それぞれの宣戦布告
真剣な眼差しであいさんを見つめる綾上に、俺は問いかける。
「話がしたかった?」
「ありゃりゃ、もとべぇ君たらお姉さんに挨拶もしてくれないのー? 悲しいな―」
あいさんはシクシクと分かりやすく泣きまねをしながら、俺を見てくる。
「……どもです」
「はーい、どーもでーす!」
あいさんが笑顔を浮かべながら言った。
その表情を見て、綾上は俺の手をぎゅっと握ってきた。
「うんうん、それで、お姉さんもどうして呼ばれたのか聞いてないから、気になるな―」
あいさんが、俺と同じ疑問を口にした。
問われた綾上は、ゆっくりと深呼吸をしてから、言う。
「……直接会って、この人がいる前で、言いたいことがあったんです」
綾上の言葉に、「ふぅん」と、興味深そうに頷いたあいさん。
「宣戦布告です、鹿島先生」
綾上はあいさんをまっすぐに見つめてから、そう宣言した。
「へぇ、宣戦布告。それで、それはどっちのことなの?」
どっち?
あいさんの言葉の意味が俺にはよくわからなかった。
どっちも何も、単純に「新作では負けません」という意味ではないの?
「どっちもです。私は、新作であなたをがっかりさせません。もう一度あなたの心を揺さぶってみせます。……それになにより! この人のことは絶対、あなたには渡しませんから!」
そう言ってから、綾上は俺の腕に自分の腕を絡ませる。
「えっ?」
いきなり話を振られて、俺は正直驚いた。
「あー、そっかー」
あいさんは、そんな綾上を見て、不機嫌さを隠さずに言った。
「それじゃ、賭けをしようか。私のシリーズと、三鈴先生の新シリーズのどちらが勝っているか。勝敗は……売上? 書評サイトの評価? それとも……もとべぇ君にどっちが面白かったか判定してもらう?」
嗜虐的な笑みを浮かべてから、あいさんは続けて言う。
「それで勝った方が、もとべぇ君とお付き合いする、なんていうのはどうかなー?」
顎に人差し指をあてながら、首を傾げて問いかけるあいさん。
「それは、お断りします」
あいさんの言葉に、迷いなく綾上は返答する。
「……あー、勝負に勝つ自信がないのかな? ま、それでも私は良いんだけどねー。でも、正直それは興ざめかなー?」
あいさんの言葉を受けて、綾上は俯く。そして、訥々と語り始めた。
「……私は、少し迷っていました。彼を含めてたくさんの読者から批評をされたけど、それでも私のデビュー作を面白いと言ってくれた人がいることに。鹿島先生もそうですし、私の大切な妹もそう言ってくれました」
……あれ、綾上妹いたっけ? 真剣な表情を浮かべる彼女を眺めながら、俺はそんなことを思った。
「市場や流行を考えずに、書きたいことを書いて伝えたいことを伝える。そんな作品をまた書きたいとも思いました。……でも、それだけじゃ、やっぱり私は満足できないんです」
綾上は、こちらに視線を向けて続ける。
「君には、前にも言ったけど。『私の小説を読んで面白いって言ってくれた人のためにも書きたい。つまらないって言わせてしまった人に、今度こそ面白いと言わせたい』……だから、私は挑戦します。誰が読んでも、前回の『奇跡』を超えた、って思うような作品を、必ず書きます」
綾上の決意を聞いたあいさんは、少しだけその両目を細めた。
彼女が今、何を思って綾上を見ているのかは、俺にはわからなかった。
「だから、私にとっての勝利は――鹿島先生と君に、新作を『面白い』って思わせること、です。……こんな勝利条件じゃ、賭けになんてならないと私は思います。意地を張った鹿島先生が一言『つまらない』と言えば、それでおしまいなんですから」
「いやいや、そんなことするわけないでしょー? そこは、フェアに判断するよ?」
「信じられません、泥棒猫の鹿島先生の言葉は」
「いでっ」
俺の腕を掴む綾上の手に、力がこもる。
驚いて彼女の方を見ると、顔は笑っていたが……目は全く笑っていなかった。
めっちゃ怒っていらっしゃる……。
「泥棒猫、ねぇ……」
泥棒猫と呼ばれたあいさんも、ピクリと眉をひそめていた。
「それに……自信があるとか、ないとかじゃなくって! かけがえのない大切なものを簡単に賭けられるのは、漫画や小説の中だけです! 私は自分の命よりも大切な大好きな人を、賭けの対象にするなんて、絶対にできません!」
必死な表情で、綾上はあいさんに向かって宣言する。
「えと……何言ってんの綾上!?」
「言いたいことを言っただけだもん……」
そう言ってから、綾上は俺に思いっきり抱きついてから、首筋にキスをした。
あいさんの目の前だというのに、「ちゅ」と、三度ほどキスを繰り返す。
キスを見せつけられているあいさんはというと……あからさまに苛立っていた。
「かっちーん、だよ。最初はあなたの才能をすごいと思っていただけだった。だけど……今は違うかな。私が欲しかった才能、私が一緒に居たかった人。どちらもあなたは独り占めして、前に進むつもりなんだ」
暗い声音。
これまで聞いてきたあいさんの声とは思えずに、俺の背筋には冷汗が伝った。
「分かったよ。鹿島アイラは……三鈴彩花を敵として認める」
あいさんは、綾上を睨みながら、苛立ちを隠そうともせずに言う。
「叩き潰すから。……覚悟していてねー」
