6.中立国は傍観せり
【あらすじ:有子達が訪れた異世界の水族館のような建物で、急に展示された魔物が暴れ出した。戦闘になるが歯が立たない有子達の前に、突如白い獣耳と尾を持つハーフ獣人の少女が現れる。魔物を無力化させた少女は有子と駿に向かって『セブレラ城へ来てもらう』と言って有子達を拘束し……。】
約12000文字。文字数の割にって感じです。
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トン、と。靴を鳴らして少女が地面に降り立った。黒と青に彩られたドレスの裾がふわりと広がり、それは再び重力に従って音もなく垂れ下がる。
ガラスの嵌め込まれていない大きな窓から、青白い光が差して少女の周りだけを照らしていた。少女は光を背に、洋傘をさして歩き出す。コツコツと、靴底が地面に当たる音が場に満ちていた静寂を破り、空間に反響した。
「抜け駆けか? いいご身分じゃねぇの」
ほんの少し、怒気を孕んだ声が、光の届かない陰の中からドレスの少女に向けられる。声を受けた、薄紫の髪をした彼女は、手に持った黒い洋傘をくるりと回した。
「ちょっと見に行って来ただけですの」
「でもちょっかいかけてたじゃねぇか」
怒気を孕んだ声の主が、睨むように目を細めて少女を見た。
「〈最初〉はテメェじゃねぇだろ?」
「お前でもないですの。比較的後ろの方の奴が文句言うな、図に乗るな、ですの」
「はぁ? 後ろっつったって一席はもうとっくに欠けてやがるし、もう一席もどっか行ったまま戻って来ねぇならそいつらの番は飛ばしだろうがよ」
「煩いわよ」
別の声が、涼やかに場に響いた。二つの視線が、同時に動く。
「随分余裕な態度じゃねぇか」
「貴女達こそ、何をそんなに焦ってるわけ?」
「焦ってなんかないですの。見当違いも甚だしいですの」
三つの声が飛び交い、空気がヒリついていく。射殺すような視線、不愉快そうな視線、冷ややかな視線。三つの視線が、それぞれ交差した。
「……まあいいわ。貴女達に構っている程、私は退屈しのぎに飢えているわけではないの」
冷えた声が、ため息に変わる。陰の中から、一つが動く気配がした。
「失礼させてもらうわ」
気配が、闇に溶けて消える。陰に残る一つは舌打ちを漏らし、光の中にいる少女は目を伏せ、くるりと洋傘を回した。
再び、場は静寂に包まれる。光源が陰ったのか、差していた光も窓が閉ざされるように細くなって、やがては消えた。
そして静かに気配の溶け落ちた陰の中は、何かがいるのかも判別出来なくなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なるべく手荒な真似はしたくない。だが、抵抗の意思を見せれば即座に無力化させてもらう。心得ておけ」
凛とした声を放つ獣耳の白い少女は、巨大魚の魔物の処理を終えた後、鎧の軍団から数人を呼び出して私と推しを拘束させた。
今私達は、手錠と首輪を付けられているかのように、一まとめにされた両手首と、首とを淡く光る魔法陣が貫通している。微かに痺れるような感覚が常に走っていて、力を込めるのも一苦労だった。正直抵抗する気なんて全く無いから、大人しく先を歩く少女について行ってはいるけれど。
物々しい雰囲気の集団に、街ゆく人は何事かと私達の方を見る。私と推しは前後に並んで、その両脇を鎧の人間に固められていた。まるで、罪人の扱いだ。
私は前にいて、推しの顔を見る事は出来ないが、多分彼は今とても不安を感じているはずだ。私自身、不安じゃないと言えば嘘になる。そもそも、城に連れて行かれるのは良いのだけれど、何故拘束されているのか。まさかさっきのが私達のせいにされている、とか。有り得ない話じゃないというか、ほぼ確実にそうなんじゃないだろうか。
問ただそうにも、私達を拘束させた少女は有無を言わさない雰囲気でスタスタと足を動かしている。ついて行くことしか出来ない私は、前を歩く少女をじぃ、と観察した。
