5.王都セブレラ内にて
【あらすじ:ミスティックサーカスの人攫いを阻止した有子達は、再び徒歩で王都へと向かう事になった。雨期の始まった大陸の中で有子は駿と共にモル・ラ・トリオ王都〈セブレラ〉に辿り着く。そこで休息がてら気分転換をする有子達だったが……。】
約9000文字。あまりに書き上げがギリギリすぎて当初予定してた展開に出来ませんでした。これのせいで多分今後困ります。
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【 振るった剣が、宙に飛び上がった魔物を真っ二つにした。残骸は落下するよりも早く、ざらりと黒い砂のようになって消えていく。
この世界に来てから幾度となく見た光景だった。死体の残らない生き物……本当に生き物なのかどうかも微妙に怪しいが、それらはゲームや漫画の世界でよく聞き馴染むように、この世界でも〈魔物〉と呼ばれているらしかった。
地面に残った、鱗のような物を拾う。これも、ゲームのように〈ドロップアイテム〉と呼ばれているらしい。本当に夢のような、誰もが思い浮かべるファンタジーのゲーム的な世界だ。
「シュン様、怪我はありませんか?」
アルメリアが駆け寄って、俺に尋ねた。
「大丈夫だよ」
俺が振り返りながら答えると、アルメリアはスッと俺の頬に手を添える。パッチリとした目が、俺の瞳を覗き込んだ。
「あ、アルメリア?」
「頬に、かすり傷がついていますよ」
ほんの少しすぅっとする感覚が、触れられた頬に起こった。回復魔法特有の、どこか現代の清涼剤にも似たその感覚は、全く嫌な気分にはならずむしろとても心地が良い。
「これで、大丈夫ですね」
アルメリアは、俺に向かってニコリと笑った。可愛らしい表情に、思わずドキリと胸が高鳴る。
「心配しすぎじゃねぇのか?」
フリストが呆れた声でアルメリアに言った。
「少しの傷でも、放っておけば大事になる事だってあります。それを癒すのが、聖杖に選ばれた回復術士である私の役目ですから」
そう言って穏やかな笑みを浮かべたアルメリアは、白くゆったりとした衣服も相まってまるで聖母のようだ。
「そう言うアルメリアに怪我はないのか?」
メーティラルがアルメリアに寄り添った。アルメリアは自分より少し背が高いメーティラルを見上げ、そして同じように微笑む。
「心配は要りません。メーティラルが守ってくれていますから」
「皆を守るのが、私の役目だ。次はかすり傷さえ付けさせないように努力しよう」
メーティラルの盾には俺もかなり助けられている。かすり傷で済んでいるのは、間違いなく彼女のおかげだろう。
「今戻った。かなり狙撃したから、僕の感知出来る範囲では周りにもう魔物はいないよ。この辺りで、少し休憩を挟んでも良いんじゃないかな」
木の上からベイルが地上に降り立って、俺達に報告した。索敵と狙撃で場の安全を確保してくれていたのだ。魔物が気づく前に的確に仕留められる彼の能力は、かなり高いと言える。実際、戦闘でも乱戦中に敵だけを射抜き続ける手腕を、当たり前のように披露していた。
「じゃ、休憩にするか。シュンを休ませてやらないといけねぇしな」
フリストの号令で、各自が思い思いに休憩を撮り始める。俺は他愛もない話を、仲間達としたりした。
(……ん?)
ふと誰かが、俺を読んだ気がした。
チリン、と頭の中で鈴が鳴ったような、声なのかすらも不明なほど小さな呼び声。その呼び声のような何かに誘われるように、俺は一人、ふらりと道を外れて森の中に入っていく。
――――そう、こっち。
そう聞こえた。聞こえた気がした。確証は持てない。鼓膜を震わせることなく、透明なものがするりと耳の中をすり抜けていくような、掴みどころの全くない音のような何か。
ただ、確かに〈それ〉は、そう〈言った〉。
(どこだ……? こっち、なのか……?)
――――そう、そのまま。こっち。
疑念を抱けば、応えるようにそれは聞こえる。
そうして歩いていると、突然開けた空間に出た。
風が吹く。俺を導いた声のようなものは、本当に幻聴だったのでは無いかと思う程に、木々がザァと揺れる音がハッキリと耳に届いた。
(誰か俺をここに呼んだのか?)
