13話 お前は誰だ
レオ・パーシバル・フェルム。最初にその者のことの話をされてもすぐに自分だとは理解できなかった。
まず自分の姿を見たのが一度きりしかないこと。その自分を見たのも水溜まりの一瞬のことだ。
「何かの…間違いだろ。そんなの」
「間違いではないと思われる。その条件を提示してきた人はこの王都に目的の人がいると言ってきている。異端者なんて、あんな神出気没な奴らが王都にそう何人もいるはずがない」
「それで…名前も知らない相手にいきなり俺に会いたいってか!?そいつのせいで俺がこんな目に会っているっていうのにか!!」
知らない相手のせいで自分がこんなに傷つき、苦痛を味わっているとなると怒りが湧いてくる。
「君がその者のではなかったとしても騎士団が君を捕まえるのは変わりない。君が異端者である以上ね」
「その異端者が何で目の敵にされるんだよ」
「―――異端者が再度現れて十一年何もなかったなんてことがあるか?」
「は?どういうことだよ…それは」
言葉の意味がわからない。異端者が現れてそれでどうなるのだ。
「異端者が現れたからというもの各国のあちこちで被害が起きている。異端者はその持つ異能により、市民に民家に国に莫大な被害をもたらされている。ここ十一年だけでも八人の悪魔たち、異端教団、こいつらがオルレアンの街を鎖国国家のヴァンセンヌの都市を地図上から消したりと計り知れない」
「―――」
「それだけのことを十一年も前から絶えず起きている。ヴァンセンヌやペサック都市国家でも異端者を見かけたら即粛清なんて規律もあるのだから、こうしてまだ捕らえようとするだけでも優しい方だ。昔は血縁者が異端者というだけでも捕らえられていたんだからね」
異端者。この名前だけはいろいろな人から聞いたが詳しい内容まで聞かせてくれなかった。それにはこんな情景があったとは。血縁者だけでも捕らえられたとなると友達や関わりたいと思う人なんていない。だから誰からも語られなかったという話だ。
「――おかしいだろ…お前は俺と同じで異端者というやつなんだろ?それならお前はどうして騎士団なんかやれてるんだ!?異端者は即粛清なんだろ!?」
目の前の男が騎士団を名乗り、異端者でもある。明らかに話が矛盾している。
「それについては話す理由がない。ともかく君は捕縛するように上から命を受けてきた。おとなしく…捕まってくれ…」
「バカかよ!今話した内容で付いて行こうと思える奴はいねえよ!それに俺を指名したらしい奴も異端者らしいじゃねえか!記憶にないやつにそれも異端者に会おうと思えるわけないだろ!!」
仮にその異端者と面識があったとしても少年には当然記憶がない。今のノアのように何も気づかずに別人だと判断されればその場で殺されるかもしれない。
「そいつがもし俺の知り合いだとしても、俺が記憶がないなんてことを知ったらどうするんだよ」
今話を聞いた異端者の脅威性。それを知った後だと、何をしてくるかがわからない。
ブラッドの方を見ると、顔を逸らして唇を噛むようなしぐさを見せる。
「———おい、ブラッド。この話はお前は知っていたのか…?」
「……」
「答えろよ…ブラッド!!」
ブラッドは何も言わずに、両手で腕を抱き、目をこちらに合わせようとしない。この行動だけでも、答えを言っているようなものだ。
「お前は…本当に俺を知っているのか…?お前はただ、お前らは俺を嵌めるために俺を知っているふりをしているんじゃないのか!!」
自分が記憶がないことからも、ブラッドもテンも自分の敵なのではないかと、思わなかったわけではない。エレナだって———そうだ。
「お前らは俺を、どうしたいんだよ!!俺が、俺が何をしたって言うんだよ!記憶がなくて、いきなり理不尽に追い回されて、傷ついて、俺に何をさせたいんだよ!!」
少年は右手で壁に手を打ち付けて、大きく吠える。ぶつけた右手からは皮膚が破けて血が滲み出る。そんな傷にも気にせず、溢れ出る感情は止まらない。
「俺が何をしたって言うんだよ!俺にどうしろって言うんだよ!どうしてお前らは執拗に俺を狙うんだよ!!」