少女は白を基調とした、軍服のような印象の服を纏っている。下は同じく白の、膝丈までのスカートとニーハイソックス、黒のロングブーツ。
そして何よりも、尻尾と耳。ツヤがありつつもふわふわと柔らかそうな毛に覆われたその部位は、どこもかしこも純白だ。少女が足を踏み出す度に、耳がぴこっと震え、尾がゆったりと揺れる。
そのめっちゃ手触りの良さそうな毛並みを見ていると、何かとても……いや、ちょっと不本意ではあるんだけど、癒される。凄いもふもふさらさらしてそう。やっぱり本物の耳尻尾なのかな。原作にも出てきた、〈獣人〉っていう種族なんだろうな、これ。
というか今更だけど、この子確か、原作にもちゃんと名前有りで出てきてたような。白狼のハーフ獣人で、原作ではもうちょっと丁寧な喋り方をしていたと思うけれど……後、記憶にある限り彼女はモル・ラ・トリオの住人では無かったはずなんだけど。なんでここにいて、鎧の人達を指揮してるんだろう。
原作では、礼儀正しくて、正義感の強いキャラクターだったはずだ。えっと、名前は、確か……。
そこまで考えたところで、目の前の少女が唐突にこちらを振り向いた。
「なんだ、ジロジロと不躾な」
「あ、えっ。す、すまん」
「……ふん。獣人種は視線などの気配に、人間種よりも敏感だ。知らなかったのなら、心に留めておくんだな。気性の荒い者に食い殺されたくはないだろう」
キッとこちらを睨みつける視線に、良い感情はほんの少しも宿っていない。そういえば、この世界って獣人は普通の人間とあんまり仲良くないんだっけ……?
「もうすぐ王城だ。そこで貴様らはこの国、モル・ラ・トリオ王国の現状の最高指導者と謁見する。下手な真似をしようとしてでもみれば……分かるな?」
少女は腰に提げている剣の柄を微かに握ると、私と推しを視線で射抜いた。
「その前に、教えてくれないか? なんでオレ達は拘束までされて城に連れて行かれてるんだ」
意を決して聞いてみる。もし水性物館でのさっきの出来事が私達のせいにされているなら、どうやってその誤解を解けばいいのか。
少女は一度じろりと私を睨んだ後、言葉を発する。
「最高指導者が、貴様らを連行して来いと言った。ただそれだけだ」
「さっきの事は関係あるのか?」
「ん、ああ……それは関係ない。セブレラの自警騎士団は、国立王都水性物館での騒ぎに関しては貴様らを容疑者から外して調査する予定だ。貴様らを連行しているのは、さっき言った理由だけだな。
……命令に関しては、私も詳細を知っている訳ではない。これ以上の質問に答えることは出来ない」
そう言って、少女は私から目線を外す。ずっと睨まれていたから、視線が外れてようやく肩の力が抜けた感じがした。
ひとまず、さっきの出来事が私達のせいにされているわけではないことに、私は安心した。しかし同時に、別の不安も湧き出てくる。
モル・ラ・トリオの王が、私達を連れて来る事を騎士団に命じた……?
それが穏便に済むような事柄なら、わざわざ抵抗を封じさせてまでする事ではないはずだ。まさかニル・アルタで推しが捕らえられた時のように、この国も救世主を〈世界を滅ぼす存在〉として見ているのか。けれど、だとしたら街の門の検閲には引っかかっていてもいいはず。
分からない。でも、なんとなくだけど絶対に〈良い用事〉なんかじゃない。私は無意識に少しだけ、顔を歪めてしまう。
城門が、間近に見えてきた。そこを守っているらしい門番の兵士が、私達の姿を認めると重そうな門に手をかけた。パチン、とその手で小さな閃光が爆ぜ、門は内側にゆっくりと開いていく。
「決して、無礼のないように」
一度強く、少女が忠告を刺す。そして私達は、城へと足を踏み入れた。
どことなく硬く重い雰囲気の漂う城内、広い中央通路を抜け、真っ直ぐに王の座する間へと向かう。左右に立つ兵士の列は、固く口を引き結んでただ私達を見るのみだった。そして玉座の間への、扉が開かれる。
奥に、女性が座っていた。
(……あれ?)
