第参刻 〈私が視えるの?〉
「――やっぱりだ」
少年が呟いた。彼の名は相宗黎。
黎の視線の先には、一本の電柱がある。その陰には、うずくまって涙する少女の姿があった。
見覚えのない他校区のセーラー服に、腰まで伸びた長い黒髪。華奢ながら、制服の上からも胸元の存在感がある膨らみを窺い知ることができる。泣き腫らした瞳を除けば美人に分類される少女だった。
……もっとも、両手で覆われた鼻と口元が整っていればの話だが。
この界隈では、電柱の傍に現れる少女の姿が相次いで目撃されていると聞いた。噂の人物は彼女で間違いないだろう。
少女は大粒の涙をはらはらと落としていた。地面にはさぞや大きな水たまりができていようという泣きっぷりだが、地面は乾いている。
少女が姿を見せるのは、時刻は決まって日暮れの時間帯。いわゆる逢魔ヶ時だった。
彼女による具体的な被害の報告はなされていない。単なる都市伝説レベルの事象だ。
電柱の陰で泣く少女は、近付けば姿を消す。見間違いかと思って進んでいくと、次の電柱の陰へ先回りしている。追いかけても追いかけても彼女には追いつけず、気が付いた時には見失ってしまっている。
何人かの目撃者から情報を募ったが、黎の知り得たのはこれが全てだった。彼らの証言は、抱いた感想までほぼ一致していた。
――何がしたいのかわからない。それが一番不気味だったよ。
その言葉通りの印象を、黎自身も感じ取っていた。
悲嘆に暮れていることはひしひしと伝わってくる。しかし、それだけなのだ。恨みも執念もない、純粋な悲しみ。それが彼女から受けたイメージだった。
一定の範囲内にいる間、先回りをするように移動する他は何をするわけでもない。観察を続けていると、太陽が沈みきるのと同時に彼女の姿は薄れて消えた。
気配さえも綺麗さっぱり消えてしまったのには、流石の黎も舌を巻いた。普通ならば、残り香のような霊気が辺りに漂っているべきなのだ。
「時間限定の地縛霊だって? 聞いたこともないぞ」
眉間にしわを寄せ、頭を抱え込んだ。理解不能な出来事への苛立ちを、近くにいた浮遊霊にぶつける。
術を使うまでもない。気の塊を拳やつま先に乗せるだけで十分だった。
浮遊霊は虚ろな目をしたまま、霧散するように一瞬で消滅した。
成仏とは違う、荒々しいやり方だ。平穏なやり方を好む師に知られれば、渋い顔で説教されることだろう。
それでも怒りは収まらず、黎と帰路で行き遭った低級霊は片っ端から抹消された。
黎に与えられたのは、別のモノに関する依頼だった。
そちらの方が影響は大きく、すでに何人もの被害者が出ている。これ以上被害を拡大させないためにも、早急な対応が求められていた。
そこで白羽の矢が立ったのが、黎だった。
年は若くとも、彼の才能は頭一つ抜きんでている。快勝とまではいかずとも、互角、あるいは深手を負わせることが出来るだろうと期待されていた。黎自身もそれを疑わず、単身で討伐に向かったのだ。
それなのに、全く歯が立たなかった。それどころか、返り討ちにあって最終手段まで使わされてしまった。
思いがけない敗北に、彼のプライドは大きく傷ついた。
体のあちらこちらに貼られた大きな絆創膏や包帯を見つめ、溜息をつく。一着きりの制服まで、つぎはぎだらけになってしまった。
悔しさを忘れないためにとそのままにしている前髪は、少し顔になじんできた。とはいえ、学校に出られる格好ではない。新しい制服が届いて包帯が取れるまで、学校は休むことになった。
「時間があり余るのも地獄だな」
十一時を指す置時計から目を逸らし、教科書を閉じた。休学中に遅れを取るまいと机に向かうのだが、あの小学生もどきを思い出すたびに集中が削がれる。
事態を重く見て、黎が師と仰ぐ人物も重い腰を上げた。
まずは再戦に備えての情報収集だ。目撃情報から思わぬ弱点などが見えてくることもあるので、侮ることはできない。
言い訳をするように繰り返しながら、パソコンの電源を入れた。本来の目的でないものに気を取られながら、亀の速度で情報を探る。
狭い範囲で起きている事案なだけあって、情報は微々たるものだった。おまけに、信憑性すら定かでない。
幼女の姿をした化け物の目撃情報よりも、謎の女子高校生の目撃談の方が数が多い。当初の目標と比べれば無害な存在に違いないが、互いに影響を及ぼしあって強大化する懸念もあった。放置しておくのは褒められたことではないだろう。