息切れをして、八つ当たりをしているのかもいれない。理不尽に追いやられて、それでも歯を喰いしばって頑張ってきた。疲弊した精神が、傷だらけの体が、それでも頑張っていればいつかは報われて、どうにかなる。
そんな風に思っていた。だけど、現実はそんなに上手くはいかない。
「ーーーもう、嫌だよ」
掠れた声で、頭を抱えて蹲りながら涙を流す。決して流したくなかった涙が溢れてくる。
「レオ。今更こんな事を言っても信じてくれないかもしれないが、君は僕が初めて出会った時も記憶喪失だった」
今まで何も言ってこなかったブラッドが口を開き、話始める。いつの間にか戦闘体勢を解除したノアも腕を組み、壁に寄り掛かりながらこちらを見ている。
「……?は?なんだよ…」
「僕がレオと出会ってからもう六年経つ。六年前もレオは記憶がなかった。でも今の状況と違うのはそのときはまだ自分の名前を憶えていた」
ブラッドの口から明かされた衝撃の事実。自分は前にも記憶を失っていたということ。そのときはまだ自分の名前を憶えていたということ。そしてブラッドと出会ってから六年も経っていたということ。
だが、これが全て本当ならだが———
「――俺が前にも記憶を、失ったって話が本当なのかどうか、証拠もないだろ…」
「そうだね。レオの言う通り、なんの証拠もない。だけど、僕は昔レオと話したことは覚えている。何をして、何がしたかったのかも覚えている。今は何も覚えていないのかもしれないけど、きっと記憶を取り戻して、僕を信じて良かったって言わせてみせるよ」
「――は?何、何を言ってるんだよ…信じられねえよ!記憶がないことがどんなに怖いことか、お前は、お前らは知らねえんだよ!!俺が誰かもわからない、何をしてたかも、ここがどこかもわからない!こんなに怖い思いをして、お前を信じろだと?ふざけるなよ!!」
「――確かに僕はレオの気持ちはわからないよ。でも、レオは誰かのために頑張って、先陣切って皆を引っ張っていける人だって知ってる。レオが知らないことは僕やテン、そこにいるノアだって知っている」
指をノアの方に指してそう諭す。
ブラッドの言葉を信じたい、そう思っても、もう誰も信じられない。信じて、裏切られて、きっと自分は殺される。目が覚めてからなんど何度も命の危機にさらされている。
耳を塞いで蹲っている少年に手を伸ばす。
顔を隠していた腕の隙間から目の前を見た。手を伸ばしている男を———
それはどこかで既視感を覚えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
―――異端者。
―――異端者異端者。
―――異端者異端者異端者。
異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者異端者。
何度も聞いた、悪魔の声。世界の嫌われ者、街や国を壊して周る狂人、異能を使い、殺人、破壊、強奪を繰り返す、異端…異端者。
そこは暗い闇の中。蹲っている少年の遥か前に影が動いているのが見える。誰なのかわからない。だけど、心が落ち着く。
きっとこれからもこんな言葉を聞くはめになるだろう。
何故か自分の中に眠る、もう一人の自分。その存在に俺は…■■は気づいている。
でも認めたくない、■■は世界の敵だと、認めたくない。だけど、認めなくてはきっと前には進めない。
俺は…俺が…■■———
―――つ―み——るよ—。
———■■・■■■■■。
声が聞こえた。だれかが、待ち望んでいる声が…
声のする方に行きたいけど、行けない。動きたいけど、体が動かない。
蠢く影がこちらを見ている。黒い影なのにこちらを見ているのが感じ取れる。
―――口が動いている。
―――何かを喋っている。
あそこに行けば■■は救われるのか…
いつ間にか涙も枯れて、動けなかった体が動く。立ち上がって、前を歩く。
蠢く影に向かって、歩き始める。
何故かわからない。何故あの影に懐かしさを感じるのか。
その影は顔が見えないが慈愛に満ちた顔をしているのが何故かわかる。
