エピローグ①
俺、本部読幸はどこにでもいる普通にオタクな男子大学生。
貴重な青春をオタク趣味に費やす、模範的なオタク学生。
今日も自宅リビングでお気に入り銘柄のラ〇オン珈琲をすすりながら、ラノベ文芸の新人賞受賞作を読了したところだ。
「はい、この小説クソ―っ!」
俺はその小説の背表紙を見る。
貴重な金と時間をドレインした著者名は、あまりにネタ臭く、ちょっと笑ってしまって悔しかった。
俺はスマホを取り出し、レビューサイトとSNSを利用して、早速このクソ小説を叩きのめす感想を書き込む。
――しかし、以前のようにコメント欄が荒れるようなことはない。
ここ1年程、以前のようにアンチから反応をもらうことはなくなっていた。
クソレビュアーとして、飽きられてしまったのだろう。
だが、何も問題はない。
以前から俺のレビュー投稿は、完全に自己満足の世界だからだ。
椅子に腰かけたまま、俺は腕を上げて背中をそらし、伸びをした。
俺、本部読幸はどこにでもいる普通にオタクな男子大学生。
貴重な青春をオタク趣味に費やす、ただの模範的なオタク学生。
――かつて、クソレビュアーとしてネット界隈で悪名高いことを除いて。
☆
「ただいまー。……って、兄さん、いたんだ」
一仕事終えた俺に声を掛けたのは、超美少女JKの幸那ちゃんだった。
高校の制服が良く似合っているし、以前よりも伸びた髪も大人っぽくて似合ってるし可愛いし美人だし天使だ。
きっと明日も可愛いし、俺の妹であり続ける限り可愛い。
つまり永遠に可愛いのだった。
「お帰り、幸那ちゃん」
俺は満面のお兄ちゃんスマイルを浮かべて幸那ちゃんに言う。
「ただいま。兄さんは……相変わらずの陰キャ趣味だ」
改めて俺にただいまと告げてから、立ち上げていたノートPCの画面を見て、幸那ちゃんは呆れたようにそう言った。
「陰キャじゃないよ、陽キャだよ」
「陽キャじゃないでしょ、陰キャでしょ」
幸那ちゃんはそう断言してから持っていたカバンを床に置いて、テーブルを挟んで俺の対面に腰かけた。
それから、じっと俺の顔を見てから言う。
「それで、兄さんはいつまで実家にいるつもりなの? 早く出て行って欲しいんだけど……」
「辛辣っ! お兄ちゃん幸那ちゃんにそんなこと言われたら辛い……。下手したら泣くよ!?」
「素手に泣いてる……」
俺は自らの頬に、一筋の涙が流れていることに気づいて、指先で拭った。
その様子を見ていた幸那ちゃんは、冷静に言う。
「いや、辛辣とか、そういう意味じゃなくて。お義姉ちゃんと同棲したりしないの?」
「……綾上とは付き合ってないから、同棲以前の問題だよ」
俺は気まずさに俯きながら答える。
綾上と出会い、既に3年。
お互いに好意を持っているのは間違いないけど、俺はまだ、『三鈴彩花』作品を認めていなかった。
だから……俺たちは友達以上恋人未満というはたから見ても当人たち的にも(俺は完全に自業自得だが)むず痒い関係を続けているのだ。
「兄さん……まだそんな中学生みたいなこと言ってるの? いい加減現実を見た方が良いよ?」
優しく微笑む幸那ちゃんに、俺は問いかける。
「現実を見る……と言うと?」
幸那ちゃんは得意げな表情でむふん、と可愛く頷いてから、口を開いた。
「高校生の時から一緒に同じ大学に通るために勉強を頑張って、仕事が大変なときは励ましてあげて、今も毎週のようにデートをして……こんな関係、世間一般ではなんて言うか、分からない?」
……幸那ちゃんが言いたいことは分かる。
確かに俺と綾上は今挙げたように高校生の時から互いに励まし合い、毎週のように取材と称したデートを行っているのだ。
「世間的には……恋人、って言いたいんでしょう?」
俺が観念したように白状すると、
「ブッブ―」
と言ってから、胸の前で両腕をクロスさせて、バッテンマークを作る幸那ちゃん。
可愛すぎて一瞬全てのことがどうでも良くなってしまいそうだったが、
「え、違うの?」
俺は唇を噛んで痛みに寄り正気を取り戻し、問いかけた。
幸那ちゃんはコクコクと小動物のように小さく頷いてから、真直ぐに俺の目を見て口を開く。
「そういう関係を世間一般では……内縁関係と言うよ?」
「流石にそこまでは言わないよねぇ?」
俺は幸那ちゃんの言葉に、即座に突っ込んだ。
間違いなく、内縁関係は色々と段階をすっ飛ばしている。
「……兄さんは、相変わらず強情」
つまらなさそうにそう呟いてから、
「三鈴彩花先生の作品、私は全部好きで、面白いのに……」
と、どこか不機嫌にそう言った。
――綾上はこの3年で、単巻の文庫を3冊、シリーズものを3冊の合計6冊を出している。
売れ行きはぼちぼちだが、ヒット作とまで言えるものはない。
それでもまた今度、新作を出すことになっており、定期的な出版をしていた。
しかし、それでもまだ俺は、それらの作品を手放しに面白いと、好きな作品だとは、思えなかった。
「そもそも! 私が鈴ちゃんをお義姉ちゃん呼びしてもスルーしてる時点で、兄さんの言葉は信用できない……」
そして幸那ちゃんは、俺に向かってそう言った。
「なっ……!」
俺は言われて気づいた。
いつの間にか幸那ちゃんが綾上のことを『お義姉ちゃん』と呼んでいたことに気づきつつも、一切の拒絶をせずに自然と受け入れていたことに!
俺は額の冷や汗を腕で拭ってから、言う。
「ふぅ、こいつはとんでもない叙述トリックだね。一本取られたよ。幸那ちゃん、ミステリー作家にでもなるつもりなの?」
俺の言葉に幸那ちゃんははぁ、と溜め息を吐いてから立ち上がる。
それから俺を一瞥してから、
「あれでお義姉ちゃんも意地っ張りなところがあるから……。兄さんが早く素直にならないといつまで経っても前に進まないし。そうなったら、お義姉ちゃんも愛想を尽かす……ことはないか。……私が先に、兄さんに愛想をつかしちゃうのは、ありえるかもだけど」
そう言い残して、リビングを出て行った。
「幸那ちゃんに愛想を尽かされたくない……。でも、ここまで来たら半端な内容で妥協もできない……」
俺は机に突っ伏しながら、そう呟く。
3年という年月は、決して短い期間ではない。その間、俺の綾上に対する気持ちは冷めることなく、今だに日に日に大きくなっていった。
それでも――高校生だったあの頃、綾上が俺に向かって、クソレビュアーのもとべぇにも、誰からも認められる作品を書く、と宣言したのだ。
彼女がそれを諦めていないのなら、俺はそんな作品が完成されるまで、待たないといけない。……なんていう、そんな使命感が俺にはあった。
――綾上に会いたい。
何故だか無性にそう思った時、机上に放置していたスマホが着信を告げた――。