またしても、私の知っている原作と違う。モル・ラ・トリオの王は、挿絵にこそなっていなかったものの、描写上は男性の、それも老人だったはずだ。
しかし玉座に座っているのは、どう見ても若い女性。薄い赤茶色をした髪を高い位置で一つ括りにした、険しい顔つきの美人だった。清楚さを感じさせる、装飾の過剰でない薄い水色のドレスに、半透明のストールのような布を羽織っている。
私と推しは、少女の先導でその前に並んで立たされた。玉座の前には段差があり、玉座に座る女性は座りながらにして、立っている私達を見下ろしている。
その口が、おもむろに開かれた。
「異世界よりの救世主、オカモトシュン。そしてその仲間よ」
有無を言わせぬような、強い声だった。思わず、身を固くしてしまう。
「まずはご足労、感謝いたします。突然このような行為に及んでしまい、申し訳ないという謝罪から入らせていただきましょう」
謝罪をしている割には、その声に柔らかさは微塵も見受けられない。彼女はただ固い表情のままじっと私と推しの方を見て、そして続けた。
「その上で、この場においてはっきりと宣告させていただきます。我らがモル・ラ・トリオ王国は、現状において〈中立国〉です。貴方がたに協力する事はありません」
〈中立国〉。思い当たる節の無いその単語は、一体何の事を指していると言うのか。〈中立〉があるなら、〈敵対〉や〈友好〉もあるというのか。まさか、救世主に対して。
原作にはそんな描写、無かったっていうのに。
女性は重く、固く、口を開き、そして続く言葉を声に出す。
「……ですから、
この国から一刻も早く出て行って貰いたいのです」
「なっ……」
その口から告げられたのは、〈追放〉だった。実質的に、私達はモル・ラ・トリオへの立ち入りさえ、禁じられたのだ。
「待ってください!」
私は思わず、声を上げてしまっていた。隣で推しが、私の方を向く。背後で微かに、敵意と緊張が漂った。
この国での動きを封じられれば、この先に待つはずの〈大討伐〉はどうなるのか。てっきりそれを収めるのが救世主の役割だと思っていたのに、そこに救世主が関わらないなら、私達はどこで何をすればいいのか。
「もうすぐ魔物が大量に湧き出す出来事……〈大討伐〉呼ばれるものが、この国の都市を起点に訪れるはずです。俺達はそれを凌ぐために……」
「口利きを許した覚えはありません」
ピシャリと、女性は言い放つ。こちらの意見など、最初から聞く気がないとでも言うかのように。
そのあまりの圧に押し黙ってしまった私を睥睨し、女性は告げた。
「大討伐など、恐るるに足るものではありません。そんな事よりも、私は貴方がたの存在を、このモル・ラ・トリオ内に許すことが出来ません」
決して、揺るがない。視線がそう物語っていた。背筋が、冷える。
女性は、話は終わりだと言うように、私達から顔を背けた。私達の少し後ろに控える、白狼の少女に向かって、彼女は話しかける。
「帝国より遣わされた白狼の騎士よ。何度も手を煩わせてすみませんが、そちらの方々の護送をお願い出来ますか」
「構いません。承知致しました、モル・ラ・トリオ〈代理王〉殿。こちらの方々は、私が責任を持って〈向こう岸〉まで送り届けましょう」
少女が何かしらの合図をしたらしく、私と推しをここまで連れて来た後は左右に控えていた鎧姿の人達が再び動き出し、私達に歩く事を促した。私はそれ以上何も言えず、かといって拘束のせいで抵抗するといった事も出来ないから、促されるままに動き出す。
横目で最後に見た女性……〈代理王〉と呼ばれた彼女の表情は、私達がここに来た時から全く変わってはおらず、ずっと冷たいままだった。
