◆5◆ 潜入!男の部屋
お兄さんの腕の下をくぐると、狭い玄関からは部屋のほとんどが一望できた。高校生が本当に一人暮らしなのかと聞くまでもなく、ガランとした寂しい印象のレイアウトだった。何かの事情で家族と住めず、このボロアパートで暮らしているのだろう。詮索するのはいけないことだと分かってはいたが、この人のことが気になって仕方がない。
とはいえ、初対面の男子高校生に根掘り葉掘り聞くのは、ずうずうしくお邪魔している私でも、順序を踏まなければと頭を整理した。いくら顔が素敵な人といえど、所詮は初対面の男と女。制服を着ている限り女子中学生にしか見えない私を、渋々とでも部屋に招き入れる男ってどうなの? どう見ても肉食男子には見えないけど、二人きりになった途端、オオカミさんになるとも限らない。
「どうぞ? よかったらスリッパ使って?」
「……はい、ありがとうございます」
玄関に並んでいたのは、モノクロな家具とは裏腹な二つのスリッパ。まだ新品そうな赤と青の二色だった。先に上がったお兄さんは青い方を穿き、私には赤い方を揃えて向けた。一人暮らしなのにスリッパが二つ……。まずそこから聞きたい気もするけど、まぁお客さん用なんだろうな。ほとんど使用感がないし。
「消毒液あります? 片腕じゃ自分でやりにくいでしょ?」
「うーん、あるとしたらこの薬箱に入れてくれてるはずなんだけど……。どれだろう?」
「探しといてあげますから、お兄さんはお着替え持って来たら? そのワイシャツ、早く洗わないと血が落ちなくなっちゃう」
「はぁ……、そうだね。じゃあお願いするよ」
受け取った箱は、とても薬箱とは思えないほど重かった。中には市販の風邪薬と胃腸薬、得体の知れない漢方薬が数種類、熱冷まし用のシートなんて湿布と一緒に入っていた。ごちゃごちゃと入っているわりに、どれも未開封。一つずつ見ていくと、下の方に体温計と塗り薬が数種類あった。数だけは揃っているけど、こんなにぐちゃぐちゃだと何が何だか分からなくなるでしょうに。
私はその中から消毒液と湿布を取り出し、残りの薬たちを丁寧に整理した。これなら急に薬が必要になっても一目瞭然! 我ながら上出来な女子力だ!
「ありましたよー。湿布もあったんで、バンソーコーよりこっち貼った方がいいかもですね」
「あ、ほんと? ありがとう」
整った薬箱を閉め、ドヤ顔でお兄さんの方を見上げると、新しいワイシャツを派折る姿が目に入って、あわてて逸らした。い、いくら私に色気がないからって、堂々と着替えなくても……。女子中学生を招き入れているんだから、一応気を使ってくれてもいいのに……!
……あれ? 今ワイシャツの下に何着てた? 着てたっていうか、包帯みたいな……。
「お兄さん、その包帯……。まさか肋骨折れてるんですか? なのに階段から落ちたんですか? どんだけそそっかしいんですか。……っていうか、大丈夫なんですか? 病院行った方が……」
「……はぁ、質問は一つずつにしてくれる? っていうか、そそっかしくて階段から落ちたこと以外は、どれも当たってないんだけど」
見られて騒がれたのが面倒なのか、お兄さんは完全に背を向けて派折り直した。何よ、心配してるのに……。見られたくないなら、最初から女の子のいる前で着替えないでよね。当たってないって、そそっかしくて階段から落ちたことは事実なんだから、ハズレばっかりではないじゃない。
でも、整っているのは顔だけではなかったのね……。決して筋肉質で男らしいって身体ではないけど、すらっとしててスタイルもいい。肩幅も広くなくて、まるで女の人みたい……。
「あの、ごめんなさい。ギャーギャー言っちゃって……。骨折してるのに怪我して心配になったから、つい……。それと、着替えてるの見ちゃったのもごめんなさい……」
「……謝ることないよ。元はと言えばぼくが悪いんだし。心配してくれてるのに、嫌な態度取っちゃったな。ぼくこそごめん」
「いえ! お兄さんは悪くないです! 元はと言えば、私がお兄さんと仲良くなりたくて、強引に押しかけたこと自体が不純な理由なんですから。でも、心配で手当してあげたかったのは本当ですよ? お兄さんみたいな素敵な人、放っておけなくて……」
勢い余って暴露してる私、不純すぎて嫌われてもおかしくないじゃない。何で暴露しちゃうのよ! せっかくお近付きになれると思ってたのに……。
振り向いたお兄さんも困った顔してるじゃない。もう追い出されても仕方ないか。運命なんて、そんなに簡単に転がってるものではなかったんだ……。
「消毒、してもらっていいかな? ぼく不器用なんだ」
「は、はいっ!」
怒ってないの? 追い出さないの? 見上げる私の前にすっと座ると、洗濯物のいい香りがした。やっぱり素敵な人はいい香りがするものなんだな……。
袖を巻くって「ここ」と肘を刺し出してきたので見てみると、血はほとんど止まっているけど、傷口が痛々しいし、青あざにもなっている。これは痛かっただろうな……、私だったら泣いてたかも。
さすがにコットンはないようなので、ティッシュに消毒液を沁み込ませ、軽くぽんぽんと叩いた。怪我をした時、ママや保健室の先生がこうやってくれたのを思い出したんだ。
「いてててて……」
「痛いですか? 痛そうですもんね。もうちょっと我慢してくださいね」
「うん……。手慣れてるね」
「小学生の時は元気っ子だったんで! でも、鈍くさいからすぐ転んで、その度にこうやってもらってました。あと、湿布も貼るからそのまま待っててくださいねー」
細身のスタイルだと思っていたけど、腕も実際に細い。っていうか、細すぎる! 何を食べてるのかと、今度は食事まで心配になってきたんですけど。
消毒の次は湿布を慎重に貼って、「はい!」と私が言うと、お兄さんは袖を直して、小さいため息を吐いてからにっこりと微笑んだ。