◆1◆ アキバと私
一部体験談が含まれてますので、たまに生々しいかもしれません(^^;)
なので、男装カフェに抵抗がある方はバックをおすすめします。
秋の落葉が広がる原っぱ……。そんな地名とはほど遠い街、秋葉原。
通称「アキバ」と呼ばれる、欲望が渦巻く街。希望が叶う街。願望を掴める街。
老若男女、みんなの夢の国、「アキバ」! 誰もが、誰にでもなれる夢の国「アキバ」!
みんなの欲求をギブ&テイク! 需要と供給でウィンウィン!
秋葉原駅を降りると、そこはもうユートピア……。
なーんて思ってるのは、私だけではないはず。だって、渋谷や新宿にいたら、下を向いて歩いてそうな人も、この街では堂々と胸を張って歩いているもん。
それはつまり、ここが聖地で、ここがみんなの帰る街。魂の安らぐスウィートホーム!
……ってのも大げさではないでしょ? だって、みんな同じ匂いがするもん。親戚みたいに居心地いいもん。
さて、これだけ人間観察をしても、周りの目が気になってしまって、自分がどんな風に見えているのか挙動不審な私。
そんな私の名前は藍です。美空藍、都立高校に通う一年生です。つい最近まで、薄い本を買いあさるのが目的でアキバに足を運んでいた、いわゆる腐女子というやつです。「つい最近まで」と、あえて伏線を置いたのは、まぁそれなりの理由があるからでして。
とはいえ、腐女子を卒業したのかと言われると、そういう訳でもなく。見ようによっては腐っているのかもしれないし、二次元を卒業したという点に着目するならば、腐ってはいないとも言える。
私がこのアキバに初めて来たのは、中学二年の夏休み。同じく腐女子の友達二人に連れられて、それから私の中でも「聖地」と化した。
だって、あの薄い本が、あの広い店内にぎっしり! それも一件だけではなくて、お気に召した物がなければ次の店、次の店……と、巡礼も出来る素晴らしき薄い本地獄なんだもん! ……天国、という方が正しいのかな? まぁ、埋もれて死ねるほど、という意味だと、「地獄」の方がしっくりした表現だと思う。
参考書? 辞典? そんな分厚い本を買う為にもらったお小遣いなんて、とっくに薄い本に投資。でも、友達三人で、それぞれのオススメを回し読みしてるから、実費としては三分の一じゃないかな? という節約した気分にもなる。
高校が別々になってからの、「絶対また聖地巡礼しようねー」という腐女子友達の約束は、それぞれの部活やら新しい友達やらで、果たせていないのが現状。それゆえ、まだ高校で腐女子をカミングアウト出来てない私は、こうして一人でアキバに来るようになった。
最初は一人で買い物なんて、心細いのと共感出来ない寂しさとで、無理無理と思っていたけれど、いざ出陣してみると、あっちこっちと好き勝手に歩き回れる自由の身も悪くなかった。むしろ今は、花から鼻へと飛び回る蝶著のように、水を得た魚のように、ゲートが開いた競走馬のように、生き生きしていると思う。
腐女子であるかそうでなくなったかの話に戻ると、薄い本を卒業した私が、なぜまだアキバに通っているのかの理由に直結するので、完結にまとめる。
アキバには、「男装カフェ」なる店がある。男装した女性だけで構成されたスタッフが、まぁ……それはもう言わずともお分かりだろうが、本物の男性より素敵なのだ。素敵と一口に言ったが、見た目はもちろん、仕草もリップサービスも、下手すればそこら辺のホストよりも、乙女心をくすぐってくるのだ。リップサービスは悪魔で「サービス」なのだから、本気で言ってるわけではないのは分かっている。それでも……。
それでも、私は……!
