⑥約束
翌日、ふたりはレンタルした魔導バイクでホテルを出発した。
ソフィアが運転し、後部座席にリナ。
「魔導バイクに乗ったことは?」
「じ、自転車にも乗ったことないです……」
「サイドカーがあると良かったんだがな。膝でバイクを挟む感じで、落ちないように気を付けて………失礼な物言いだったな、風よりも早い世界王者を前に」
「きききき気にしないで下さい!!」
「釣りをしようと思ってるんだが、釣りの経験は?」
「魚は、あ、あの目玉がこわくて……」
「そうか。確かドッグショーもあるな。犬は好きかな」
「噛み殺されかけたことがあって、こわくてだめで……」
「恐ろしい生き物だ。カカナの犬は大陸王者より強いのか」
「ま、魔剣士になる前の話なんです……」
魔導バイクは本来は魔力貯蓄器からの魔力で動くが、ソフィアが借りたのは搭乗者の魔力で動く車種だった。魔剣のおかげで補給を気にせず走れた。魔導バイク特有の駆動音。
セントラル島の道路を2人はひたすら走る。
晴天だった。
青い海と空、ぽつぽつと雲塊が飛んでいる。
向かい風が気持ちいい、とソフィアは思った。
「見ろ、コーラルベイ・ターミナルだ。パーセファニー号がいる。豪華客船番付の世界2位の」
ソフィアは道路の下、遠くに見える船着場に停泊する巨大な船を片手で指さした。
「お、お詳しいんですね」
「いとこが前に乗ったらしい。もし都合が合ったら一緒に乗ってみよう。専属のサーカスショーがあるそうだ」
「へええ」
「そうだ、馬に乗ったことは?」
「え? ええっと、見たことも触ったこともないです」
「そうか、じゃあちょうどいい。行こう、確か牧場がある」
「え?」
目的地が決まると、ソフィアはバイクを加速させた。リナは驚きながらソフィアの腰を掴む。
そうして2人はセントラル・イーストベイ牧場に辿り着く。
観光客相手に乗馬体験が出来る場所だった。
幸いにも牧場主は魔剣闘技に疎く、ソフィアとリナが何者なのかはさして気にされず、快く馬を借してくれた。
「た、高いです高いですこわいですソーニャさん!!」
レクチャーを受けて馬に乗ったリナが悲鳴を上げた。
乗り慣れているソフィアは苦笑し、
「きみが暴れなければ馬も暴れないから大丈夫だ」
「本当ですか!? 振り落としてきませんかこれ!?」
「きみの方が全然強いのだから大丈夫」
「小さくてうるさいのが背中に乗ってるって思ってますよ絶対!」
「それはそうだな」
「ソーニャさん!?」
「大丈夫、ゆっくり行こう………あとで浜を走るが」
「はいっ?」
「なんでもない。浜に向かって進もう」
ソフィアは手本を見せるように、やや大きめの動きで馬の腹を足で押し、進ませる。
リナもそれを見て恐る恐る真似をした。リナが乗っている馬は大人しく賢いと牧場主が太鼓判を押していた通り、拙いリナの指示でもきちんと前へ歩き出した。
「歩いてくれましたよソーニャさん!」
「良い調子だ。そのまま付いてきてくれ」
ソフィアは海岸への道を進み、リナもそれに付いていく。正確にはリナの馬がソフィアに付いて行っていた。リナは何も指示しておらず、初めての乗馬の感触と振動と景色に、顔をあちこち向けていた。
「ソーニャさんは馬に慣れてるんですかっ?」
「子供の頃は父にせがんでよく乗せてもらった。大臣閣下が来たときはキツネ狩りもしたな、懐かしい。こうして乗るのは久しぶりだが」
「……し、失礼ですけどソーニャさんのご実家って?」
「お、浜だ」
潮風が2人と2頭を撫でる。
白い浜辺があった。牧場の敷地であるため他の観光客はいない。
「いい気持ちだ」
ソフィアは馬の速度を落とさせ、リナの馬の横に並ぶ。
馬たちが鼻の先で少しじゃれ合う。
「セントラル海の風は四大陸のどことも違うと言うが、確かにジーニキリーとは違うな」
「そ、そうなんですか?」
「大陸南部の避暑地はいくつか行ったが、ここほどゆるやかではなかった。セントラル島が人気の場所なのも分かる。いいところだ」
