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9、隠せない動揺、恋の余丁

後半、少し恋の話が入ります。本当に少しです。

蓮本奈緒は、左手に包丁を持ち、右手は腰にあて、気だるそうな瞳でまな板の上のニンジンを見つめていた。

(乱切り…前にも九連に教わったのに、もう忘れた……)

自分の料理に対する無関心さに、改めて感心させられる。

「蓮本、野菜切れたか……って、全く進んでないじゃねぇか」

資源ゴミをゴミ捨て場に捨てに行っていた日向が戻って来たのだ。

「……九連」

包丁を握ったまま振り返ると、あからさまに身を引かれた。

「……そんなにしなくたって、切りかかったりなんかしないわよ」

「いや、蓮本がすっげぇ鬼気迫る顔してるから…」

口の端をひくつかせながら、日向がひきつった笑みを浮かべる。

「乱切り、どうだったっけ」

「……分かった。ここは俺がやるから、」

日向が包丁を受け取ろうと手を差し出せば、奈緒はにっこりと微笑み、

「乱・切・り、ど・う・だっ・たっ・け?」

「は、はい…」

どうやら、奈緒に包丁を離す気は更々に無いらしかった。日向は、ストックの包丁を出し、

「見本を見せるから、覚えて」

と一言添えて少しだけ切って見せた。

「これが乱切りだ。ついでに、玉葱は……」

他の野菜の切り方も一通り教え、日向は奈緒にまな板と野菜を譲った。

「俺は鍋の用意をするから、野菜は頼むな」

「了解」

やけに緊張した横顔がおかしくて、日向は奈緒に気付かれないように苦笑する。

(……病院じゃああんなに不安定だったのに、今は落ち着いてる。蓮本のお陰、か)

病院を出てから、二人は目的もなく市内を歩き回った。ほとんど会話のない散策だったが、互いにその距離感が心地よかったのだろう。奈緒の表情は終始穏やかだったし、日向も市内を歩くに連れて気持ちを落ち着かせることが出来たのだ。そして、六時も近くなる頃、日向は思い付いて奈緒を自宅の夕食に誘った。自分を支えてくれたお礼のつもりだった。すると奈緒は何故か頬を赤くし、珍しく動揺した。な、なんで?とどもって訊かれて思わず吹き出すと、思い切り脛を蹴られてしまった。日向が今日のお礼だ、と痛みを堪えながら説明すると、奈緒はそれならと頷いた。

『蓮本、何が食いたい?』

リクエストを訊くと、奈緒は即答した。

『カレー』

『カレー?蓮本、カレー好きなのか?』

『わ、悪い!?』

『悪いとは言ってないだろ。……イメージがなかっただけだよ』

ということで、夕食のメニューをカレーに決め、二人は九連宅の近所にあるスーパーで食材を買い求めたのだった。

「なあ、蓮本」

「………、何?」

よほど野菜を切ることに集中しているのだろう、日向の呼び掛けに対する奈緒の反応がワンテンポほど遅れる。

「やっぱり良い」

「何よ、言いなさいよ」

「でも、野菜……」

「大丈夫。耳には入るから」

意固地な奈緒に軽くため息をつき、

「…影、のことなんだが」

「うん」

「あれから半年経って、芦原って女からは何の接触もない…。まだ、油断しないほうが良いのかな」

「………あの女は、自分の気に入ったものは決して諦めるような奴じゃないわ。半年くらいで安心したら駄目よ」

日向は、不安そうな眼で奈緒の横顔を見た。無心にまな板の上の玉葱に向いている横顔が、微かに強張っているのが見て取れた。

「影が半年前のような状態になるの、嫌でしょ?」

「それはそうだけど…」

「とにかく、一度遊子に眼を付けられたら絶対に油断してたら駄目よ。…それに、もう半年だからね。早ければ近々行動に移すかも知れないよ」

既に移しているかも知れない、という言葉は呑み込んでおく。

「じゃ、じゃあ影を一人にするわけには…」

「さすがに自分の支配下じゃない病院で実力行使はしないよ。遊子も、そこまで愚かじゃない」

でも、と日向が眼を伏せる。

「絶対安全、なわけじゃないんだろう…?」

「それは、まあ…。でも、じゃあどうするの?担当医の言葉を無視して影を連れて帰るの?影を長い間診てくれてる先生に歯向かえるの?」

「そ、それは」

「それか、弟がどうしても心配で仕方ないからとか言って先生に泣きついて、添い寝でもさせてもらう?その歳で?様子見の入院患者に?さすがの担当医も呆れるかもね」

日向の煮え切らなさに苛立って来たのか、奈緒の口調は乱暴で矢継ぎ早になってくる。野菜を切る手も止まっていた。日向が弱り切った眼を奈緒に向ける。彼にしては珍しい、縋るような眼付き。

