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④シャブラニグドゥス

 リナ=シャブラニグドゥスを初めて見たとき、想像以上の小ささと幼い顔に、ソフィアは驚いた。


 同性であるソフィアから見ても、シャブラニグドゥスはかなり小柄だ。おそらく150cmに届いていない。170cm越えのソフィアからすると、シャブラニグドゥスの頭頂部はソフィアの肩までしかなかった。

 その小さな顔も、子供と見紛うほどあどけない。歴代最年少の大陸王者とは聞いていたが、実年齢よりもずっと年下に見える。


 そして骨羽というものを、ソフィアは生まれて初めて目にした。


 シャブラニグドゥスは翼人だった。カカナ大陸にしかいない少数種族で、背中の翼で鳥のように飛ぶ。

 が、時折、羽も肉もない骨だけの翼を持つ者が生まれる。

 それが骨羽だった。

 筋肉も腱もない骨だけの、しかし目に見えない何かで繋がり動いているような翼。

 創造神は無数の風切り羽と羽毛で見栄えが良くなるよう、翼人を創造した。そのため骨だけの翼のシャブラニグドゥスは、とても不格好だった。


 そしてそれ以上に奇妙なのが、その自信のなさだった。


「せ、せせ、精一杯、お、お相手を務めさせて、いただきます、はい……」


 試合前日の恒例である王者同士の会見式場で、リナ=シャブラニグドゥスは極度の緊張で強張りながらそう言った。

 彼女の紅玉を思わせる赤い瞳は忙しなく揺れ動き、栗色の髪の下で表情はひどく引きつっている。後ろにいるシャブラニグドゥスのコーチ陣がため息と共に顔を手で覆っていた。


 ……本当にこの子が、カカナの魔剣士たちを壊滅させたのか?


 ソフィアには信じられなかった。

 リナ=シャブラニグドゥスは無敗の大陸王者だった。

 最年少にして最速で大陸王者になり、それでいて前大陸王者と12人の黄金級魔剣士の全てに勝った。一太刀さえ浴びることなく。

 その異常な強さはついに世界王者の創設さえ促した。

 現役にして既に伝説となっている、優勝候補筆頭の魔剣士シャブラニグドゥスは、ソフィアを直視できないとでも言うように恥ずかしがって震えていた。


 「こちらこそ、よろしく」


 ソフィアは短くそれだけ言った。


 王者達の会話はそれで終わった。

 ソフィアは試合前に言葉を交わすのがあまり得意でなく、シャブラニグドゥスに至っては今にも椅子から崩れ落ちそうだった。

 そんな2人に、記者が質問を投げた。


「お互いの魔剣技については、どういう印象を持たれてますか?」


 決まり切った質問だ、とソフィアは思った。

 対戦者同士の探り合いを始めさせる合図だ。記者たちもそれを見たがっていた。ソフィアが愉快でない気持ちで、どう返そうかと思案していると、


「フ、フラトコフさんの剣技は完璧です。信じられないくらい完璧です」


 シャブラニグドゥスが熱っぽい声で言った。早口で。


「真っ当に破るにはウラベさんの奥義ぐらいの大々威力の技がいります。それくらい完璧です。ウラベさんの奥義は雷神に奉納するほどのものですから、ソフィアさんの技もそれに匹敵します。神様の前で舞うに相応しい剣技です。とてもきれいです」


 黒紫の魔剣を大事そうに抱えながら、対戦相手であるソフィアを見上げた。

 その目には子供のような憧憬があった。


「フラトコフさんの魔剣もフラトコフさんを信頼しきってます。魔法が完成しきるまでフラトコフさんは絶対に負けない。だから魔剣はあのハリケーンみたいな大魔法を出すことに専念できます。お互いがお互いのために矛と盾を務めきってて本当にとても………」


 早口でまくし立てていたシャブラニグドゥスが、我に返って口をつぐむ。

 ソフィアが目を大きく開いて、シャブラニグドゥスを見詰めているのに気付いたからだ。

 シャブラニグドゥスはその輝かせていた表情を一転して青ざめさせ、


「す、すみませんすみません喋りすぎですよねすみません、ど、どうぞ、お話し下さい」

「あ、いや……」


 ソフィアは喋りすぎだとは全く思っておらず、むしろもっと聞いていたかった。

 自分たちをそんな風に言った人間は、シャブラニグドゥスが初めてだったから。


「……南のムヒュルム大陸王者との試合は観た。当代一の反射魔法の使い手を相手に速度と威力で押し切った。普通じゃない。隙を見せれば一瞬で終わる。前の試合の轍は踏まない」


