15.風邪っぴきにお湯
【あらすじ:地下室を出た有子達は、たった今地下牢を出た人間が町を襲う瞬間を遠くで見てしまう。駆けつける有子だったが町は残骸とかしており、町を壊した虐げられていた人間も有子の目の前で炎に身を投げた。有子は責める声に苛まれ、雨の中残骸の町から目を背けるようにそこを後にしたのだった。】
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分厚い雲に覆われた、色味のない昼下がりだった。
少しばかり高い丘になった場所から見下ろす景色は、沈み込むような暗い緑の森がどこまでも続いている。外からの侵入者を拒むような、あるいは、その向こう側にいる〈何か〉を閉じ込めて、決して外に出さないためのような、どこまでも続く緑の壁。
それらは長雨でしとどに濡れ、重く静かに、だがどこかざわざわとした、嵐の予兆に身を潜めているような緊張感に包まれていた。
「さて、じゃあアタシらは早いとこズラかるよ」
体のラインがハッキリ浮かぶような黒いドレスを纏った、吊り目の女性……〈ミスティック・サーカス〉の団長、ドロシアがそう言った。彼女は濡れるのも構わず、雨の中傘もささずに立っていた。
傍らに控える二つの影……少し浅黒い肌に中華風のノースリーブを着た背の高い方、サルシーチャと、腰くらいまでの丈のポンチョを纏いボリュームのある髪をツインテールにしている背の低い方、パルラがドロシアの言葉に同時に頷く。と、二つの影は、ゆらりと揺らめくようにしてその場から掻き消えた。
彼女達は、たった今ひと仕事を終えたところだった。静かな森を見下ろすドロシアは、妖艶とも言える笑みを口元に浮かべながら、目の前の広大な土地を見る。
獣人達の押し込められた場所。……〈滅びが確約された地〉ミシュルピア。獣人という身体能力に秀でた種族が沢山いながらも、決して発展の兆しを見せない巨大な箱庭。
どこまでも続く雨粒のベールで、煙ったように靄がかった空間のずっと遠く、この地最大の都市にして唯一の獣人禁制の街〈中央都市〉からは、天を貫こうとするように空に向かって伸びる塔が薄らと見える。
「……とんでもないもんだよ。こんなだだっ広い場所が、たった一人の気まぐれでどんな地獄にも変えれるだなんて」
森の反対側の遠い空には、薄く雲の切れ目が見えた。雨期の終わりは、近い。運び込んだモノがあの後どうなったかは、ドロシア達には知る由はない。
「アレの在り方がどうあれ、依頼人は依頼人だ。アタシらはただ仕事を全うするだけ、さ」
誰にともなくそう呟いて、おとぎ話の魔女のような姿は瞬きのうちに、消え去った。
やがて遠くから、カチャリカチャリと、鎧の集団が歩く音がした。
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「くしゅん」
誰かがくしゃみをした。
実は正直なところ、誰がしてもおかしくないような状態だった。結構な時間雨に晒されてながら歩いて、何となく見覚えのあるような街道に出る頃には辺りはすっかり、色々判別できるくらい明るくなっていて。
偶然、そこを通り掛かっていたマチェルダ達の村の獣人がビックリしながらずぶ濡れの私達を見つけたのだった。
それから彼の馬車……引手は絶妙に馬に似た謎の生物だったが、で揺られること何時間だろうか。結構なスピードで飛ばしてくれたように思う。おかげで、共存の町で助け出した小さく軽い女の子は馬車が揺れる度に飛び跳ねて落っこちそうだった。疲労の滲む全身を踏ん張らせて、何とかその小さい体を飛んでいかないように押さえる作業が続いた。
精神的な疲労もさることながら、肉体の疲労も限界をとっくに超えていた。馬車がガッタガタに揺れなければ、意識を飛ばしてしまっていた気がする。共存の町を出た直後にはあれだけ張り詰めていた私とみんなの間の空気も、最早それどころではなかった。体力気力と引き換えに、思いがけずも一旦落ち着く時間が私達には生まれていた。
限界の体に鞭打って、最低限着替えはして、何も口にすることなくベッドに倒れ込んで、一瞬で気絶した。掛け布団らしき厚めの布を被る暇さえなかった。
ぼんやり目が覚めた時点では、眠る私の上に誰かが布をかけてくれていたらしい。ほんのり温かいそれにありがたさを感じて、もう一回寝た。一睡眠程度で取れる疲れではなかった。
それを何度か繰り返して、何回目かの目覚めでようやく体を起こすことが出来た。寝ぼけながら立って、一歩踏み出したところで、くしっ、と小さなくしゃみが口から飛び出した。
「だ、じょぶ……?」
低いところから、呂律の回りきっていない声が聞こえた。ぼうっとしながら下を見ると、白い髪に、灰色の目に、白いワンピースの女の子が立って、私を見上げている。
頭がぼーっとしていて記憶が朧げだ。誰だろう、と思ったところで、もう一度くしゃみに襲われた。