不安定な暗い、黒い影が蔓延する床を歩いているが、一向に影にはたどり着かない。否、前に進まない。
「―――」
声を出したはずが、声が出ない。体は動き、口も動くのに、喋れない。
「―――!」
遠く正面の影は微かに微笑み、何かを発している。きっとそれは自分へのメッセージだと感じる。
影は遥か遠い、口を動かしているが、声がこちらまで届くわけがない。だが、確かに聞こえた———
―――まだ、———たりない…
確かに聞こえた、影からの声。機械的で男か女かもわからない。ただ立ち尽くす影を見ながら、少年は涙を流している。涙を流すことに驚きながら、影は暗闇に溶け込み消えていく。
―――待ってるよ、■■。いつか—————————のを。
――――――――——————たすけて。
消えゆく、影を眺めながら涙を拭いて、答える。
「―――———」
喋れない、聞こえない声だが、きっと届いたはず。そう■■は思った。
後ろを振り返ると、影の中から眩しい光が立ち込める。影が去っていき、光が■■を照らす。
進もう、歩き続けよう、あの———を守るために。心の中に眠る使命を全うするために、どんなに辛く、厳しい世界でも、抗い続けよう。あの影が見せた、懐かしい言葉を実現するために。
「―――待ってろよ…」
光に歩きを始めながら、喋れなかった口から言葉が出てくる。もう戻れない、きっと光を見て■■が―――
永い永い夢を見た———
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
―――伸ばされた手を掴み、少年は立ち上がる。
掴まれた手を見ながらブラッドは驚く。目の前の少年はさっきまで誰も信じられずに一人で蹲っていた。その少年を助けてあげたいと思い、手を差し伸べたが、こんなに早く立ち直るとは思っていなかった。
目の前の少年はどこかすっきりしたような顔を見せて、軽く息を吐く。
「――俺はまだ信じられない、お前が…ブラッドが俺の過去を知っているかなんて。だけどブラッドが信じて俺を助けようとしてくれるなら、俺も信じてみようと思った」
顔を上げて、目の前の人物を見る。
「―――俺は誰かわからない。だけど、あの暗闇でみた、俺を必要としていた待ち人を…きっと俺の知り合いだ。異端者であるかどうかなんて知ったことか。俺はあの光景をまた見るために俺は記憶を取り戻す。絶対だ!」
「何を視たのかわからないけど、レオは僕を信じるということでいいんだね?」
「ブラッドを信じるんじゃねえよ。俺はブラッドを信じようと思っている自分を信じているんだ。俺はきっと記憶を取り戻す、そのときにブラッドが嘘をついていたかどうかがわかるしな!」
ブラッドは少し面食らった顔をして、すぐに笑みを浮かべた。壁に寄り添い、ずっと傍観者で徹していたノアも少し口角が上がっている。
「話はまとまったか。それならさっさとここから出ていけ。お前の探し人は地下に向かったはずだ」
少年の前に立つ、ブラッドの向こう。壁に寄り掛かるノアが見える。
あれだけ悪態をつけたのに、それでも変わらずに話してくるブラッドとノア。ノアに至っては敵だと、少年はずっと思っていた。
それは今でも変わらないのかもしれない。最初に見た印象がすぐに変わることなんてそうそうない。
それでも一貫して、敵のように見せて、味方のように見せて、中立の立場を見せている。
ノアの異能を本気で使えば、自分を捕らえることなど簡単にできたはずだ。裏路地で見せた、一瞬で意識を奪い、拘束させた圧倒的能力。それを行使すれば、異能もまともに使えない自分なんかなすすべがない。
「お前は何なんだ?どうして俺を見逃そうとする…」
「私とレオが知り合いだから…では答えにならないか」
「もし本当にそれが真意なら、どうして裏路地の時に俺を捕らえたんだ?あれがなければ、俺がこんなにも悪態をつくことなんてなかったのかもしれないんだぞ」
もし自分がノアに捕まってなければ、あの大広間で想像を絶する痛みと、喪失感を味わわずに済んだのではない?それにあの負った傷のついてもまだわからないことが多い。
