20、日向と奈緒 PART1
……夢を見た。
影が、俺の前から消えてしまう夢を。
『兄さんなんか、大嫌いだ』
普段の影ならまずしないであろう、底冷えしそうなほどに冷たい瞳で、そう宣告された。
ショック過ぎて指先すら動かせない俺を、影が嘲笑う。
『ふん。この世の終わりみたいな顔しやがって。馬鹿が』
蔑むような眼が、胸を刺す。
『僕は…お前なんか大嫌いだ。いつも僕を下に見て、僕を守る盾気取りのつもりか知らないけど……そういうの、本当にウザイんだよね』
最後通告のように告げられて、頭の中が真っ白になった。
『……じゃあね、兄さん。これでお別れだよ』
引導を渡した影が、颯爽と身を翻して去って行く。
俺は何も出来ないまま、その姿をただ見送るしかなくて―――
「影っ!!」
バサッと大きな音を立てて布団を捲り上げ、日向は勢い良くベッドから起き上がった。
「………っ、夢、」
紺色のカーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。朝、なのだ。それが分かると、日向は酷い脱力感に襲われてがっくりと肩を落とした。
「なんつう夢だよ、」
そうは呟きながらも、昨日の影の様子を考えれば、なまじただの夢ではないような気がしてしまう。
「……駄目だ、じっとしてると悪いことばかり考えちまう」
ぞんざいな動作でベッドを降り、日向はクローゼットを開く。制服を手に取り、いつものように朝食の前に着替えを済ませる。
(今日は何だか食欲がない……、)
いつもなら朝食はきちんと撮るのだが……。
(いや、しっかりしろ、俺……。自滅してる場合じゃないんだから)
頬を二度ほど軽く叩いて、日向はリビングへと向かう。
『おはよう、兄さん』
いつもなら、リビングに行けば眠そうな眼をしながらも笑顔で双子の兄を迎える弟の姿があるのに。
「いやいや、学校に行けば会えるんだから」
キッチンに移動してフライパンを火に掛ける。目玉焼きとベーコン、食パン二枚と牛乳がいつもの朝食だが、今日は食パン一枚で足りそうだった。
(皿洗いは帰ってからで良いか……)
目玉焼きを作りながらそんなことを思う。
(そう言えば、)
奈緒との昨晩のやり取りを思い出して、日向は更に気が重くなった。
しかも、
(俺、昨日蓮本のこと下の名前で呼んじまったし、今日はどんな顔をして会えば良いんだ………)
口走ったのは自分なのだから、自業自得ではあるのだが……。
「……うわ、やべっ!」
考え事をしていたら、目玉焼きを焦がしてしまったらしい。煙が上がり、慌ててガスを切る。
(何か、今日は何をしても駄目な気分だ………)
目玉焼きは諦め、今日は食パンだけに決めた。日向ははあ、と深い溜め息を吐いてパンをオーブントースターにセットしたのだった。
「日向、おはよ〜さん。て浮かない顔だな」
「ん、まあ、色々」
「?」
級友の怪訝そうな顔を横に見ながら、日向は教室の自席に向かった。
(蓮本はまだ、か……)
ホッとしている自分に内心で苦笑する。
「あ、そういやぁさぁ、日向」
「何?」
「今日転校生が来るらしいぜ」
「転校生?この時期に珍しいな」
「だろ?まあ小耳に挟んだ程度だから、本当かどうかは分かんないんだけどさ」
そんな会話をしていると、教室後部のドアから奈緒が入って来るのが視界に入った。
(蓮本……!)
奈緒の、いつも通りの気怠げな眼が、日向を捉えた。
「蓮本、おはよーさん」
「ん、おはよ」
奈緒は相変わらずの低い声で、日向を見ても何の反応もしない。
「おはよ、九連」
「え、あ、ああ……」
一瞬奈緒と呼ぶべきか蓮本と呼ぶべきか迷い、結局は
「蓮本」
になった。
「ん」
短く一言を残し、奈緒は席に就いた。
(何だよ……気にしてるのは俺だけかよ…、)
そう思い、
「そういや蓮本、今日は少し顔赤い気がする」
と軽い口調で言った。
「!」
「え、」
すると、奈緒の顔が一気に真っ赤になった。傍らにいた級友ですら、滅多に拝めない奈緒の赤面に驚きを隠せない。
「蓮本、」
「ちょ、ちょっと風邪気味なだけよ」
奈緒はトイレ、トイレと呟きながら足早に教室を出て行く。
「お前、蓮本と何かあったの?」
「べ、別に何もないよ」
「ふうん?」
級友の意味深な笑みが気にはなったが、日向はそれを無視するしかなかった。