28、美少女作家はブレーキを踏まない
「ねぇ、私、ずっと頑張ってたんだよ?」
熱い吐息が、首筋を撫でる。
「……知ってる」
呻くように、俺は答える。
「たくさんの人に認められたくて、君に認められたくて、君と恋人になりたくて。だから、頑張ってた。なのに君は、私の気持ちなんて知らずに、鹿島先生とずっと一緒にいたんだよね」
反論をしたかった。だけど、俺は口を挟めなかった。
「鹿島先生と喫茶店でおしゃべりは楽しかった? 鹿島先生と食べた焼肉は美味しかった? 鹿島先生のエッチな水着姿が見られて嬉しかった?」
息継ぎもせずに、綾上は問いかけ続ける。
違う、と言いたかった。
「私は君のことがこんなに好きなのに。君はもう私を見てくれないなんて、ひどいよね……」
涙を流しながら、俺の胸の上で拳を握る綾上。
涙を拭ってあげたかった。
その手を握りしめてあげたかった。
だけど、情けないことに、俺の身体は金縛りにあったように、全く動けなかった。
「でもね、君が鹿島先生を選んだのも分かるの。私と違って大人で、綺麗で、愛想が良くて、スタイルが良くて……胸も大きくて」
仄暗い熱のこもった、陰鬱な声で続ける。
「……小説だって、凄く面白い」
何かを諦めてしまったような表情を、彼女は浮かべて、自嘲する。
「だから君が鹿島先生を選んだのも、分かるの。でも、だったらせめて……君との思い出が欲しい。だって私の初めては君と、って。そう決めているから」
切なそうに言ってから、身に纏ったたった一枚のタオルを取ろうとする綾上。
「本当は結婚してから、もっと良い雰囲気で、もっと幸せな初めてが良かったけど。それでも、これ以上私は……君に嫌われたくないから」
その様子を見て、思う。
「だから、今ここで。私の初めて……をもらってください」
――どうしてこうなったんだろう、と。
……それは、もう気が付いていた。
俺の考えが至らなかったから。
だから彼女は傷ついて、こうして自暴自棄になって、これからさらに傷つこうとしている。
これ以上彼女を傷つけたくはなかった。
このまま彼女の裸を見てしまったら。
俺はきっと取り返しのつかない過ちを犯してしまう。
――彼女の手を握ると、表情が変わった。
羞恥と安堵。……期待と、後悔。
どうしてそんな表情を浮かべたのか。
そこまでは、わからなかった。
「ごめん。それは、出来ない」
俺の言葉を聞いた綾上は、落胆の表情を見せた。
「……やっぱり、鹿島先生以外は嫌なんだ。……でも、もうそんなの関係ないから。浮気した君が悪いんだから。このまま……無理矢理でもするから」
身体を倒して、耳元で綾上は囁いた。
お互いの心臓の鼓動が溶けあっていくような錯覚をした。
このまま身を委ねてしまいたいけど、それは……ダメだ。
「そうじゃない」
俺は綾上の身体を押して、上体を起こす。
お互いに、真直ぐに見つめあう。
「それじゃあ……どうしてなの? なんで、シテくれないの?」
絶望を孕んだ表情を浮かべる綾上。
「今の俺が何を言っても、信じられないと思う。それでも言わせてほしい。俺は、綾上のことがすごく大切なんだ」
疑いの視線を向けられる。
「綾上のことが好きな自分の気持ちが大切だ。『三鈴彩花』として俺を見返したいっていう気持ちを尊重したい。そのどっちも守るために、今は何があっても俺は綾上に手を出したりしない」
俺の言葉を聞いて困惑の表情を浮かべた綾上に俺は……恥ずかしさを堪えて伝える。
「それに、綾上が初めては結婚してからがいいって言うんだったら……。綾上の初めては、俺たちが結婚してからもらうから!」
俺の言葉を聞いて、綾上は顔を真っ赤にした。
そして、すぐに俯いた。
その表情は伺えない。
「……そんな風に言うなら! なんで、浮気したの? なんで、なんで、なんで……なんで!? 浮気者のくせに、どうしてそんなこと言うの?!」
髪を振り乱して声を振り絞る綾上。
「浮気なんて、していない。あいさんは、俺にとってただの友人。……だと、そう思っていた。『鹿島アイラ』だって分かった今も……友人だと思えているかは、分からないけど」
「……信じられると思う? 私は、見たんだよ? 鹿島先生と腕を組んで、胸を押し付けられて、デレデレしてる君を! そんな言葉だけじゃ、信じられないよ……?」
「デレデレ……は、していたのかもしれないけど。それでも、浮気はしていないから!」
「……想像してみてよ。私が君以外の男の人と一緒にいて、その人と手を繋いでいたら。ねぇ、どう思う? 浮気じゃないって、思えるの?」
俺は綾上の言葉を聞いて、その場面を想像して……胸が締め付けられた。
「無理、思えない。……死にたくなるくらい悲しい。世界の終わりと言って差し支えない、そんな光景を見たら俺多分死ねる」
即答する俺。
その答えを聞いた綾上は、どこか満足そうに頷いた。
「だよね? 私も今死にたくなるくらい傷ついてるし、世界の終わりだと絶望しています。……すごく、怒っています」
綾上はそう言ってから、俺の胸に倒れこんできた。
俺は、それを受け止めた。
「決めた……」
綾上は、俺の胸に額を押し付けながら呟く。
「……何を決めたんだ?」
「君の言葉を、私は信じたい。私のことを、本当に大切に想ってくれてるって。でも、言葉だけじゃ、信じられないから」
震える手で、綾上はギュッとシーツを握りしめる。
「今から、ベッドの上で私のわがままを聞いてもらいます。それで君が我慢をして……本当に何もしなかったら。その時は、君の言葉をちゃんと信じる。……それで良いよね?」
「……うん、分かった。どうしても聞けないわがままもあるかもしれないけど。出来るだけ応えるよ」
俺の返事に、綾上はゆっくりと頷いてから、最初の『わがまま』を口にした。
「……じゃあ。『読幸にゃんは鈴にゃんのことが大好きにゃん♡』って、言って?」
あの、綾上さん。……最初から飛ばしすぎじゃね?
俺は引き攣った笑みを浮かべながら、そう思うのだった――。




