17話 逃走経路
王城の扉の前に立つ絶世の美貌を持つ白い髪に白い肌の白が印象的な少女。そしてその美女が胸の前で抱かれている金髪の少女、エレナ。
白い少女からかつてないほど圧倒的な鬼気を放っている。それは少年が過去に感じた鬼気と同じように感じる。
「――君が…。この少女を助けにここまで来たのかな?」
表情をほとんど変えないまま少女は淡々と話しかけてくる。
その少女に対してレオは最大限の警戒心を持つ。額からは冷や汗が垂れてくる。
「お、お前はさっきまで後ろの、騎士団の大広間にいた奴だな」
少年が騎士と戦っているときに入り込んできた鬼気を放つ異物。その者が入ってこなければきっとあの騎士に斬られていただろう。背後から感じた異様なほどの鬼気、それが今目の前の少女から同じように感じる。
「――リア、風で目の前のあいつを吹っ飛ばせるか?」
「レオ、目の前の人間違いなく今までわたしがあった中で一番の強者。そんな人がわたしの攻撃が当たるとは思えないよ…逃げた方がいい…」
「それはできない。あの女が抱いている女の子が俺が探しているエレナだ」
「――!」
白い少女に抱かれている金髪の女の子。遠目からでもわかるエレナだ。眠っているように見えるが、何故あの少女に抱かれているのか、その少女が何で目の前に出てきたのか。
「なあ、お前が抱いている女の子は俺が探していた子だ。こっちで引き取るからその子を渡してくれないかな?」
「…………いいよ」
予想外の言葉に少年は驚く。てっきりこの子を返してほしければ私を倒していけみたいな展開、かと思っていた。
「――そ、そうか。ならその子を渡してもらって…」
レオはその言葉を聞き少女のもとに足を動かし始める。隣ではリアが何かを言いたげな顔をしている。
「———ただし、君がボクのところに来るんだ」
エレナを返してくれる条件に自分を要求してくる。自分が捕まればエレナを返してもらえるのかと考え、苦い顔をしてその場に止まる。等価交換、エレナを救うためにここまで来たが、それだと自分が助からない、だが彼女を救うためなら———
「俺が、捕まえれば、エレナを返してくれるのか…?」
「捕まるだなんて人聞きの悪い、ボクはただ君が欲しいだけなんだよ?」
そう目の前の少女は面白いようなものを見るように笑みを浮かべる。誰しもが見とれるほど美貌。その少女が自分を欲しいと言ってくる、普通だったら喜んで付いて行くだろう。だがその少女からは圧倒的な鬼気、背筋が凍るような悪寒を出している。付いて行こうとはとてもではないが無理だ。だがあの少女を助けるためであったら―――
「レオ!伏せて!」
「!!」
背後からリアの声が聞こえ、その場でこけるかのように伏せる。その頭上を通るのは目に見えるほどの風の刃と化した突風だ。斬撃のような一閃、レオの髪も一部が斬れ、目の前の少女のもとに向かっていく。
―――瞬間、空気が暴発したかのような轟音と光が起こり風の刃が消え去る。
「――何が…」
目の前の少女は何もしていない。否、何かしたのを視えなかった。少女はきだる気な顔をして溜息を吐く。
「――この金髪の子に当たったらどうするんだい?」
「――そのぐらいは調整できるわよ!」
少女は睨みつけるような憎むような、憤怒の視線でリアの方を見る。
レオにとっては今何が起きたのかがわからない。頭上を何かが通ったと思ったら目の前の少女から轟音と光が起こったのだ。
少女はエレナを抱きかかえたままその場に立っている。だが明らかにこちらを見る視線が増している。
「リア一体何を――」
「レオそのまま動かないで!」
レオが後ろに振り返ると突風が頭上を通る。突風は少女の後ろにあった大きな扉にぶつかり、音を立てて壊れていく。さっきまでいた少女はいつの間にかレオの後ろに立っている。
「さっきまで…あそこにいただろ…」
レオが扉の方を指を差し、呆けたような顔をして呟く。
少女はレオに近づき、抱きかかえていたエレナをこちらに渡してきた。少女は白い髪を揺らし、こちらを見て微笑んでくる。さっきまで放っていた鬼気はいつしか消えていて、見れば普通の少女のように見える。
何故そのような顔をしてこちらを見てくるのかわからない。ただその笑顔はどこかで見覚えのある温かみのある笑みだった。
「いつかボクを迎えに来てね…」
――瞬間その少女は目の前から消えた。
ただ一度瞬きをしたらその場から消えていた。辺りを見渡してもこの場にいるのはこちらを見ているリアと胸の中で寝ているエレナだけだ。
