12話 俺は誰で——
体が悲鳴を上げているのがわかる。寒さによって眠らされ、約一週感の軟禁による体力と精神の衰弱、何者かによって腹に剣を刺され、目が覚めてからの騎士団との交戦によりできたところどころの切り傷、途中地面が抜け落下して、出口を探して走り回っての体力消耗。
これだけの傷を負い、疲労を負い、まだ立って、走って、戦っている。それはもはや疲れが一周回って感じなくなっている。
「はあ、はあ、はあ」
これまでの理不尽な扱い、行き場のない怒りが少年の体を動かしている。体をまともに動けないはずなのに、体はこうやって怒りで、憤怒で、激昂で———
少年はノアから逃げていた。あのままその場にいたら間違いなく少年は凍死していた。ただでさえ体の一部は凍りつき、吸った空気は冷たく体内からも体を凍らせていた。
だがノアは追ってはこず、その場でつっ立ていた。何故かはわからないが、自分の体の周りにあった氷の杭も今では消えている。
「無理だ、無理だ無理無理。俺がここでどんなに不満やら怒りやらぶちまけても、一瞬で凍らされて終わりだよ。こんなの」
凍りかけていた足をフル稼働して、廊下を走り抜ける。
―――瞬間世界が凍り付くような感覚に襲われる。背後から感じる冷気、寒気。今までとは比べ物にならないものが迫って…
「うおっ!」
青い光が地面を伝い、氷でできたつららのようなものが地面から突き刺さってくる。
とっさに横に転がり、氷柱から避ける。角を曲がった先には下に下りるための階段が見える。もつれた足に再度力を込めて、走り出す。
だが、階段が目の前に迫ったとき地面から分厚い氷の壁が出来上がる。
「はあ?」
青くきれいな色をした氷の壁。腕で、拳で殴っても割れる気配がなく、氷片がキラキラと輝き散りばめられるだけだ。
「――クソ!」
少年は氷が壊せないことを悟り、近くにあったドアから部屋に逃げ込む。
部屋の中は大きなベッドとチェスト、ソファが並び、今まで見てきた部屋とさほど変わらない内装をしている。
「窓から逃げるか…」
ここはもうさっきまでいた六、七階と違って高さはそこまで高くないはず。打ち所が悪ければ落下死するかもしれないが、上手くいけば足や腕の骨一、二本で済む。だけど———
「痛いのはやだし、骨を折った状態で逃げることなんてできない。せめて異能とやら上手く使えれば…」
自分の異能の使い勝手の悪さに軽く舌打ちをする。今現状自分の異能の力は体の一部を金属のように硬化することができる能力。落下を軽減するような便利なものではない。
「この…」
「———」
部屋の壁が破られ、ノアの周囲に氷の結晶が身を守るように浮いていた。氷の結晶はみるみる形を変えていき、先端の尖った氷の刃に替わる。
「そんなこともできるのか…」
氷の刃が少年の首もとに放たれる。十や二十はくだらない数の刃が少年の体を狙い打たれる。
「がああああ!」
冷たく凍りかけている体に鞭を打ち、氷の刃を避けようとする。だが、相手の攻撃の数が多い。それゆえに全部の氷の刃を捌けずに足に腕に氷の刃が刺さる。
「ここで捕ってくれ…レオ」
氷の刃が刺さり膝を折り、ノアを見上げる。体に刺さった氷の刃から徐々に体の体温を奪っていく。意識が消える、視界がぶれて声も遠くのように聞こえてくる。
「――俺は…レオって名前は知らねえ…よ」
「―――」
「———俺はただ自分を知りたいだけだ。この国にいるのが邪魔なら出ていってやる。だから俺の邪魔をするんじゃねえよ!!」
「―――」
「何か言ったらどうだよ」
ノアは表情を変えずにこちらを睨みつける。周囲に纏っている冷気も更に下がり、氷の結晶が部屋全体に覆う。
「――ははは、何も言えないから暴力で言うってのかよ…このクソ野郎が!!」
「――レ…君を凍らせたら温度は戻すよ。だからおとなしく氷漬けにされてくれ…」
「はっ、うるせえ、死ねよ」
右手の中指を立てて、舌を出してそして―――
