破滅の運命、2人で向かえば恐くない!……多分ね。
山なし落ちなし意味もなし第2弾。
「……君は……」
ほんの一瞬、ほんの僅か、触れた手と手。
そして彼の第一声。
そんな、とても些細なできごと。記憶に紛れて忘れてしまうほど些細な。
それが、私と彼の出会いだった。
まさか輪廻転生が本当にあるとは思いもしていなかった、宗教なんて全く信じていなかった、そんな不信心な私が生まれ変わったということは、カミサマとやらと輪廻転生は関係ないのかもしれない。などと現実逃避をしていたのも今は遠い昔……と言うほどでもないけれど。
ともかく、せっかく前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのなら前世で得た私的教訓を活かして幸せになろうと開き直って、色々やらかした。──それはもう、やらかしまくった。中近世ヨーロッパ風味とでも言えば良いのだろうか。そんな不思議世界、しかも前世の記憶を掘り起こしても多分間違いなく地球には存在しなかったと思えるこの国があるこの世界では、大したことのない細やかな私の前世知識程度でも非常に役に立ったのだ。前世の偉人の偉業を自分のものとされることに申しわけなさを感じる謙虚さなど微塵もない私は、偉大なる恩恵を己の幸せの為に利用することに少しの躊躇いも後悔もなかった。私は利己的な人間である。その自覚は大いにある。そしてその行いの結果がここに顕れた。顕れてしまった。
「ティズベルタ、お前の婚約が決まったよ」
そう言って今世の父の告げた相手の名前に、私は絶句してしまった。進退極まるとは正にこのこと。後の祭り。後悔先に立たず。先人の言葉が突き刺さっている気がする。それはもう盛大にぐっさりと。
……可能性を薄っすら考えたことはあった。前世の世界に実在はしない筈だが、聞き覚えのある国名。聞き覚えのある名前。しかしその程度では断定するには弱かった。だから流していた。そんなことより己の幸せ、と日々邁進していた。欲の権化ですとも、ええ。
だけどここに来て、その、多分、を無視できなくなった。
ここは、この世界は、おそらく前世の世界で俗に乙女ゲームと言われる類のとあるゲームとして存在していた世界。或いはそのゲームに酷似した世界。若しくはそのゲームを土台にした世界。はたまたこの世界がゲームの素だったのか。そんな馬鹿な、どんなファンタジーだ、と笑いたい、ははは。……。
……いやいや、空笑いしている場合ではない。とにかく。何れにせよ、そのゲームの舞台となる場所が存在する国と同じ国名、登場キャラクターと同じ名前の人間が最低2人。姿形は、流石に2次元が3次元になるといまいち確信が持てるほどのものとは成り得なかったが、目立つ特徴は一致している。
そうなってくると、薄っすらと考えていたことが無視できなくなってくる。無視すると私の身が危ない。私だけでなく、今世の家族も危ない。
つまり今私は今生、齢9歳にして人生の大変大事な選択を迫る岐路に立たされているわけだ。
どうしよう。本気でどうしよう。
身分制度があるこの国で、残念ながらと言うべきか、幸運なことにと言うべきか、私は平民ではない。所謂貴族というものの一員である。しかしながら私の生まれた家の家格は、6つの階級がある貴族の中でも最も低い爵位の男爵。
そして父の告げた相手は実情、貴族の中でトップの公爵、次位の侯爵とも同格とすら言われる辺境伯爵のご令息。はっきり言って逆らえない。たった9歳の子供でも知っている身分の強弱。知らぬ存ぜぬで我が儘も言えない。そんなことしたらお家が潰れる。
しかしこの話を受けたら受けたで先々私の身が危ない。いや、命の危険はないけれども、自由がなくなる。そんなのせっかく生まれ変わったのに嫌だ。
あーもー、なぜ私なのかと叫びたい。他にも蜜にお付き合いしていたお家で家格も年齢も合うご令嬢達はいるのだ。よりにもよって、家の為にとそこそこ仲良くはしていたが、それでも一応となるべく関わらないようにこそこそしていた上、家格差の激しい私じゃなくてもいい筈。ゲームのストーリーに沿わなくてもいいじゃないか。ゲームのストーリーが、前世では所謂運命と呼ばれていたものに当たるのか、この世界。
ならばその運命に当たるものを知っている私ならその運命から外れることも可能かもしれない。
「ティズベルタ、明日は朝早くに出発するから今日は早めに寝るんだよ」
「え?」
「ディークリヒト君に会いに行くよ」
「……」
どうだ嬉しいだろう、と言わんばかりの顔でにこにこしている父に、早過ぎる! とは言えなかった。何の準備もなしに会いに行くとか、どうしろと言うの! 今夜一晩で良い案が浮かびますように……!