……そして、普段と同じ口調に戻るあいさん。
いつも通りの彼女の笑顔が、彼女の得体の知れなさを強調していた。
「そ・れ・と! 君も、調子に乗りすぎじゃないかなー? もとべぇ君のそのにやけ面を見ると、お姉さんすーっごく、いらいらしちゃうなー?」
あいさんは頬を膨らませながら、こちらに近づいてきた。
綾上は俺に抱きつく腕に、力を込める。
まるで、あいさんから俺を守るように。
「いでっ!」
至近距離まで近づいてきたあいさんは、かかとで俺の足を思いっきり踏んづけてきた。
「何すんですか…」
俺は痛みに眉を顰め、下を向いて踏み抜かれた足を見ていた。
ぐりぐり、と執拗に踏みにじってくるあいさん。マジで怒ってる……。
勘弁してほしい、そう思って顔を上げ、あいさんに抗議をしようと思ったところ……、
「隙あり、だぞっ♡」
あいさんが、顔を上げた俺の頬にキスをしてきた。
彼女の香りが、鼻腔をくすぐる。
艶やかで柔らかな唇の感触を、頬に感じた。
「あ、ああっ!」
綾上は信じられないものを見たように、悲鳴を上げている。
「ちょ、何してるんですか!?」
俺の抗議の言葉に、あいさんは俺にぴしりと指先を向けてから、答えた。
「お姉さんも宣戦布告! もとべぇ君は絶対寝取ります♡ ついでに、ムカつく小娘は小説でも恋愛でもコテンパンにして泣かしちゃいます♡正直言ってもとべぇ君にベタベタするのを見て、お姉さんかなり苛々しちゃったぞ!」
一気呵成に言い終えてから、俺の胸に人差し指をあてる。
「もとべぇ君、お姉さん本気だからねっ♡」
あいさんは満足そうに微笑みながら、俺に向かってそう告げた。
「それじゃ、これで話は終わりかな? 小娘に噛みつかれない内に、お姉さんは退散します。また会いに行くからねもとべぇ君♡」
あいさんは自らの唇に指をあてながら、蠱惑的な表情を浮かべた。
そして、颯爽と歩き始めた。
彼女の背中が夜の闇に消えるのを見送ると、
「……浮気」
隣の綾上から、非難を受けた。
……今にも泣きだしてしまいそうな、弱々しい声だった。
「いや、今のは違うから! 綾上だって、見ていたでしょ!?」
「本当は、避けられたんでしょ?」
「いやいや、完全に不意打ちだったから無理だよ!」
俺が抗議すると、
「それでも……浮気だもん。君が誰かにキスされているところなんて、私は見たくなんてなかったもん……!」
綾上は悲しそうに、涙を流しながら言った。
その涙をみて、俺は罪悪感に苛まれる。
彼女の涙を止めるにはどうすれば良いか……俺にはわからなかった。
狼狽える俺をよそに、綾上は涙を拭ってから、手提げの巾着袋からアルコール除菌シートを取り出した。
そして、キスされた俺の頬をシートで一生懸命に擦った。
「……ちょ、ちょっと綾上さん? 擦りすぎで痛いんですが……」
「浮気者は文句を言わずに、我慢してください!」
「……浮気者じゃ「文句を言わないでください」はい」
一生懸命に擦り終え、綾上は満足そうに「よし」と呟いてから。
――今度は、綾上が俺の頬にキスをしてきた。
「えと、綾上?」
キスを終え、こちらを上目遣いに伺う綾上に、俺は問いかける。
「上書きです。泥棒猫の鹿島先生からキスをされた記憶を、私が上書きします。だからさっきのことは忘れてください。……私以外の女の子との思い出なんて、絶対に許さないんだから」
そう言ってから綾上は、俺の頬に二度、三度……それ以上。
何度もキスを繰り返した。
綾上は独占欲が強い女の子だし、すごくショックだったのだろう。
俺は彼女の気が済むまで、そうさせていた。
そして……何度目かもわからないキスを終え、その最後にもう一度首筋にキスをしてから、綾上は呟いた。
「私みたいな嫉妬深い女の子は、めんどくさくて嫌いですか?」
「そんなことないって。前も言っただろ?」
俺はそう言って、不安そうにこちらを伺う綾上の頭を撫でてから、彼女の首筋にキスをする。
キスをされた綾上は、俺の頭を優しい手つきで撫でてから、囁いた。
「私、頑張るから……。だから、待ってて。他の誰のものにもならないでいてね?」
「うん応援してる。……待ってる」
彼女の言葉に、はっきりと返事をした。
すると――。
ドンッ
腹に響く音が周囲に轟いた。
離れた場所にいるはずの見物客の歓声が、耳に届いた。
夜空を光輝く花火が埋め尽くしていた。
祭りのラスト、花火が始まった。
俺と綾上は、しばらくの間空を見上げていた。
「絶対……負けないから」
唐突に、綾上が呟いた。
その言葉は花火にも、歓声にもかき消されることはなく。
俺の耳に確かに届き、響いていた。
綾上は、『鹿島アイラ』と『もとべぇ』に面白いと言わせることが勝利だと言っていた。
今の言葉は、自分に言い聞かせていると同時に、俺に対する宣戦布告でもあったのだろう。
俺は、真っ直ぐに綾上と見つめあった。
彼女の視線に、迷いはなかった。
「ああ、楽しみにしてる」
そう呟いてから、俺は彼女の手を握る。
彼女も俺の手を握り返した。
それから、俺と彼女が言葉を交わすことは無かった。
夜空に咲き、儚く散りゆく花火を見ながら。
読者と作者は、改めて決意をする。
それぞれの信念と想いを抱いて、これからも創作と向き合うのだ、と。