「何、だったんだ…」
「――レオ。大丈夫?何かされた?」
「———ああ、いや大丈夫だ。何も、されてないよ」
何故エレナを渡してその場から消えたのか、わからないことだらけだがエレナを連れ戻すという目的は達成できた。
だけど、最後に言ったあの言葉は一体——
「あ、ありがとうな。おかげでエレナは取り戻せたわけだ。俺はこれから下の階層に行って仲間たちに俺たちの無事を伝えに合流する。ここから早いとこ逃げないとな」
人が全く見えないが、それでもいずれ騎士団がまた追っては来るだろう。自分を何度も捕まえに来たんだ、逃げられたとなると捕まえにこないはずがない。
「いっそ、ノアに助けを求めるか…」
手を顎に当てて考える。ノアは自分を見逃した、騎士団なのに。それには記憶を失う前に自分と何らかの強い繋がりがあったからだ。その過去の記憶に頼ってしまうのが悪いと思うが、
「リアは、どうする?」
思えばリアは檻で捕まっていてそれを助けたから手伝いをしてくれているだけだ。捕まった理由も異端者だからとしか聞いていない。だが今のリアの異能の力を見ると簡単に捕まるとは思えない。
質問に対してリアは少し頬を赤くし、小さな声答える。
「――わたしも…付いて行っていいかな?これから行先もなくて…あ、でもレオがダメっていうなら…諦めるけど」
「え?いや別にいいけど、リアだって外に出たんだから何かやりたいことでもあるんじゃないのか?」
「それはいいの。いつだってできることだし、レオは記憶がないんでしょ。それにここから下の下り方、知らないでしょ」
返す言葉もなく、少年はここから下の階層の行き方は知らない。下に降りれば勝手に行けると思っていたが、さっき道を間違えて時間を無駄にしてしまったために行けるかどうか少し困っていたのが現状だ。
「それなら下の階層、とりあえず五層までの道案内を頼むよ。人がいない内に早く行こう」
少年はエレナを抱えなおし、立ち上がる。いわゆるお姫様抱っこというものだ。
リアは掌に風の渦を作り出し、場所や人の確認をし始める。
「とりあえず、ここにいるよりさっさと下に降りた方がいいよな」
少年がそう言うと、リアは無言で頷き、さっき開けた大きな扉へと足を速める。途端、王城の壊れた扉の方から声が聞こえてくる。
リアの掌の風の渦が大きくなったり、小さくなったりといままで安定していた風が不規則になっている。
「リア、これは」
「人が来てる!早くこっちに!」
王城から足音や声が聞こえてくる。騎士団の本部に二人は転がり込む。そのまま今まで走ってきた長い廊下を再び走り始める。王都の大きさもそれだけあるのでここから五層に行くためにも相応の時間が掛かる。
「何で今まで人がいなかったのに!―――リア、何人来てるんだ?」
「王城から十人以上、十二人かな…五層までこっから走って三十分以上は掛かる!」
「くっ!…わかった…」
リアが早くに人が来ていることに気づいたので、捕まることはないかもしれないが、問題は俺だ。自分が負っている傷は見た目以上に酷い。両手足の傷からまた血が出てきており、今度はエレナを背負って走っている。
「わたしもまだ異能の力が全開になってないから…」
掌で不規則な動きをする風。この風はさっきまでに比べたら明らかに小さくなっている。これは人や空気の流れを感知するため人がいたら風の大小、動きは違ってくるがこの小ささは自身の異能を酷使しすぎたためだ。
リアの異能は風を作り出し、風を操る能力。今日はその異能を使いすぎた。リアが捕まっていた騎士団修道院の地下の牢屋で異能を使い、近くに人がいることを確認し、すぐに自身の持てる最大限の風を送り込んだ。それに雷の石が反応し、体内や外傷を大きく損傷した。それに加えここまで来るのに風を使い、謎の少女との戦闘にも使用した。はっきりいってもう自分の限界は近い。
「だけど…」
「――くっ、クソ!」
自分の姿の方が明らかに酷い。走る速度も落ちてきており、後ろから来る多分騎士団だろうやつらから逃げきれると思っていたが、このままだと捕まるのも時間の問題になってきた。
「―――これはしょうがない損害だと思ってよね!」
するとリアの周囲から突風が飛び出し、周囲に遭った調度品が次々と舞い上がる。後ろから追ってきて見える騎士団。そこに襲い掛かる風で浮かした数々の残骸。
「ぐああっ!、なにが!、ぎゃああ!、あががあ!、風が吹いて!、やめ!、あいつらを追えええええ!!」