辺りを見回しても、それらしい影は見当たらない。だが。
再び、チリンと鈴のような〈予兆〉が鳴った気がして。次の〈声〉に意識を向けようとした途端。
背後でガサリと、それを掻き消す音が鳴った。
まるで意識が急に現実に戻されたかのような感覚に陥った。夢から覚めたみたいな、悪い夢を見て飛び起きた直後のような、そんな感じだった。
慌てて振り返る。魔物か、もしかすればさっきの声のような何かを発していた張本人かもしれない。
……こうして俺は、俺の運命を変える〈不審者〉に出会う事になったのだ。 】
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ぽつぽつと、雨が降り続いていた。その中を、私と推しは歩いている。
ミスティックサーカスとの一件の後、雨に対する備えを整えた私と推しは、再び自分達の足だけで先を進んでいた。途中いくつか町や村や無人キャンプを通り、数日に渡って特に何事も無い旅路は続けられている。
今通っている場所は降雨の影響をかなり受けているらしく、元はデコボコとした平原だったらしいのが、沢山の水溜まりが点在する湿地のようになっていた。時折、大きな丸い葉が橋のように浮かんでいて、そこを渡る事が出来るようになっていたりもした。恐る恐る足を乗せれば、思いの外しっかりとした葉に支えられ、何事も無く向こう岸へと渡ることが出来た。
「この辺はマシだな」
「うん。ちょっと前に歩いたとこは酷かったな……」
撥水性のある、魔物由来の素材で作られたレインコートのフードを持ち上げながら、私は空を見る。一面分厚い灰色の雲に覆われているが、今私達が通っている場所は比較的雲が薄く、明るかった。
少し前に通ったところは、豪雨だった。風がなかったからまだマシではあったものの、レインコートでカバーしきれない靴などはびしょびしょになってしまっている。地面を踏む度に中がぐじゅぐじゅして、ちょっとどころじゃなく気持ち悪い。推しはブーツだから、私よりはちょっとマシかもしれないけれど。
後で屋根のある場所に行ったら、推しに魔法で乾かして貰おう。魔法の使い方を推しに教えて貰うっていうのもいいかも。推しに何かを教わる機会がまさか巡ってくるだなんて、前世じゃ考えれない。私、感激……。
浮つきかけた思考を何とか戻しつつ、濡れた土の上を歩きながら雨音を聞く。遠くは湿気のせいか煙っていて、視界は良好とは言えない。私達が通ってきた山脈も、振り返っても今はモヤに隠れてほんの少しも見えなかった。
ただ、前の町を出てから結構な距離は歩いたはずだった。そろそろ、モル・ラ・トリオの王都に到着してもいい頃合かもしれないのだけれど。
と、バシャリと水面が叩かれるような水の音がした。ここ数日でもはや聞き慣れてしまったその音を合図に、私と推しが武器を構える。目の前に水で出来た魚のような魔物が、数体出現した。
ずっと雨が降っている影響なのか、体が液体で構成されている魔物の遭遇率がかなり高いように思える。以前見たスライムも、雨が降り始めてから遭遇した個体はなんだか大きいし手ごたえがだいぶと柔らかい。こんな感じの水で出来た柔らかいゼリーみたいな和菓子、前世にあったなって感じで、ちょっと美味しそうに見えてしまう。多分雨水が体積のほとんどを占めているから、食べれないだろうけれど。
「〈氷撃〉!」
推しが剣を振るいながら、氷属性のスキルを発動する。パキリ、と凍った水の魔物は、剣によって砕かれ消滅した。体が液体で出来ている分、物理的な攻撃がかなり通り辛いというのは今までの戦闘で把握している。なら、凍らせて砕くのが一番手っ取り早いという事で、私達はしばらくこうやって戦っていた。魔物の動きも封じられるし、効きさえすれば本当に楽。
ドロップした透明な鱗のような物を拾っていると、推しが何か見つけたらしく私の隣で声を上げた。
「姫路川、あれ……」
私は推しの指さす方を見る。
「! おお……」
