24、謎の美女と本屋
俺は昨日今日と、非常にもやもやしていた。
その理由はというと……。
「んふふ~♪」
リビングでデレデレしながらスマホを弄る幸那ちゃん。
きっと、綾上と連絡でも取り合っているのだろう。
……幸那ちゃんは綾上の家にお泊りをしてから、大層ご機嫌な様子だ。
スマホを眺める表情はとても幸せそうだし、今みたいに鼻歌まで歌っている。
俺が何があったか聞いても、「兄さんには秘密だしー」と、悪戯っぽく言うだけ。
お兄ちゃんは、非常に悲しい、もやもやする。
まるで大切な妹に、いつの間にか彼氏が出来ちゃったみたいなこの感覚。
しかも、その彼氏(?)が俺の好きな女の子。
……とんでもないネトラレだ、と。
心中で嘆く。
もやもやの理由は、もう一つあった。
俺が小説を読んでいると、幸那ちゃんはなぜだか、悲しそうな眼をこちらに向けるのだ。
問いかけても、その理由は答えてくれない。
一体、綾上の家で何があったのだろうか……。
お兄ちゃん、気になります!
でも、しつこく聞いて嫌われちゃったら悲しいので、俺は何も知らないままなのだった。
……気になるといえば。
今週は気になる新刊の発売日だった。
せっかくだから、地元の本屋ではなく、いつも学校帰りに寄る書店へと行くことにしよう。
☆
学校の最寄り駅から、さらに一つ先の駅。
駅から出て空を見上げると、曇り空が広がっていた。
スマホで天気予報を見ると、どうやら今日はこれから、雨が降るらしい。
早めに帰ろうと思いつつ、いつものように書店へと向かう。
本屋に入店すると、ひんやりと冷たいエアコンの空気を一身に受けた。
まずは店内の棚を見て回り、それから新刊が積まれている平台に向かう。
そこでお目当ての新刊を数冊手に取り、再び平台に目を向ける。
数多くあるレーベルの新刊だ。
全てを数えたことはないが、毎月100冊以上が発売されていると聞く。
多くの表紙を眺めつつ、思う。
この作品群の全てを読む、ということはできない。
時間にも、資金にも限りがある。
だからこそ。
俺が外れ作品を読んだときは、ネットで叩いて、せめて他の人が時間と資金を無駄にすることをなくそうと活動しているのだ。
「こんなに毎月新刊が出るとさ、特に新作は何買えばいいかわかんなくなっちゃうよねー」
「確かに、そうですよね」
「ちなみに、もとべぇ君の場合は新作を買う基準とかってあるのかなー?」
「あー、俺の場合はですね……」
と、俺は答えようとして。
いきなり問いかけられたという事実に、遅れて気が付いた。
「……なんでここにいるんですか、あいさん?」
自然な感じで俺の隣に現れたあいさんに、俺は尋ね返していた。
あいさんと会うのは、この間のプール以来。
……とはいえ、数日会っていないだけだし、その間も連絡は取っていた。
この間のプールのことがあって、こうして会うと気恥ずかしさも、やはりあったが……。
「運命、かなー♡」
と、可愛らしくあざとらしくぶりっ子ポーズを決めながら俺の言葉に返事をしたあいさん。
……何言ってんだろ、この人。
「意味が分かりません」
「意味が欲しいの?」
……やっぱり、さっぱり意味が分からない。
「そんなことよりさっきの質問ですが」
「やーん、もとべぇ君無視とか、冷たー♡」
俺の腕をつかんで揺さぶりながら、あいさんは楽しそうに言うのだが。
その言葉も、もちろん無視である。
「好きな作家の新作は、毎回買ってますね。あとは新人賞受賞作品、ですかね。あいさんは、どうなんですか?」
俺があいさんの戯言を無視したのが不満だったのか。
「むー」と口を尖らせてから、あいさんは言う。
「……お姉さんも、新人賞受賞作品は、基本的に買うようにしてるかなー。たまに、めちゃくちゃな才能を感じる作品にも出会えるしねー」
「あー、確かに。新人賞って、かなり尖った作品とかも出版されてるんで、個人的に当たりに出会えた時は、テンション上がりますよね」
その分、外れた時もすごいんだよなー。
と、俺は口には出さず思う。
「ま、新人賞受賞作品ってだけでも、めちゃくちゃ数多いから、読み切れないんだよねー、結局」
と、寂しそうな表情で平台を見るあいさん。
「ですね。新人賞作品だけでも、年間で100冊くらいは出てますし」
苦笑して応える。
「ところでもとべぇ君。今手に持ってるのが、今日のお目当て?」
