1話 貧民街での生活
瞼を開ければそこは見知った天井。天井といってもボロボロで今にも天井が落ちてきそうな感じだ。意識が徐々に覚醒していき、体を起こして立ち上がる。床を踏んでいけばミシミシと音を立てる。腐りかけの木造建築で力を込めれば床が抜け落ちそうだ。
暗く汚い室内だが、これでも十分綺麗になった方だ。最初に来たときはゴミ屋敷で腐臭が酷く、とてもじゃないが人が住んで寝たりなんてできなかった。今でも少し匂うが寝泊まりできないこともない。
開閉ができない扉が付いている玄関を通ると、朝日が昇り貧民街に光が入ってくる。眩しい朝日に目を擦りながら、このボロい家に勝手に住み込んでいる人物、レオが体を軽く動かす。
体を動かし、足や腕の服を捲り、傷を確認する。ついこないだまで負っていた傷も大分完治し始めており、これも全てエレナのおかげだ。エレナは父親が医者だったらしく、包帯や止血、治療までもがお手の物であった。
それともう一人————
「あ、レオ君起きたんだね」
不意に後ろから声を掛けられる。この貧民街で過ごし始めてから何度も聞いた声色である。
「ああ、おはようティム」
そう返事を返す相手はこの貧民街に来てから何かとお世話になっている人物。背丈はレオより小さく、オレンジの髪をした線の細い青年だ。年齢はレオと同じか少し上ぐらいかと思われ、とても礼儀正しい印象だ。
その人物こそがティム・マエスタスだ。
「傷は治りました?」
「まあ、大丈夫だね。大分良くなってきて走り回ることもできそうだ」
「それは良かったです。それならそれそれ今後の話をしたいので三十分後ぐらいに僕の小屋に来てください。他の人も一緒に」
「ああ、わかった。また後で」
レオはそう言うとティムと別れ、貧民街奥の薄気味悪い小屋に向かう。
貧民街の住民も数日経てば見慣れてきて、服が汚れ、顔も炭だらけの人物を見ても何も思わなくなってきた。だがレオはある程度清潔を保った黒シャツに黒ズボンを着ている。王都での出来事で服の至る所に穴が開いたりしていたが、エレナの裁縫スキルにより跡も残っていない。
壊れかけの小屋の前に着き、扉がない小屋に入る。その小屋の中にはレオの仲間だったらしい一人のテンだ。
「起きろ!朝だぞ!」
「―――んがっ」
寝ていたテンの目の前で大きな声でモーニングコールをする。テンと出会ってからわたったことだがこいつはどうやら寝起きがとてつもなく悪い。こいつが朝早くに起きていたことが見たことがない。それとは対照にブラッドはとてつもなく朝が早い。今日も王都の商店街に行き情報集めと食料調達をしに行っている。
ちなみにエレナとリアの女性二人はさすがに貧民街にいさせるわけにはいかないので、王都外れの宿に泊まっている。
あとで呼びに行くつもりだが、レオは王都でも顔が結構割れているらしく、テンに行ってもらうためにも起こしに来た。
「寝起きで悪いんだけど、ティムがこれからのことで話があるらしい。王都で女性二人にも伝えてきて欲しい。ブラッドは多分そろそろ帰って来る頃だし」
大きく口を開け欠伸をするテンにレオはそう伝える。欠伸をしてこちらを見るとまた擦っていた目を瞑り始める。
「ふぁーあ、了解、した。あと五分寝てからでいいか…」
「いや、今から行ってくれよ!」
「えー、レオが行けよ。俺は疲れた」
「いや、俺が行ったらマズイってお前らが言ったんだろ。俺だってエレナにおはようのモーニングコールしたいというのに」
レオは手を握りしめ、唸るようにしてそう話す。
レオはエレナへの好意に気づいてからこのような話を結構するようになった。だけど本人を前にすると、恥ずかしのか、奥手なのか、普通に会話することも困難になっていた。いわゆるヘタレというやつだ。
「はあ、わかったよ。俺が行けばいいんだろお」
テンは起き上がり頭を掻きながらボロい小屋から出ていく。レオも付いて行くように小屋を後にし、貧民街の通りに出る。
「ここの匂いにも、場所にも慣れてきちまったな…」
感慨深いものである。最初は鼻が曲がる様な悪臭が漂っており、そこらに建ち並ぶ小屋も、小屋と言っていいのかわからないものばかりだった貧民街にもう一週間も生活をしている。
テンは貧民街から、王都のエレナ達が住んでいる宿の五層の方に上っていった。確か、あそこに行くには階段が必要だったはずだが、テンにとっては必要ないらしい。十メートルを超える壁を悠々と走っていった。
