32、美少女作家と夏祭り(上)
「よ、お待たせ」
駅構内は、普段よりも人の数が多かった。
改札を通ってから、人ごみの中に綾上の姿を見つけ、俺は声をかけた。
「ううん、全然待ってないよ」
「そっか、それじゃ早速行こうか」
8月の中旬。
今日は、遊園地デートの時に約束をした夏祭りの日だった。
綾上は今日まで執筆作業を頑張っていて、連絡自体は取り合っていたものの、実際に会うのはあの雨の日以来初めてだ。
彼女が頑張っているのを、俺は知っている。
今日は、たくさん甘えさせてあげたい。
……たくさん甘えられたい。
そんなことを思いながら、彼女の手を取って祭りの会場へ向かおうとしたところ。
「……何か、言うことはありませんか?」
不満そうに頬を膨らませて俺に問いかける綾上。
……綾上は今、浴衣姿だ。
そのことについて、俺が何も触れなかったのが気に入らなかったのだろう。
「浴衣、めちゃくちゃ似合ってる。いつも可愛いけど、今日は格別に可愛い。しかも、俺のために浴衣を着てくれたんだって思うと……すっごく嬉しい」
黒地に牡丹の模様をあしらっている浴衣。
足元は下駄。
ポンコツ可愛い綾上だが、今は普段よりも大人っぽく見える。
かなり画になるな、と思った。
「も、もー! そういう風に思ってたなら、ちゃんと言ってよ!」
顔を真っ赤にして、俺の腕に絡みついてくる綾上。
先ほど感じた大人っぽさはなくなるけど、超かわいい。
「それじゃ、移動しようか」
俺の言葉に、「うん」と頷く綾上。
履きなれない下駄のせいか、普段より歩くペースはゆっくりだ。
そのペースに合わせて、俺も歩く。
「あ、ありがと」
「何が?」
「歩くペース、合わせてくれてるでしょ?」
「……人ごみのせいで、ゆっくりになってるだけだから」
ストレートに言われると、なんだか照れくさくなる。
俺はそう言って、誤魔化した。
「……好きー♡」
綾上は幸せそうに笑顔を浮かべて、そう呟いた。
☆
俺たちは屋台を楽しみ、夏祭りの雰囲気を楽しんでいた。
しかし、夏の夜は暑い。その上、人ごみで疲れる。
綾上も、時折足下を気にしながら少ししんどそうにしていたので、一つ提案をする。
「……ちょっと、休もうか」
「うん、そだね」
俺は綾上の手を握り、休める場所に向かった。
そして、花火の観覧場所に、持ってきていたシートを敷いてから、二人で座る。
「準備、良いね」
感心したように綾上は言った。
「そうか? ……とりあえず、足を見せてくれ」
俺の言葉に綾上は驚いた表情で、
「えっ!? こ、ここじゃ……恥ずかしいよ」
と呟いた。
そして周囲を見てから、
「こんな人目のある場所で、何をするつもりなの?」
と、不安そうに言った。
あれ、もしかして誤解されてる?
「……あ、ち、違うから! そう言うのじゃなくて……しんどいんだろ、足。下駄の鼻緒ずれで」
ちゃんと説明すると、綾上は「そ、そっちだったんだ」と、安心したように言ってから、照れくさそうに俺に足を向けてきた。
足に触ると「ひゃ……」と、綾上が短い悲鳴を上げる。
俺は無心でやり過ごしてから、彼女の足を観察する。
「結構赤くなってるな。我慢してただろ?」
「ちょっとだけ。でも、我慢できない程じゃなかったし」
「ちょっとでも、辛くなったら言ってくれ。折角の夏祭りデート、足の痛みで『取材』どころじゃなかった、なんて。もったいないだろ」
「『取材』は、ついでだもん……」
俺の言葉に、綾上はぶぅ~、と頬を膨らませた。
「メインのデートが楽しめなかったら、それこそもったいない」
「う、うん。そうだね」
今度は顔を真っ赤にして、綾上は頷く。
すぐに、俺は絆創膏を取り出し、赤くなった指の間に貼る。
「これで、少しは楽になったと思う」
両足に絆創膏を貼り終えると、綾上は何か不思議に思ったのか、問いかけてきた。
「……ちょっと思ったんだけど。気遣いとか、準備とか、色々と手慣れてるよね。他の女の子とも浴衣デートしたこと、あるのかな?」
ちょっぴり視線が怖い綾上だった。
「浴衣着た幸那ちゃんと夏祭りに来たこともあるし。その時、履きなれない下駄で大変そうだったのを覚えていたから。一応、準備はしてた」
「そっか、やっぱりお兄ちゃんは、優しいね」
綾上はそう言ってから、俺の頭を優しい手つきで撫でた。
「ちょ、変なこと言うなっての。それじゃ、もう少し休む?」
「ううん、もう大丈夫だと思う。君のおかげで、酷くなる前だったしね」
「そっか。……それじゃ、立てる?」
俺は立ち上がって、綾上に手を差し出す。
綾上はその手をじっと見つめてから掴んで、立ち上がった。
下駄と自分の足の具合を確かめてから、
「うん、大丈夫」
と綾上は言った。
「よし。それじゃ、また屋台の方を見て回ろうか」
「……それよりも、ちょっと」
俺の手を引っ張り、人通りの多い方向とは逆に向かう綾上
「え? ちょ、どこ行くつもりだよ?」
俺の質問にも答えず、綾上は歩き続ける。
そして……
「え? いやちょっとここは……」
人通りを外れ、綾上に連れられたのは、雑木林だった。
祭りの会場から少し離れていることと、そもそも木々が邪魔で周囲には人の目がない。
「お願い、ついてきて?」
熱っぽく、濡れた眼差しで綾上は言う。
俺は何も言えなくて、その後に続く。
ある程度進んだところで、綾上は振り返り……。
「好きっ、だーい好き♡」
と、甘えた声を出しながら、俺に抱き着いてきた。