あいさんは俺の手にした新刊3冊を指さす。
追っかけているシリーズの新刊2冊と、好きな作家の新作1冊。
その内2作品の表紙は……アニメ調の女の子の肌色多めのイラストが描かれている。
「改めて言われると……恥ずかしいですね」
と、俺は堂々と答える。
「全然恥ずかしそうじゃないじゃん」
と、おかしそうに笑うあいさん。
まぁ、慣れというものがあるし。言うほど恥ずかしくはない。
「この後さ、時間ある? 折角偶然会ったんだし、良かったら一緒にお茶でも行かない?」
ひとしきり笑ってから、あいさんは提案してきた。
「うーん、今日雨降りそうじゃないですか。悪いですけど、さっさと帰りますよ」
「それならさ、お姉さんが車で送ってあげるよ! はい、これで断る理由はなくなりましたー♡」
手を叩き、嬉しそうにしたあいさんは言う。
「そうしてもらえたら助かりますけど……良いんですか?」
「良いよ! もとべぇ君と一緒にいるの、すっごく楽しいし! ドライブも楽しみかなー」
そこまで言ってくれるのなら、お言葉に甘えるとしよう。
「じゃ、雨降ってたら、帰りはよろしくお願いします。俺は、これレジに持っていくんで、ちょっと待っててください」
「はーい」
と、元気よく手を上げるあいさん。
俺は言葉の通りレジで会計を済ます。
顔見知りの店員さんではなかったため、雑談も特になかった。
「お待たせしました」
お店の出入り口付近にいたあいさんに、声をかけて近寄る。
「ううん、全然待ってないよー。お姉さんも、今来たところだから♡」
「どんな設定なんですか……」
「デート♡」
わけのわからない脳内妄想を垂れ流してから、腕を組んでくるあいさん。
そして、ぎゅっと腕に胸を押し付けてくる。
……勘弁してください。
「ちょ、暑いんで! 離れてくださいよ!」
「わ! もとべぇ君顔真っ赤! そんなに暑いの~?」
「とにかく! 暑いし、歩きにくいんで! 適切な距離をとって、歩きましょう!」
俺はそう言ってから、ファミレスや喫茶店がある駅の方向へ向かって歩き始ようとして――。
「……えっ?」
すぐに、足を止めた。
聞き覚えのある、戸惑ったような声が耳に届いたからだ。
「な、なんで……」
声の主を見る。
彼女は俺とあいさんの間で視線を揺らしている。
ひどくショックを受けて、真っ青になった表情。
それを見て、俺も尋常でない程焦った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! これは……」
目の前で衝撃を受ける少女――綾上に、俺は動揺を抑えられないまま声をかける。
タイミングが悪すぎる。
あいさんと腕を組みながら歩いているこの状況。
これは……浮気(と言って良いのかはわからないが)を疑われているのではなかろうか!?
「なんで君と、カシマ先生が。……一緒にいるの?」
俺の動揺をよそに、綾上は震える声でそう言った。
「へ? カシマ……、先生?」
想定外の綾上の言葉。
俺はてっきり、あいさんのような美女と腕を組んで二人きりでいたことをとがめられると思ったのだが、そうではなかった。
綾上の言葉の意味が分からなく、あいさんへと視線を移した。
すると、彼女は組んでいた腕を離してから、綾上に向かって言った。
「久しぶりだね、三鈴センセ」
「……え?」
俺はその言葉を聞いて……余計、訳が分からなくなった。
今、あいさんは綾上のことを、確かに「三鈴先生」と呼んだ。
なぜ、彼女が綾上のことを知っているのか……だけでなく。
彼女の小説家としてのペンネームまで知っているのか。
考えても、分からない。
あいさんは、綾上から俺に視線を移す。
そして、こちらの目をまっすぐに見つめながら、その妖艶な唇を開いた。
「『クソレビュアーのもとべぇ君』、改めて自己紹介をするねー。……私は、小説家の鹿島アイラです」
「……は?」
どこか照れくさそうな表情を浮かべながら、あいさんは続ける。
「今もまだ、お姉さんの小説を読んでくれているみたいで……とっても、嬉しいよ♡」
『鹿島アイラ』
俺の最も軽蔑する小説家の名を名乗ったあいさんは、満面の笑みを浮かべた。
その屈託のない笑顔は、これまでに何度も見たことがあるはずなのに。
まるで、初めて出会った人だと錯覚するほど、得体の知れない笑顔だった――。




