18、謎の美女とプール③
「……そろそろ、離してもらえません?」
先ほどからずっと、俺の腕に抱き着いているあいさんに言った。
「こうしてないと、フリーだと思われるでしょ? そしたらお姉さん、またナンパされちゃうもーん♡」
「……」
にこにこ笑顔を浮かべつつ、さらにきつく抱き着いてくるあいさん。
もーん♡ じゃないっての……。
でも、さっきのナンパ。
知らない男二人に声を掛けられて、あいさんもしかしたら怖かったのかもなぁ、と思うと。
こうなるのも仕方ないのかもしれない。
「それよりも、はやく行こうよー、ウォータスライダー!」
「……そうですね」
嬉しそうにはしゃぐあいさんと一緒に、ウォータースライダーへと向かうことに。
「結構、並んでますね」
到着してみると、順番待ちの列が出来ていた。
10分くらいは、待つことになるかもしれない。
「そうだねー。でもお姉さんと一緒なら、待ち時間もとっても楽しいでしょ?」
「あー、超楽しいですねー」
「でしょー♡」
突っ込むのも面倒だから乗ってみたら、すごいバカップルみたいになってしまった。
普通に恥ずかしい。
……そんな感じでアホな会話を繰り返しつつ数分待っていると、自分たちの番が回ってきた。
「お二人様ですか? 二人で滑るときは、ぎゅっ、とくっついた方が良いですよー」
スタッフのお姉さんが、まぶしい笑顔でそう言った。
俺とあいさんが恋人同士だと誤解しているのだろう。
……そのセリフは、勘弁してほしかった。
「えー、くっついた方が良んだってさー、もとべぇ君?」
ほら、こうなる。
「別々に滑りましょう、あいさん」
「そんなイケず、言わないの!」
あいさんは後ろから、俺の胴体に手を回す。
「ちょ、……くっつきすぎ」
「そんなことないよー。それじゃ、いっくよー!」
はしゃいだ声で、俺の背を押したあいさん。
問答無用で、ウォータースライダーへと突入した。
「きゃ~♡」
楽しそうな声を上げつつ、さらに俺の身体をぎゅっと抱きしめるあいさん。
文句を言おうとも思ったが……このウォータースライダー、結構勢いがあってそんなこと言う余裕はなかった。
流れる水とともに、勢いよく滑り落ちる。
コースの中で激しく揺さぶられるスリルを堪能し……。
バシャーン!!
と、着水した。
俺とあいさんは、水中から顔を出してから互いに顔を見合わせた。
「きゃー、すっごく楽しくなかった!?」
あいさんが楽しそうに言った。
俺は頷いてから、応える。
「……めっちゃ楽しかったですね!!」
遊園地のジェットコースターは結構きつかったが、ウォータースライダーは普通に楽しめた。
「うんうん! もう一回乗ろうよ!」
「そうですね! もう残りずっとウォータースライダーでもいいんじゃないですか!?」
はしゃいだ様子で背中を押すあいさんに、俺もノリノリで返事をした。
「うん、そうだね! そうしよー♡」
そうして、俺たちはウォータースライダーを何周もすることにした。
その判断のせいで、まさかあんな恐ろしい事故が起こるとは――。
この時の俺は、思いもしなかった。
☆
ウォータースライダーに乗ること、数回。
「ぷはー、やっぱ面白いですね―!」
勢いよく着水してから、俺は顔を上げた。
「そーだね……って、きゃっ!?」
俺の声に応えたのは、あいさんの短い悲鳴だった。
どうしたのだろう?
足でも攣ったのだろうか!? それなら大変だ!
そう思って、俺はあいさんの声がした方を振り向こうとして――
ふにっ
俺の身体に抱き着いてきたあいさん。
背中には、以前も感じたことのある圧倒的質量が、以前よりもダイレクトに伝わっていた。
「……あ、あいさん? どうしたんですか?」
急なことだったので戸惑う俺の耳に、
「う、動かないで!」
かなり切羽詰まったあいさんの声が届く。
背後から俺の胸に腕を回し、さらに固く抱きしめてくるあいさん。
え、ナニコレ……
「ご、ごめんね……ただ、その。困ったことになっちゃって」
震えるあいさんの声。
表情はうかがえないが、あいさんが困っているのはその声からすぐに察せた。
なぜ? と考えてから、すぐに思い至った。
背中に感じる柔らかさ……まるで、肌と肌が直接触れ合っているような感触に、気づいてしまったのだ。
……あれ? あれれ? おかしいですよー?
