15、謎の美女とドライブ
『やっほーもとべぇ君。今暇でしょ? お姉さんとデートしようぜー♡』
ある日のこと。
いつものように読書に耽っていると、唐突にスマホが着信を告げた。
電話に出てみると、陽気なあいさんの声。
……この間、焼肉を一緒に食べてからまだ三日しか経過していないが、毎日のようにメッセージを送ってくるし、何の用もなく電話をしてくるようになっていた。
やっぱり、暇なんだな、あいさん……。
華の女子大生の夏休みだというのに、することが男子高校生に絡むくらいだなんて……悲しすぎるじゃないか。
そんな、悲しすぎるあいさんに、俺は答える。
「暇じゃないです、デートなんてしませんから」
バイトはないが、積読を崩さなければならない。そして場合によってはレビューをネットに投稿する必要もあるし、それ以外の時間は、都合が良ければ幸那ちゃんとお話をして兄妹の仲を深めなければいけない。
そんなわけで。
俺には、時間なんていくらあっても、足りないのだ。
『小説批評が理由だと思うけどー、どうせ叩かれるだけだからやめるのが吉だぜー』
と。
あいさんはスピーカー越しにやる気のない声で言う。
「叩かれるだけだとしても、やめるわけにはいかないんですよ。……ていうか、その語尾なんですか?」
『マイブームなんだぜー!』
楽しそうに言うあいさん。
……暇な時間を持て余しすぎて、おかしくなったのかもしれない。
「普段の喋り方のが俺は良いと思うので。その語尾はやめた方が良いですよ」
『んなっ!?』
俺の親身なアドバイスを聞いたあいさんは、驚いたような声を上げていた。
「どうしました?」
『も、もとべぇ君たら、ドキッとする言葉で口説いてくれちゃって……天然ジゴロなんだからっ! そういうの、お姉さん感心しないなー!』
「口説いてるわけじゃないんですが」
『だから天然って言ってるのー』
あいさんの言葉には、少し棘があった。
『……と、いうわけで。今、もとべぇ君の最寄り駅に向かってるんだぜー♡』
「はい? どういうわけで最寄り駅に向かってるんですか? ていうかなんで最寄り駅知ってるんですか? ……ていうか、なんでまたその語尾」
『なんでも何も。一昨日メッセージで教えてもらったじゃーん。もう忘れちゃった?』
「あ、そういえばそうでしたね……」
一昨日は、通っている学校や家の話を聞き出されていたのだ。
なるほど、あいさんはこれが狙いだったのか。
焼肉を奢られたことによって、少しくらいプライベートな話をしても良いかな、と絆されていた自分が憎い!
『思い出したみたいだねー。あ、それと。もう一つ……さっきの語尾は照れ隠しでしたー』
「え?」
照れ隠し? って、どういうことだ?
『それじゃ、30分後。駅に集合! 遅れたらお姉さんのお仕置きが待ってるので!』
「え、俺行くとは……あ、切れた」
あいさんは、言いたいことだけ言い終わると、すぐに電話を切った。
俺は考える。
行かない、という選択肢はもちろん有りなのだろう。
当日、急に連絡をしてきて、『30分後に集合』だなんて、どこかのライトノベルヒロインのような理不尽さだ。
……でも、まぁ。
せっかくの大学時代の夏休みが、暇そうすぎて可哀そうだとも思う。
「……しょうがないな」
その場で一言呟いてから。
俺は身支度を整えることにした。
☆
そして、最寄り駅に到着。
先ほどの電話履歴を確認してみると、丁度30分が経っていた。
そろそろあいさんも到着する頃合いだろう。
そう思って改札前にいると。
「だーれだっ!?」
「……あいさん。あいさんでしょ」
突然、視界が遮られる。温かな感触が、顔を覆っていた。
当然、あいさんだろう。
意外だったのは、予想に反して、背後から声がかけられたことだが……今はそれどころじゃない。
前回と同じように、暴力的な質量が俺の背中に押し付けられているからだ。
俺の顔から手をどけようとしないのも、俺をからかいたいからだろう。
俺は意を決し、攻めに転ずる。
「ええ、胸ですよ、背中に触れるその感触でわかりましたよ! だから早く手を離してくれませんかね!?」
「わ、わー。大胆なセクハラだ―。お姉さん、ちょっと傷つきましたー」
と、俺から離れて、よよよと泣き崩れる真似をしたあいさん。
「待ってください、俺はちゃんとあの電話から、30分でここまで来ました。お仕置をされるいわれなんて、ないですから!」
しかし、毅然とした態度を見せる俺。
そんな俺に、あいさんは悪戯っぽく微笑みかけてから、言った。
「うん、そうだね。だからこれは、お仕置じゃないんだよー?」
「……え?」
「急な電話だったのに、30分で来てくれた優しいもとべぇ君に対する、お姉さんからのご・ほ・う・び、なのでした♡」
「ご、ご褒美って……」
どっちにしろ、嬉しくない。……わけじゃないけど、やめていただきたい!