改めて、彼が世界を脅かす異端者の一端だと再確認する。
「傷も治って来たし、そろそろ行動するか…」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それじゃ、集まりましたね」
貧民街に建ち並ぶボロい小屋の中に、一つ大きい家、倉とも言うべきものが建っており、レオ達一同はそこに集まっている。
右からティム、レオ、ブラッド、テン、エレナ、リアと丸を描くように中心を開けて座っている。
「―――まず、一週間様子を見てみましたけど、レオ君たちを追っていた騎士団はどうやら探すのを諦めたのか、四、五層にはいないね」
「だとしたら、おかしな話だな…」
ティムがここ一週間、様子を視てみて騎士団と思われる者たちはレオ達を探している様子はないとのことだった。
あれほど、熱心に追い回し、本来は王族を守るために存在する近衛騎士団、王都の下層の治安を保っている一端とされる傭兵団。それらを使ってまで追い回し、追い詰めたと言うのに、レオが貧民街にたどり着いてから全く動きがないらしい。
「レオがもう王都にいないと高を括ってるんじゃねえのか?」
テンはあまり興味がなさそうに体勢を崩して、片手をひらひらと動かしそう話す。
「それはないだろうね、多分。結界がまだ作動していることを考えると王都から脱出できるのは、王都の正門だけだからね。騎士団がここら一帯を視ていないとしても、さすがに門番ぐらいは付けるだろうしね」
テンの発言にブラッドが反論する。
「——結界…結界って前も言ってたけど、それは何なんだ?」
以前レオは、結界という言葉を確かエレナから聞いた。そのころはあまり気に留めていなかったが、今思えばおかしな話だ。
「結界っていうのは、この王都を守っている言わば防壁と言うものだね」
「防壁…?」
レオの問いかけにティムが答える。「いいですか?」と指を一本立てて話を続ける。
「この王都ができたのが今から約七百年前。結界と言うのが張られたのが今から約五百年前なんですよ。そしてこの結界の意味と言うのは———」
「異物…王都に侵入してくる。いうなれば異端者を見つけるための結界とも言える」
ティムの話を途中からリアが受け継いで話をする。言いたいことが言われたのか、ティムは少し悔しそうな顔をしているが、無視だ。
「異端者…いや、まて!そしたらおかしいだろ!?異端者ってのは今から十一年前ぐらいに現れたんだろ?だとしたら何でそんな昔から結界が存在している!?」
異端者を見つけるための結界。それが作られたのが、今から五百年前。異端者が現れてからの年数が全く合わない。
「その結界も異端者を見つけると言いましたけど、それは少し語弊がありますよ」
「語弊?」
「そうです」とティムは頷き話を続ける。
「結界の役割は、まずさっき言った異端者を見つける。言い換えれば、異端者を結界の中に閉じ込めるものです。外から入ることは可能ですけど、そこから外には抜け出せません。だから異端者は外には出れずに、弾かれる。それが異端者を見つけると言う意味です」
「―――な、なるほどね…ありじこくってわけか」
だとすれば、もうレオやテン、ブラッド、リアもこの王都からでることは不可能ということなのか。
「そしてもう一つが、異獣を近づかせないための物です」
「異獣?なんだそれは」
「異獣というのは、ある日突然変異した化け物のことです。見た目は動物のような形をしていますが、目がなかったり、耳がなかったり、口がなかったりと、人間を見つけ次第襲ってしまう、厄災の一つですよ」
「そんなものまでいるのかよ…ヤバいな」
今の話を聞いてると、厄介な獣を追い払うための結界であり、異端者に対しては後付けみたいなものなのかと解釈する。
「その結界があると、異獣は襲ってこないって解釈でいいか?」
「ええ、大丈夫です。ですから異端者の僕たちはこの王都から出られない。出るとしたら王都の正門から抜ける以外他にない。そういう話です」
ティムは頼み込むように頭を下げて話をする。何故頭を下げてこのような話をするのかというのは、今から一週間前まで遡る。
それはレオ達が貧民街に着いた頃、そしてこの青年のティムに出会ったときの話である。