「………そうですね」
リナはソフィアに頷いた。
彼女も海からの風に栗色の髪をなびかせ、快く目を細めていた。表情がゆるい。
ソフィアは安心した。
「よし、では走ろうか」
「は?」
「はっ!」
ソフィアは馬の腹へ合図を出し、加速させた。
リナの馬もソフィアの意を汲み、速歩を始める。
付いていけないのはリナだけだった。
「ソーニャさん!?」
「いい風だ」
2頭の馬は砂を蹴り上げ、颯爽と駆けていく。
隣のリナがその速度と振動になんとか慣れたのを見て、ソフィアはさらに加速させた。馬も走るのが好きなのか、実に軽やかに疾駆していく。
「いい子だ」
「全然いい子じゃないですよおおおお!!」
「大丈夫、試合のときのきみはもっと早かった」
「それとこれとは違うじゃないですかッ!!」
「余裕があるな。もっと行ってみよう」
「ソーニャさん!?」
馬に無理をさせない程度にソフィアはどんどん速く走らせた。馬も自分の出したい速度で駆け、人馬ともに心地よく時を過ごした。
「下ろしてええ!! ソーニャさんの嘘つきいいいいいい!!」
リナだけはずっと悲鳴を上げていた。
*** *** ***
「ああ、いい湯だ」
スパの大浴場に浸かりながら、水着姿でソフィアはくつろぐ。
乗馬を楽しんだ後、セントラル島の中央にそびえるカティン山の麓で、四魔協提携の会員制スパに入っていた。
会員制だけあって利用客もまばらで、みな浮ついた様子のない紳士淑女ばかりだった。
おかげで魔剣を持ったまま入浴するソフィアを見ても、誰も何も言ってこない。
が、
「……リナ? 入らないのか?」
ソフィアは振り向き、一向に浴場に入ろうとしないリナへ声を掛けた。
白いタイルの上で、顔を完全に真っ赤にしたリナが立ち尽くしている。
「だ、だ、だってこれ、は、恥ずかしくて……」
蚊の鳴くような声だった。
魔剣を抱きしめたまま、もじもじと身を縮ませていた。
「よく似合ってると思うが」
「ソーニャさんだったらそうでしょうよぉ……」
恨みがましくリナがうめく。
リナが纏っているのは、肩紐のないチューブトップビキニだった。腰回りと胸回りしか覆っていない。紺と黄色の華やかな色合いで、起伏の乏しいリナの肢体を彩っていた。
「なんで、なんでこんなのしかなかったんですか」
「翼人用の水着がなかったから仕方ない。肩紐があるものは羽の邪魔になる。ちなみに普段はどんな水着を着てるんだ?」
「水着なんて着たことないです……ソーニャさんのやつみたいなの着たかった」
力なくその場でうずくまるリナに、ソフィアはどうしたものかと首を捻る。
そのソフィアが着ているのはスカート付きワンピース水着だった。露出が控えめで体型が分かりづらい。
「絶対逆だと思うんですよ……手足が長くてお胸もお尻も大きいのに腰がびっくりするくらい細いソーニャさんみたいな人が着るやつですよこれ」
「そうかな。確かに背丈こそ小柄だが、きみの体は素晴らしいと思う。生半可な修行ではないのが見て取れる。鍛えに鍛えたのだろう。美しい」
「そういう問題じゃないんですよぉ……」
「浴場に入ってしまえば同じだ。いい湯だよ、気持ちがいい。そこにずっといる方が目立つと思うが」
「うぅ……」
ソフィアに促され、リナは恐る恐る湯船に浸かろうとする。
その様子は初めて水場に入る子鹿をソフィアに連想させた。
「……ふわ」
そしてようやく肩までひたり、リナは大きく息を吐く。魔剣を抱えたまま脱力するその様子に、ソフィアは微笑んだ。
「羽は湯に浸かっても大丈夫なのか?」
「あ、はい、全然。腕と変わらないですから」
「それは良かった。にしても、水着を着たことがないのに、よくこんなスパを知ってたな」
暖かな湯を自分の肩に掛けながら、ソフィアはリナに尋ねる。
このスパのことを教えたのは、意外にもリナだった。
乗馬でかいた汗を流したいソフィアに、リナが提案したのだ。
「いえ、その、ベルナルディさんに教えて頂いて……」