「こちらへ」
白狼の少女が、今まで見た馬車よりも頑丈そうに見える馬車の中へ、私達を招いた。その表情は、先ほどまでよりも幾分か柔らかく見える。
「なんか、対応が優しめになってないか?」
「命令が連行から、護送になりましたから。正直な話、これ以上威圧的な態度を取る必要はありません。私の今の役目は、貴方達を守り、無事国外まで送り届ける事です。国境の外まで出れば、その拘束も外していいでしょう。……まあ抵抗するのであれば、その限りではなくなりますが」
私の見ていた原作と同じ丁寧な口調で、少女は私達に言う。
「救世主、と言う肩書きが何を意味しているかは、代理王伝いでその言葉を初めて聞いた私には分かりませんが……何やら大層な肩書きですね。そしてその割に、何故貴方達がモル・ラ・トリオ王国からそんなに邪険に扱われているかも、私には知る由もありません」
城に連行している途中の、敵意の篭った鋭い視線とは打って変わって、真摯な熱を宿した瞳が私と推しを見た。
「ですがもし、この先も行き場が無いのなら、私の住まう地である〈帝国〉へ来るといいでしょう。私の上官……将軍は、立場弱き者には手を差し伸べてくださりますから」
柔らかく、少女は微笑んだ。白く艶やかな毛を蓄えた耳が、ぴこっと震える。
「今更ですが、私の名前はフェスタシア・メロウと申します。内海を越えた向こう岸、帝国における最高位の将軍の私兵、誇り高き〈白狼騎士団〉の、団長を務めています」
……ああ、そうだ。フェスタシアか。そうそう、そんな名前だったなこの子。イマイチ何というか、推し以外の印象が脳内で薄いというか、本当に推しだけに狂いすぎてたんだな、私……。
「俺は岡元駿って言います」
「あ、姫路川タロウだ。えっと、よろしくでいいのか?」
「ええ、そちらのシュンという方の名前は先ほどの代理王の発言で耳にしましたが、赤髪の貴方はタロウと言うのですね。どこまで共に行動するかは分かりませんが、よろしくお願いします」
胸に手を当てて、フェスタシアはお辞儀をする。耳や尾と同じく、真っ白な髪がさらりと垂れた。
ガタゴトと馬車が揺れる。セブレラを出ると、思い出したかのように雨の音が聞こえた。そういえば魔術防壁の外では普通に雨が降っていたんだった。
じめっとした空気が、馬車の中にも流れ込んでくる。私達からは少し離れたところに座っているフェスタシアは、湿気で落ち着かないのか耳や尾をしばしば撫でていた。もふもふを自由に触れるなんて、ちょっと羨ましい気もしなくもない……。
「なあ姫路川。〈大討伐〉って何なんだ?」
推しが、声を潜めて話しかけてくる。馬車の中でひそひそ話するの、デジャブだなぁ……。
「あー……落ち着いたら話すぜ」
気になっているだろう推しには悪いけれど、今は悠長に説明をしていられるような時間ではない気がする。モル・ラ・トリオを出たら拘束も外してくれるらしいし、落ち着ける暇が出来たらそこでゆっくり話そう。
隠し事ばっかりでごめんね、駿君。でも知ってる事を片っ端から全部喋っていったら、絶対困惑どころじゃないだろうし。
……それに、私の持ってる原作知識とは、合致しない部分が何気に多いのも気になる部分だし。
(これは、私がこの世界に来たせいなんだろうか)
キャラクターは、確かに同じなのだけれど。序盤の展開も、そこまでズレは無かったし。ただ、ちょっと心配にはなってくる。この調子で、推しを助け続ける事が私に出来るだろうか。頼むから、これ以上予想外の事が起こらないで欲しい。神武器だけで推しを守り切れる気がしないよ……?