師に報告をすると、手始めに簡単なモノから片づけることになった。その役に抜擢されたのは、ターゲットと比較的年齢が近い黎だった。
曰く、話し合いで穏便に済ませるべき案件らしい。
暇つぶし程度にはなるだろうと黎は二つ返事で引き受けた。
夕刻が近付き同じ学校の制服を着た生徒たちが自転車で駆け抜けていく。頃合を見計らい、黎も外出の支度を始めた。包帯が見えぬように上着を羽織り、目深にキャップを被る。
件の彼女に早く成仏してもらうため、すぐにでも話し合いを始める心づもりだった。
「へぇ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
自分よりもいくつか年上に見える少女は、やはりそこにいた。気を抜けば生きている人間と見間違えるほど鮮明な姿をしていた。
ほぼ無害とはいえ、言い知れぬ圧迫感がある。
どんなに力の弱い個体にもみられる、こういったモノ共通の特徴だ。これを「オーラ」と呼ぶ人もいるようだ。
ほとんどはそのモノの性質を正直に反映していた。良いモノは清く、悪しきモノは禍々しい。時には仰々しいオーラを纏って自らを強者のように見せようとするモノもいる。けれども、そういうはったりを使うのは雑多なケモノばかりで相手にするまでもない。
この少女の場合、後者なのかもしれない。だが、万が一ということもあるので、気を抜くことは許されなかった。
黎は覚悟を決めると、少女に近付いた。
「隠れてないで出ておいでよ」
黎が電柱の陰に声をかけると、少女がビクリと肩を震わせてゆっくりと顔をこちらへ向ける。顔を覆っていた手が離れ、長い睫毛が伏し目がちに揺れた。
露わになった少女のその顔は美しく整っていて、赤く潤んだ瞳がいたいけだった。
「あ……あのっ、私のこと、視えるんですか?」
彼女の第一声は妙な言葉だった。目撃情報が多々あり、声をかけたという人物も少なからずいた。それなのに、人に気付かれたのは初めてと言わんばかりの反応である。
「視えるけど?」
黎が答えると、少女が涙を拭ってゆっくりと立ち上がる。
風になびいて、スカートがふわりと広がった。その少女からは、悪意など微塵も感じられない。身に纏うオーラが嘘のようだ。
――本当にコレがそうなのか?
黎は一瞬自分の目を疑った。しかし、伝え聞いていた特徴の全てがこの少女に当てはまる。
頬に残る涙の跡は、夕焼けの光をほんのりと反射して一層悲壮さを感じさせた。
「キミの名前は?」
「えっと……」
黎が問いかけると、少女が困ったように眉を寄せた。ごく普通の、女子高生の浮遊霊といった印象だ。
ただ一つ、この辺りでは見かけたことのない制服を着ているという点を除けばの話だが。
「わからないの?」
「……はい。何だか、靄がかかってるみたい」
ぽつり、と漏らした彼女に、黎は曖昧な返事をする。
こういう状況に陥りやすいのは、長い間彷徨っているモノか“成りたて”のモノだ。
少女はそのどちらでもあるようで、どちらでもないようだった。
正確な判断がつかないうちは今後の対応も決めかねる。
彼女に関する情報を得るため、黎は更なる質問を投げかけた。
「じゃあ、キミは自分が今どんな存在になっているか知っているかな?」
「へっ?」
可愛いなりをしているからと下手に出れば、思わぬ抵抗をされる危険がある。
あくまでも、高圧的に。それがこういうモノと対峙する時の心構えだ。たとえ相手がどんなに大人しそうでも、どんなに可愛らしくても、そこは変えてはならない。それが掟だ。
黎は師から常日頃そのように言って聞かされていた。
「キミは自分が死んだことに気付いているかって聞いてるんだよ」
柔らかな語調とは裏腹に、凍てつくような無表情を心がける。
そこからはどんな感情も読み取られないように。
戸惑った様子の少女に、彼は確信する。
――彼女は自分が死んだ事実をおぼろげにしか認識していない。
それでは話が始まらない。となれば、彼女がここにいる理由を聞き出すのが先か。
「質問を変えよう。キミは、どうして泣いていたの?」
「それはっ……」
少女は口を開きかけて、考えを改めたように再び口を閉じてしまった。
「いいよ、話して」
黎が促すと、少女は恐る恐る口を開いた。