13.それはあっけなく、ただ崩れ落ち、後には何も残らず
【あらすじ:牢の前で出会った少女は謎の言葉を残して消えた。困惑しながらも囚われた人々を助け出す有子だったが、彼らは正気を失ったかのようにマチェルダ達を手にかけようとする。そこに屋敷にいた獣人達も現れ、凄惨な空間と化したその場から逃げるように有子達は地下を後にするのだった。】
「こんなところから入って来たのか……」
ギィ、と軋む扉を開けた後、推しが呟いた。雨が続く外の空気は、地下に入る前よりも冷えているような気がした。
町の郊外にある小さな小屋から、私達は地上に戻った。夜は随分更け、分厚い雨雲のせいで辺りはより真っ暗に見える。私達以外に生きている物の気配なんかはしなくて、ぱたぱたと地面に落ちる沢山の雨音だけが延々と聞こえていた。
「……どうすんだ、この後は」
ロッキンズが言う。私は一度小屋を振り返って、少し言葉を詰まらせる。あんな物を見て、あんな事があって、今この状態で何をすればいいかなんて、私には分からなかった。
「マチェリカと、それからこの……閉じ込められてた女の子を一回休ませてあげないか? 雨だからずっと外にいる訳にもいかないし、雨具も数限られてるし」
推しがレインコートを女の子に羽織らせながら言った。マチェリカはマチェルダと身を寄せあって一つのコートを雨避けに掲げている。大きさの都合か、推しとマチェルダは持っていたレインコートを交換したみたいだった。それでも女の子には大きいみたいで、必死に裾が地面を擦らないように手で持っているけれど。
「町に、戻るのか……?」
ようやく喉から言葉が出てくる。自分で口にしたそれは、正直気の進む事では無かった。私は領主を、不可抗力だったとはいえ、この手で殺してしまっているのだ。その上、彼の妹だと思しき少女も、見殺しにしてしまった。ゆるさない、と呟いた声が、憎しみの籠った目が、頭に焼き付いている。
たとえ悪い人だったとしても、命を奪った私は裁かれるべきなのかもしれない。でも、それは。
(私の旅が、ここで終わっちゃうかもしれないって事なんだ)
図々しいと思う。何を言っているんだ、と。悪い事をしたんだから、糾弾を受けるべきだろうと、私の〈正しく在りたい部分〉はそう言っている。
でも、こんなところで終わらせたくないと私は強く思ってしまっている。推しへの贖罪の旅を。推しが最後まで生き抜いて、その先を幸せなハッピーエンドにする為の、旅路を。その道筋を整える事を、私は諦めたくは無い。それがいくらおこがましいとしても。
推しの為。それで殺人を正当化して、今まで通り生きていい訳じゃないだろうけれど。
それに。
(あくまで、この世界はたかが物語の中の世界なんだから)
この物語の本当の主人公の推しさえ幸せな結末を迎えられるなら、それは、それで、良いんじゃない? 推しは世界を救う為に旅してるんだし、推しの結末がハッピーエンドならそれは世界が救われているって事になるんだから、多少の死人とかは、ほら、よくある事で済ませられない?
ファンタジーの世界って〈そういうもの〉でしょ。
「ま、一旦屋根のある場所で落ち着いて、朝になったら色々考えてもいいかもな」
ロッキンズも町に戻る事には賛成みたいだ。私は一度深呼吸して、それに答えを返そうとした、その時だった。
ドゴォン! と大きな爆発音のようなものが、少し遠くから聞こえた。
「何だ!?」
推しが驚いた声を上げる。全員が、音の方にすぐさま視線を向けた。記憶が正しければ、それは町のある方から聞こえていたのだ。
離れた森の中からでも、微かに視認できる明かり。チラリと揺れているのは、赤みがかったオレンジの色。
それは、紛れもなく炎だった。静かだったこの場所に、一瞬にしてざわめきの気配が届く。
「なに、あれ……町が燃えてるの?」
マチェルダが呆然としながら呟いた。私の脳裏に、地下牢の傷付いた人達の姿が過ぎる。
彼らはあの地下室から、恐らく上へと向かったんだろう。屋敷から、彼らが外に出たんだとしたら。
「町に、戻らないと」
さっきまで気の進まなかった頭が、唐突な事態を前にして切り替わる。自分達を虐げた共存の町を、彼らは破壊しようとしているのかもしれない。あの血走った目を思い出す。何をし出すか分からないような、とてもじゃないけど正気とは言えない、あの目を。
途端に、ツキンと何かが頭を掠めたような気がした。けれどもそれが何かは分からない。思い、出せない。
けれど違和感を追っているような時間はなかった。人間を欲望のままに傷付けていたのは領主を初めとする一部の存在だけのはずだ。あの町には何も知らない人間と、恐らく獣人も何人かは存在するのだろう。幼い子供だっている。
