30、クソレビュアーのブレーキは壊れている
ベッドの上、俺は腕の中にいる綾上と見つめあう。
「……好き♡」
綾上は俺の指に、自分の指を絡めながら囁く。
そして、首筋に軽くキスをしてきた。
「……いつでも、良いよ?」
甘い声で呟く綾上。
緊張と不安と、期待が入り混じった視線を受けて、俺は――
「分かった」
そう一言答えてから、体を起こす。
そして、綾上と繋いだ手を離し、ベッドから立ち上がる。
「……え?」
綾上が呆けたように呟く。
俺は振り返ってから、目的の場所へと向かおうとする。
「ちょ、ちょっとまって! え? どこに行こうとしてるの?」
そんな俺の胴体に、慌てた綾上は手を回し、歩みを止めた。
「どこって……トイレだけど」
俺の言葉に、目を丸くする綾上。
「……え? もしかしてもう我慢が出来ないっていうのは――トイレが我慢できないっていうオチだったの?」
「いや、そんなわけないだろ。……恥ずかしながら、綾上がエロ可愛すぎて、性欲が我慢できないという意味でした」
俺が堂々と言うと、綾上は顔を真っ赤にした。
「そ、そうだよね、良かった。でも、エロすぎじゃないもん、君がエッチなだけだもん……。その、それじゃあ。お手洗いを済ませたら、またすぐに戻ってきてくれるよね?」
不安そうな表情で問いかける綾上。
「いいや。ていうか、用を足すためにトイレに行くわけじゃないんだけど……」
「え? ……え? それじゃあ、何しに行くの?」
困惑の表情を浮かべる綾上に、俺は宣言する。
「何って、自慰行為をしに」
「……えっ?」
「もちろん、一発じゃない。綾上のせいで昂った俺のリビドーを発散させるには、綾上のことを想いながら……、軽く二桁回数はこなさないと、冷静になれないだろうな」
「…………えっ?」
「それじゃ。イってくる!」
俺は元気に宣言する。
ああ、もう我慢が出来ない。このままでは本当に綾上に手を出してしまいそうだ。
そうなる前に、トイレに向かって歩こうとするのだが……。
「待って! ちょっと待って!! えぇ、本気で言ってるの!?!?」
「ああ、本気だ」
「なんで!?」
「言っただろ。俺は綾上のことが大切だから、今は絶対に手を出さないって。でも、綾上がエロ可愛すぎるから、我慢が出来なくなった。……その結果が、自慰行為だ」
俺は綾上の目をまっすぐに見つめて言うと、彼女はポカンと口を開いてから、徐々にその表情を険しくさせた。
「ば、バカーっ!」
「バカ!? 俺が? どうしてそうなる!!??」
「それは、こっちのセリフだから! なんで、そんな……もう、意味わかんないよ! そういうのなら、するからっ! 私が、してあげるから! 君が私のことを大切に想ってくれてるのなんて、もうちゃんと分かったから……だから、一人でなんてしないでよ!」
綾上は俺の腰に腕を回しながら、ヤダヤダ、と繰り返している。
「綾上の気持ちは、すごく嬉しい。だけど、初めては結婚してから、最高に幸せな初めてにしよう! だから今は、少しそこで待っててくれ!」
俺はそう言ってから、綾上の手を振りほどいてから、トイレに向かう。
すると、すぐに背後から綾上のすすり泣く声が聞こえてきた。
「……泣いているのか、綾上?」
振り返って、問いかける。
すると、綾上は両手で瞼を覆って、泣いていた。
「泣くよ、泣くに決まってるよ……バカ、君のバカ!」
しゃくりあげつつ、それでも彼女は続ける。
「私は、今ここで君と初めてをするの、良いって思った。君の心臓の鼓動が、私に負けないくらい高鳴っているのに気づいたから! 君が私を本当に大切にしてくれているのが分かったから! だから、今ここで初めてをしたら、きっと幸せだ、って思ったのに。……それなのに、君は一人でするなんて言うから……。バカ、バカ、バカ……バカー!」
大粒の涙を止めどなく溢れさせる綾上を見て、俺はようやく冷静さを取り戻した。
そして、自らの言動を省みて……
あれ、俺結構最悪なんじゃね?
と、気が付いた。
恥ずかしさも怖さも我慢して、それでも俺に初めてを捧げようと思ってくれていたのに。
俺はと言えば綾上の心情を考えず、傷物にしたくないという理由で彼女の気持ちに応えようとしなかった。
それは、綾上の女の子としてのプライドも、俺に対する好意も。
まとめて踏みにじるような言動だったに違いない。
そもそも、「お前をオカズに抜く」とは、何とも最低なセクハラ発言だ。
俺は自らの最低さを、彼女の涙によってようやく自覚した。
「ごめん、綾上」
俺はベッドに戻り、綾上の両頬に手をそえる。
そして、指先で彼女の涙を拭う。
「……バカ、バカ」
綾上の目元は、泣き晴れていた。
「俺、綾上の気持ちまで考える余裕がなかった。変な気持ちになって、傷つけないように、ってそれだけを考えていて。結局、綾上のことを傷つけた」
俺は、綾上の身体を抱きしめる。
「ホントに、ごめん。俺が、悪かった」
綾上の身体を抱く腕に、力をこめる。
「……もう、良いよ。バカ」
綾上はそう呟いて、俺の背中に腕を回してきた。
それが愛おしくて、俺は彼女の頭を、優しく撫でる。
「……私の初めて、もらってくれますか?」
綾上が、俺の耳元で甘い声でおねだりするように、囁いてきた。
「うん。綾上の初めては、俺がもらう」
俺の言葉を聞いて、綾上は頬を朱色に染めて俯き、「はい」と呟いた。
「だけど……ごめん。それは今じゃない。俺はこの先もずっと綾上と一緒にいたいから、『三鈴彩花』の目標を応援する。綾上の初めてをもらうのは、恋人同士になってからだ。俺は待っているから。綾上も待っていてくれ。恥をかかせて本当にごめん」
顔を上げた綾上は、ポカンとした表情で、口を開いた。
この流れで「結局しないのかよ!」と、呆れてしまったのだろうか。……その可能性が高いな。
「……プロポーズだ」
と思っていたら、予想外の言葉を綾上は呟いた。
「……ええと。プロポーズではないよ?」
「ううん、プロポーズ、絶対今のはプロポーズだよ」
真っすぐに俺を見つめる綾上の視線を受け止めてから、俺ははっきりと言う。
「プロポーズの言葉は、もっとちゃんと考えてから言います。だから、今のは違います。……ということにしてくれない?」
俺の瞳に、ぱぁっと笑顔を綻ばせた綾上が映る。
彼女は返事をする代わりに、俺に抱き着いてから、右肩を甘噛みしてきた。
「あの、綾上さん。それエロいから、やめて?」
「嬉しい。好き、大好き。……君の言葉を信じて、今は我慢するから。だから、素敵な初めてにしてね?」
俺のお願いには答えずに、綾上は俺の耳元で、熱を帯びた言葉で囁いてくるのだった。
俺はかなり恥ずかしくなりつつも、「うん」と呟いて、素直に応じたのだった。