「いらっしゃい。今日もアイスカフェモカでいい?」
「やんやん! 蒼さんてば、やっと覚えてくれたー! 何回目だと思ってるのー?」
「三回目だよね、ごめんってば。ちゃんと覚えたよ。カフェモカでしょ?」
「五回目ー! ごーかーいーめーっ! いいよいいよ、夏休みに入ってからお客さん増えたし、蒼さん最近忙しそうだもんねー」
「ご、五回目だった? ごめんってば。でもアレでしょ? 氷三つ」
「そう! そこは覚えててくれたんだね。早くオーダー全部出して、話しに来てねー?」
「分かった。じゃ、少々お待ちください」
蒼さんは、この男装カフェのスタッフさん。新人ぽさが抜けきらなくて、まだ不慣れな接客も、臭すぎないお世辞も、たまらなく心地いい。
ベテランのスタッフさんは、常連客に指名されて引っ張りだこなので、まだ蒼さんたち新入りは、オーダーを取ったり運んだり、その合間に話に来てくれるくらいの時間しかない。新入りが下っ端仕事を任されるのはどこの世界でも一緒だけど、自分のお目当てがいそいそとせわしなくしていると、「新入りにばっかりやらせてないで、お前がやれやー!」とベテランに突っ込みたくなるのは私だけだろうか?
とにかく、スタッフさんはみんな真面目だけど、蒼さんの真面目さときたら、なぜ不慣れな接客を選んだのかと疑問に思うくらいバカ真面目なのだ。冗談が通じないのは当たり前、忘れっぽいのも当たり前、仮りにも仕事上だというのに、「お世辞はあまり好きじゃないんだ」という始末。お客さんを喜ばせる仕事だというのに、シラケさせることもしばしばで、ベテランスタッフにフォローされて何とかなってるのが現状。
それでも、私にはそんな蒼さんが輝いて見える。訳も理由もない。ただ見ているだけで……あ、いや、話したいけど、眺めているだけでも癒やされるのだ。
何を食べてるのか気になるくらいのスラッとしたスタイルも、派手すぎなく地味すぎないくっきりした顔立ちも、ハスキー掛かった声も、柔軟剤を使ってなさそうな洗濯洗剤の香りも、考える瞬間に目が右上を向く癖も、常に悩んでそうな傾げた首の角度も、愛想笑いが出来ないくせに誰もがメロメロになりそうな優しい本物の笑顔も……。
「藍ちゃん、お待たせしました。アイスカフェモカです」
「ありがとー! 今日も混んでるね。昨日の方がまだ空いてたくらいだよね」
「うーん、そうだね。やっぱり夏休みだから、色んな所から遊びに来てるみたいだよ。新規のお客さんばっかりだと、どう接していいか分かんないや」
「蒼さん、お客さんは常連ばっかじゃないんだから、これを機会に学びなさい! って言っても、他のお客さんに蒼さん取られちゃ嫌だなぁ」
「藍ちゃんの言う通りだよ。こんなんじゃ、いつまで経っても慣れないな……」
またそうやって、お客である私の前で弱音を吐く……。まぁこんなこと一見さんには言えないんだから、自然と私に吐いてくれることが嬉しいんだけど。
いかにも「ダメだなぁ、ぼくは」と言いそうな顔で小さくため息をもらし、お盆を持ち替えす。ダメじゃないよ、青さんが頑張ってるのは、ちゃんと私が見てるから!