 言いながら、ソフィアは歯がゆい思いをした。

 シャブラニグドゥスはソフィアと魔剣をああも褒めそやしたのに、自分はこういう言い方しか出来ない。ジーニキリーでは相手を探り合う時間だったため、言葉少なく打ち切っていた。

 シャブラニグドゥスの言葉と表情にそういう打算は皆無だった。

 純粋にソフィアと魔剣を讃えていた。

 言葉でそれに応えることがソフィアには出来ない。


「私のすることは変わらない。私の魔剣が全てを凍らせる」


 ソフィアは魔剣の柄頭を、シャブラニグドゥスにそっと向けた。

 ソフィアはシャブラニグドゥスに言った。


「私は舞い続ける。きみが凍って止まるまで。絶対に。何が相手でも」


 ソフィアにまっすぐ見詰められたシャブラニグドゥスはわたわたと体を揺り動かしながら、しかし興奮を抑えきれない仕草で、自分の魔剣の柄をソフィアに向けた。


「め、名誉を下さい」


 シャブラニグドゥスは言った。


「至高の魔法で敗れる名誉を」


 2人の魔剣の柄が交わる。

 かつてない気持ちで、ソフィアは試合に臨んだ。









*** *** ***



 シャブラニグドゥスの魔剣は高速だった。

 煌めく光刃が幾重にも重なってソフィアを襲う。


「っ!」


 ソフィアはそれら全てを打ち払い、後ろへ退き距離を取る。

 シャブラニグドゥスは追いすがり次の技を出す。円弧のような斬撃が左右から不規則に何度も来た。ソフィアは見切り、躱し、防ぎきる。

 連続攻撃を防御され、シャブラニグドゥスの表情は曇らない。

 シャブラニグドゥスはわらっていた。

 闘技場でのカカナ大陸王者は、会見とは別人だった。

 小さな体の隅々まで魔力が通い、飛べないはずの骨羽は目にも止まらぬ動きで縦横無尽に駆け抜けた。

 そしてその表情は、無邪気な子供のように朗らかだ。

 楽しくて仕方ないとでも言うように。


「なにを、笑ってるんだ」


 黒紫の魔剣が織りなす複雑な攻撃の数々を、ソフィアはひとつ残らず凌いでみせる。

 ソフィアの頭上には、魔剣の切っ先。

 冷却旋風が闘技場に渦巻き始める。

 完全に成長しきるまでにはまだ時間が掛かる。それまでソフィアは倒れてはいけない。


 倒れなければ絶対に勝てる。魔剣が誰であろうと凍結させる。

 それは大陸王者であろうと例外ではない。


 モトタカ=ウラベでさえ、魔法が完成さえすれば勝っていたのはソフィアだった。ウラベもそのことは理解していた。だから彼は最強の奥義を出さなければならなかった。

 誰であろうと、時間が来る前にソフィアを打ち倒そうと躍起になった。

 が、シャブラニグドゥスは違った。


「たのしい」


 頬を赤くし、紅瞳を輝かせ、シャブラニグドゥスはこぼした。

 それはソフィアに言ったというより、思わず零れ出てしまったような独白だった。

 シャブラニグドゥスが加速する。

 剣撃の嵐が強くなる。

 ソフィアはそれを迎え撃つ。

 速かった。そして複雑だった。

