23、美少女作家の涙
パラリ、とページを繰る音が耳に届いた。
私は寝ぼけている。
パラリ。
再び聞こえたページを繰る音。
目を開くと、ベッドに腰かけ、わずかな明かりを頼りに文庫本を読む幸那ちゃんが視界に映った。
……何かを言おうとするけど、その真剣な横顔に何も言えなくなって。
結局私は、二度寝をすることになるのだった。
☆
「ひっく……」
唐突に、誰かがすすり泣いているようなうめき声が耳に届き、私は目が覚める。
まだ意識は半分近く眠っているものの、寝ぼけ眼をこすって起き上がる。
なんなんだろう?
そんなことを思いつつ、首を動かして部屋を見渡すと……。
窓から差し込む朝日に照らされる幸那ちゃんが……泣いていた。
「……ど、どうしたの、幸那ちゃん!? 怖い夢でも、見たの?」
私の意識は完全に覚醒した。
大好きな妹が泣いているのに、寝ぼけてなんていられない!
そう思った私だったけど。
「あ、鈴ちゃん。起こしちゃって、ごめんなさい……」
と、すすり泣くのを止めないまま、幸那ちゃんは意外と平気そうに言った。
「そんなの、良いよ! それよりも、私は幸那ちゃんがなんで泣いてるかのほうが、気になるよ!」
私が問いかけると、幸那ちゃんは涙を流しつつも、笑顔を浮かべてから、言う。
「面白かったです!」
「え? ……何のこと?」
泣きながら面白かった、とだけ言われても。
何のことだかわからなかった私に、幸那ちゃんは続ける。
「鈴ちゃんが書いた小説、すごく面白かったです!」
私の意識は覚醒したはずなのに、空白が生まれる。
「主人公が選んだ未来も、ヒロインの笑顔も、涙も。すごく感動しました!」
幸那ちゃんの言葉は理解できるけど……。
「でも……それだけじゃなくって。ただ、お話が面白かったんじゃなくって。……私のことを『わかってもらえた』って、どうしてかは分からないんですけど、なんだかそういう風に思ったんです」
なぜだろう。
素直に受け入れられない、私がいた。
「私、恥ずかしいんですけど友達が少なくて。……だから、この小説を読んだとき。孤独を抱える主人公とヒロインのことが他人だとは思えなくて。そんな二人がある意味救われるラストは……私自身、救われた気になりました」
幸那ちゃんは、指先で自分の涙を拭ってから、慌てたように私に向かって言った。
「た、多分、鈴ちゃんはこれを書いている時にそこまで考えていないのかもしれないけど。それでも私は、この小説を読んで、切なくなって、キュンとして……そして自分をわかってもらえたような気になって。とっても嬉しくて、とっても感動したんです」
だから、と幸那ちゃんは続けて言う。
「面白かったです……三鈴先生!」
私は、小さく呟く。
「……ありがと、幸那ちゃん」
それが、精一杯だった。
「いえ、お礼を言われることじゃないです」
「でもね。気を使わなくっても良いんだよ?」
「え?」
幸那ちゃんの表情が、一瞬で曇る。
「私は、もう分かってるの。その小説の瑕疵を。エンタメについて勉強すればするほど、もう少しうまくできたんじゃないかなぁって、最近は反省するようになってきたの」
この夏休み。
勉強のために名作や話題作に触れ続け、私は自分のデビュー作の稚拙さに、嫌でも気づいた。
ネットで叩かれるのも、彼に批判されるのも無理はない、と。
だから。
幸那ちゃんがこうして褒めてくれるのは気を使ってくれているからか……それこそ彼が恐れた「恋人補正」ならぬ「お姉ちゃん補正」で判定が甘くなっているかの、どちらかだと思う。
「だから、売上も悪かったし、評価も悪かったの」
私は、俯いて、自嘲気味に嗤う。
情けなくって、恥ずかしい気持ちになっていた。
「関係ない……っ」
そんな私に、幸那ちゃんは目じり一杯に涙を浮かべながら、声を絞り出して言う。
「兄さんがなんて言ったかも。
他の人がなんて言ったかも。
この本が売れたとか、売れてないとか。
そんなこと! 私がこの小説を読んで楽しかったって思ったことと……」
固く緊張した声音。
その声を聞いて、私は幸那ちゃんが怒っていることに、気が付いた。
「何にも、関係ないっ!」
そう言い切った幸那ちゃんは、大粒の涙をこぼしていた。
嗚咽を漏らしながら、それでも、幸那ちゃんは止まらない。
「だからっ! 鈴ちゃんは……鈴ちゃんだけは、そんなこと言わないで! 私が大好きになった作品の悪口を……もう、二度と言わないで!!」
幸那ちゃんは、目じりから涙をこぼしながら言った。
私は、そんな彼女の涙を拭いながら、自らの目頭が熱くなるのを実感した。
……本当はわかっていたから。
幸那ちゃんの言葉こそが、私が言われたかったものなんだって。
だって、どんなに拙くっても。
どんなに売れなくっても。
どんなに、批判されようとも……。
私は、私が書いた作品が、大好きだから。
だから、誰かに言ってもらいたかった。
面白かった、と。
感動した、と――。
ぎゅ、っと。
華奢な幸那ちゃんの身体を抱きしめながら、私は言う。
「ごめんね。……私の作品を好きになってくれてありがとう、幸那ちゃん」
頬を温かい涙が伝う。
嬉しかった。
多くの人がダメだといった私の作品を認めてくれる人がいたことが。
涙を流しながら、それを伝えてくれる人がいたことが。
どうしようもなく嬉しかった。
私は今。
間違いなく救われた。
読者の言葉と涙が。
私を――私と、私の作品を救ってくれたんだ。
「幸那ちゃん。――次回作も、読んでくれますか?」
私は、幸那ちゃんを見つめて問いかける。
「もちろんです、読ませてください三鈴先生!」
私の手を握りしめて、幸那ちゃんは笑顔を浮かべて、答えてくれえた。
その笑顔に。
私も、精一杯の笑顔を浮かべようとして……失敗する。
「次はもっと面白い作品を作るから……楽しみにしててね!」
だめだな、私は幸那ちゃんのお姉ちゃんのはずなのに。
幸那ちゃんの前で、泣くことを堪えきれないなんて――。




