エピローグ②
ただの大学生が通うには少々敷居もお値段も高いお洒落な雰囲気のダイニングバーの個室のソファに座り、暗めの照明に照らされながらスマホを弄る俺。
なぜ俺がこんなところにいるのかというと、ここがある人との待ち合わせ場所だったから。
待ち合わせ時間は、既に少し過ぎていた。
最近は特に忙しい人だから、多少の遅刻は仕方ないかと思い、引き続きスマホを操作して暇をつぶしていると、
「おっ、先に着いてる! そんなにお姉さんと会うのが待ち遠しかったの? よしよし、偉いねもとべぇ君」
帽子にマスク、サングラスをフル装備した不審者風の女性が、個室の扉を開けて入ってきた。
「……遅いですよ」
俺が不満気に言うも、悪びれた様子もなくその女性は言う。
「いやほら、私って売れっ子だから! 中々時間取れなくってさー。ここの支払いは私が持つから! 機嫌直してよー」
そう言って不審者セットを取って、調子よく笑ったのは……あいさんだった。
先ほど、スマホに着信があったのは、あいさんからだった。
締め切りで忙しかったけど、ようやく一段落して時間が出来たから、一緒にお酒飲もうよ、というお誘いの連絡だった。
「……いつも思いますが、その芸能人気取りの不審者セット、似合わないですよね」
「ん、これ?」
手にしていたサングラスと帽子を掲げて、あいさんは続けて言う。
「まぁ、お姉さんは素顔が一番素敵だから……って、もとべえ君は飲み屋でそういう風に女の子を口説いてるの? きゃー、いつの間にそんな子になっちゃったの!?」
「もう酔ってます?」
ハイテンションなあいさんに冷静な態度で言うと、
「流石にしばらくは必要なんだよねー」
と、今度は落ち着いた調子で、苦笑しつつ言った。
なぜ変装セットが必要になるかと言うと……。
「ほら、今や私はシリーズ累計云百万部越えの売れっ子作家様で、その上メディアには『美人過ぎる女性作家』として引っ張りだこ、一般文芸から今度出る予定の新作も注目度抜群で、ちょっとしたそんじょそこらのタレントよりも知名度が上だから、何の用意も無しだと色んな人に絡まれちゃうんだよねー」
……というわけだった。
あいさんのドヤ顔にイラっとしたが、プライベートでも芸能人のように声を掛けられることが大変で、それを俺に悟られないようにと、強がってもいるのだろうと思い、我慢をする。
「その売れっ子作家様が、俺みたいなクソレビュアー崩れのしがない大学生くらいしか飲みに誘える相手がいないって言うのも、可哀そうですよね」
俺が言うと、あいさんは、ぐすん、と泣きながら言う。
「……ひどいよ、もとべえ君。私の気持ち、知ってるくせに……」
そのセリフを聞き流し、俺は店員さんを呼ぶ。
「生ビール二つお願いします。それと……」
店員さんに今日のおすすめのつまみを聞いてから、飲み物と一緒に注文をする。
注文を繰り返して確認をとってから、店員さんは個室から出て行く。
「えー、塩対応どころかスルー?」
泣きまねをやめ、間抜けに口を半開きにしたあいさんは、不満を隠さずに言う。
「知ってますよ、あいさんの気持ち。――別に、俺のこと好きってわけじゃないんですよね?」
俺が言うと、あいさんは黙った。
タイミングよく個室の扉が開き、生ビールが二つとお通し二つが、机の上に置かれた。
それを一気に半分ほど飲んでから、あいさんは言う。
「好きだったよ、ちゃんと」
真剣な表情で俺を見てから、彼女は「でもさ……」と続ける。
「彩花ちゃんとのクソ甘イチャラブを見せつけられ続ければ……虚しくなって、恋心も冷めるのは仕方ないでしょ!?」
そう言った後、ぐびっ、とグラスに半分残った生ビールを飲み干すあいさん。
またタイミングよくシーザーサラダを持ってきた店員さんに、「お代わり下さい!」と空になったグラスを差し出した。
ははぁ、さては飛ばすつもりだな……とその様を眺めていると、