モヤと雨粒に視界を邪魔されながらも見えた少し遠く、上空に薄く桃色に輝く半球が浮かんでいる。それは街らしき場所の外周をぐるりと囲む壁から上に繋がって、その巨大な都市に被さるように存在していた。降り注ぐ雨が、半球に弾かれて外壁の周りの堀に流れ込んでいる。
雨期に対する備えの、高度な魔術防壁。技術と人材の潤沢な場所でしか成し得ないらしい〈設定〉のそれは、この世界の大都市の証だった。その向こう側、街の中に、微かに城の屋根の先端が見えている。
つまりあの都市は紛れもなく、モル・ラ・トリオ王国領内……王都〈セブレラ〉。私達の目指した、一つ目の目的地だった。
門番に顔を見せると、何事も無く街の中に通された。検閲がそこまで厳しくなくて、本当に良かったと思う。救世主の噂の広がり方とこの国の対応の仕方によっては、王都にはいれないどころかニル・アルタの時のように拘束される危険すらあったのだから。
街の中の声に耳を傾けても、救世主に関する話は聞こえてこない。あの酷い噂に関しては、ここまでは広がりを見せていないようだった。
「凄いな、ここ。外の雨が嘘みたいだ」
推しが、感心したような声を上げる。魔法で作られているらしい疑似的な太陽のような物が防壁の中の上空に浮かんでいて、気温は微かに暖かくも丁度良く保たれていた。まるでこの街には、雨期など来ていないかのようだった。
「なんてったって王都だからな。多分モル・ラ・トリオで一番デカい都市だぞ」
「すご……! で、姫路川はここまで何しに来たんだ?」
推しが私に聞いてくる。ここに来るとだけ言って、私は目的を全然推しに話していなかった。
「うーんと、とりあえずオレ的にはここの王様に会いたいんだけどなぁ……」
「……それって、もしかして救世の旅に関係ある事なのか?」
「多分、な」
推しは救世の旅について、『世界を巡れ』としか言われていない。かと言って、私もそれ以上の事を詳しく知っている訳ではない。だから推しの疑問に細かくは答えられないが、とりあえずこの街に関しては原作に書いてあった範囲だから救世主の目的には関係あるんだと思う。
私が知っている原作の流れ。それは、まだ推しがガーガ・ニル・アルタを脱出できていない時点から始まる。
時間軸的には、本来推しは今の時期にはガーガ・ニル・アルタ内に留まって逃亡生活を送っているはずなのだけれど、十四日間の雨期の終わり、七月周期の一日目に、原作の推しの元には唐突に王都セブレラからの使いがくる。
『〈大討伐〉がモル・ラ・トリオに迫っている。救世主であるあなた様の力をお借りしたい』
そう言われた推しは王の使いに連れられて国境を越え、セブレラまで向かうのだ。そこから原作ではモル・ラ・トリオ内で準備を整えつつ、序盤の大イベントである〈大討伐〉に挑む、と言う流れになっているのだけれど……。
問題は今どうやって王に謁見するか、だ。正面からのこのこと行って、受け入れてくれるかどうか。
と言うのも、原作の流れ的には七月周期の一日目にならないと大討伐が宣告されないのだ。恐らく王はその宣告を聞いて原作の推しに助けを求めたはずで、今の時点で王が大討伐の事を知っている確証が無いというか。なんとなくだけど知らない可能性の方が高い気がする。
……とりあえず、原作ではモル・ラ・トリオ王は救世主に対して割と友好的だったし、救世主である事を名乗ればとりあえず会いはしてくれるかもしれない。
まあ後の事は後で考えるとして。
「流石に今日は疲れただろ。行動を起こすにしてもまた明日だな」
時間も無い訳ではないし、今日くらい休んでもいい気がする。私が休むことを提案すると、推しは少しだけ目を輝かせた。
「って事は、今日はもう自由なのか?」
「ん? ああ、そうだけど……何かやりたい事でもあるのか?」
なんかちょっと推しのテンションが高めだ。ここに来るの初めてだし、事前情報も推しには無いはずなんだけど、何故? 何かあるんだろうか。
推しは口元をむにーっと吊り上げてどこか嬉しそうな顔をすると、街の中のある一点を指差した。