はぁ、とため息を吐けば、大丈夫か? と推しが聞いてくれる。まだ私に向けられる推しの声で全然頑張る気になれるから、良いんだけど。
しばらくして、目的地に着いたらしく馬車が止まった。フェスタシアがレインコートを着ながら、私達に雨具の有無を聞いてくる。一応持っているので、彼女から貰うのは断っておいた。そのタイミングで、一まとめで拘束されていた両手も、別々に動かすことが出来るようにしてくれた。と言っても、魔法陣が各手首に一つずつに増えただけで、痺れている事には変わりないけれど。
馬車から出ても、相変わらず景色は雨一色。王都のように雨を防ぐ大規模な魔術防壁も無く、港町らしいここは灰色の海も相まってどんよりとした雰囲気を醸し出していた。
「船がここに来るまでに、しばらく時間があります。何かしたい事でもあるのなら、私の監視の元という条件はありますが許しますよ」
「したい事、って言ってもな……」
この町で出来そうな事って、正直思い浮かばないんだよね。しなきゃいけない事も特に無いし、なんなら追放されてる途中だし、今後の事を考えるとかそのくらいだとは思うけれど。
そう思って悩んでいると、推しがちょいちょいと私のレインコートの裾を引っ張った。
「どうした? またどっか行きたいとこあるのか?」
「酒場、とかさ」
「え? 酒場? 酒飲むのか? この状況でか?」
ビビる私に、推しはちょっとだけ慌てたような感じで違う違うと手を振った。
「ほら、時間が余った時って情報収集がセオリーだろ? 情報収集って言えば、酒場みたいなところ無いか?」
「え? うーん? そう、か……?」
そうかな……?
イマイチピンと来てない私に、推しは何故か得意気な顔をしている。何故。
「ま、まだお昼と言える時間なのですが……。監視役としては不本意ですが、行くのなら私は外で待っています。……くれぐれも、逃げようとなどはしないように」
フェスタシアは呆れたような顔をしながらも、行動を許してくれた。優しいな、この子。本当に逃げられたらどうするんだろう。逃げないけど。
「じゃ、決まりだな!」
推しは推しでなんでそんなにテンションが変なんだろう。雰囲気が暗いから、ちょっとでも明るくしようとしてくれてるのかな。だとしたら凄く良い子だとは思うんだけど。
半ば推しに引っ張られる形で、私達は酒場に入る。フェスタシアは、外の扉付近に身を寄せていた。
酒場の内装は暗めの色の木材で統一されていて、丸い机とそれを囲む椅子が何セットか、あと奥にカウンター席がある。酒樽が壁際に並んでいて、カウンターの奥には瓶に入った酒らしき物がたくさん並んでいた。
そして中は、だいぶうるさかった。こんな昼間から飲めや歌えや、これがもうちょっとヒートアップしたら乱痴気騒ぎになるんだろうなって感じで、飲んだくれみたいなのがいっぱいいる。
「わぁ……」
こんな状態で、何を聞こうって言うんだ。まともに会話できる人、いるんだろうか。カウンター奥のマスターっぽい人とかだったらまだ話できるかな。
「なあ、駿。こんなんで情報収集とか出来ると思うか? ていうか、何が聞きたいんだ」
「あはは、俺もちょっと不安になったかも。……この国で、救世主がどういう扱いなのかは俺はちょっと気になるな」
自分から聞いていくのか、そういう事。度胸あるな……。
「うーん、じゃあとりあえず、情報通ってイメージあるマスターにでも話聞いてみるか……?」
私は、喧騒を抜けて推しとカウンター席側に歩き出す。その時、向こうから歩いてきたであろう青年と、ぶつかってしまった。
「おっと」
「あっ、すまん」
結構強くぶつかってしまったようで、青年はぐらりとよろめいた。一瞬転ぶかと思ってヒヤヒヤしたが、青年は体勢を立て直して私達の方を向いた。