(このままじゃ、町にいた人達が)
私は思わず走り出していた。後ろから私を呼ぶ声と、追いかけてくる足音が聞こえる。暗い森を抜けて、少しばかり開けた場所に出ると、町全体が燃え盛っているのがハッキリと分かった。
悲鳴が聞こえる。怒号が聞こえる。破壊音と、炎の音が、生々しく耳に突き刺さってくる。
美しかった町は炎でオレンジに照らされ、雨水と、所々に飛び散った血で汚れていた。外にはちらほらと倒れている人がいて、明かりが灯る窓の内側に血飛沫が張り付いているのが見える。道を雨から守っていたステンドグラスの屋根はすっかり割れて破片が飛び散っていて、色とりどりの花の花弁が無惨に千切れて散らばっていた。
「誰か、誰か生きてる人はっ!」
私はただ町の中を走り回る。町の人だけじゃない、地下牢から出てきた傷付いた人間の死体も、転がっている。
小さな爆発のような音は、時折どこかで響いていた。戦闘行為はまだ行われている。探せばきっと誰かがいるはず。
「誰かっ……!」
曲がり角を曲がった直後、視界の先で、逃げ惑う町民の男が丁度殴り殺されたのが見えた。
倒れ伏したその地面に転がるのは、先に殺されたのだろうもう一つの死体。それは私達に領主の助けを得るよう助言してくれた、赤子をその身に宿した、あの雑貨屋の馬の獣婦人だった。
「っあああっ!!!」
強い衝動に突き動かされるように、私は走り出した。神武器はいつの間にか剣に変化していて、それを目の前の相手の武器目掛けて振るう。地下牢にいた人は急に現れた私に不意を付かれたのか、呆気なく手に持った武器を手放した。カランとそれは遠くに落ちる。
「なんでっ! どうして、ここまでしてっ!」
行き場のない感情が、なぜ、という言葉で口から出ていく。だが聞こうとも理由など、分かりきっているんじゃないか。
虐げられた怒りは、憎悪は最もだろう。復讐は為されて然るべきかもしれなかった。でも、だからといってそれを見過ごしたくもなかった。
誰も死ななくて済むのなら、本当はそれが一番のはずなんだ。
目の前の血まみれの男は、私が武器を飛ばした際に体制を崩して尻もちを付いていた。そのまま動くでもなく、彼は虚ろな目で私を見上げる。
「何もかも無くなっちまえばいい」
そう、彼はぽつりと言い残すと、勢いよく立ち上がってそのまま燃え盛る建物に身を投げた。
「あっ……」
なんの反応も出来なかった。ガラガラと大きな音を立てて建物は崩れ、火の粉が舞い上がる。熱風が頬を掠めた。
いつしか、悲鳴も、怒号も、破壊音も聞こえなくなっていた。広場だった場所には、血と肉が広がっていた。多くが、死んでいる。さっきまで華やかな町だった場所が、今ではまるで地獄だ。
何が出来たのか。何も出来なかったのか。
私が、何かをしたからなのか。
項垂れる。うわ言のように唇から声が漏れ出ようとする。
「私、は……」
「貴方のせいに決まってるじゃない」
バッと顔を上げた。怯える獣のように必死で頭を振って周りを見回すけれど、燃え盛る街の中にいるのは私だけだ。
心臓が早鐘を打っていた。呼吸は限界まで浅くなって、目玉が震えている感覚がする。何を言われたのかさえ理解出来ていないのに、囁くその音色だけが真っ白の頭にやけにこびりついて離れない。
足が震える。力が入らない。立っていられない。まるで毒でも盛られたみたいに、私はその場に膝をついて何度もえづいた。
喉が焼けて、口内に酸っぱさと苦みのある液体が溢れて、鼻腔をすえた臭いが満たす。飲み込むことさえ出来ずに、それらをべちゃりと吐き出した。
空に向かって咆哮する。声は出なかった。
気が狂いそうになっていたところで。
置いてきてしまっていた、みんなの足音が聞こえた。
雨が降りしきっている。バタバタと、大粒の雨が。ここしばらくの間に随分と聞き慣れたその音は、心做しかいつもより勢いを増しているように感じる。
風はない。嵐ではない。木々は揺れず、立つものは軋まず。重い雨粒の音はひっきりなしに聞こえるけれども、それ以外には何も聞こえない。歩いているはずの足音さえも、ずっと聞こえている雨音に隠れて、慣れた耳がそれを雑音として除去するのと一緒くたに、いつの間にかかき消されてしまった。
静かな、夜だった。
誰一人として、口を開くことはなかった。
共に道を進む仲間がいるはずなのに、まるで一人っきりになってしまったと錯覚するような。寂しくて、音の無い、夜更けだった。
体は冷たい。手足の感覚は無くなりかけている。それでもずっと歩いている。
雨は降り続けている。歩き続けなければ、帰れない。森はこの先もずっと続いていて、立ち止まったとて、雨を凌げるような建物も、体を温められるようなものも、何も無いのだから。
……〈帰る〉。
…………どこに?