———すると壊れたドアの方から大きな音が鳴り響く。おそらく壁が壊されたのだろう、煙が舞い上がり人影が見える。
「騒ぎのもとを辿ればレオを発見と。それにノアもいるのか…騎士団に入ってたんだってね」
壁が壊され中に入ってきたのは茶色い髪色の優しい顔つきの男。ブラッドだった。
「――ブラッド…何でここにいる」
「それは勿論レオのことが心配だったし、それにノアがこの王都にいるっていう話を聞いてね。王都で情報集めをしていたら騎士団にいる可能性が出てきたんでね」
「――レオにブラッド、テンまで私を探しに来たのか」
「探しに来たっていうか…まあ、そんなところだ」
ノアとブラッドが喋っているのを聞いてると二人は知り合いでそれに加え、テンとレオの二人も知っているという口ぶりだ。
「――お前らは…知り合いなのか」
少年はブラッドの方を見てそう問う。腕に刺さった氷の刃を抜いて、傷を抑える。
「レオ見ないうちにこんなに傷ついてるのか。――知り合い、まあそうなるね。僕とテンとノアとレオは昔一緒にいたからね」
「じゃあ、お前らが王都に来た理由がこいつなのか」
「そうなるね…他にもレオが王都に行きたい理由があったらしいけど…今は覚えてないか」
「俺が王都に来た理由がこいつ…」
ノアは周囲に纏わせた氷の結晶もそのままにこちらを睨みつけるように見ていた。周囲の温度も少しずつだが元の温度に戻ってきている。先ほどまでの白い息も出なくなっていた。
「――ブラッドは何で…レオに…いや。そういうことか」
ノアは誰にも聞こえないような掠れた呟きを漏らした。途端再度空気が変わり、温度が下がっていくのがわかる。
「じゃあ、お前は俺のことを知っていて俺をこんな目に合わせたのか…?なんでだよ、俺とお前は友達のはず…なんだろ?」
ノアとブラッドが言うに俺とノアは知り合いで友人みたいな間柄らしく、こうも争うような事態になるはずがない。
「———私が騎士団で、君が異端者。それだけで争う理由があると思うが」
「それでもお前は友達なんだろ!?ブラッドもなんか言えよこいつに」
「―――」
ブラッドは何も言わずにただこちらを眺めているだけ。異能を発動しようとも、動こうともしない。ただそれがノアの異能で動けないというわけではない。
「お前が俺のことを知っているなら話が早い。俺は一体誰なんだ?何のためにここにいるんだ?」
「何言ってるんだ?レオ…」
ノアが理解ができないような発言に頭を悩ませるが、それは一瞬のことだった。何かを察したかのような顔で少年の顔からブラッドの方に顔を向ける。
「レオのことはお前の想像通りなのか?」
「———そんなわけないよ。レオと別れているときにこうなってしまったんだ」
「なら何でここに来た!私を探しに来たんじゃないのか!!またあの繰り返しになるんだぞ!」
「は?いや!ちょっと待てよ!!」
二人が言い合いになっている中少年だけが内容に付いて行けずに困惑している。
「お前らは俺の…記憶喪失の経緯について知っているのか?」
少年は記憶喪失になった理由は知らない。目が覚めたらどこかわからない、裏路地のゴミ捨て場で目を覚ましたからだ、知らないと言えば当たり前だ。それゆえに記憶を失う前の自分が誰で何をしていたのかが知りたかった。
「———それに俺は記憶喪失なんて一言も言っていない。どうしてお前が俺の記憶がないことに感ずいたんだ…?」
明らかに少年の異常事態に気が付いたかのような言動をしたノア。最初は動揺していたが、今では落ち着いて何かを知っているような言動をするブラッド。
「―――」
「答えろよ。俺ははっきり言って記憶がないからお前らの顔も名前も自分の名前も、何もかも知らない!」
少年は自分のことを知りたい。ノアとブラッドとテンは自分のことを知っているはずなのに、何故か話そうとしない。話せない理由はただ間が悪いだけだと思っていたがここでも話せないとなると何か理由があるはず。
「——レオは記憶を取り戻したいのか?それともただ自分の過去を知りたいのか」
