異世界召喚は突然に思いがけず、慈悲もない
その日は週末だった。
子ども達を連れショッピングモールで買い物を…という当たり前の休日を過ごすはずだった。
美緒は右手にタブレットを抱え、沙羽は左手にお気に入りのウサギの人形を抱えているのが我が家の外出標準仕様である。
そして私は2人の間に立ち、右手を美緒と左手を沙羽と握り合わせた状態で並び歩いていく。
私の右手首には携帯や財布などを収めた手提げバックを紐で吊すのが、私の外出標準仕様。
それは本当に一瞬の出来事だった。
出入り口自動ドアをくぐり、店舗内へと足を踏み入れ数歩進んだ後
(ん?床が妙にキラキラしている?)
その時は床の新しい装飾か何かと考えた程度だった。
まさか異世界への召喚魔方陣だなんて、夢にも思わなかった。
疑問を頭に浮かべたまま、さらに足を踏み出せば…周囲は突然切り替わり、RPGゲームさながらのレンガブロックで囲まれた部屋の中に。
「…ん?」
思わず動揺してしまい、隠しようのない本音の疑問符が口から零れてしまう。
左右の娘たちにしても同様だった。
美緒は目を大きく見開いて動きが止まり、沙羽は…実は冷静だったのかもしれないが、警戒心を露わにして私に身を寄せ、辺りを警戒していた。
「ほぉ…今回は4名ですか。」
私たちとは違い、平静な口調で感想を漏らす声。
そちらに頭ごと視線を向けると、映画で見かけるような中世王宮貴族の服装に真っ赤なマントを羽織った中年の男性が立っていた。
髪は綺麗に切り揃えられ、オールバックで整えている。
そして口元にはカイゼル髭。
…あの先端はワックスか何かで固めているのかな?
頭の片隅には今の状況が、アニメやライトノベルで認知度の上がっている《異世界召喚》というものだと薄々は感じていたのだが、唐突すぎて受け入れきれない常識の部分が、意味のないことに思考を向かわせてしまう。
「なんだよこりゃ!?何かのイベントか!?」
…そういえば貴族風の男性は「4人」って言っていたな。
なるほど。
同じ魔方陣の中に居て、私たち親子と数歩離れた位置から声を発した青年。
一見して高校生風の精悍そうな印象。
スポーツ刈りの頭が運動系部活に所属している印象を与えてくれる。
顔もスポーツ選手のようにキリッとした感じで、ますますもって好青年の印象を与えてくれる。
しかも服装は薄い白色のポロシャツに履き慣れた擦れ痕の目立つ紺色ジーンズが爽やか。
身長も180センチは優に超えていて、体躯にも恵まれたスポーツマン風である。
…あれ?なんだか、この青年の方が「選ばれし者」って感じだよね?
ここ数年、育児を言い訳にして運動とは縁遠くなった自分のポッコリと膨らんだ、傍目にも中肉中背より太め中年である自分を省みて独りツッコミをしてしまう。
「どうぞ落ち着いて下さい、勇者の方々。」
貴族風の男性は胸元に両手を掲げ柔らかな笑顔と共に話し掛けてくる。
「私の名はドンボリ。ヴィレスティン王国の宮廷魔術師にございます。」
自己紹介が終えるとドンボリさんは、あらかじめ把持していた右目のみの鼻眼鏡を装着する。
…いよいよ中世時代のファンタジーって状況になってくる。
「ふむ…ほうほう…む?…むむむ?」
ドンボリさんは何かをレンズ越しに確かめるように我々4人を見ていたのだが…何故か私を見ている時だけ渋面になる。
ついでに言うと、娘たちの時には…何と言うか、唇を噤んで小さく唸ってもいた。
鼻眼鏡を装着した右の片眉だけを持ち上げる表情が、思惑違いという印象を与えてくれる。
…何?私に何か不備でもあるの?
…いや、あるかもしれないね…。
だって、中年だもの。一見メタボなオッサンだもの。
そしてドンボリさんは落ち着くように鼻で大きく息を吸い込んで深呼吸をすると、口を開く。
「誠に申し訳ありませんが、皆様を「勇者」として呼び出させて頂きました。
どうか、我が王国…いえ。我らの世界を救うために、ご協力下さい。」
背筋を伸ばし礼儀正しく頭を下げるドンボリさん。
これに対して青年は、どこか夢一杯の少年のような輝く眼差しで拳を握り込んでいる。
娘たちは理解が追いついていないのか、警戒心が薄れてはいるものの状況を把握できない。
そんな印象を受けるような思案顔を見せている。
いや、沙羽に至っては話をちゃんと聞いているのか怪しい。
だって、私に密着したまま背後に隠れて続けているもの。
「…ところで。貴方様のお名前を伺っても?」
ほら来たよ。
4人の中で何故か私だけに名前を問いかける、ドンボリさん。
本心では続く会話の内容が希望よりも落胆の前振りにしか思えないのだが、礼儀正しい方には礼儀で応えるのが筋だろう。
「神道と申します。」
とりあえずは名字だけ名乗る。
名乗ってから心の内で失敗したと反省をする。
もしもファミリーネームという概念が、一定の身分以上でなければ得られない世界観であれば、私の名前は名字が名前になってしまうのだ。
「シントウ様ですね。」
ドンボリさんは馴染みの薄そうな響きを確かめるように、ユックリと声音を若干大きくして私の名を確かめる。
「実は申し上げ難いのですが、シントウ様…」
そう言って一旦間を開ける。
止めて下さい、そういう配慮。
薄々…いや、自分で既に感づいていますから。
要らないです、フォローしようのない優しさなんて。
ドンボリさんが次の言葉を発するまでのほんの一瞬だが、私の頭の中はブンブンと唸りを上げるように高速回転する。
おそらく僅かな希望を抱いているのだろう。
「貴方だけ特別なんです。」とか「他の方々にはない特別な力があります。」みたいな。
ビックリ仰天、異世界召喚されたらチート生活の幕開けだった!
…そんな淡い夢を見ている自分がいる。
なんだか、学生時代に味わった苦い思い出に似ている。
自分の記憶の中でテストの回答を明らか間違えているのに、採点され手元に答案用紙が戻ってくる時にはミラクルが発動して、うっかり正解を書き込んでいるんじゃないか!?
そんな有り得ない結果を夢見て、答案用紙が返ってくるのを待ち続けるような日々に味わった、苦みと渋みしかない思いに。
「貴方は…勇者としてではなく、お連れのお子様たちの導き手として呼び出されたようなんです。」
…おっと。
本当に意識が妄想の狭間を、さ迷ってた。
ドンボリさんの言葉で我に返ると、私は軽く肩を竦め苦笑を浮かべる。
「何となく、そんな気がしていました。
ですから、気になさらずに話を進めて下さい。
少なくとも、私以外は勇者様なんでしょう?」
私が軽口で返答する様子に、幾らか驚いた様子を見せてくれる、ドンボリさん。
よし。
今この瞬間に、私の中でドンボリさんは「善い人」認定だ。
初対面でまさかの外れクジを首からぶら下げているヤツに対して紳士な対応。
これから先、何かあった時には安心して下さい。
世界中が敵になっても私は貴方の味方ですよ、ドンボリさん。
だから、お願いです。
どうか、チートなスキルで補填をして下さい。
この哀れな巻き込まれ異邦人に。