後ろから怒号や悲鳴が聞こえてくる。どうやらリアの作り出した風で後ろにいた騎士団たちはやられているらしい。室内なのに、旋風や粉塵が舞い後ろを向いても騎士団の姿がはっきりと見えない。
「このまま逃げ切れるか…」
「レオ、ここを曲がったら外に行ける!」
目の前には右に曲がる廊下。長かった廊下からの脱出———
王城に行くための大きな扉に似た扉が見えてくる。エレナを抱えながらの行動で既に息が上がり、体が激痛に襲われる。その状態であの大きな扉を開けなくては、
「―――はっ!!」
前を走っていたリアが両手を前に出すと、大きな扉が音を立てて、開かれる。二人掛かりでやっと動いた扉を風の力だけでこじ開けた。
「マジ…かよ」
「レオ、そのまま、はあ、走って…」
あまりのことに口が開いてしまったが、リアは顔色が悪くなっており、足取りも悪い。風の異能を使いすぎたのか、怪我や疲労が原因なのか定かではないが、彼女も限界が近いことがわかる。
「さすがに二人は担げないぞ」
「―――だい、じょうぶ」
外に出ると大きな階段、幅はおよそ十メートルはあろうところ、そしてその階段を下りた先に見えるのは王城よりかは小さいが大きい門。豪華な造りに何やら紋章が見える。
まだ後ろから騎士団は来ていない。早いとこ行って身を隠さないと、このまま追われればいずれ捕まる。怪我や疲労も既にピークを迎えている。
階段を下りて門を開ける。こちらの門もかなり力を入れないといけないが先ほどの王城の門とまではいかない。リアは既に壁に手を付いて足を動かしている状況だ、一人で何とか門を開け、着いたのは二層。あと三層、四層、五層とあるなかで先は長い。
「リア、階段は———」
「―――階段…はここを真っすぐ…」
リアが指さした先、豪華な貴族が住んでいるような屋敷のその先、舗装された道の奥には一メートルぐらいの柵、その奥は空が見える。
「―――真っすぐ…?あの奥は崖じゃないのか!?」
「だい、じょうぶ、だから、その先に行って…」
とりあえずこのままここに立ってても埒が明かない。リアの言う通り真っすぐに進み、豪華な屋敷を横目に五十メートル近く進む。そこには思った通り、下に三層と思われる屋敷や住宅が立ち並ぶ階層が見える。
「ここから、先は———」
少年がリアにこれからどう動くかを話そうとすると———
突如風が舞い上がり、エレナを抱えている少年の体が宙に浮く。
隣を見るとリアの体も浮かび上がり、崖の方へ体が飛んでいく。
宙に落ちる浮遊感を味わいながら、さっきまでいた場所を見ると、騎士団が数人こちらに走ってきているのが見える。
―――あのままあそこにいたら危なかった。だけどこれじゃあ…
このまま自身の方向感覚もわからなくなってくる。少年は胸に抱きしめているエレナに力を入れて、これから数秒後に起きる落下の衝撃から守ろうとする。
少年とリアの体は一気に三層、四層、と飛び越え五層———まで飛び上がり、地面との距離が近づいてくる。
「———死ぬ!死ぬ!死ぬ!死ぬって!!」
「くっ!レオ!舌を、噛まないように!」
その言葉のすぐに少年とリアの着地予測点の地面に目掛けてリアが暴風を作り出す。真下から起きる風圧で上昇気流に乗り、宙に浮かびわからなくなっていた方向感覚も戻り、落下速度が緩やかになる。
両足に渾身の力を込め、これから来る衝撃に備える。大きな音を立てて足を地面につける。体全体が痺れあがるような衝撃に傷ついていた足から血が噴き出る、胸の中で抱きしめていたエレナも無事なことを確認する。
「本、気で死を覚悟したぞ…風を使ってもう少し楽な着地はできなかったのか…」
急な風により一気に五層へのショートカットに成功したが体にかかる負担は並みのものではなく、リアに文句の一つでも言ってやろうかと思い、リアの方を見ると着地点で力なく倒れていることに気づく。
「あれ、おい、リア!大丈夫か!」
軽く体をゆすって呼びかけるが、リアからの返事は一向にない。浅い息を繰り返し、苦しそうな顔をしている。さっきから顔色が悪いと思っていたが、ここで体力が切れるとは思っていなかった。
着地時にこと切れたのか、右足と右手からは出血が酷く、見るからに痛々しい。
「おいおい、マジかよ…」
今自分はエレナを抱えているが、これに加えてリアを抱えていくことなどできない。さらに自分の怪我も深刻であり、今の着地で足の傷が大きく開いてしまいさっきまでのように全速力では走れない。