「もとべぇ君は、エッチだから。喜んでくれたよねー?」
「よ、喜んでないので! ……いや、ホントですから、別に嬉しくなんてないですからっ!」
「わー、男子高校生のツンデレだー、中々珍しいものが見れた気がする―」
あはは、とあいさんは笑いながら言った。
「それじゃ、早速だけどちょっと付き合ってもらおっかなー」
そう言ったあいさんは、俺の手を取ってから、駐車場方向へと引っ張った。
「ちょ、あいさん! 手! 普通について行きますんで、離してください!」
「え、お姉さんと手を繋ぎたくないの? ……普通に、ショックだなぁ」
がっかりとした表情をしたあいさん。
俺はそれを見て、言いすぎてしまったか? と思った。
「え、いや、そういうわけじゃ……」
「ん~? ……あ、照れてるのかな? 良いのに、照れなくても!」
そう言って、あいさんは笑顔を浮かべてから、俺の手を握る力を強めた。
「いや、そうじゃなくて!」
俺はそう言うのだが、聞く耳を持ってもらえない。
そのまましばらく歩き、駅前の駐車場に到着した。
そしてあいさんは、自動領収機に小銭を入れた。
「よっし、それじゃ乗っててー」
あいさんはそそくさと一台の赤い自動車の運転席に座ってから、俺に声を掛けた。
「車で来てたんですね……」
だから、改札で背後から声を掛けられたのか。
「そだよー、運転のできる年上の綺麗なお姉さんアピールは、成功したみたいだねー!」
「よくわかりませんが……安全運転でお願いします」
俺は助手席に座ってから、運転席のあいさんに向かって拝んだ。
「はいはい、ラジャー」
決め顔で敬礼をして見せるあいさん。
大丈夫だろうか?
親世代の人の運転以外で、車に乗ることって初めてだからか、俺は些か緊張をしていた。
「何々、お姉さんと密室で二人きりだから、緊張してるの?」
「緊張はしています。あいさんってなんか抜けてそうなので、大きな事故に巻き込まれないだろうか、と……」
「もとべぇくん、それ失礼だよー」
不機嫌そうな表情をしてから、ゆっくりと車を発進させたあいさん。
意外なほどスムーズな走り出しで、俺は少々驚いた。
「運転くらい、ちゃんとできるんだから、心配しないでよねー」
「そうですね、すみませんでした」
たしかに、失礼なことを言っていた。
俺は謝罪をした。
「よろしい」
あいさんは満足そうに頷いていた。
その後の運転も、特に問題なかった。
俺は運転をしているあいさんに、気になっていたことを聞くことにした。
「そういえば聞いてませんでしたね。今日の目的地ってどこなんですか?」
俺の問いかけに、あいさんは「そういえば言ってなかったねー」と、悪い表情で呟いてから、続けて言う。
「最近、すっごく暑いじゃん?」
「え、まぁ夏だからそうですよね」
「そう、夏。夏といえば水着じゃん?」
「まぁ、夏以外に着るようなものじゃ……え。水着?」
「うん、水着」
俺は茫然とした表情で、あいさんの横顔を見ていた。
彼女は、口元に妖艶な笑みを湛えてから、言った。
「というわけで。目的地はプールなのでした♡」