「水族館、みたいなのがあったんだ」
館内は前世でもよく見たような、青を基調とした暗めで落ち着いた内装の水族館そのままだった。しかし置かれている水槽の中にはところどころ水が入っていない物もある。水の入っていない水槽……それを水槽と呼んでいいのかどうかは定かではないけれど、その中にはここに来る道中で見たような、液体の体を持つ魔物がふよふよと泳いでいたりした。
〈国立王都水生物館〉と称されているらしいその建物は、水辺に棲む魔物や動植物を閲覧出来るようになっているらしい。要するに、やっぱり大きめの水族館だ。この世界に来てからも見たことのない物なんかも展示されていて、推しは時折おおー、とか、あー、とか小さく歓声を上げながらガラスの向こうを覗き込んでいる。
異世界にもこういう娯楽? 生物研究? 的な施設みたいなものってあるんだ。原作中にこの場所は出てこなかったと思うけど、結構細部までちゃんと文明してるなこの創作物の中の世界。
楽しそうな推しを見て、私は微笑ましい気分になる。推しが多分自分よりも年下だから、ちょっとお姉さん気分と言うか、今は男だからお兄さん気分かな? まあ、ずっと気を張り詰めさせながら旅をするのも疲れるし、少しくらいはこうやって異世界を楽しむのも良いかもしれない。
「楽しいか? 駿」
「楽しいよ。こういう場所に来るのは高校の時の遠足以来かな……歳食うと行く機会とか全然なくなったような気がするからさ」
懐かしむような目をする推しに、私はここに無事に彼を連れて来ることが出来て良かったと思った。原作だとこんな風にゆっくり物事を楽しむ時間なんて推しには無かったはずだし、推しのこの世界での人生が私の助けで少しでも苦痛の少ない物に出来るなら、私はそれで、例え無理やりな始まり方だったとしてもこの世界に転生させられた意味はあったんだと思える。
この先も、推しにとっての旅が出来るだけ楽しいものでありますように。そして何よりも、推しを絶対に拷問で殺させなんかさせない。元の世界には一度死んでしまっているから戻れないだろうけれど、推しをこの世界で原作ヒロインと添い遂げさせて幸せにして見せる。私が、何としてでも彼を守り通してみせるんだ。
……それが、私が最初に彼に対して〈やらかして〉しまった事への償いでもあるのだから。
思い出せば、ちくりと胸が痛んだ。本当になんであんな事しちゃったんだろうなぁ……前世で推しのそういう二次創作読みすぎて頭お花畑になってた? 創作物のキャラクターに触れられるなんて夢みたいな事態だったから調子乗っちゃったのかな……うう、激烈に反省。なんなら今からでも土下座したい。打ち首でも切腹でも命じてください……。でも蒸し返すの、絶対良くない。せっかく許してくれてるんだから……この話は、私達の間では禁句にしておくべきだろう。きっと、間違いなく、多分。
気分が落ち込んで、せっかくの水族館的な場所なのに展示物を見る事も若干叶わなくなっている私は、なんとか楽しそうな推しの邪魔をしないように少し離れた場所を歩く。順路はやがて、この施設のメインらしい一際大きな水槽のある広場に到達した。
「……おぉ」
流石に私も、それを見て声を漏らしてしまう。推しはずっと楽しそうな顔をしていたが、その水槽の中を見て、目を見開いた。
大きな魚が、悠々と巨大な水槽内を泳いでいた。胴体の幅だけでも、私の今の身長の二倍は大きい。全長なんて十メートル以上あるんじゃないだろうか。大きな鱗が光を反射していて、大きな二つのヒレと尾ビレをゆっくりと動かして水を掻き分けている。小さなヒレが体の側面に沢山ついていて、前世で見たような魚とは全く違う、何というかファンタジー的な、凄くカッコよさを感じるようなフォルムをしていた。
「すっご……」
推しが巨大魚を見上げている。私も釣られて、その魚から視線が外せなくなる。水槽の上からは光が差していて、その中を泳ぐそれの姿には神々しさすら覚えた。
「多分これも魔物なんだよな……」
「だろうな……。もし戦う事になったら大変だよね」
