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真・拾刻ノ月 ~口裂け幼女と狐耳の女子高生〜  作者: 牧田紗矢乃
壱ノ日「せぴあいろのまちなみ」

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第伍刻 〈片方だけのハイヒール〉

「……あら?」


 家路を目指し夜道を歩いていた女は、足を止めた。

 街路樹の向こうから、キィキィと金属がこすれ合う音がする。木を挟んだ奥にあるのは、小さな公園のはずだ。


 学生のたまり場になるような立地ではないし、このくらいの時間に通りかかっても静かな所だ。それなのに、なぜこんな音がするのだろう。

 不思議に思って足を向けたのは、昨夜の心霊特番の影響だったのかもしれない。


 目の前にあるのは膝より少し高い鉄柵だ。入り口までは少し距離があり、ぐるりと回るのは面倒だった。それでも好奇心は先へ進めと囁きかける。

 周囲に視線がないことを確認して錆びた鉄柵を跨ぐと、木々の間を通り抜けた。視界が開けて公園の中がよく見える。

 公園の中央にぽつんと佇む街灯が、周囲に冷ややかな光を落としていた。


「……ああ」


 彼女の意識を呼び止めた金属音は、ブランコの鎖がこすれて引き起こされているものだった。しかし、そこに漕ぎ手の姿は見えない。

 風の悪戯にしては大きすぎるし、二つあるうちの右側だけが揺れているのも妙だ。冷たい風がうなじを撫でたので、思わず辺りを見回した。

 しんと静まった公園内には、猫の子一匹いない。


 ブランコは五円玉の振り子のように彼女を誘った。吸い寄せられるように静止している方の鎖を握り、よどみない動きで腰を下ろした。

 遠慮がちに膝の曲げ伸ばしでブランコを前後へ動かしてみる。


 遠くから聞いたのと同じ、金属の擦れる音が、手元に軋みを伴って生まれた。

 悲しげな音を慰めるように強く地面を蹴る。隣の振り子にまけじと思い切りブランコを漕いだ。

 全身で風を切ると、子供の頃に戻ったようだった。


「残業のばかやろー」


 控え目な声で叫ぶ。

 彼女の呟きはブランコの悲鳴に飲み込まれた。


「上司のばかやろー。もっと休ませろー!」


 振り子が前に飛び出す勢いが、彼女の胸の奥のもやもやを次々に言葉へと変えた。

 夜風が頬を切る感覚が心地いい。「良い子」として夕飯前に帰宅していた学生時分には味わうことのなかった感覚だ。


 初めての快感が彼女を大胆にさせた。ブランコを漕ぐのを少しだけ中断し、足元を手探りで確かめる。ハイヒールを固定していたベルトを外し、足を痛めつけていたそれを蹴飛ばした。

 ハイヒールは街灯にぼんやりと照らし出された砂場へ落下した。


「遊びたいし美味しいもの食べたいし良い人だって見つけたいんだよぅ。この世界の全部、ばかやろー」


 いつの間にか涙が溢れていた。風が雫を吹き飛ばして、頬だけが冷たい。

 鎖を握り締める手の力が抜け、危うく振り落とされそうになる。


「――そんなに嫌ならやめちゃえば?」


 突然話しかけられて、涙が止まるほど驚いた。いつ隣に来たのか、小さな女の子が全身を使ってブランコを漕いでいる。

 こんな時間に一人でいるなんて、どういうことだろう。


「嫌だからってやめられないよ」

「どうして?」

「……大人だから」


 自分の中の諦めにも似た感情に気付いて、ため息が漏れた。小学生くらいの女の子と、社会人になった自分の大きな違い。

 理想と現実。

 子供の頃に夢見ていた「大人」はこんなものだったろうか。


「アタシが手伝ってあげようか」


 今どき珍しいおかっぱ頭の女の子は、振り子の勢いに任せて宙を舞った。スカートが広がって、幼い太ももが露わになる。

 弄ばれるように空中に舞い上げられる小さな体に、女は慌ててブランコを止めた。片足だけのハイヒールは、とてつもなく歩きづらかった。


 心配して駆け寄る彼女の前で、女の子は軽やかな着地を披露した。背負っていたランドセルが、合図するように大きく跳ねる。


「どうする? やめる? やめない?」


 女の子に迫られて、恥ずかしくなるほどたじろいでしまった。

 質問の真意はわからない。けれど、幼く無垢な存在はじっと答えを待っていた。


 ――「大人」として、子供に夢を与えるべき? でも、この際だから本心を吐き出してしまおうか。


 時間にして数秒の葛藤が全身を駆け巡った。

 急激に思考を巡らせたためか、恥じらいのためか、体温がぐっと上がるのを感じる。


「やめられるなら、やめたい。……なんて、ね……?」


 彼女は本音の後に冗談を匂わせ、微笑んだ。

 女の子の反応を心待ちにしていたその顔が驚愕に固まる。


「叶えてあげる」


 振り向いた女の子には、顔がなかった。いや、正確には口以外が存在しなかった。

 一目で人間ではないとわかる歯を煌めかせ、女に襲い掛かる。


 咄嗟に鞄で身を守った。ぶ厚い資料がみっちりと詰められたビジネスバッグが、豆腐のように滑らかに両断された。

 明日使う資料なのに。恐怖を拒絶するように無関係の方へ頭を巡らせた。

 しかし、押さえきれない感情がつま先から這い上がる。


「あ……、ああ、あぁぁぁぁぁああぁぁっ」


 言葉にならない悲鳴を噴出させる彼女の手から、ビジネスバッグが滑り落ちた。その隙を狙いすましたように、幼女の牙が彼女の体を微塵に切り裂いた。

 一瞬にして胸が悪くなるような血の臭いが広がる。


 大きな口の周りをべろりとひと舐めすると、彼女がブランコから飛ばしたハイヒールを拾い上げた。それを持って道路っぷちへ向かうと、無造作に空へ向けて投げる。

 遠くで町の音が響く住宅地に、ハイヒールが落ちるコツリという軽い音が溶けて消えた。

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