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彼方に飛ばされて  作者: 渡良瀬ワタル
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満月の夜 その8

 項羽の手配りは早かった。

占領した劉邦軍の本陣跡に、両翼を攻めていた部隊を呼び寄せた。

両部隊共にそれ程の損害は出ていない。

直ちに退却の部隊再編成を行なった。

敵夜討ち部隊の伏兵や、味方との同士討ちを考慮し、

数組の偵察隊を先行させた。

 側近の宋文が部隊を引き連れて戻って来た。

劉邦が逃げると想定し、待ち伏せの為に迂回させていたのだ。

開口一番、「劉邦に遭遇しましたが、逃げられました」と宋文。


 期待していたわけではないが、少し怒りを感じた。

宋文にではなく、劉邦の逃げ足に。

「どうにもならなかったのか」

 宋文は神妙な顔をした。

「申し訳ありません。

逃げ足が、あまりにも速かったものですから、

手傷一つ負わせる事が出来ませんでした」

「そうか。お前でも、あの逃げ足には追いつけぬか」

「はい。代わりと申しましては、・・・拾いモノがあります」

「拾いモノ・・・」


 報告が終わるのを待ち兼ねたかのように、

部隊の列から小柄な老人が姿を現わした。

劉太公ではないか。

人懐っこい顔で項羽に頭を下げた。

「すまんな、また世話になる」

 劉邦の父親であった。

妻子同様に彼もまた、劉邦の脱出時にはよく見捨てられる。

これで何回目だろうか。

「劉の親父さん、領地の治安は回復したと聞いている。

あちらで留守居しておればよかったものを」

「そうなんだよな」と答える劉太公だったが、

捕らえられた事を後悔していないらしい。

それどころか、むしろ楽しんでいる気配がした。


 劉太公は目を虞姫に転じた。

「よろしく頼むよ」と想い人でも見るような眼差し。

 虞姫は苦笑い。

「しょうがないわね」

 宋文が味方陣地の火災に目を丸くした。

「あれは」

「敵の夜討ちだ」と項羽。

「ええ・・・、まさか、しかし、・・・あの辺りには糧食が」

「そうだ」と項羽は答えながら、劉太公の表情の変化に気付いた。

口が半開き、驚いていた。

自軍の夜討ちを知らなかったらしい。


 その味方陣地から数十本の松明が、こちらに近付いて来る。

進む早さから騎馬のみと知れた。

松明で道々を照らしながら、やって来た。

 自陣の将が彼等を項羽の前に案内してきた。

彼等は項羽の姿を見るや、ただちに下馬した。

先頭の将は季布将軍の弟の季心。

顔だけでなく性格まで兄に似ていた。

誠実にして愚直。

たまに扱いに困る時もあるが、利に転ぶ奴よりは何十倍も好ましい。

季心は項羽の前まで来ると、すぐに片膝をついた。

「申し訳ありません。糧食陣地が襲われてしまいました」

「季布が後手に回るとは珍しい。如何なる訳だ」

「内応した者達がおりました」と季心の口から三人の将の名が出た。

 何れもが項羽の信頼厚い者達ばかり。

彼等までが利に転ぶとは・・・。

「それで糧食は」

「何とか半分程は守りました」

「ならば上出来、それで敵勢は」

「申し訳ありません、逃げられました」


 項羽は暫し思案した。

「わかった、直ちに本陣に戻る。

それより、お前は先に急ぎ戻れ、季布に自害されては困る」

 あり得る事だ。

責任感の強い季布将軍であれば、

夜討ちで混乱した陣容を整え次第、勝手に自害するだろう。

季心も思い当たったらしい。

キッと表情を引き締め、項羽に一礼するや、直ちに馬に飛び乗った。

 項羽の言葉が追う。

「季布に告げよ、今は死ぬ時ではない、とな」


 部下を率いて引き返す季心を見送りながら、項羽は劉太公に問う。

「親父さんは味方の夜討ちを知らなかったのか」

「そういう大事は儂には内緒、儂を外して決めるからな。

親子なのに情け無い話だ」

 嘘ではないだろう。

劉親子の仲は、それほど親密でない、と漏れ聞いていた。

どちらかというと、息子劉邦の方が敬遠しているらしい。

傍目があるので、無理に仲が良さそうに振る舞っている、とか。

劉太公は、それを承知の上で、

老人でも何かの役には立つ、と軍に帯同しているそうだ。


 劉邦親子の仲よりも、もっと気になる事があった。

本陣で見た劉邦の表情だ。

項羽の姿を見て心底から驚いていた。

どうしてだろう。

内応した者達から事前に、

項羽軍の夜討ちを聞いていなかったのだろうか。

心証を良くする為、土産話として項羽軍の夜討ちを告げるのは常道。

さらに項羽自身が夜討ちの先頭に立つと知れば、劉邦の喜びもひとしお。

本陣奥深くへ誘い込み、多勢で討つ事も可能だった。

なのに何の手立てもしていなかった。

劉邦本人は、ただただ驚いていただけ・・・。


 内応した者達が伝えた筈だ。

劉邦にまで伝わらなかったというのか。

となれば、誰かが途中で握り潰した、としか考えられない。

何の為に・・・。

もしかして、その者は劉邦が討たれる事を期待していた・・・。

なぜ・・・。

 糧食を失えば、たとえ戦で鬼神の如き働きをする項羽といえど、

手の打ちようがなく死んだも同然。

大軍で包囲して飢渇するのを待つだけでよい。

結果、戦わずして天下の主は劉邦に定まる訳だが、

それを望んでいない者がいるらしい。

ここで一挙に項羽と劉邦を排除しようと図ったのだろう。

そうとしか考えられない。

その者はもしかすると、劉邦が項羽軍の手から逃げた場合に備え、

項羽軍を装わせた者達を伏兵として潜ませているかも知れない。

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