい」


「元々、教師を目指していたのですか?」


アニエスは苦笑した。


「いえ、よくある話なんですけれども、卒業後に婚姻予定の婚約者がいたのですが……」


「もしや婚約破棄!?」


「いいえ、円満解消でした」


「理由を訊いても?」


「ええ、過ぎた話ですから。

彼が、とあるお方に熱烈な恋をしまして」


「浮気じゃないですか!」


「まあ、政略としての婚約ですから浮気と言っていいかどうか。

とりあえず、わたしは裏切られたと思ってはいないのです」


「なぜですか?」


「実は、彼が恋をしたお方というのが、女神様だったものですから」


「はい?」


「成人した彼が猛烈な女神教の信者となりまして、神職の道に入ってしまったのです」


「それはまた」


アニエスは笑うしかない。


「元婚約者のご両親は、ご自分たちの家の有責だと仰って。

差し支えなければご次男との婚姻を、と勧めて下さったのですがお断りしました」


「どうして?」


「元婚約者も好きな道に進んだわけですし、わたしも幼い頃に見た夢を叶えるチャンスが来たと思いまして」


「それで教職に?」


「いいえ。実は魔術師団に入りたかったのです」


「おや、そうなんですか?」


「ええ。幼い頃に魔術師団の活躍を間近に見たことがありまして、長年の憧れでした。

婚約解消後、卒業まで一年という時間がありましたから、受験に向けて猛勉強しました。

ところが、筆記も実技も先生方のお墨付きをいただくまでになったのですけれど」


「もしかして魔力量の足切りに合いましたか?」


「ええ」


これについて、エリクは少々責任を感じた。

エリクが前線を離れたせいで、採用される新人には強力な魔術を展開するための魔力量の多さが求められたのだ。


「それは……残念でした」


「でも、一年間頑張った間に学園の先生方とご縁が深まりまして、補助教員の職を紹介していただけたのです。

五年かかりましたけれど、やっと正規の教員免許も取れました」


「それは、おめでとうございます

ということは、今後も学園で指導を?」


「いえ、実は学園には今、正規教員の空きがないのです。

来年度以降、学園に残りたければ今まで通り補助教員ですから少々悩んでいます」


「そうですか」



二人が話し込んでいた頃、ジョエルは一人起き出してカイロのいる厨房へ向かった。

ホームレスの少年たちはお腹いっぱい食べられて満足したのか、温かい掛物に包まってぐっすりと眠り込んでいる。



「坊ちゃま、もうお腹が空きましたか?」


「ううん、まだ大丈夫……っていつまでも子ども扱いだね」


「申し訳ありません」


「それより相談にのって欲しいんだけど」


「何なりと」


「うすうす気づいてたんだけど、僕の女性の好みはエリク先生と被るみたいだ。

僕の大好きなアニエス先生は、絶対エリク先生のタイプだよね」


「私の見たところ、エリク先生はまだピンと来てないですね」


「そうかも。先生って奥手だから」


「ですが、坊ちゃまには今後、チャンスが山ほどありますよ。

うまく行くかは本人次第ですけれど、今回はエリク先生に譲って差し上げた方が」


「そうだね。エリク先生が片付けば、後は僕の天下だ!」


ジョエルがご機嫌なのでカイロは突っ込まず、その話題を打ち切ることにした。


「ところで、木陰でお昼寝中のお客様ですが……」


「うん、あの子たちね」


「何かあったのですか?」


「卵に魔力を流して、殻に綺麗な模様をつけてたんだ。

それを高く売りつけようとしてきた」


「それは、魔術師団の管轄ですね」


「でも多分、無罪放免だと思う」


「なぜです?」


「あの子たち、魔力を流した卵は美味しくなると思ってたみたい」


「ああ、なるほど」


「きっと盗んだ卵を売るために、自分たちで食べてる余裕も無かったんだ」


「盗人は感心しませんが、彼らなりに生きようと必死だったんでしょうね」


「そう。前にエリク先生と実験したけど、魔力を流した卵は……不味い」


「そうでしたね……」


カイロの腕をもってしても、あの時の卵は食べられる味にはならなかった。


「あの女の子には魔力があるけれど、暴発するほど多くない。

ちゃんと使い方を教われば問題ないんじゃないかな。

ねえ、エリク先生と父上に相談して、あの子たちを引き取れるようなら、カイロが面倒見てくれる?」


「はい。本人たちに働く気があるなら、仕事はいくらでもありますよ」


「ありがとう。

同じフライパンのオムライスを食べた仲だから、もう僕の友達だしね」


皆になるべく同時に料理を出すため、実際は複数のフライパンを駆使していたカイロ。だが、その事実は彼の胸の中に秘められた。




二週間ほど後のこと。

いまだ進退に悩むアニエスの元に、一通の手紙が届いた。


公爵領で預かる魔力過剰の子供たちのために新しく学校が作られることになった、という報せだ。

ついては指導教員を募集するので、興味があれば魔術師団までお問合せください、と。


担当者はエリク・ダルシアクではなかったが、魔力過剰の子供を預かる施設は魔術師団所属だ。

あの時、彼と話したことで連絡をもらえたのだろう。


「もし採用されれば、またカイロさんの美味しいオムライスが食べられるかしら?」


気付けば、無意識に同じテーブルで向かい合うエリクの姿を思い描いている。


そんな自分にアニエスは、とても驚いた。



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