はねっ気のある短い茶髪の、私と推しよりも背が低く若干細身の若い青年だった。彼は私の事をじろりと眺めると、何やら不敵な笑みを浮かべる。
「ほーう……そこのお二人さん方よぉ」
その顔を見て、私の記憶が思い起こされる。
このキャラ、見たことあるぞ。原作だと確か名前があるだけのモブだったような……? 確か、ここみたいに酒場のシーンで、周りからガヤを一身に受けていたような。
一回か二回しか出ていなかったけれど、何故か覚えている。名前は……。
「俺と、賭け勝負しねぇか?」
ロクデナシギャンブラーの〈ロッキンズ・バーバー〉。だった気がする。
「まーたロッキンズが〈当たり屋〉してやがるってぇ?」
「フゥーッ! 流石ギャンブルクソ野郎! 良くやるぜマジで!」
私は確かに、断ったはずだった。しかしこの青年、めちゃくちゃにしつこくて、それを見ていた酒場の中は何か彼らにとっては馴染みのあるらしい熱狂が篭り始めていた。
「おい、言っただろ。オレは勝負する気なんか無いって」
「まぁまぁ、そんな事言いなさんなって……これ見てもそんな事言えるか?」
そう言って笑う彼の手には、棒の形に戻してある神武器、が。
「っはぁ!? いつの間に……!?」
「おっ、またロッキンズが見ず知らずの旅人の持ちモンちょろまかしてやがるぞ!」
「手癖悪ぃなぁロッキンズよぉ!」
隣にいる推しもビックリしている。人から見えない位置にしまってあったはずなのに、本当にいつの間に。いや多分ぶつかったときなんだろうけれど、どういう手段で取ったんだ……。
「アンタが勝ちゃ、コレは返してやるよ」
ニタリ、と笑うロッキンズに、私は奥歯を噛み締めた。自分で奪っといてそれを言うのは本当にタチ悪いな……。
「くっそ……勝負方法は何だ?」
「よぉしっ! そう来なくっちゃなぁ!」
「ギッタギタにしてやれぇ!」
私が勝負を受ける流れになった事で、治安の悪い掛け声が場を満たす。ロッキンズが手を一度振れば、まるで手品のように持っていたはずの神武器が手のひらサイズのカードの束にすり変わった。
「このカードで勝負する。一回乗ったんだ。モチロン降りるのはナシだぜ?」
ロッキンズの提示したカードは、絵柄こそ私の知っている物とは違うけれどトランプと同じような物だった。一対一のゲームを、彼は持ち掛けてくる。
そのあまりにも自信満々な雰囲気に、私のこめかみを冷や汗が伝った。まさか強いのか? こいつ。
そして私はこのロッキンズという青年とカード勝負をすることになったのだが。
……勝負を初めて数分後、私は『こいつ、マジか』と心の底から思う羽目になっていた。
めちゃくちゃ堂々と勝負を進めてきたと思った瞬間、めちゃくちゃ堂々と負けの手を宣告してきたのだ。しかも、超ドヤ顔で。一瞬何かの策かと思って考えを巡らせたものの、どう考えても負け手でしかなかったから私がしょうがなく最後の一手を出せば、案の定彼は普通に負けた。ものの見事なストレート負けだった。
「やっぱ弱ぇなぁロッキンズゥ!」
「賭け金の負けツケさっさと払いやがれ!」
ガヤが飛ぶ。うるせーっ! と周りを蹴散らしに行った青年の背中を見て、私は『何だったんだ』と呆れてしまった。
一通り酒場内を回った後、ロッキンズはこっちに戻って来て神武器を私の方に投げ渡した。
「うわっと」
「すまねぇな。返すぜコレ……ところでよぉ」
彼は私の方に顔を寄せて、声を潜めて言って来た。
「アンタらさ、〈救世主〉ってヤツなんだろ?」
喋りかけてくるヒソヒソ声は、どことなく楽しそうだ。
「……だとしたら? オレらをとっ捕まえて、隣国にでも引き渡すのか?」
「いやいやいや! しねぇよそんな面白く無さそうな事」
ケタケタと、彼は笑った。ドン、と机に両手を当てて、彼は私達に向かって言う。
「救世の旅ってさ、世界、巡るんだろ?連れてってくれよ、俺の事」
