◆4◆ 女子の制服はくそくらえ
怒ったかな。落ち込んだかな。いくら蒼さんが分かりやすい人でも、背中だけじゃ何も分からないよ。
せっかく隣に来てくれたのに、たった三分くらいで席を立ってしまった。他のお客さんのとこ行くのかな。ヤダな、蒼さんがまた遠い存在になっちゃう。やっとここまでたどり着いたのに……。ずっと待ち望んでいた距離だったのに……。
蒼さんを初めて見かけたのは、私が中学一年の春。着慣れない制服で、通い慣れない学校へ行くのを渋っていた朝だった。
当時、背が高くて男の子みたいな私は、制服のスカートが似合わず、憂鬱な日々を過ごしていた。どうして中学生は、みんな同じ物を着なければならないのか、疑問と憂鬱と苛立ちでいっぱいだった。
男と女、ズボンとスカート、なぜこの二種類しかないのか? なぜ人間は二種類に分けたがるのか? 性別が二種類なら、考え方も二種類なの? そんな訳ないのに、なぜ性別だけで二分割されるのか。黒と白、赤と青、正義と悪、勝者と敗者……。たったの二種類なんてつまらない。どちらかに属さなければならないなんて、つまらない……。
制服のこともあり、なんとなく慣れない学校に、なんとなく行きたくなくて、通学路の途中の電柱に隠れていた。何から隠れていたのか自分でも分からないけど、それなりに息苦しかったのは覚えている。
私が隠れていた電柱は、安っぽいアパートの階段の下に生えていた。通学路になってから知った道だし、何のゆかりもないアパートだったのに、古ぼけた安っぽさがどことなく安心する。閑静な住宅地に似合わないボロアパートは、真新しい制服が似合わない私みたい。
電柱に寄りかかっていると、二階の住人らしき足音がして、外階段の方をそっと覗く。慌てて駆け下りてくるところをみると、仕事か学校に遅刻しそうなのかな? みんな偉いな、ちゃんとどこかへ行こうとしている。でも、どうしても私の足は動かない。学校へ行くのも憂鬱、行かずに帰ってママに怒られるのも憂鬱……。あんな風に軽い足取りで通学できたら、毎朝こんな気持ちにならなくて済むのになぁ……。
そんなことを思っていると、軽快な足音は鈍い音を立てて止まった。もしかして、階段から落ちた? 勘違いでありますように、と願いながらこっそり覗くと、そこにはやっぱりうずくまっている人がいた。
しばらく傍観していたけれど、その人があまりにも痛そうに唸っているので、勇気を出して声を掛けてみた。
「大丈夫ですか……?」
「うー……。はい……」
「お家の人、呼びましょうか?」
「いえ、ぼくは一人暮らしなので……。いてててて」
見ると、落ちた拍子に手放したのか、バッグが転がっている。拾い上げて軽く叩くと、校章が刺繍してある、学校指定のバッグだということに気が付いた。記されていた校名はここから五駅ほど行った所にある、私服登校の公立高校だった。高校生が中学生の私に敬語? 下を向いているから分からないのかな。でも、声で年下だと分かりそうなものなのに、相当痛くてそれどころではないのだろうか。
痛そうに押さえていたのは肘。よく見ると、白いワイシャツに血がにじんでいた。
「わ、私バンソーコー持ってます! 腕まくって? お袖汚れちゃってる……」
「いや、大したことないんで……。すみません、ありがとうございます」
「大したことなくないですよ! えっとえっと……」
私が真新しいバッグからバンソーコーを探しだし、ピリピリと一枚ちぎって差し出すと、その人は少しだけ顔を上げてこちらを観た。初めて目が合った。綺麗な人……。男の人にしておくのはもったいないくらい綺麗な顔立ちだな……。
目が会うと、その綺麗な顔立ちに見られてると思って恥ずかしくなり、バンソーコーをもう一度「はい!」と差出し、私から注意を逸らさせた。案の定、視線はバンソーコーに止まり、しばらくそれをじっと見ていたが、ハッと我に返ったように再度こちらを観た。
「こんなかわいいの、もらえないよ。もったいないから閉まって?」
「え……? でも……」
「ぼくは大丈夫だから、早く学校行って? 遅刻しちゃうよ」
「いいんです。バンソーコーも学校も、いいんです。だから……」
サボろうとしている心情を口にしてしまった! 私はあわてて訂正しようといいわけを探したが、そんな私の顔をじっと見つめて、それからちょっとだけ微笑んだ。え、何? あわててる私がおかしいの? それともこの制服が……?
「ぼくと一緒だね。ぼくも嫌いなんだ、学校……」
「……はい。私も嫌いです、学校。だから、遅刻しても大丈夫なんです」
「ぼくを遅刻の理由にしようとしてる?」
内心は図星で心が痛んだけど、その人の笑顔が柔らかかったことに、ちょっとだけ安堵した。同じって言ってる。だからきっと、この人もサボる口実が欲しいんだな。
それにしても笑顔も素敵……。仲間を見つけて嬉しいのかな。仲間? 学校嫌い仲間。こんな素敵な人と共通点があるなんて、世の中捨てたもんじゃないや。
「あげます。お近付きの印に! お兄さんには似合わないかもしれないけど、肘なら袖の中に隠れちゃうから、貼ってください!」
「いや、いいよ。どっちみち血が付いちゃったから着替えるし、消毒するか水で洗うかしないと、化膿しちゃうからさ。でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとね」
「もらってくれないなら、消毒してあげます、お近付きの印に! お兄さんち、このアパートの二階でしょ? さぁ立って!」
「え? ちょ……」
聞こえないふり、聞こえないふり! 何が何でもお近付きになるもん! こんな気持ち初めて……。今日を逃したら、一生の運命が変わってしまうかもしれない気がするんだ。
立ち上がらせるのは意外と簡単だ。怪我した方の腕を引っ張れば、縮めようとして自然とついてくる。かなり強引な手段だけど、運命はきっとこうやって自分から引き寄せるものなのかもしれないし。
「はいっ! 鍵は? 鍵出してください、鍵!」
「いててて、痛いってば……。もう……」
苦痛にゆがむ顔も素敵……、なんて口には出来ないけど。何せ痛いのに痛いことをしてるのは、私ですから? でも安心して? ドエスだの鬼畜だのってことはないので。
「鍵、バッグの中だから……」
「あ、はいはい」
引っ張っていた腕を解放し、逆の手に持っていたバッグを持ってあげると、もぞもぞと中から鍵を取り出した。安っぽいアパートに似つかわしい、安っぽい鍵の開く音と、安っぽいドアの開く音。お兄さんは先に中へ入ると、「どうぞ」と言ってドアを支えてくれた。
正直、今更自分の強引さとずうずうしさに気が付いたけど、ここまで来て引き下がりたくはない。もう勢いに乗ってしまったんだ。これが本当に運命なのか、最後まで試してみたい!