「どっちもだ。お前らの言うレオとかいう奴に文句があるなら記憶を取り戻したレオに言え!お前らが知ってるレオってやつは俺は知らない!!ただ俺は何でこんな目にあって、ここにいたのか、それら全部が知りたいだけだ!!」
記憶がなく、自分を知らない。それなのに自分がこんな目に会い、血を流し、死にかけている。自分が何をしてこんな目に会うのか、何かを成してこんなことになるのか、それが知りたい。
それを知っているであろうこの二人がはぐらかせてくることに腹が立ってくる。
「お前らが俺を一方的に知って話しているかもしれないが、俺はお前らのことなんか知らねえ!俺が誰で、何でこんな目に会って、今まで何をしてたんだ!」
「レオ…」
「俺はお前らと同じのただの人間だろ?何か知らない異端者だとか言われていきなり命を狙われて、今も血反吐吐いてここに立ってるんだ!!俺の質問に答えろよ!!」
歯をむき出して少年は怒り吠える。再び感情が抑えられずに言葉が心が魂が叫んでいる。
目が覚めて、今まで何をしていたのかも思い出せずに、ここに放り投げられた。理不尽に追われ、傷つき、命を狙われ、それでも歯を食いしばってこれまで過ごしてきた。
限界だ。誰に話しても何も答えてくれずに傷つけれ、自分を知っている人に出会ったと思ったら、記憶があるていで話を進められたり、質問に答えてくれなかったり、命を狙われたりと散々だ。
「———レオ」
今まで黙っていたブラッドが口を開く。
「お前らの言うレオってやつはそんなに嫌われてたのか!?俺はただの普通の人間じゃないのか!?」
自分でも驚くぐらいに溢れ出した言葉がすらすらと出る。
「———俺はただ…ただ…普通の生活して幸せに過ごしたかったよ…」
少年は目に涙を浮かべ、床に座り込む。記憶を無くして、一日目のエレナとの生活を見てそう思った。たった一日の生活。だけど、あんなにも心躍ってしまった。
だからこそあのような日常を味わいたいとそう思った。
「―――」
「―――」
誰も何もしゃべらない。返答もせずに少年は頭を抱え下を向く。
崩れた壁の音と冷たい空気を吸う呼吸音だけが大きく聞こえる。
「———今から十一年前…この王都の西にどの王国にも入らない未踏の砂漠の地がある。そこに生者の塔というはるか昔からある幻の塔。誰も見たことのない幻の塔、そこで人蠱の壺があった」
沈黙を破り、ノアはゆっくり静かに語りだした。
「人蠱の壺には死者の魂が入っていた。その壺が壊れて十一年前、能力者と呼ばれる特殊な異能を使う者たちが現れた。その壺が本当にあったのかわからい。その生者の塔が本当にあるのかもわからない。全ては噂だとか嘘の作り話だと言われていた」
「―――」
「だが、つい最近それが事実だと話すものが現れた。その者は特異な能力を有してあり人蠱の壺の破片と見られるものを所持していた…」
「それが…それがなんだって言うんだよ!」
「その壺の破片を調べてみると呪術…呪いがかけられていた。そしてその者は生者の塔への行き方も知っていると言う」
「――呪術…なんて存在するのか…」
「呪術も魔法も過去に存在していたらしい。魔導書とういうものも実在していると聞いたこともある」
少年の疑問にブラッドが答える。ノアもブラッドもこの出来事を知っているのか。
「話を戻すと、その者が協力をしてくれるためにある条件を付けた…」
「―――」
「その条件は―――その者の素性を探らないことが一つ。ある人物を見つけ出して、その人物に会わせることが二つ。そしてその人物の特徴は男であり、異能を持っている。何より身体的特徴がある人物にピッタリと当てはまった」
ノアは条件を一つ一つ指を立てて説明をする。
「それがなんだっていうんだよ———」
「その外見と異能について、それに該当した人が一人。その者は数日前王都で異能を使い、騎士団で確保された。そして今、目の前にいる…レオ・パーシバル・フェルム。お前のことだ」