「ショートカットが裏目に出たか…いやあのままでも追っ手に追い付かれていたか」
五層へのショートカットが成功したが、追っ手をこれで撒けたとは思えない。ここで止まっていてもいずれ見つかる。
かと言ってここでリアを見捨てるわけにはいかない。まだ出会ってから間もないが、ここまで力を貸してくれたおかげでエレナを取り戻した。恩返しもまだできていない状況で見捨てるなんてできない。
「どこかに身を隠せる場所…」
辺りを見渡すと、近くに大きな階段。これは上に続いておりおそらく四層へと行く道だろう。他には商店街、住宅と建ち並び、どこかの家に入り込めば何とかなりそうだ。
エレナを一回床に降ろし、自分の着ている黒いシャツを脱ぎ、リアを背中に乗せる。シャツでリアを固定して、エレナを胸に抱え込む。
「今までの重さより二倍で、傷も開いて倍きつい。四倍苦しい状況だが、泣き言いえねえ」
傷ついた足を起こし、目の前に見える小さなこじんまりとした店を目的に歩き始める。走り回ることができず、さっきまでより速度は数段遅い。わずか十数メートルなのだが、はるか遠くに感じる。
足元から垂れてくる血が点々と地面に広がっていく。それには気づいているが、血を消そうにしても時間がもったいない、それにそんなことをする体力もない。
背中に背負うリアは相変わらず浅い息を繰り返し、呻き声を上げている。胸の中で眠るエレナは安定した呼吸音は聞こえるがいつ目を覚ますかはわからない。
一歩一歩をゆっくり、慎重に進んでいく。足の傷が一歩進むごとに頭のてっぺんまで痛みが響いてくる。
「———があっ!!と、りあえず、ここで身を隠して…」
何とか小さな店の中に行くことができた。ここにも人はおらず、勝手に入って申し訳ないが仕方ない。エレナを部屋の奥に身長に降ろす。固定していたシャツを解き、リアも降ろす。
ここから、テンとブラッドと合流するにはどうすればいい。無駄に歩いて迷ったらそれこそ、時間と体力の無駄になる。
それにテンとブラッドはもしかしたら三層の避難所に行っているかもしれない。そこですれ違いが起こるかもしれない。
「いや、これ以上可能性の話をしても意味はない。それよりこれからどう行動をするかだ」
「―――んっ」
ふと、部屋の奥で眠っていたエレナが動き、声を出したことに気づく。
「エレナか!…目が覚めたか、よかった」
エレナはまだ完全に覚醒しきっていない眼を擦りながら、辺りを見回している。
「目が覚めてもらったばっかりで悪いんだが、あまり時間がないんだ。俺はこれからテンとブラッドを探しに行く。エレナはここでリアを見ておいてくれ」
「レオ…その傷…」
「大丈夫だ。とりえず頼んだぞ…」
―――外から足音と数人の声が聞こてくる。ここまで来るのに人がいなかったことを考えると騎士団で間違いはなさそうだ。
「クソ!もう来たのか…時間がない…」
足の傷も、今まで負ってきた体の苦痛の痛みも構っている暇なんてない。ここで決断しなければ、またエレナが俺が捕まってしまう。ここで捕まればこれまでのように逃げ出すことなんてできないだろう。
思い返せば記憶を失ってからというもの、激動の日々だったなと。こんな事態に微かに笑いが出てくる。エレナも足音や声に気づいたのか動き始めようと体を起こし立ち上がる。
「エレナ、予定変更だ。リアを連れて貧民街だっけか、そこに先に行ってくれ。金髪のガラの悪い奴と茶髪の優しそうな顔をした奴に出会ったらそこで俺の名前でも出せばいい」
「え?何が…」
リアのことはエレナに託す。もう時間がない。この小さな店には裏口があることを確認する。エレナ達を付けられたらそこで終わり。貧民街に行くことがバレたらそれこそ終わりだ。
「———俺が囮になって逃げる。そのうちに貧民街に行け」
「でもレオ、そんな怪我で…」
「大丈夫。もう痛みも一周回って痛くねえよ。リアを頼むぞエレナ」
外の方へ走り出す。エレナが何かを言っているが、体中の痛みでよく聞こえてこない。一周して痛みが消えたなんて嘘だ。痛すぎて言葉が出てこないぐらいに苦しい。
外を出ると、商店街に数人の白と黒の制服に白い羽織もの。騎士団で間違いなかった。
騎士団は自分の姿を見るといなや、こちらに走ってくる。
足に力を込めて、地面を蹴って走る―――
「これが正真正銘最後の鬼ごっこだ、付いてこいや!」
最後の力を振り絞り走り抜ける。王都での最後の逃走劇が始まる。