「おい聞こえてんぞ! こっからトンズラこく気か? ロッキンズ!」
「ツケから逃げんなロッキンズ!」
「うるせー! 俺はもうコイツらに着いてくって決めたんだよ! ツケはまた今度払うわ! じゃあな! あばよ酒場のロクデナシ共ォッ!」
「おい! 何勝手に着いて来る事確定させてんだ!」
賑やかだった酒場の中が、私の声も合わさって更に賑やかになる。ごちゃごちゃとした状況の中で、私と推しはいつの間にか仲間らしき者一人を引き連れて酒場を出る羽目になってしまっていた。
「……何か増えていませんか?」
入り口で待っていたフェスタシアが、訝しげな声で私達を迎える。彼女の疑問ももっともだし、私もどう説明した物か分からなかった。というか、喧騒に揉まれてぐったりしていた。
「ん? おー、可愛らしい女の子じゃん。俺についてはお気になさらずー」
「かわ……!? え、えらく軟派な……コホン。まあ、仲間が増える事に関しては別にお咎めがある訳でも無いでしょうし……」
パタン、とフェスタシアの尾が一度だけ大きく左右に揺れたのが、レインコート越しに分かった。彼女はロッキンズからふい、と顔を背け、推しの方を向く。
「そろそろ、船の到着時刻です」
「イィィヤッフォォォオオウッ!!!」
大海原がそんなに楽しいのか、ロッキンズが荒ぶった声を上げて両手を上に突き上げている。
……テンション高いなぁ。ちょっと微笑ましくなってきちゃう。甲板めっちゃ雨に打たれてるんだけど。ずぶ濡れなんだけど風邪とか引かないんだろうか。まあ楽しそうだからいいか。
「何なんですか、あの方……」
フェスタシアは、ずっとロッキンズの事を半目で見ている。彼女からしたら、彼の存在は本当に意味が分からないだろう。よく許してくれたな……。
「勝手に着いて来たんだよな……」
「パーティーメンバー、という奴でしょうか。……大変そうですね、救世主というのも」
憐れみの視線を向けられてしまった。推しがその横であはは、と笑っている。
私は、魔法陣を外された腕に痺れが残っていない事を確認しながら、頬を掻いた。この先本当に、ずっと着いて来るつもりなんだろうか、彼は。
雨の中でめっちゃ楽し気にしているロッキンズを見ながら、私はこの船でどうやって時間を潰そうかと考えた。出発前にこの船の操縦士が言っていた事曰く、
「ま、所々危ねぇ場所もあって、迂回して安全な航路を通ってくから、向こう岸につくまでは数時間ってとこだな」
との事なので、しばらくはゆったりとした船旅に身を任せる事になるんだろう。幸い船にあまり揺れは無く、船酔いをする心配は今のところ無さそうだった。私は、壁際に備え付けてある椅子に腰かけて息を吐いた。隣に推しが、その横にフェスタシアが座る。
その後は特に会話がある訳でも無く、三人で横並びに座って船に揺られていた。後ろに外の様子が見れる窓があって、私は身を捩ってそこから外の風景を眺めた。灰色の空に、灰色の海。波は静かで、ざぁざぁと雨粒が窓にぶつかっては下に流れ落ちていく。
ぼうっと眺めていると、唐突に私の体の表面を変な感覚が流れた。私は思わず、びくりと体を震わせてしまう。
「どうした?姫路川」
「何かありましたか?」
私の様子を見た推しとフェスタシアが、聞いてくる。
「いや、今何か……んん?」
違和感というか、なんとも言えない感覚が、一瞬だけ。まるでピッチリと端を合わせたはずのテープの繋ぎ目を、指でなぞった時のような。神経を集中させてやっと感じ取れるほどの、ほんの微かな引っかかりのような感覚が、肌の表面を撫でていった気がする。
さっき通った少し後ろの海を見ても、そこには何も無い。少し前までいた向こう側の岸がもう見えなくなって、大海原が広がるばかりだった。
(気のせい……?)