 シャブラニグドゥスは速度を変え、頻度を変え、様々にソフィアの隙を作ろうとした。

 ソフィアはそれらを見抜く。罠には掛からない。モトタカ=ウラベにはそれで敗北した。同じ過ちは犯さない。一瞬でも気を抜けば即負ける。


 負けはしない。魔剣を裏切ることになるから。

 ソフィアはかつてないほど集中した。


 凍える旋風が威力を増す。

 骨羽の魔剣士は速度を緩めない。ますます速くなる。

 その動きに焦りは微塵も無かった。早く倒さなければならない、という焦燥など欠片もなく、ソフィアが魔剣技を防ぐたびに称賛の眼差しが強くなる。

 シャブラニグドゥスはソフィアとの試合を楽しんでいた。

 はしゃいでいた。


「何が楽しい」


 ソフィアは苦々しく零す。

 シャブラニグドゥスの無邪気さが苛立たしかった。

 いつでも倒せるという余裕ゆえの楽しみ方ではない。

 打ち合う魔剣が教えてくれる。

 本当に、心の底からソフィアの剣技を称賛していた。

 それほどの剣技と魔剣を交えることにシャブラニグドゥスは喜びを感じていた。

 子供のように。


「何が楽しいッ!!」


 頭上の魔剣がさらに威力を増す。

 ジーニキリーでの王者決定戦に使った闘技場よりも広い会場は、ドーム型だった。

 その密閉された空間に、凍てつく疾風が容赦なく暴れ回る。天井が大きく歪み内部にへこんでいく。風の中にいた水の精霊は霧氷となって観客達を襲う。

 ダイヤモンドダストの中、2人の大陸王者は剣を交え続ける。

 シャブラニグドゥスが一瞬だけ後ろへ跳ねた。

 剣を鞘に仕舞う。納剣。


「っ!」


 ソフィアはすかさずシャブラニグドゥスへ肉薄した。

 今までと逆に高速の連続攻撃をシャブラニグドゥスに見舞う。

 シャブラニグドゥスは鞘に収まったまま魔剣でそれらを打ち払い、引き抜いてお返しの連撃を繰り出す。ソフィアがそれを躱す。

 ソフィアは知っていた。

 鞘に仕舞い、そこから抜剣する技。

 カカナ大陸王者決定戦でシャブラニグドゥスが前王者を破り、そして南の大陸王者を斬り負かした技だ。

 シャブラニグドゥスの奥義。

 それは絶対に放たれてはいけない。モトタカ=ウラベと同じだ。

 一方、奥義の発動を潰されたシャブラニグドゥスは、


「えへ」


 わらった。奇妙な笑い方だった。感情に対して表情筋がまるでついていけないようなぎこちなさだ。

 そこからシャブラニグドゥスの戦い方が変化する。

 速度や頻度をあの手この手で変則的に変えるのは同じだが、そこに奥義の発動を混ぜるようになった。

 ソフィアは当然それを潰すため攻勢に打って出る。

 シャブラニグドゥスはそこを突く。

 奥義を餌にして。

 ソフィアは戦いがより高度になったのを実感した。

 シャブラニグドゥスをもっと見なければならない。彼女の意図を読まなければ罠に掛かって負ける。時にはこちらから隙を散らしてシャブラニグドゥスの攻撃を誘発する。それが奥義でないなら防御しきれる。