「まさか私の『童貞を殺す服』作戦も『寂しがりやなバニーちゃん』作戦も、『お色気寝起きドッキリドッキドキ』作戦も『狭いお風呂でラッキースケベ』作戦も。結局すべて効き目がなかったどころか、もとべぇ君と彩花ちゃんの仲を深めるだけのイベントになったのが本当に癪だったなぁ……」
「よりにもよって後ろ二つを綾上に目撃された時は、冗談抜きで終わったと思いましたけどね。あと作戦名のセンスがオッサン過ぎません……?」
と突っ込んでから、
「ていうか、どどどど、童貞ちゃうわっ! 童貞と書いてもとべぇと読むのはやめてくれます!? 心外なんですけどー?」
と一番大事なことを注意した。
「あー、はいはい、ごめんね童貞君」
「分かってくれればいいんですけど……いや、ホントに分かってます?」
ニヤニヤ笑うあいさんに、俺は言う。
「にしても、そんな風にちょっかいをかけ続けた私が言うのもなんだけど、さ……。こうして普通に二人きりでお酒飲むぐらい仲良くしてるの、彩花ちゃんが何にも言わないのは意外。って、もしかして! もとべぇ君、実は彩花ちゃんには内緒でお姉さんと会っていて、ワンチャンス狙ってるって感じだったり!?」
「一応綾上にはあいさんと飲むときは、いつも連絡してますよ」
「まだ付き合ってもないのにそんな連絡するのって、よく考えたらおかしーんじゃない……?」
ふむ、と冷静になったあいさんはそう言った。
急に冷静に言われると、その落差にビビるからやめて堀いんですけど……。
「その点は深く考えると泥沼にはまるのでスルーしますよ。それで、話しの続きですけど。つまり綾上は、いくらあいさんに迫られても、全く手を出さない俺を信頼しているってことなんですよ。……まぁ、もう1つ理由があるんですけど」
「もう一つの理由って?」
キョトン、とした様子のあいさんに俺は言う。
「以前、あいさんの担当編集さんとお会いしたことがあるんですけど、その時にあいさんの交友関係を聞きまして。……家族を覗けば、俺か綾上くらいしか、仲の良い人がいないんですよね?」
俺の言葉に、あいさんは手にしたジョッキを机の上に置きなおし、アルコールで赤く染めた頬を、更に赤く染めていた。
「その話を聞いて、綾上は言いました。『作家は孤独な人も多いから、数少ない気兼ねなく話せる人間を遠ざけるのはあまりにも殺生だ。対鹿島先生については、君野浮気の心配もないから、話し相手になってあげてね――』と」
あの時の綾上の、慈悲深い女神のような表情を、俺は忘れられないだろう。
そして、パリピ気取りのあいさんが、実は意外と人見知りで、ドラマキャストの俳優さんたちと、顔合わせをした時に挙動不審になっていたことも、俺は忘れられないだろう……。
「……ほー、彩花ちゃん、そんなことを言ってるわけ。こりゃもう久しぶりにもとべぇ君を本気で寝取るかー。酔ったふりしてもとべえ君に寄り添った写真送ったら、包丁を振り回す彩花ちゃんが見れるかな?」
「あいさん、そんなことしても無駄ですよ。綾上曰く、『争いは同じレベルでなければ起こらない』だそうです。……容姿が良いとはいえ、所詮は恋愛弱者のあいさん。あなたがどんな小細工を弄しても……綾上の俺に対する絶対の信頼は揺るがないんです」
「なんか彩花ちゃんだけじゃなく、もとべぇ君も恋愛上級者ぶってるのムカつくなぁ……」
あいさんは乾いた笑いを漏らしつつ言った。
そんなあいさんに、俺は励ましの言葉を贈ることにした。
「ちなみに。どこまで本当かは分かりませんけど。……孤独な人は独創的な発想ができるらしいですよ」
「え、そうなの? わーい、超売れっ子美女作家のお姉さんとしては、そっちの方がよっぽど嬉しい! お姉さんが面白い作品を書き続けるのは義務なので、独創的な発想をし続けないといけないから、負け惜しみとかじゃなく、本当にうれしいな、わーい……っ!」
と顔を真っ赤にして喜んだ。
彼女の目尻に涙が溜まっているようにも見えたが……きっと、嬉し涙という奴だろう。
そうに違いない。……そうであってほしい。