以前洞窟で戦った、岩肌の魔物よりもずっと大きい。普通は海とかで遭遇するのかな、こんなヤツ。船の上とかだとほんの少し暴れられるだけでも、かなり避け辛いんじゃないだろうか。弱点とか、どこなんだろう。
しばらくそれを眺めていた私は、ふと水槽から視線を外して周りを見回してみた。客はまばらで、館内は足音を含めても随分静かだ。
一人で来ているらしい青年や、カップルで来ているらしい男女の中。水に反射して揺らめく光の陰、照明を限りなく絞っているこの場所の中に隠れるかのように、小さな影が一人立っている。
建物の中にも関わらず、黒い布地に青いレースが付いた洋傘を差した少女がいた。水槽よりも少し離れた場所で魚を見上げていたらしい少女は、私の視線に気づいたのか、微かに顔を私の方へと動かした。
(あれ、あの子……)
少女の纏う雰囲気は、着ている衣服も相まってどこか常世離れした印象を抱かせる。傘と同じように黒い布を基調とした僅かにボリュームのあるドレスは、所々に青い布で作られた、花を模した大小の飾りに彩られていた。艶やかな素材で作られているらしい、肘上辺りまでの長さの黒い手袋も、蔦のような煌めく青い模様が入っている。
まるでこの空間に合わせたように、少女の纏う衣装は黒と青で統一されていた。その分、素肌の白さと薄紫色の髪が随分と浮いて見える。
少女は細い指を動かし、洋傘をくるりと回した。完全にこちらの方を向いた顔の、その目が細まる。
(どこかで、顔を見たような)
その口が、ゆっくりと弧を描いた。
ガシャアアアアアアアアンッッッ!!!
「っ!? 何だ!?」
突如として響き渡った音に、私は水槽の方を見た。
「姫路川っ!」
推しが叫ぶ。ゴオオッ、バシャア、と水音のような音が聞こえ、誰かの悲鳴が重なった。
大きな水槽のガラスが、粉々に砕けていた。大量の水が溢れ出し、瞬時に私達の方に流れて腰の辺りまでを浸してくる。水流に押し流されそうになりながら、私は目の前の光景を見るしかなかった。
ホオオオオォォォオッ!
空中に浮かんだ巨大な魚が、大きな口を開けて嘶いた。空間がビリビリと痺れるように震え、圧がのしかかってくる。
(そうだ、あの女の子!)
この場にいた子供は、あの少女だけだった。まず彼女の安全を確認しようと視線を走らせるが、少女はどこにも見当たらない。
もしかしたらもう既に逃げたのかもしれない。それは良い事なんだけど、まだこの場には人が何人かいる。
そして運の悪い事に、そのうちの一人はもう既に鋭いヒレの棘に刺し貫かれて、ぐったりとしていた。水の中に、赤黒い染みが広がっている。
「クッソ、何なんだよ!」
悪態をつく間にも、巨大魚の魔物は尾ビレを壁に叩き付け、壁を破壊する。建物が揺れ、大水槽の広場に繋がる通路の向こうからも、悲鳴が聞こえてきた。
水は通路を抜けていき、いつの間にか水位は足元まで下がっていた。動くことに支障は出なさそうだ。
「っ危ない!」
魚が急激にその巨体を翻し、素早い動きで宙を舞った。水のような液体で出来た球体が、辺りに勢いよく飛んでいく。腰が抜けている客の方に飛んでいった水のような塊を、推しが剣を振るって破壊した。
「姫路川、まずは人を!」
「ああ!」
刺し貫かれた人は、恐らくもう死んでしまっているだろう。それを除けば、私と推し以外にこの広場にいるのは二人だけだった。客がまばらで、助かった。
「オレ達が注意を引き付ける! 早く逃げろ!」
私はその二人に向かって、声を張り上げる。その間にも攻撃は続いていて、人を守りながらだとそれを捌くのにも精一杯で魔物の方に近づけそうにない。巨体がこちらに向かって物理的な攻撃をしてこないのがひとまずの救いではあった。
「走って!」
「は、はい……!」
推しが、一人を逃がしつつ後ろからの攻撃を防ぐ。私も、別の側の通路に一人を向かわせ、遠距離から攻撃できる手段を探った。
こんな事なら推しに早く魔法を教えて貰えばよかった。ええと、遠くに飛ばせるようなスキル、スキル……!