 それは不思議な攻防だった。


 今までソフィアは襲いかかってくる者をひたすら退けた。猛攻を撥ねのけること、隙を見せないことに全力を傾けた。

 が、シャブラニグドゥスには単純に防ぎ続けるだけでは勝てなかった。お互いが相手をいざない、手を出すように仕向け、さらにその意図を読まねばならない。

 その一連の攻防を繰り返すたび、相手は何に気を引かれ、何に警戒し、どんな技を多く出すのか理解していった。

 ソフィアはシャブラニグドゥスという魔剣士を分かりかけていた。

 おそらく、シャブラニグドゥスも。彼女はずっと楽しそうだった。


 それは不思議な攻防だった。


 ソフィアはこの誘い合いと読み合いの繰り返しを、どこか快く思っていた。

 なぜだかは分からない。

 魔剣士になって初めて、ずっと打ち合っていたいという気持ちになった。

 実際ソフィアとシャブラニグドゥスの攻防は、お互いの前試合の時間を上回っていた。

 つまり。


「………できたか」


 ソフィアは一瞬だけ頭上を仰ぐ。

 虚空に浮かぶ切っ先が周囲の風の精霊を恐ろしいほど凍えさせていた。

 その魔剣が、ソフィアに慮る。

 ソフィアは小さく微笑んだ。


「いいよ、やってくれ、魔剣」


 ソフィアは言った。




「――――――――――――凍てつかせろ、中空を」





 それは、白い爆発だった。



 闘技場のドーム天井が限界までへこみ、そして吹き飛ぶ。

 真昼の光が闘技場に差し込む。


「!!」


 シャブラニグドゥスが驚きに瞠り、わらう。

 ……彼女の紅い瞳は視えていたのかもしれない。

 空中に浮いたソフィアの魔剣が、見えない力で闘技場上空の風を一気に冷やして渦を作ったのを。


 地上の風はその魔渦に引きずり込まれて上空へ放り上げられる。

 その途中で魔剣の冷却魔法を浴び、一気に超低温へ。

 冷たい上空の風と混ざり合い、今度は雪崩のように地上へ降り注いでいく。猛烈な疾風となって。


 闘技場の周辺で強風が荒れ狂う。

 地面に置いただけの出店や屋台など造作も無く転倒し、人々も吹き飛ばされていく。

 空中に張られた魔導線が哀れなほど揺さぶられ、走行中の小型車が横転した。

 しかもその風は一向に止む気配がなく、次第に白いものを混ぜた吹雪となっていった。


 初夏のセントラル島で烈しく雪が舞う。

 突然の寒波に町中の誰しもが混乱した。


 否、混乱していないのは2人だけ。


「すごい!!」


 雪嵐の中心で、シャブラニグドゥスが声を上げる。

 その赤瞳はソフィアの頭上の魔剣を視ていた。

 空中に浮かび冷却魔法を放ち続けているそれの周囲から、撒き散らされるものがある。


 青いみぞれ。


 青い氷雨は通常の氷とは比べものにならない温度であらゆるものを凍結させる。

 観客席の防御を司る防護ゴーレムがその青いみぞれを浴び、機能停止に陥った。観客席から悲鳴が次々と上がる。異常な寒波を至近距離で浴び、会場は騒然となった。避難の指示が大会本部から出される。パニックだった。

 2人の大陸王者はそれらを一顧だにしない。

 大旋風の猛威が会場ごと2人を襲った。


「すごいすごいすごいっ! 凍ってる! 水じゃなくて風の精霊が凍ってる!!」


 激甚な風と青いみぞれを浴びながら、シャブラニグドゥスは興奮でうわずった声を出す。

 彼女は青いみぞれの正体を見破っていた。


 ……それは風が液体化したものだった。


 普段は目に見えない希薄な風が、過冷却によって液体化し氷となった。

 それほどの冷気だった。

 現代魔導でも特別な装置を用いなければ風の液体化は出来ず、しかもこの規模となれば前代未聞である。


 風すら凍る。

 それがソフィアの大魔法だった。


 大陸王者になった試合では、魔剣に無理をさせて短時間で一気に完成させた。

 が、今回は充分に時間を変えて到達した、いわば完全版である。

 その証拠にソフィア自身にもまだまだ余裕があった。

 この吹き荒ぶ青い嵐の中、ソフィアはシャブラニグドゥスに襲いかかった。

 シャブラニグドゥスは即座に反応。黒紫の魔剣で受け止める。赤い眼が輝いていた。カカナ大陸王者の動きは鈍っていない。恐るべき加護と魔力だった。


 青い嵐の中、2人は先ほどと同じ攻防を再び繰り広げる。


「きれい!」


 シャブラニグドゥスが吼える。興奮に。


「きれいきれい!!」


 骨だけの翼をいっぱいに伸ばし、黒紫の魔剣が青い吹雪の中で舞う。

 赤い瞳がますます輝き、邪気の無い子供の声ではしゃぐ。


「きれいです!フラトコフさん!!」


 その言葉に、


「……そうだろう」


 ソフィアは言った。

 笑いながら。


「私の魔剣は美しいだろう」


 ソフィアの青い瞳から、こぼれる、涙が。

 

 涙は即座に氷結して粉砕された。

 ソフィアは自分が泣いていたことに気付かない。

 攻防が続く。


 吐息は一瞬で凍った。空気が異様に薄い。轟音が耳を劈く。凍結して破砕された瓦礫が空中に舞い上がって町中へ降り注ぐ。

 極寒地獄を生み出す魔渦はどこまでも大きくなり、冷却魔法の範囲はセントラル島の上空に達していた。

 そして大渦はセントラル島だけでなく、ついに島の周辺にあった積乱雲を巻き込み吸い込んだ。

 大量の水を抱えた雲は過剰なほど冷却され、下降気流となって地上へ叩き付けられる。そこに含まれているのは夥しいほどの雪と雹だ。セントラル島全域に異常降雪が発生する。試合を観るどころではない。緊急警戒指示が出され、誰しもが屋内へ避難した。警察と消防が救助活動を行う。大混乱だ。

