エピローグ③
「もとべぇ君はさ、やっぱり私のこと、嫌い?」
飲み始めて、2時間近くが経過し、すっかり出来上がった様子のあいさんが、弱々しく笑いながら、呟いた。
「嫌いな人と二人で酒飲んだりしませんよ」
また面倒なことを言い出したな、と思いつつ俺は答える。
あいさんのこと、嫌いなわけがなかった。
俺は一方的に、あいさんのことを話が合うお姉ちゃんみたいだと思っている。
嫌いどころか好きだと言えよう。……もちろん、恋愛的な意味はないけど。
「違う、違うよ。私のことって言うのはつまり、『鹿島アイラ』のこと」
あいさんは、自分のペンネームを口にした。
この三年間、お互いにただの一度も触れなかったその話題。
「……酔いすぎじゃないですか?」
俺は苦笑しつつ、問いかける。
話を逸らそうと思ったが、
「――やっぱり、まだ。嫌いなんだよね」
あいさんは、構わず話を続けた。
もしかしたら今日は、最初からこの話をするために、俺をこの場に誘ったのかもしれない。
「嫌いですよ。……これから、どれだけ面白い作品を書き続けても、どれだけあいさん自信と仲良くなっても。……ずっと嫌いなままだと思います」
俺が唯一ファンレターを送った相手。
そして、唯一ファンレターが返ってきた相手。
それが鹿島アイラだった。
……その返信内容と、同封されていた小説のアフターストーリーを読んで、俺は鹿島アイラのことが嫌いになった。
それがトラウマになり、どんなに好きな作品があっても、作者にファンレターを送ることはなくなった。
「あの時の私は、言い訳のしようもないくらい……病んでいたから。応援してくれる読者だったとしても、他人を慮ることが出来ないくらい」
彼女がなぜあんな手紙を送ってきたのか、俺には想像ができない。
小説を出版したことで、辛かったこと、苦悩や葛藤があったのだろう。
読者の応援すら、苦痛と感じられるような、そんな苦悩が。
……あいさんの友人として話を聞くのであれば、
『仕方ないですよね。苦しい時は誰にだってあります。今こうして頑張ってるから、俺も昔のことは忘れて、今の鹿島アイラを応援出来ます」
と、慰めの言葉を掛けたことだろう。
だけど――。
「事情があったとしても。やっぱり俺は、鹿島アイラを許せないです」
あいさんは俺の言葉を聞いてから、ゆっくりと頷いた。
「勝手な言い分だけどさ。もとべぇ君の期待を裏切ったからこそ、私はこれ以上期待を裏切らないために、全力で面白い小説を書き続けなくっちゃって、そう頑張れるんだと思う」
微笑みを浮かべてから、彼女は続けて言う。
「だから、これからも。私のことを許さないでいてくれると、有難いかな」
それから、「あ、そうそう!」と思い出したように言い、
「今日もとべぇ君を飲みに誘ったのは、この新刊を渡すためだったんだよ!
そう言って、小さな紙袋と一緒に、単行本を一冊渡してくれた。
その小説を受け取る。明日発売予定の、あいさんの新作小説だった。
「昨日献本が届いたからさ。彩花ちゃんの今度出る新作とどっちが面白かったかだけ、教えてね」
「ありがたくもらいます。……それで、もらっておいてなんですが、あいさんマジで性格悪いですね」
俺があいさんに向かって言うと、彼女はあっけらかんとしたいつもの調子で言う。
「あ、グラスあいちゃった! お代わりは何を頼もうかなー、っと」
俺の言葉はスルーして、メニューを開いたあいさん。
楽しそうな様子だが……俺は、腕時計で時間を確認する。
始まってから、2時間以上経過している。
――そろそろかな、と思っていると。
突然、個室の扉が開かれた。
「あらー、奇遇ですね、鹿島先生?」
そう声を掛けてきたのは、くたびれたスーツを着た20代後半の、眼鏡を掛けた女性だ。
あいさんはその女性の顔を見て、愕然とした表情を浮かべ、手にしていたメニューを机の上に落とした。
「っ!? た、担当編集山田っ! ……さん!? どうしてここが……!!」
「奇遇ですね、鹿島先生?」
スーツの女性改め、あいさんと綾上の担当編集である山田さんは、無表情に言った。
「まさか、内通者が……!?」
俺は視線を避けて、スマホに目を落とし、数時間前に山田さんに送ったメールを見る。
以前山田さんと会った時、連絡先を交換していた。
綾上やあいさんが締め切りに追われ、現実逃避のために俺を頼ることがあるかもと思っていた山田さんの策略だった。
今回も、ここに来る前に山田さんに連絡を取り、本当に締切が大丈夫なのか、確認を取っていた。
本当は締切三日前だったらしく、
「追い込み前の最後のリフレッシュなので、2時間くらい、付き合ってあげてください。もちろん2軒目はダメですし、飲んだ後に泥酔して仕事ができなくなる状態にはならないように注意は払ってください」
と伝えられた。
ストレスのたまる作家への気遣いと、僅かな信頼が垣間見えた。
「おらぁっ、リフレッシュは終わっただろ? 馬車馬のごとく働いてもらうからな、小娘ぇ!」
肩を掴まれ個室から引っ張り出されたあいさんが、恨めしそうに俺を見てから言った。
「覚えててよ、もとべぇ君……!!」
……作家への気遣いと信頼は勘違いだったみたいですね。
俺はそう思いながら、山田さんが会計を済ませてくれた店を出た。
☆
夜風が頬を撫でる。
アルコールで火照った身体を、心地よく冷ましてくれるようだった。
紙袋に入った、あいさんからもらった小説に目を落とす。
――そう言えばと思い出し、俺はスマホ取り出した。
それから、俺は綾上に電話を掛けた。