いろいろと矛盾しているノアの行動は本当に少年にとっては理解しがたい。
「―――私はただ命令に従ったまでのこと…あの行動に何か意味があったのかと聞かれれば、意味があったと言うほかない。だけど、その意味については言えない」
「―――わかったよ。俺はそれ以上踏み込まない…どうせ記憶をすべて取り戻すんだ。そのときにお前とどういう関係だったのかなんてすぐにわかることだ」
少年はノアの前に立ち、両手を広げる。
この言葉はノアに言うことであり、ブラッドに聞かせるものあり、エレナにいつか言いたいことであり、そして自分に言い聞かせるための言葉だ。
「俺はもう迷わない。どんなに困難な道であっても、俺はやるべきことをやるよ」
あの暗闇で見た光景。あの光景が脳裏に焼き付き、消えてくれない。あんな未来が見れるのなら、自分はきっとどんな困難な道にも挑み続ける。
悩み悩み悩み続けた自分。自分の過去がなく、誰も信じられなかった自分自身が、誰か・・に手を引かれた。
「だから俺は過去を見て、乗り越えてまた会いに行く…」
あの暗闇で出会った■■■に。
「俺はこれからエレナを助けに行く。この地下にいるっていう話だしな」
体を反転させ、ブラッドの方を向いてそう話す。
「なら僕も付いて行った方がいいかな?今のレオはお世辞にも戦えるとは思えないし」
「うっ…その通りだから言い返せないけど…」
少年の体はところどころの切り傷、擦り傷、疲労と、異能を使いこなせない現状では、王都を歩いている一般人と戦力は変わらない。
「ブラッドは逃げ道を作ってくれればそれでいいよ。テンと合流するのが一番いいけど…」
「テンは王都の最下層に行ってるからね、傭兵が何かうろちょろしてるって話も聞いたし」
「傭兵…」
自分が大広間に連れられているときに聞いた、ルシウスとあの副団長の会話。それに傭兵団の話が出ていたが―――
「とりあえず、早いこと行動に移そう。俺は下に下りるけど…ブラッドはどうやってここまで上ってきた?」
「僕は異能だけど…レオは無理だな」
「ブラッドの異能で下に下りる。エレナは下に行ったとなると———」
「いるとしたら王城か、三層の避難所かだ」
ノアは少年の言葉に続けて言う。
王城。王都と言うぐらいだから王城があってもおかしくないが、場所はよくわからない。だが、三層の避難所となると———
「三層に行かないといけないのか…それに王城ってどこだよ」
「———レオは王城に向かった方がいいな。僕が三層の方に行ってみるよ。どうせ僕の方はテンと合流するために下の階層に向かうから」
ブラッドがそういうと、ノアの方に顔を向けて真剣な面持ちで一つの質問をする。
「ここで手を出さないってことは、あの約束は続いているってことでいいんだよね?そうなるともう僕たちの手出しをできない」
「———私の今の行動がその答えだ。騎士団の行動は私が何とかしておくよ…」
ノアは後ろを向き、手を振りながら歩いていく。
氷の壁ができていた場所はノアが触れると跡形もなく消える。まるでそこには何もなかったかのように。
「———レオ、王城は一層にある。この建物の隣だ。私はこれから騎士団に行ってお前らがバレないように何とかしておくよ」
「何、何で…いや、お前は味方なのか?敵なのか?」
ノアはゆっくり振り返り、今まで無表情だった男が、かすかに笑みを浮かべ———
「次に会ったときにその答えを話すよ」
ノアは再び歩きを始める。そのまま振り返らずに、氷でできた壁の向こうの階段を目指している。
「ま、待て!!」
腕を伸ばして走り出そうとする少年の腕を掴むブラッド。腕を掴む手には力が入り、先には行かせないという確固として思いが伝わる。
「何で…」
「これからは教えられない。だけど、今は時間がない。そうだろ?」
少年は言葉を飲み込み、小さく頷く。
ノアはもう行ったのかいつしか見えなくなっている。
「わかった…よ。俺はとりあえず王城に向かう。ブラッドはテンと合流して三層の避難所に向かってくれ。合流場所は———」