寝ていたのは二階の部屋だった。ふらつきながら階段を降りる。時折足を踏み外しそうになっては、後ろから着いてきている女の子がひゃ、と小さく悲鳴を上げた。壁に手をつき、休み休みで重い体を引きずるように歩く。
「あ、姫路川。起きたんだ、良かった。今から様子見に行こうと思っ……」
廊下で、推しと会った。口が動かず、何とか頭を前に向けて推しの顔を見る。推しはびっくりしたように目を丸くした。
「ちょっ、顔真っ赤じゃん! そういえばどことなくフラついてるし、絶対風邪引いてる! よくそんな状態で降りてこられたね!?」
ワタワタと焦る推しの言葉も、なんかぐわんぐわんして聞こえづらい。
「……あ〜…………」
何か言わなきゃなぁ、と思って声を出そうとしたら、そのまま視界がぐるんと回って。気がついた時には、ごちん、と後頭部を強かに床に叩きつけていた。
「うん、熱。圧倒的に風邪。……ま、そりゃそうだよねぇ……」
体温計っぽいものの数値を見たマチェルダが、はぁ、とため息をついた。
「俺は元気だぜー!」
隣で椅子に座ったロッキンズが握った両手を頭の上に突き出して、無駄に大きな鼻声を出している。とすぐさま、ぶえっくしょい! と豪快なくしゃみをしてずずっと鼻を啜った。
「嘘つかない。アンタも風邪引いたんでしょ。ほら、安静にしとく」
マチェルダに注意されて、ロッキンズは不貞腐れたような顔をした。と思ったらすぐにケロリと平気な顔になって、ぴゅー、と口笛を吹き始める。マチェルダの、二度目のため息。
「あたしもちょっと体調悪くなっちゃったし、タロウはこんなだし……。シュンは大丈夫? あとその子、えっと、名前聞いてないや」
マチェルダにずい、と覗き込まれた女の子が一瞬、びっくりしたように肩を震わせ、おずおずという風に口を開いた。
「し、しえ、ら……」
「シエラちゃん、っていうの?」
シエラと名乗ったその少女は、やはりおずおずとしながら小さく頷いた。うだるような熱で朦朧としながら椅子に座っている私の手をぎゅっと掴んで、離そうとしない。マチェルダが顔を離すと、安心したように手の力が少し緩んだ。
「物の見事にみんな風邪か……俺は割と大丈夫だし、その子……シエラ、ちゃん? も熱っぽい風には見えないけど」
推しが、シエラちゃんと目線を合わせながら彼女の様子を伺っている。シエラちゃんは顔を覗き込まれる度に、視線から少し逃げるように体をゆらゆら揺らした。その間も、何故か私の手は握ったままだ。今の高い体温のせいか、冷たい氷のようにひんやりと感じるその小さな手を感じながら、
(この子の手、冷たいから私の熱い手がきもちいのかな……?)
と、ありそうな無さそうな事を私は考える。頭は回っていない。
「ぶえっしゃあっ!」
「あ、もう! もうちょい静かに出来ないの!? 汚い!」
盛大なくしゃみをするロッキンズに、文句を言うマチェルダ。賑やかで頭がキンキンして、思わず引きつった笑いが私の口からこぼれた。
「もう、ホント仕方ない……。ここはやっぱり、村に伝わる〈伝統の方法〉でリセットかけちゃおう」
「〈伝統の方法〉?」
何やらあるらしい口ぶりのマチェルダに、推しが不思議そうにこてんと首を横に傾けた。秘密兵器をお披露目する科学者のような、自信たっぷりの顔で、マチェルダは堂々と言い放った。
「風邪っぴきと言えば、温泉なんだから!」
そんなことある? 反射のように私の心の中でツッコミがぽわんと生まれて、上る煙のようにふわんと空に溶け消えた。
唇が微かに動けど、声は出なかった。
ほわほわとした湯気が、屋根代わりの巨大な一枚岩に上っていく。何本かの石の柱にのみ支えられたそれは、危うげに見えて絶妙なバランスを保ち、どっしりと私達の上に横たわっている。時折、膨らんだ水滴がぴちゃりと下に落ちてきた。その一粒にロッキンズが被弾したみたいで、ひゃんっ、と高めの声が上がった。
男湯とか女湯とかそういう区切りは無いらしく……というか、そもそも温泉自体この一箇所だけのようで、全員同じお湯に浸かっている。流石に、体は大きめの布を巻いて色々と隠しているけれど。
推しはできるだけマチェルダやシエラちゃんの方を見ないようにしているし、ロッキンズはぐんにゃり縁に上体を預けながら鼻歌の合間に時折くしゃみを混じらせている。マチェルダは男と一緒に風呂に入る事は全然気にしてなさそうだった。元々なのか、もしかしたら風邪で鈍っているだけかもしれない。シエラちゃんは何故か私の胴体にしがみついている。溺れるような深さとか、足元が滑るとかでは全然ないのに。まるで親に甘える子供みたいになりながら、時々私のお腹をぺちぺち叩いたりしている。お湯の中にいるのに、何故だかひんやりとしている気がした。
「……本当に風邪で温泉なんか入って良かったのか?」
推しは不安げに私やロッキンズを見回して、マチェルダに視線をやってから、慌ててすぐ逸らした。頬がほんのりと赤い。流れた汗が、チャームポイントの小さな泣きぼくろの上を滑っていった。