結局、何の良案も浮かばないまま翌日を迎え、馬車は順調に進んで辺境伯の館に着いてしまった。所詮残念な私の頭では無理があったのだ。う、自分で言ってて悲しい……。
「……具合でも悪いの? 大丈夫?」
……そんなに酷い顔をしていたのだろうか。10歳の子に心配されてしまった。
「大じょうぶ」
「そう? それなら良かった」
うっ、その笑顔は反則……! 美少年の笑顔は可愛過ぎる……!
将来は鋭さのある寡黙なワイルド系美丈夫になるとは言え、今は子供。イケメン確定の人間の幼少期は大変に可愛らしかった。
現在、そんな美少年と2人で庭を散歩中。互いの両親に「庭で遊んでおいで」と追い出されたのだ。この隙に何とか婚約の撤回ができないか。綺麗に咲き誇る花をまともに見ることもせず、そんなことに思考を巡らせていたその時。
「ねえ、ティズベルタ。君、前世の記おくがあるでしょ」
「え……」
不意討ちだった。不意討ちにも程がある程、不意討ちだった。ぽかんと口が開くタイプの人間でなくて良かったと、つくづく思う。
「やっぱり」
思ったのだが、無駄だったらしい。確信を持った言葉を発した美少年はにっこりと笑った。破壊力は抜群だ……!
しかし溜息が止まらない。内心に留まっているのが幸いか。彼に隠し事はできない。なぜならば。
「みえたんだね?」
質問だけど質問じゃない。ほぼ間違いない。断定だ。彼には視えたのだ。この国には、ギフトと呼ばれる不思議な特異能力を持つ人がいる。その数はほんの僅かで、決まった家に受け継がれるかのように生まれる。ディークリヒトのルルーツ辺境伯家はそんな家の1つで、彼はその異能を受け継いで生まれてきた。ゲーム上のその設定は、現実でも同じだった。私はそれを知っている。ルルーツ家の持つ異能は、過去視。手で触れた物や人間の過去が視えるのだ。
しかし今までまるで気にしてはいなかった。何せ齢9。視られて困るようなことはまだ何もしていない。心を読まれたら非常に不味いが彼の異能は読心ではないし、無邪気に面白いねと笑っていられた。まさか前世まで視えるとは思いもしなかったから。しかし前世まで視えるとなると話は変わってくる。仕事に生きる女と言えば聞こえは良いが、お一人様街道爆進オバチャンの黒歴史が暴かれてしまう……! ひいいいいっ!
「……うん、ごめん。初めて会った時に……あのころは、まだせいぎょがうまくできなくて……」
焦った私に申しわけなさそうにしょんぼりと項垂れながら馬鹿正直に告白する少年。しかしかける言葉が思い浮かばない。すまないね、とは思えど空笑いしか出てこない。まさか最初からとは。最早諦めるしかない……ああ落ちる肩を止められない……。
「……良いよ。へんなやつだって思ったでしょ……」
「そんなことないよ。ぼくも前世の記おくがあるから」
「……え……?」
……何か今、物凄い爆弾落とされた気がするんですけど!?