私に帰る家は無い。この世界のどこにも、本当は私の居場所なんて無かったはずだった。
この世界の事を〈物語〉として読んでいるだけなら、見たくないものは見なくてよかったし、考えたくない事は考えなくてもよかった。何も関係のない、ただの傍観者でいられた。
でもその頃には戻れない。眠りについて、目覚めてもずっとこの世界の中で、私は〈姫路川タロウ〉のままだ。
有子には戻れない。何を見て、何をして、どれだけ逃げたくたって、逃げられる場所が無い。
私は死んで、ここに来た。
今更それが、怖くなってきただなんて。
浮かびかけたそれを、私は強く。
――――心の奥に押し込めた。
自分用まとめ。今まで出てきたキャラ。
・姫路川有子 (タロウ)〈1話~〉:推しのいる異世界転生モノ小説の世界?に異世界転生してきた。元は女だったが転生時の神様のはからい?で男になっている。
・岡元駿〈1話~〉:ファンタジーっぽい異世界に転生した青年。有子の推しであり、原作中では追放されたり散々な目に合って最終的に死ぬ役割。
・フリスト〈1話~〉:聖剣に選ばれた剣士。救世パーティーメンバーだったが駿を追放する。
・アルメリア〈1話~〉:聖杖に選ばれた回復術士。救世パーティーメンバーの一人。優し気な女性。
・メーティラル〈1話~〉:聖槍・聖盾に選ばれた騎士。救世パーティーメンバーの一人。誠実な騎士のような女性。
・ベイル〈1話~〉:聖弓に選ばれた弓術士。救世パーティーメンバーの一人。冷静そうな青年。
・ドロシア〈3話~〉:放浪劇団〈ミスティックサーカス〉の団長。妖しげな雰囲気を纏う女性。原作中で駿を売り飛ばそうとした人攫い。
・サルシーチャ〈4話~〉:ミスティックサーカスの団員。浅黒い肌に中華風のノースリーブを着た性別不肖の(恐らく)人間。
・パルラ〈4話~〉:ミスティックサーカスの団員。腰くらいまでの丈のポンチョと、ボリュームのあるツインテールの子供(?)。
・駿を呼んだ声のような何か〈5話~〉:有子と出会う直前に駿が聞いた声のようなもの。その正体は不明。
・水族館で見た少女〈5話~〉:青と黒のドレスを纏い洋傘を差した少女。騒動のさなかに忽然といなくなっていた。有子はどこかで顔を見た気がしているが……。
・フェスタシア・メロウ〈5話~〉:帝国の騎士。白狼のハーフ獣人で、帝国最高位の将軍の私兵である〈白狼騎士団〉の団長。規律を守る軍人のような、厳格な性格の少女。
・涼やかな声/怒気を含んだ声〈6話~〉:謎の場所で会話をしていた存在。
・モルラトリオ王〈6話~〉:原作中で駿に〈大討伐〉の助力を依頼した老人。何故か有子達がモルラトリオに立ち寄った際には姿を見せることはなかった。
・モルラトリオ代理王〈6話~〉:険しい顔つきをした若い女性。有子と駿にモルラトリオが中立であること、救世主に与しないことを宣言し、国外へと追放した。
・ロッキンズ・バーバー〈6話~〉:ロクデナシギャンブラー。若干細身の若い青年で、どこか軽そうに見える性格。有子達の度に勝手に着いて来た。ロマンを感じるという理由でハルバードを二刀流している。
・マチェルダ〈6話~〉:兎のハーフ獣人。ミシュルピア地方に流れ着いた有子達を助けた少女。共存の町で妹を探してほしいと有子達に依頼した。
・人間の魔法使い?〈8話~〉:獣人の死体が転がる建物の中で、共存の町の終わりと戦争の引き金を予言した女性。
・トクレス〈8話~〉:共存の町の領主。犬のハーフ獣人の男性。表向きは穏やかで良き領主だが、裏では復讐を謳い攫われてきた人間を玩具にして楽しむ狂人。
・魔女のような女性〈9話~〉:のんびりした口調の女性。有子に屋敷の裏口を教えた。親切な態度と裏腹に、どことなく信用してはならない雰囲気を纏っている。
・欠損したハーフ獣人の少女〈9話~〉:手足に目、耳がそれぞれ片方ずつ欠損した痛々しい見た目の少女。領主の館で宴を主導していた。
・小さな女の子〈10話~〉:屋敷の地下に捉えられていた女の子。
・マチェリカ〈10話~〉:マチェルダの妹。屋敷の地下に身を潜めていた。
・屋敷の地下で見た少女〈11話~〉:水族館の少女に雰囲気が似ているが、装いや口調などは全く異なる。意味深な言葉を放った後、消えた。




