満月の夜 その2
岩の向こうには大量の篝火が焚かれていた。
劉邦の率いる漢軍を中心とした反項羽連合軍であった。
兵力は五十万余。
翼を広げるように左右に展開していたが、
「窮鼠猫を噛む」の喩えから、完全な包囲だけは避けていた。
項羽の背後には彼の率いる西楚軍、十万余。
こちらも大量の篝火を焚いていたが、篝火の数でも明らかに負けていた。
それでも実際の戦闘では連合軍五十万を相手に一歩も退かず、
互角の戦いを繰り広げていた。
と言うのも、
楚の荒々しい風土が兵として必要な頑健な体躯と気質を育むことから、
「楚兵一人が他国の兵五人に匹敵する」と評されていた。
そもそもの発端は秦の始皇帝の崩御にあった。
秘められた彼の死は守られる事もなく、たちまちにして全土に広がり、
虐げられた民衆の反乱を誘発した。
加えて、秦に滅ぼされた旧国の遺臣達も立ち上がった。
かつて、旧楚軍を率いて秦軍を幾度も撃退しながらも、
無念にも戦死した将軍がいた。
名は項燕。
彼の名は広く全土に知られ、尊敬されていた。
その直系の孫が項羽。
あいにく項羽は幼児期に両親を亡くした。
孤児となった項羽を手許に引き取ったのが叔父、項梁。
引き取られた項羽は武人として厳しく育てられた。
馬術、弓術は無論、書画の類まで。
その甲斐あってか、文武に秀でる若者に成長した。
しかし、それだけでは済まなかった。
近所の若者達を率いて近在の悪党共と乱闘騒ぎを繰り返す毎日。
一目置かれると同時に、手に負えぬ存在になった。
そういう甥っ子を項梁は、「それでこそ項家の男」と褒め称え、
叱責をしなかった。
項羽が血気盛んな若者に成長した頃に始皇帝が崩御した。
崩御が事実と知るや、項梁は項羽を従えて兵を挙げた。
この時に馳せ参じた老人がいた。
知略家として知られた范僧であった。
彼の言に従い、
旧楚王家の遠縁の、羊飼いの老人を楚王に担ぎ上げ、
楚地の若者達を動員した。
勿論、大将は項梁。
その項梁が途上で戦死するや、楚軍は混乱した。
それを項羽が実力で乗り切った。
渦巻く軍内部の陰謀を武力で裁断し、
当然のように楚軍の大将の座に就いた。
軍を掌握するや、項羽は果敢な攻めに出た。
秦軍の大将軍率いる大軍を次々に打ち破り、
その実力を各地の反乱軍に見せつけ、武功でもって彼等を従えた。
日に日に膨れ上がる項羽率いる反秦連合軍。
そうなると秦の都に攻め上るのに時間はかからない。
瞬く間に関中に攻め入り、秦を滅ぼした。
ところが項羽は、関中を手に入れたものの秦の都には関心がなかった。
「事が成ったので楚に帰国したい」という思いだけが強かった。
そこで、自ら「西楚の覇王」と宣言するや、
勝手に始皇帝の一族を皆殺しにし、
功績のあった反秦連合軍の将軍達を諸侯に任じて領地を与えた。
そして都を焼き払って楚へ帰国した。
名目上の主である楚王を憚って、「西楚の覇王」と名乗ったのだが、
項羽が新しい天下の主である事は周知の事実であった。
しかし、数多くの火種は残っていた。
その最たるものは項羽への恐れであった。
ことに反秦連合軍の将軍達には、その傾向が強かった。
「自分達も秦のように滅ぼされるのではないか」と疑心暗鬼になっていた。
なにしろ項羽は、我が道をゆく男。
他人の言に耳を貸さず、独断専行を常とした。
加えて、率いる楚軍は恐ろしく強かった。
将軍達は褒賞として各地に封じられたものの、
何れは項羽の気分次第で各個撃破される、と危惧した。
そういう空気を察知した項羽は、名目上の主、楚王の隔離を図った。
楚王が不穏な空気に誘われて神輿として担がれぬよう、先手を打った。
なにしろ楚王には前歴があった。
王としての権威を示したかったのか、それとも気紛れか、
秦の都に攻め上るに際して、
「関中に一番乗りした者を関中王にする」と約束した。
事前に項羽に何の相談もなく、
大勢の将軍武官文官の面前で発言してしまった。
名目上とはいえ王の発言である。
取り消しが出来るわけがなかった。
そして実際、関中に一番乗りしたのは劉邦であったが、
項羽との軋轢を避けるため、劉邦自ら関中王を辞退してしまった。
大事には至らなかったが、それが火種として残ってしまった。
項羽は楚王を政治の舞台から遠ざける為、
楚王に僻地の城を居城として与えた。
途中の警護を任せたのは項羽の配下で最も信頼のおけた英布。
「この際ですから、途中で捻り殺しましょうか」と英布。
しかし項羽は、
「そういうのは好かん。殺したくなったら正面から攻め殺す」と。
ところが新たな居城へ向かう途中、
武装集団に襲われて楚王が暗殺されてしまった。
険しい山道で、英布の軍列が間延びしたところを狙われたのだ。
襲撃側の何人かを討ち取ったが、犯人の正体は分からずじまいであった。
この暗殺は全土を震撼させた。
誰もが当然のように、「犯人は英布で、黒幕は項羽」と噂した。
項羽の日頃の行いから、皆が噂を信じた。
「項羽打倒」の檄文が出回るのに時間はかからなかった。
真っ先に挙兵したのは斉の田栄であったが、
他の諸侯は誰一人として彼の陣には参じなかった。
田栄が斉の旧王族で、古くからの家臣が大勢いた為、
諸侯は手垢のついてない人物を求めた。
項羽とは正反対の徳があり、自分達を高く買ってくれる人物。
福耳を持つ劉邦がそれであった。
かくして漢王劉邦と西楚の覇王項羽の漢楚戦争が始まった。
項羽は劉邦が出撃する度に打ち破った。
何度も何度も打ち破った。
それでも劉邦本人の首が取れなかった。
逃げ足が速いというか、危険を嗅ぎ取る才に恵まれていた。
不思議な事に劉邦の側は負けても負けても兵士が増えた。
味方する諸侯も増えた。
全ては劉邦側の人材の成せる技であった。
軍師の張良・韓信・陳平の三人が知略の限りを尽くし、
大衆の糾合、諸侯の説得、悉くを成功させたのだ。
こうやって劉邦と対峙するのは何度目だろう。
項羽は敵陣の篝火から頭上の満月に視線を戻した。
「奴の逃げ足の早さは韋駄天並みだな」と呟けば、
虞姫が、「でも今夜は逃がさない。必ず、討つ」と応じた。
語気の鋭さに項羽は思わず振り向いた。
彼女は言霊を信じている。
今夜は言霊の力を借りて、自らの手で劉邦を討ち、
言葉を実現させるつもりのようだ。
彼女の出撃を思いとどまらせようとした時、
二人の立つ岩の下から声がした。
「そろそろ頃合いかと」
聞き慣れた声の主は側近の宋文。
精鋭を夜陰に紛れて敵陣に侵入させたのだ。
項羽は背後の岩陰に声をかけた。
「太鼓を打て」
岩陰の楚の軍太鼓が打たれた。
ドーン、ドーン、ドーンと、間隔を置いて三発。夜空に大きく響き渡った。
そして間を置いて規則正しい連打が始まった。