今の私は口こそぽかんと開いてはいないが唖然としていると思う。恥も何も吹っ飛んだ。そんな私に気づいてか否か、彼は話を続ける。
「しかも、この世界とはちがう世界で生きていた記おく。ぼくは前世、地球っていう星の日本っていうところで生きてたんだ」
「……」
……私と同じ。まさか、同じ境遇の人間がいるとは思いもしなかった。ううん、いてくれたら、とは思ったけど、可能性はゼロに近いと思っていた。なのに、こんなに身近にいたなんて。
「……私も。私も前世は地きゅうっていう星の日本っていうところで生きてた……!」
言葉は何の思考も経ずに口を突いて出ていた。同じ境遇の人に会える。それがどれだけ大きなことか。私は今の今まで分かっていなかった。途轍もない感情の渦が私をあっという間に呑み込んでいた。目頭が熱い。
「うん」
嬉しかった。ただ、嬉しかった。初めて、物凄い孤独感が私の中にあったことを自覚した。
彼は年齢に沿ぐわない大人びた穏やかな笑みを浮かべ、いつの間にか握り込んでいた私の手をそっと取った。
「だから、こん約を申しこんだんだ。ぼくの意志で。こうでもしないと、2人だけで話ができないから」
10歳と9歳。子供として2人だけで遊ぶことができない年齢ではない。けれど、そろそろ男女間の距離を学び始める時期でもある。確かに彼の言う通り、そう遠くない将来に2人で内緒話をするどころか、普通に会うことも難しくなってくるだろう。お互いにそれぞれ婚約者ができてしまえば尚のこと。婚約の話が纏まっているから、現在私付きの侍女も彼付きの従者も話の聞こえない位置まで下がってくれているのだ。そうでなければもっと近くにいる。それが普通。
しかし婚約となると、私の中に懸念が頭を擡げてくる。それは言わずもがな、ゲームのこと。
勿論、この世界がゲームの世界、ゲームそのものだなんて思ってはいない。ゲームそのものなら、私にあるこの意思は何だと言うのだ。……そうは思えど、ゲームと同じ展開に進んでいく現状に、心の中に憂いが広がる。
一体どうしたものか、と思う。彼はきっと仲間を見つけて嬉しかった。私もそうだ。だから分かる。話せる相手が欲しいと思う気持ち。それ故に、婚約という手段に出た。でもその手段に出られたということは、多分ゲームのことを知らないということ。まあ、あれは乙女ゲームという通称がつく類のゲームだから、男である彼が知らないのはある意味当然とも言える。前世も男であったならば。知らないとなれば私の懸念事項が現実となる可能性も大きくなる。と思う。でも果たしてゲームのシナリオ通りに私の、彼の人生が進んでいくものだろうか。この現実という世界で。……ううむ、分からん。どうしたら良いのさ……。頭パンクしそうだよ! 誰か助けて!
うんうん唸っている私を見かねたのか否か。彼が再び口を開く。それは更なる爆弾だった。
「もしかして、この世界がとある恋愛シミュレーションゲームに似ていることを気にしている?」
なんですと。いま、「とあるれんあいしみゅれーしょんげーむ」とおっしゃいましたか。
私は彼をまじまじと見つめてしまった。彼はそんな私ににっこりと極上の笑みを見せた。破壊力……!……じゃなくて!!
「……あのゲームを、知ってるの……?」
「うん。ぼくの前世は“ディークリヒト”の声を当てていた声ゆうなんだ。で、君は前世で“ティズベルタ”の声を当てていたよね?」
……はかいりょく……! 美少年の笑顔の破壊力……! 爆弾第2段の破壊力……! ダブルパンチ……! まっしろ……! 私の頭は真っ白だ……!
美少年の微笑みにやられてぼけっと見ていたら、その笑顔が徐々に曇り出した。
「……ちがった?」
困ったような済まなそうなその表情に頭が少しずつ我に返り始める。でも言葉を発せるほどじゃない。
えーと……。前世の記憶があるのはいい。同じ世界の記憶なのもOK。だけど何で私の前世がどんな人間かまで分かるの……?
ぼんやりと形になった疑問に答えをくれたのは、またしても眼前の美少年。
「前世の記おくがみえた時、その……君が……亡くなるところがみえたんだ……。それで、そう思ったんだけど……。ごめん、ちがったんだね」
「あ、ううん、ちがわない。あってる……」
物凄く申しわけないと思い切り書かれたその顔に、何を考えることもなく咄嗟に返事を返すと、ぱっと表情が晴れた。
「合ってる? 良かった! 失礼なことを言っちゃったと思って、どうしようかと思った」
破壊力……! 笑顔が凶器……!……だからじゃなくて!
待て待て待て。彼は何と言った? 「ぼくの前世は“ディークリヒト”の声を当てていた声ゆう」と言わなかったか? それってつまり……彼の前世はあの大御所声優様!? じゃあ何か、私は大御所声優様で前世の大先輩様に今までタメ口利いてたわけ!? ひいいいいすみませんすみませんっ!