推しもフェスタシアも、何があったのかと不思議そうな顔をしている。二人には何も感じなかったらしい。じゃあ多分、気のせいだったんだろう。
「すまん、気のせいだったみたい……」
そこまで言ったところで、船が大きく揺れた。
「なんだありゃあ!」
壁越しに、操縦室の操縦士の声が微かに聞こえた。私達は驚いて、甲板の方を見る。外が見えるガラスの向こう側で、光が奔った。
「何だ!?」
推しが声を上げる。フェスタシアは甲板に出る扉の方へ走り出していた。私も後に続く。扉から外に出た瞬間、横殴りの雨が私の体に降り注いだ。
ずぶ濡れの甲板、最初からそこにいたロッキンズが、柄の長い大きな槍斧……ハルバードを二つ両手に持って、〈何か〉と対峙していた。
「なっ、ここは安全海域だったはずでは……!?」
フェスタシアが驚いたような声を上げて、それを見る。
それは、吸盤のついた触手だった。イカだかタコだかの判別は出来ないが、そういう類の軟体動物のものだ。尋常でない大きさのそれが、何本も海から生えている。
「ロッキンズ! 大丈夫か!?」
「全っ然大丈夫じゃねぇ! とにかく、船にダメージいかねぇようにしねぇと!」
振り下ろされる触手を、ロッキンズはハルバードを振り上げて弾く。カバーしきれない方向に向かって、フェスタシアが魔法を唱えた。
「どこから出てきたのかは分かりませんが、好き勝手はさせません……〈サンダーボルト〉!」
触手に向けられた剣先から魔法陣が広がり、一直線に雷が飛んでいく。フェスタシアが剣を横に薙ぎ払うと、魔法陣は更に増えて三本の触手を同時に雷で沈めた。だが、沈んだ端からまた新しい触手が出てくる。そのうちの一本が、フェスタシアに向かって振り下ろされた。
「っ!」
魔法に集中して反応が遅れかけた彼女を守るべく、私は神武器を剣に変えて振るった。触手は切断されたが、ざぁ、と黒い粒子のようなものがそれを覆ったかと思うと、すぐに再生してしまう。
「なんつーしぶとさだっ!」
スキルで触手を断ち切り続けるロッキンズが、焦りを声に滲ませた。
「姫路川! フェスタシア!」
少し遅れて、推しも私達の元へと駆け付けてくる。
瞬間、今まで船を攻撃しようとしていた触手が、明確に意思を持って推しの方へと伸ばされた。
「えっ」
「駿!」
今までの動きは手加減だったとでも言うように、触手は即座に推しを拘束し、海へと引きずり込もうとする。
「シュン!」
「くそっ!」
魔法の詠唱を中断し、フェスタシアが触手に向かって剣を振るう。私も推しを捕らえる触手をどうにかしようとしたが、何故だか一斉に推しを拘束しにかかっている触手の軍勢に阻まれる。船が、かなり大きく揺れた。
あまりの揺れに、フェスタシアが手すりを掴む。私は近くに掴めるものが無く、ふわりと宙に体が浮いた。
「姫路川っ!」
推しが触手に掴まれながらも、こちらに手を伸ばす。手を伸ばせば指先が触れるほどの距離に、私達は空中で接近した。私は咄嗟に、剣を振るって推しを掴んでいた触手を切断することに一応成功した。だが、伸ばす手は届かない。私達の体が海に向かって投げ出されていく。
「チッ!」
ロッキンズが走り、手すりから身を乗り出す。彼は手すりを掴んだまま、どうにかこちらに手を伸ばそうとした。しかし。
下から振り上げられた触手が、彼の体を弾き上げた。
「グアッ!」
「ロッキンズ!」
彼はそのまま、私達と共に海に落ちる。それを視認した直後、水面に、全身が叩き付けられた。
落ちた私達を船の上から覗き込むフェスタシアの、悲痛な表情を見たのを最後に、私の意識は遠のいていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冷たく濡れた感触が、頬に触れている。上からは雨が降っていた。雨粒以外に、どうやら倒れている私の体に一定のリズムで水が被さっているのが感じられる。
……しょっぱい。あと口の中がざりざりする。これは……砂浜?
私は確か、海に落ちて。……溺死せずに、ちゃんとどこかに漂着できたのか。そんな都合良い事、あるんだ……。
「ねぇ、アンタ大丈夫……?」
不意に、頭の上から声が聞こえた。重たい頭を動かして、私は声の方を見る。ぼやけた目に、人らしきシルエットが映りこんだ。
傘をさして、ポンチョ型のレインコートを着た見知らぬ少女が、私の事を覗き込んでいた。
段々とはっきりし始めた視界の中、その少女の頭で、茶色の長い兎耳がふるりと揺れた。
六話を読んでいただきありがとうございました。ただでさえ更新が遅れていましたが、次回更新は更に二週間程度空く予定です。
適当に書きすぎてシュンの喋るタイミング本当に無いな……。
カードゲームの勝負描写、ちゃんとしようと思ったんですが知識が乏しすぎて良い感じのカードゲームが思い浮かばず頓挫しました。あと後半めっちゃ駆け足な気がする。