 猛吹雪は収まらない。昼間とは思えないほど光が弱い。


 極寒地獄の中心で、藤色の魔剣と黒紫の魔剣が火花を散らす。


 ……いつしか青いみぞれに混じり、白いみぞれが増えていく。

 白いみぞれはしかし水ではない。

 風の精霊で最も凍りにくいものが液体化したのだ。

 温度が限りなく無に近くなる。

 あらゆるものが凍結する。


 風の雪が、ソフィアとシャブラニグドゥスに降り注ぐ。


 白色をした風の雪は、大陸王者たちをもってしても酷烈だった。

 ソフィアは自分に掛けられた加護が侵されているのに気付く。

 かつてない寒さ、冷たさ。

 自分の魔剣が、ついにソフィアを守り切れなくなったのだ。魔剣の魔法自体のせいで。

 力と熱がどんどん喪われていく。

 動きが鈍くなる。

 シャブラニグドゥスも同様だった。端麗なる妙技が精彩を欠く。

 風が薄い。音が遠い。時間さえ凍っているかのよう。

 ソフィアは悟る。

 このままでは長くは保たない。

 冷気の浸食は止まらない。諸々を凍結させる魔法がソフィア自身を蝕む。


 その時、ソフィアの魔剣が彼女に尋ねた。

 ソフィアははっとなって頭上を仰いだ。


 魔剣は言った。

 "弱めるか?"と。


 冷却魔法の力を下げ、ソフィアが凍らない程度を維持しようと提案してきたのだ。


「……」


 ソフィアは頭上から、目の前のシャブラニグドゥスを見た。

 既に骨羽が凍っている。

 小さな体のあちこちに白いみぞれがへばりつき、ぐつぐつと沸騰してシャブラニグドゥスの温度を奪う。その下の皮膚は凍り付き変色していた。シャブラニグドゥスもまた冷気を防ぎきれていない。無敗の王者が凍結していく。


 だというのに。

 彼女はわらっていた。

 

 シャブラニグドゥスは我が身を少しも意に介していなかった。

 血の流れより紅い瞳が、異様なまでに輝いている。

 興奮と感動で。

 この極寒地獄を楽しんでいた。心の底から。


「……かまわない」


 ソフィアは首を振る。


「やれ、魔剣。最大冷却」


 やさしい微笑みで、ソフィアは言った。


「きみの力を見せてくれ」


 魔剣はソフィアの願いを叶えた。

 極寒が歯止めをなくして加速する。


 風が次々と白い雪に変わっていく。

 青い雹がそれに混ざる。

 闘技場の空気は薄くなり、遙か上空の風を滝のように引きずり落とす。それらの下降気流は魔剣の冷却魔法を浴びて雪雹に変わった。風の雪雹はそのまま大渦に巻き込まれて上空に放り出され、周辺の地上に容赦なく大寒波をもたらす。

 セントラル島は氷結地獄に放り込まれた。


 その地獄の中心部は、温度が限りなくゼロに近くなる。


 2人の大陸王者の全身を、白い雪が覆う。

 水ではない風の粉雪だ。

 その極限の冷気を浴び、数え切れないほどの剣戟を繰り返していた2人の動きがついに。

 止まる。

 ソフィアも、シャブラニグドゥスも。

 止まった。

 止まった。

 止まった。

 凍り付いた。ジーニキリーとカカナの大陸王者が。


「……」


 ソフィアは意識が急速に薄れていくのに気付いた。

 限界が来た。

 魔剣の加護は魔法に耐えられない。

 それほどの大魔法だった。

 シャブラニグドゥスでさえ凍り付かせた。

 ソフィア自身も。

 力も熱も失われ、倒れようとする体。

 ソフィアに敗北した魔剣士達も、こんな最後だったのかとソフィアは思う。


 ……それでも斬って終わらせたんだがな


 ソフィアが挑んだ相手は、みなソフィアに斬られて終わった。

 けれどソフィアは斬られず終わる。

 自分の魔法で倒れて終わる。


 ……魔剣士の名誉は、守れなかったな


 師匠は見下げるに違いないと、ソフィアは思った。

 魔剣で斬って魔剣に斬られるのが魔剣士の名誉だから。

 ソフィアはその名誉には預かれない。

 魔法を浴びて倒れて終わる。

 仕方がないとソフィアは思った。彼女はそれを選んだ。


 全てが凍って止まった。

 動ける者などいはしない。

 シャブラニグドゥスでさえ…


「……っ」


 意識を失う、その刹那。

 ソフィアは視た。



 ―――――――シャブラニグドゥスの魔剣が、いつの間にか、鞘に収まっていることに。



「………!」


 シャブラニグドゥスの骨羽が震えた。

 白い風の雪が沸騰。一瞬で再凍結する。

 その一瞬の中で、シャブラニグドゥスが翔ぶ。

 全てを静止させる凍結地獄を裏切って。




 黄昏よりも昏い魔剣が、迸った。





 斬られたことを理解して。

 意識が消える。





 ソフィアは、敗れた。










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