「それに、あんた忘れてない?放課後、どれだけ自分が影に拒絶されたか」

「わ、忘れてなんかない。ただ、それとこれとは話が別だ」

「そう?同じ影本人に関わることじゃない」

「う……」

はあ、と奈緒が深すぎるため息を吐く。

「玉葱、切れた」

いつの間にか作業を再開していた奈緒が、ぶつぎれの言葉を発する。

「サンキュ……」

それに対する日向の礼の言葉は、どこか空虚だった。





カレーを完成させ、二人で対面して食べる。

「………………」

「………………」

カチャカチャと、食器とスプーンの当たる音だけが静かな空間に響く。

奈緒は上目遣いに日向を見遣り、彼の様子を観察する。日向は眼を伏せ、奈緒の視線には気付かない。ただ機械的にスプーンを動かしているだけだ。

(…何よ、そっちから招待しておいてゲストをそっちのけで物思いに沈んじゃって……)

今頃病院のベッドで体を休めているであろう日向の弟のことも併せて考えると、更に苛立ちが募る。

(あぁ、これは…)

もう気付かぬふりは出来ない。そう、この感情は。

(嫉妬だ………)

不意に、口元が苦笑で歪んだ。

(弟相手に嫉妬するなんて……馬鹿みたい)

奈緒はガタンと音を立ててスプーンを机に置いた。

「っ」

日向が体を震わせて、顔を上げた。

「蓮本?」

「帰る」

「えっ」

慌てる日向を置いて、奈緒は椅子から立ち上がる。

「は、蓮本!急にどうしたんだよっ」

「………」

「蓮本!」

日向が、奈緒の肩を掴む。

「急にどうしたって?」

「蓮本、」

奈緒の苛立ちに気付いたのか、日向が奈緒の肩から手を離した。奈緒が彼に向き合う。

「あんた、本当に鈍感」

「え、」

「どうせあんたは影のこと以外どうでも良いんでしょう。あたしのこと自分で招いたくせに、影のことばっかり考えて!」

「蓮本………、」

「今のあんたといたって、全然楽しくない。せっかく、せっかく、」

奈緒が、日向から顔を逸らす。

「……あんたが誘ってくれて、嬉しかったのに…」

ついそう言ってしまい、奈緒は咄嗟に口を閉じた。……が、もう遅い。

「蓮本……」

まさか自分に誘われて、奈緒が嬉しいとまで思ってくれたなどと思っていなかった日向は、びっくりしないではいられない。奈緒をまじまじと見詰めてしまう。

「な、何よ、」

「いや……その、意外で」

「何が」

「は、蓮本のことだから、『仕方ないから行ってやるか』くらいの気持ちなのだとばっかり………、」

奈緒は思い切り日向を睨み付ける。

「し、失礼な!私を何だと思ってんのよっ」

「ご、ごめん。悪かったから睨むなよ!」

「と、とにかく!今日はもう良い、帰る」

「だ、だから何でだよ!」「分かんないの?」

奈緒はもう限界だった。影のことで頭が一杯で、奈緒のことなんてどうでも良い癖に何故呼び止めるのか。

「何か怒ってるのか?」

「………自分で考えたら?」

「…分からないから訊いてるんだろ」

「……だからもう良いってば。カレー、ご馳走様」

「蓮本、待てって」

しかし奈緒は、日向の呼び掛けも無視して鞄を手に玄関へ向かってしまう。何故かこのまま放ってはおけず、日向は彼女を追いかけた。

「おい、」

奈緒は無言で、ローファーを履き、ドアの取っ手に手を掛けた――――

「蓮本……、」

奈緒が、取っ手に力を込める―――

彼女が、何故か泣いているように思えて、

「蓮本、待てよ、………っ、奈緒っ!」

「!!」

奈緒がびくりと体を震わせ、硬直する。

「………あ、」

自分が、奈緒のことを下の名前で呼んだことに気付き、日向は居心地の悪さを感じる。

「ご、ごめん……咄嗟に、名前…呼んでた」

背中を向けたままの奈緒からは何の反応もない。取っ手を掴んだまま、固まっている。やはり、名前呼びは癪に触ったのだろうか。

「……名前、」

「え?」

「…謝る必要、ないわよ」

奈緒の声は低い上にくぐもっているため、聞き取り難い。だが、確かにそう聞こえた。

「あんたなら、許す」

それが、奈緒から日向に対する今日最後の言葉だった。それだけ言い、奈緒は九連宅を後にした。





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