「えっと、〈飛ばし一閃〉!」
振り切った斬撃が遠くに飛ぶようなイメージをして、剣に変化させた神武器を振るう。神武器が一際強く輝いて、イメージ通りに光の刃のようなものが魚に向かって飛んでいく。適当だったけど、スキルの発動には何とか成功したらしい。こんなスキル原作に無かったけど。……スキルってどういう原理なんだろ。
飛んだ斬撃は、外れることなく巨体に命中する。しかし、傷は少しだけ付いたように見えるものの、魔物は何かを感じているそぶりも見せなかった。
ただ、その目がこちらに向けられる。そいつは、私を捉えたらしかった。
「姫路川!」
魔物の口が、ガバリと開けられる。人一人を簡単に飲み込んでしまえるような口には、鋭い牙が何本も生えていた。いつの間に何かを食ったのか、口内には付いたばかりらしい血が見られる。
私は通路から遠ざかる形で、広場を横断するように走り出した。少し遅れて、急激に突っ込んできた魔物の口が壁を抉り取る。このまま距離を取ろうとする私の横から、あまりに大きい尾ビレが叩き付けられようとする。
「っぐっ! あ、ぁっ!」
間一髪で、神武器を盾の形に変化させてそれを防ぐ。が、体への直撃は防げども、衝撃までは防げない。私は壁まで吹っ飛ばされ、叩き付けられる。
ミシリと骨が軋む感覚がした。肺の空気が押し出され、一瞬呼吸が出来なくなる。床に転がり、立ち上がろうとするが上手く体が動かない。
「〈アイスロック〉!」
推しが叫ぶ声が聞こえた。氷属性の拘束魔法を発動したらしい。辺りが冷気に包まれ、魔物の体に氷が纏わりつく。
ギ、ギ、と一瞬ぎこちない動きをした魔物は、しかし次の瞬間には氷を振り払って吠えた。
(強い……!)
確実に、今の私と推しのステータスではこの魔物はどうにも出来ない。痛む体を奮い立たせて何とか立ち上がった私と、剣を構えながらも次の詠唱を始めようとしている推し。それを一掃しようと、魔物の体に淡く輝くエネルギーが集まり始めた時。
「放て!」
凛とした声が聞こえた。
その声を合図に、雷を纏う十数本の矢が魔物に向かう。矢は尽く魔物の巨体に刺さると、バチリと放電し魔物の全身に電撃を走らせた。
一際大きく鳴いた魔物が、宙でのたうち回る。その下、瓦礫の散乱した広場の中を、白く小柄な影が駆け抜けた。
「眠れ! 〈狼吠え・白撃刃〉!」
一瞬にして宙に浮く巨体の上へと飛び上がった白い影は、手にした細身の刀身を魔物に向かって突き出した。エフェクトと共に、魔物の額に剣が刺さる。
白い〈少女〉は刺した剣の持ち手を両手で逆手に持ち、魔物の顔を踏んで刀身を抜きながら再び飛び上がった。少女の体が宙でくるりと翻る。その腰の下、背中側の辺りから伸びる〈尾〉が、ふわりと揺れた。
少女が着地すると同時に、魔物が地面に落下する。血の付いた細身の剣を一度振ると、少女はそれを鞘に仕舞った。彼女の脇から、鎧を着た人間達が十人ほど、落ちた魔物に向かって走って行く。彼らは魔法を唱えると、微かに痙攣する魔物を様々な属性で拘束した。
テキパキと処理を進める鎧の軍団を尻目に、白い少女は私達の方を向いた。白い尾と髪が揺らめき、頭の上で二つの〈獣耳〉がぴこりと振れた。
真っ直ぐな目つきで、少女は私達を見て、声を発する。
「〈大聖堂〉より召喚された黒髪の救世主に、赤髪の付き人だな」
鋭い声だった。彼女は推しと私を順に見て、固い声で告げる。
「貴様らを拘束させてもらう。セブレラ城へ、来てもらうぞ」
睨むような視線が、推しを見ていた。
五話を読んでくださってありがとうございました。筆が遅すぎて毎週ギリギリで書いてます。
最後の方の展開が当初予定していたものとは違う上に書きたかった場所まで書けませんでしたが、多分未来の自分が何とかしてくれます。頑張ってくれ未来の自分。せめて書きたい場面まで続けて。