リナは首から下を全て湯船に隠し、小さな声で言う。ソフィアはその名前に眉を跳ねた。
「ベルナルディ? アントニオ=ベルナルディか? 南のムヒュルム大陸王者が?」
「はい…か、会見が終わった後に、教えてくれたんです」
「会見? ああ、試合のか、カカナとムヒュルムの大陸王者戦の」
「そうですそうです、か、会見では全然普通だったんですけど、それが終わったら、わざわざ私のところに来て、
『体調が良くないなら、良いスパを知ってる。食事も美味い。治療士も一流だ。是非寄るといい』って言ってくれたんです」
「ほう」
ソフィアは結局魔剣を交えることの無かったムヒュルム大陸王者の言葉に、眉根を寄せる。
「そんなに体調が良くなかったのか?」
「いや、あの、その、なんと言うか……」
もじもじと俯き、リナは言葉を濁す。
「ええと、あのときは、大陸王者になったばっかりで、本当になんと言うか、情緒不安定で、それが顔に出てて……」
「なるほど」
今も不安定だが、とソフィアは口に出さず、
「アントニオ=ベルナルディは良い男だな」
「すごい優しい人でした。なのに、私は……」
リナは顔を青ざめさせ、それを両手で覆う。全身を震わせた。
「……ベルナルディさんの魔剣は、吸収と反射の魔法でした。相手の魔力を吸ってそれを自分の魔剣に纏わせて、相手にそのまま返すことが出来ました。
だから、ベルナルディさんの振るう力は、私の力でもあったんです。それに気付いたとき、私は、そのベルナルディさんの使う私の力に………」
リナが顔を見せる。
ソフィアはどきりとした。
紅の双眸が濁ったまま燃えていた。
「――――――――ぶっころしてやる、って思ったんです」
憎悪の熱でリナが言う。
ソフィアはそれに見入った。
「私はベルナルディさんを見ていませんでした。ベルナルディさんが使う、私の力しか、目に入りませんでした。殺してやる殺してやる殺してやる、ってひたすら思いながら、魔剣を振るいました。
あんな気持ちで戦ったのは、あれが初めてで、たぶん唯一です」
そこまで言って、リナの瞳から熱が消えた。
光も薄くなり、暗くなった眼が儚く震える。
「……我に返ったときは、試合は終わってました。ベルナルディさんは倒れてて、試合のことはおぼろげにしか、最初の攻防しか憶えていませんでした。私がどんな技を出しても全部見透かして、全部絡め取って反撃してくるのがとてもきれいだったのに」
リナは首を振った。
「ベルナルディさんは結局それしか試合が出来なくて、でも私はベルナルディさんをろくに見て無くて……とても失礼なことをしてしまいました」
「だが彼は目覚めた。今は意識を取り戻している。リハビリも上手くいっていると聞く」
ソフィアはリナの頬に手を添え、そっと撫でた。
「彼は魔剣士だ。きっとまたきみに挑むだろう」
「………」
リナは俯き、肯えなかった。
ソフィアは手を離し、魔剣の柄頭をリナへ差し出した。
「もし誰もきみに挑まなくなっても、私がいる」
ソフィアは告げた。
「私はきみに挑み続ける。約束しよう」
魔剣の柄を、リナの魔剣の柄に当てた。
リナは顔をくしゃくしゃに歪ませ、「はい…」と言いながら、魔剣を当て返した。
そうやって色々な場所を巡り、何日も過ごした後、ソフィアは帰りの船便に乗った。
リナは船着場まで見送りに来た。子供のように泣いていた。
子供をあやすようになだめ、抱きしめ、額に口付けした。
「また会おう、世界王者。次は負けない」
呆然とするリナを背にセントラル島を去った。
ただし行き先はジーニキリー大陸ではない。
カカナだった。
「まずは探すか。カカナの四魔協に問い合わせればすぐ分かると思うが」
ソフィアはふと自分の魔剣を見て、「心配するな」と小さく笑った。
「きみの魔法をあの子に見せよう。そのためならなんでもする」
ソフィアは魔剣に言った。
「―――――きみの美しさで、あの子を斬ろう。至高の魔法で敗れる名誉を、あの子に」
船はセントラル海を東へ進む。
ソフィアと魔剣を乗せて。
(完)