「今日は蒼さんが上がるまで居座るから!」
「え? まだ四時間以上あるよ? うちの店は二時間で……」
「お金のことはいいのー! 他にお金使わないから大丈夫なの! そんなことより、スタッフがお客さんのお財布心配してどうすんの? お店で使ってもらってナンボでしょ? 今日は何杯でもカフェモカ飲みたい気分だから大丈夫!」
「大丈夫って……。藍ちゃんはまだ高校生なんだから、無理したらお小遣いなくなるよ? それにバイト終わっても一緒に帰れるわけじゃないから……」
「分かってる分かってる! いーの、大丈夫なの。一緒に帰ろうとかストーキングしないから大丈夫! いくら蒼さんの家知ってても、さすがの私も……」
「あ、藍ちゃん! しー……!」
いつになくあわてた蒼さんが、お盆で顔を隠しながら人差し指を口に当てる。
そうでした。私と蒼さんがご近所に住んでいたのは、ここだけの秘密……。
「だ、だから、大丈夫だから、見てるから頑張って! でも私んとこ話に来るのも忘れないでよ? 手が空いたら話に来てね!」
「……」
「はい!……でしょ?」
「……はい、かしこまりました」
苦笑も素敵だけど、全然かしこまりましたではない顔だなぁ。確かに昨日は二時間居座ったし、今日も……となると今月はお財布が黄信号……。それでも、私は今日も癒やしを求めて眺めていたいの。
あぁ、それにしてもさっきは近かったなぁ。「しー!」って不意にされたから、あわてて離れちゃったけど、何で離れたの! もっと近付けば、いい香りをもっと嗅げたのにー!
蒼さんは、他のスタッフさんみたいに、男性物の香水を付けたりしないとこも、私的のポイントが高いのよね。元腐女子の私としては、男装カフェにワイルドな攻め系を求めているわけではないの。ちょっとしなやかなくらいの受け系がストライクなの。三次元の……っていうか、本物の男性に引かれたことないから分からないけど、多分私が本物に引かれないのは、私が求めている理想の魅力が、本物の男性では表せない魅力なんだと思う。本物の……というと、男装カフェの方々が偽物なのかという話になるけど、偽物だとしても、本物よりも素敵に光っているんだから、それでいいの!
決してベテランスタッフの接客が嫌いというわけではなくて、そりゃぁもちろん、私もお客ですから……? お目当てのスタッフにドキドキさせられたいし、ハスハスもしたい! それを叶えてくれるベテランスタッフはさすがだなぁと思うし、お目当てで来てる常連客も、ハマってご最もだと思う。そのスタッフの魅力にまんまとハマり、ハメたスタッフは自分の魅力と技能を余すことなく出せているという結果なのだし。まぁだから、つまりはウィンウィンで、ギブ&テイクが成り立っているというわけで。
それに比べると、こうしてお目当ての蒼さんを眺めているだけの私は、ちょっとだけ損してる気もする。そりゃ眺めているだけでも充分だけど、人間という生物は次々に欲求を浮かべてしまうもので、決して満足を満足と感じ切れないのだ。そう、満たされたいのに満たされてない、もっと、もうちょっと、もう少しだけ……と相手に求めてしまう。だから、矛盾になるが、私だって蒼さんと楽しくお話したい。出来るなら、出来るだけ、叶えてほしいと思うんだもん……。
また新規のお客さんに話しかけられて目が右上を向いてるし……。もう! ああいう二次元かぶれな腐女子は、まともに相手してちゃダメだってばー! ぬぁーにが「イケボですね! 好きだよって言ってください!」だよー。ちゃっかり録音しようとして、ぶぁっかじゃないのっ? さっさとお家帰って好きな円盤聞けばいいのにさ。
そりゃ、そりゃ私だって聞いてみたいよ? 言われてみたいよー? でもね、五回目の私でさえ、一度もリップサービスしてもらえてないんだよ? リクエストしたいけど、絶対あんな風に困った顔するの目に見えてるし、「やだよ!」とか言われた日にゃ、お会計の小銭よりも涙粒の方が多く落ちそうだし、「いいよ」とか言われた日にゃ、涙粒と鼻血が噴水状態になりそうだし……。って、だからリクエスト出来ないのもあるけど。
薄い本を手にした腐女子なら、一度は耳にしたことがあるであろう円盤。あの円盤の中から、自分が好きな台詞とか、言ってほしい言葉とかを、リクエスト出来るものならぜひしてみたい。叶わないなら、せめて自分好みのイケボに言ってもらいたい、鼻血出したいもん! あ、出したくないけど、出ちゃうくらいハスハスしたいもん!
でもね、いくら蒼さんがイケボでも、私はわきまえるとこはわきまえてるつもり!
だって、所詮蒼さんは……。