「だいじょぶだいじょぶ。村のみんなが言うにはそういう成分がなんちゃらで効能がかんちゃらで〜って、一晩経てばたちまち元気、とか?」
「……本当に?」
訝しげな様子の推しに、マチェルダはほんの少ーしだけ視線を泳がせると。
「……後でちょっと辛くなるかもだけど、寝ればスッキリするから!」
「それ大丈夫なの!? 絶対悪化させてるよね?」
と比較的元気めのやり取りがしばらく続いた。
その後、私の熱は悪化した。
びっくりするぐらい悪化した。私は息も絶え絶えで、血の気が引くような感覚が来て、死にそうになっていた。
「姫路川、しっかりしろ姫路川……! 顔が真っ青だし、でもおでこは熱いし、小刻みに震えてるけど、マチェルダが言うには寝れば治るらしいから……!」
ベッドに横たわる私の傍らで、推しが心配そうにしてくれている。私は精一杯口角を上げて滲む目でそっちを見た後、秒も経たずに気絶した。
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誰も彼もが寝静まった、夜更けの時間に。
ふと目を覚ました岡元駿は、水を飲むついでに姫路川タロウの様子を見に二階へと上がっていた。
少しばかり古くなった階段は踏む度にギシ、と音を立てる。同じ建物にいるロッキンズを起こすことのないように、静かにを心がけて駿はゆっくりと階段を上がった。
タロウの寝ている部屋、中から物音は聞こえない。まあ安静にしていなければ心配なので、それ自体は良いことだと駿には思える。
軽く覗くだけのつもりでドアノブに手をかけた時、何も物音がしなかったはずの部屋から微かに、サァッ、と風のような音が聞こえた。そして、外で降っているはずの雨の音も。
駿は眉をひそめて、それから一瞬、ほんの一瞬だけ、底の見えない冷たく鋭い無表情を顔に貼り付けた。
扉を、開く。
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その部屋の扉が開かれる、ほとんど直前の時間に。
姫路川有子は、熱に魘されていた。意識は無い。だが傍目から見ても彼女……今は彼だが、は苦しげに低く唸っている。額には玉のような汗がぽつぽつと浮かんでいた。
ハッハッと短く息を吐き、体を強ばらせながら横たわる有子の傍らに、一人の少女が音も無く降り立った。
それは有子がモル・ラ・トリオで出会った少女と、共存の町の地下にいた少女によく似ていながら、同時に全く違うともいえるような、冷たい顔の少女だった。長い髪は金の色をしているのに、そこには輝きが存在しない。纏う衣服も明るい色をしているのに、何故だか闇に溶けるように沈みこんでいる。
そこに居ることを決定づけているのに、他者の認識を許さないような。
自信を絶対として他を認めぬ少女の傲りに、空間は満ちていた。
少女は人差し指をピンと立て、寝ている有子の胸元にするりと滑らせた。
途端に、目を閉じている有子の表情が苦悶に歪む。少女は満足そうに目を細め、くるくると弄ぶように指先を遊ばせている。
「ぁ、ちが、う……ちがっ……」
有子の口から声のようなものが零れた。少女は有子の耳元に顔を寄せて、なめらかに囁く。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……ほら、アレは腕がもげていて、アレは頭が無いわ」
ひっ、と有子の喉が引き攣る。少女はどこか楽しげに、どこか退屈に、囁き続ける。
「皆死んでいるわ。誰もが、よ。痛かったでしょうね、苦しかったでしょうね。それから……」
言う前に、少女は少しだけ間を置いた。心底どうでもいいというように、ため息を押し殺してまた囁く。
「…………彼の心も、貴方は見ないことにしたのでしょう?」
意識があるなら、上がっていたのは悲鳴だったろう。それが否定であるのか、肯定であるのかは本人に判別がつくのだろうか。
「ならば貴方はそう在るべきよ。全てを踏み躙って、赴くままに暴虐の限りを尽くす、その存在になるべきよ。
世界なんて、貴方にとっては……」
なにかに気づいたように、少女はすい、と顔を上げる。そして立ち上がると、トン、と床を蹴った。
「姫路川……?」
扉を開けて入ってきたのは駿だった駿はタロウの寝ているベッドに目を向けるよりも先に、一瞬ゾッとするほど冷たい顔で部屋を見回した。
「……なにかいたと思ったのに」
その視線が、一箇所を捉えた。窓が何故か開いている。風が吹き込んで、少し雨粒に打たれたカーテンが揺れていた。
「いつから開いてたんだ……冷えるし雨が入るからちゃんと閉めとかないとな」
部屋を横切って、駿は窓に近づいた。閉めようと窓枠に手を当てた瞬間、また駿は冷たい表情をする。その瞳が鈍く輝いた。
「やっぱり、ついさっきまでいたんだ……」
その声に、微かに駿のものとは別の音が混じった気がした。しかしそれを感知する者はいない。
駿はしばらく窓の外を睨むように見つめ、それから何事も無かったかのようにパタリと窓を閉めた。
固有名詞もうほぼ忘れてる。