「……水着、取れちゃった」
そして、俺を片腕でぎゅっと抱きしめたまま、もう片方の手である一点を指さした。
その指示した方向を見ると、……あいさんが身に着けていたはずの黒色のビキニが、ぷかぷかと浮いていた。
「OH-……」
「このまま、ゆっくりと取りに行って欲しいな。……あんまり、急がないでね。流石に、誰かに見られちゃうのは、恥ずかしいから」
弱々しいあいさんの声。
そりゃ、恥ずかしいだろう。
背中に当たる感触、俺も恥ずかしいのだが……このくらいは我慢しよう。
「それじゃ動きますんで。……しっかりつかまっててくださいね」
そう言ってから、俺はゆっくりとその水着の場所まで歩く。
水の抵抗もあるし、あいさんが俺から手を離さないように慎重に歩かなければいけなかったから、時間はかかった。
それでも、どうにか目的の物のところまでたどり着いた俺たち。
「水着、取れますか?」
「うん、取れるよ」
あいさんは一言応じてから、また片手でそれを手に取った。
「早く、着けてください」
「……あのさ、もとべぇ君。お姉さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「こっち向いてから、軽くお姉さんを腕で抱いてくれないかな?」
「……何言ってるんですか、早く着てくださいよ」
「着けるとき、周りの人に見られるかもだから、もとべぇ君の腕で軽く隠して欲しいんだけど、なー」
「首くらいまで水に潜りながらつければいいじゃないですか」
「そうかもだけど、それでも不安だから言ってるのー!」
俺の胸に回す腕に、力が込められた。
「……分かりました。俺も、見ないようにしますから。とりあえず口元くらいまで水につかって、胸を隠しといてもらえます?」
「うん」
柔らかな感触が、背中の上から下に擦り付けられながら移動していた。
俺の意識は無の境地に至る。
――嘘だ、全然至れなかった。
やっば、ナニコレ。
……やっば。
「それじゃあ、振り返っていいよ」
あいさんの言葉に、俺はゆっくりと振り返った。
彼女の方は全く見ないようにして、手探りで軽く抱きしめる。
あいさんは身を固くしながら、手を動かしているのが気配で分かった。
「ねぇ、もとべぇ君」
「なんですか、もう終わりましたか?」
「……もとべぇ君なら、見ても良いよ?」
「何言ってるんですか、見ませんよ……ていうか、早くしてください」
「……それじゃ、今から見せるからね?」
「へ?」
そう言って、水から体を出したあいさん。
「ちょ、何やってんですか!?」
俺は驚いて、目をギュッと閉じたのだが……。
「あは、あはははは! もう、もとべぇ君たら、びっくりしすぎなんだから~」
あいさんの笑い声が聞こえた。
俺は、おそるおそる目を開けた。
すると、そこにはしっかりと水着を装着したあいさんが。
「か、からかわないでくださいよ」
「ごめんね。でも、照れ隠しだから、許して欲しいな―」
「へ?」
顔を真っ赤にしたあいさんは、髪の毛の毛先を指先でくるくるといじりながら、伏し目がちにそう言った。
「……今日は、もう帰ろっか」
あいさんは振り返って、プールから出ようとする。
その背に、俺は一言告げた。
「そうですね。……先に、戻っててください。俺は少しだけ休んでから戻りますんで」
☆
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、付き合ってくれてありがとね」
帰りの車中。
なんだか気まずくて、俺とあいさんはほとんど言葉を交わさなかった。
最寄り駅まで送ってもらってから俺は、ようやくあいさんに今日のお礼を言った。
「あ、そうだ。もう一つ言わなくちゃ」
「なんですか?」
これまでずっとだんまりを決め込んでいたあいさんだったが、ここにきて急に悪戯っぽい笑顔を見せる。
「お姉さんがもとべぇ君の背中に抱き着いていた時。……心臓、すっごくドキドキしてたね」
「……っ!?」
気づかれてた!?
そんな余裕があったの?
「お姉さん、思いっきり抱き着いてたから、びっくりするくらいもとべぇ君の鼓動が伝わって、こっちまで恥ずかしくなったんだからねっー」
「いや、それは……」
「あ、あとねー? 水着を着なおしてたときなんだけど。もとべぇ君の……すごいことになってたね」
……嘘だろ、おい。
それにも気づかれてたのか!?
「だから、あの時。『先に戻ってて』なんて言ったんだよね? お姉さんのせいで、すぐには水から出られなくなっちゃったんだよねー? エッチなもとべぇ君は」
「そ、そりゃ……あいさんみたいな美人に密着されたら、普通はああなります。自然な生理現象ですから。俺が特別エロいわけではありませんから」
「うわー、すっごい情けないこと言ってるねー、もとべぇ君」
けらけらと楽しそうに笑うあいさん。
俺は顔を真っ赤にして俯くことしかできなかった。
そんな様子を見た彼女は、満足そうな表情を浮かべてから、続けて言った。
「もとべぇ君、もしかしてお姉さんに惚れちゃった? 好きな女の子ちゃんのことより、セクシーで大人なお姉さんのこと、好きになっちゃた??」
上目遣いにこちらを覗き込んできたあいさん。
彼女の笑顔は綺麗で、すごく魅力的だった。
「バカ言わないでください。俺は、その女の子のことが本気で好きなんです。ちょっとやそっとのエッチなハプニングで変わるような、かるい気持ちじゃありませんから!」
……でも、俺は綾上の笑顔の方が、もっと魅力的だと思っている。
俺の言葉を聞いたあいさんは、少し寂しそうな表情を見せた。
「そっかー。男子高校生なんて、おっぱい見たら簡単に気持ちが変わる生き物だと思ってたけど。もとべぇ君の想いは、中々重いんだね」
「重っ……!?」
あいさんの言葉に、俺はややショックを受けていた。
……いや、普通にショックだった。
「あ、それはともかく。お姉さんにはいつでも惚れちゃって良いからねー。もとべぇ君なら、大歓迎♡」
ぱっちりとウィンクをするあいさん。
「はい? またいたいけな男子高校生をからかって……」
ショックを受けた俺は、逃げるように助手席から立ち上がる。
「からかってるわけじゃ、ないんだけどなー」
車から外に出た俺の耳に、あいさんの呟きが届いた。
俺はその声に振り返って、彼女の表情を伺おうとするのだが……。
「それじゃ、またねー。バイビー♡」
いつものおどけた表情で、彼女は俺に手を振ってから、車を発進させていた。
俺は、走り去っていく車に向かって、手を振り返す。
「……なんだったんだろ、最後の」
俺の耳には。
あいさんが最後に呟いた切なげな声が、何度も反響していた――。