「な」
「な?」
きょとんとした表情で首を傾げる彼は大変可愛らしい。だがそれどころではない。
「何も知らなかったとは言えタメ口などと、大へん失礼を……! 申しわけないことをいたしました!」
がばりと頭を膝につきそうなほど下げたけど、もう土下座したほうが良いかもしれない。だってディークリヒトの声を当てていた声優さんは、私世代の人間には憧れとも言える大御所様なのだ。素晴らしく良いお声で、ご尊顔も中々。長らく声優をされていて、私よりずっと若い世代の方々にも人気があった。このゲームの仕事で見かけた時は心底驚くと共にその幸運に滅茶苦茶喜んだ。ああ、懐かしい。いやいや、そうじゃなくて、そんな大御所様にタメ口とか、もう合わせる顔がないでしょ。あうう……。
内心で盛大に泣きながら頭を下げていると、くすり、と笑う気配があった。
「顔を上げて」
う、合わせる顔がないのにそのお言葉は厳しいです……! しかし断るなどできよう筈もない。仕方ない。
渋々顔を上げると、大御所様は苦笑していらした。ですよね、すみません。愚かさに呆れるしかありませんよね。
「たしかにぼくは前世、君にとっては先ぱいだったかもしれないけれど、今はたった1才しかちがわない年だし、ぼくたちは今、おさななじみでしょう? ふつうに、今まで通りに話してほしいな」
それは難しい注文でございます。
「だめ?」
く……! 覗き込まれての上目遣いで首を傾けたそのお強請りポーズは卑怯です……! ああ可愛い! 何でも言うこと聞いちゃうよ!
「……分かりました」
「うん?」
ああ、笑顔で凄まないで! 私に選択肢はない! 分かってるけど厳しいんだよこん畜生凄んだ笑顔でも可愛いな!
「……分かった……これで、良い? 本当にタメ口全開になっちゃうよ?」
「もちろん」
本当に嬉しそうに笑う大御所様に、最早私は諦めた。大御所様、こんないいご性格していらしたんですね……。お空が遠いな……。景色も目の前にいる筈の大御所様も何もかもが遠い……。
こうして私と彼の婚約が内々に成った。
“今後もし、別の想う相手ができた場合、双方で(当主を含む)話し合いの上、婚約解消或いは婚約破棄を成立させてから、その相手にアプローチすること”、“婚約解消或いは婚約破棄に至った場合は、相手に対して慰謝料、賠償金、補償などを含む、相手に配慮した誠実な対応をすること”、“冤罪などで、相手を貶めないこと”、“約定を違えた場合は如何なる理由があろうとも、相手に対して損害を賠償、補償すること”などなど、とてもじゃないが齢9歳の子供が思いつくとは思えない、思いつく限りの条件を付け加えて。気休めかもしれないが、まあできる限りの予防線を張っておくに越したことはない。大御所様改め、ディークリヒトも了承してくれたし、良かった良かった。
何にせよ、この身分差の激しい婚約が成立したのは、単にそれぞれの両親が乗り気だったからだ。……まあ最終的に了承してしまったと言うことは、私も結局、何1つ隠さなくていい相手を欲していたのだろうと思う。
あとは、未来がゲームのシナリオ通りにならないことを切実に祈るばかりである。今現在、恋愛感情があるかと問われれば否ではあるが、大事な友人であることには変わりない。失うのは悲しい。
「大丈夫。ぼくたちはゲームのキャラクターじゃない。ちゃんと意思を持って今を生きている人間だから」
……とりあえず、抜群の破壊力を持つこの人を失わないように、頑張ってみようと思う。まあ、実際問題、将来は誰にも分からない、神様ならばいざ知らず。もしかしたら神様だって分からないかもしれないし。
「ティズ、食堂に行こう」
「……」
婚約成立で盛り上がった双方の両親により、予定外にルルーツ家主催の晩餐会が計画された。その晩餐会へ行こうと差し出された手をじっと見つめる。手を繋ぐとか、何も知らなかった時には平気でできたが、よく考えたら──いやよく考えなくても2人とも中身はいいおじさんとおばさんなので恥ずかしいだろう。
「せっかく生まれ変わって新しい人生を生きているんだ。子供に返っても良いと思う。前世の記おくがあるからって大人としてすごすのは、もったいないよ」
確かに。
私はゆっくりと差し出された彼の手に自分の手を重ねた。
……うん。この温かさをずっと感じていられるように頑張ろうと思う。破滅の運命も2人で向かえばきっと大丈夫、恐くない。……よね、多分。
にっこり微笑みかけたら、破壊力抜群の笑顔が返ってきた。……うん、まずこれに慣れないとゲーム云々の前に私の精神が死亡する気がする。