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悔恨

 駅前の商店街を走り抜け、呑み屋街に足を入れると、僕は建物の隙間の闇に身を滑り込ませた。古臭い音で稼働するエアコンの室外機の陰に座りこむと、表の通りからは見えなくなる。

 仮初めの隠れ場所に落ち着くや、僕は頭を抱えこんだ。今起きていることが信じられず、絶望に打ちひしがれたのだ。ガタガタと震えが来るのは、決して寒いからだけじゃない。フィルム映画のシーンの様に焼き付いた記憶が、頭の中で繰り返される。

 風船のように破裂して、血や肉の塊を飛び散らせる頭部。幸せそうなカップルや生意気な男が一瞬にして命を失い、もの言わぬ骸と化して横たわる。一生忘れそうもない光景を立て続けに目の当たりにし、僕は凄惨な死に様を嫌悪し、怯え、傷つき、そして心のどこかで愉快に思っていた。

 そう、あのカップルの男が女とべたべたしていた時、心の中で妬んでこう念じたはずだ。爆発しろ、と。そして言いがかりをつけてきたあの男にも、憎しみを込めて爆発しろと言い放った。もちろん、いくら僕とて本気で爆発すると思って言ったわけではない。あんなのは例えだ、言葉の綾だ。だが、現実に三人の人間が爆発して死んだ。あれは本当に僕がやったのか? 

 いよいよ避けては通れない問題と向き合う時が来たようだ。あの眼鏡野郎が言ったように、それこそ誰かがあの三人を爆弾で吹き飛ばしたと言うなら話も別だが、それにしたってタイミングが良すぎる。本当に僕が念じることで、あの三人は爆発したのだろうか。

 そう言えば古い小説か映画に、似たような話があったな。たしか学校で苛められていた女の子が超能力に目覚め、自分を苛めていたクラスメートを殺してしまうと言う話だ。あれは念じるだけで物質を意のままに操る能力だったが、まさか僕も清水さんの婚約がショックで未知なる力に目覚めたのか?

 いや、待て。何を言ってるんだ僕は。あんなのはフィクションで、現実の話じゃない。空想と現実をごっちゃにするなど馬鹿げている。大体そんなことが‥‥

 バンっと、耳傍で音が響き、僕は情けなくも悲鳴を上げて身をすくめてしまった。早くも警官に見つかったのかと恐る恐る目をやると、呆れたことに、室外機の上に一匹の猫が飛び乗った音だった。太った白黒のぶち猫は人間を見て逃げるどころか、まるで自分の縄張りだと主張するかのように、ふてぶてしくも座り込んだまま僕をじっと睨んでくる。

 ちょうど良い、試してみよう。もし本当に超能力なんてものがあると言うなら、この猫の頭だって吹き飛ばせるはずだ。僕は猫を睨み返し、真剣に爆発しろと念じてみた。

 自分の縄張りに人間がいるのが気に入らないのか。それとも獣の本能で危険を感じ取ったか。今や猫は身を起こして威嚇の声を上げてくるが、それが不意に戸惑ったような鳴き声に変わり、慌てて室外機から飛び降りようとした。

 ‥バァンッ!

 地面に降りようとするデブ猫の望みは叶うことはなかった。風船が割れるような音とともに、室外機の向こうで赤い絵の具が飛び散った。夢でも見ている様な現実味のなさを覚えるが、もはや疑うべくもない。これは僕がやったんだ。そう認めると、不思議と笑いが込み上げてきた。 

 ‥ははっ、すごいぞ。僕には非凡な才能があるとは思っていたが、まさかこんな凄まじい力が眠っていたなんて。きっと心に大きなショックを受けたことで、新たな力に目覚めたのだ。やはり僕は他の奴らとは違う。選ばれた能力を持つ優秀な人間なんだ!

 喉元まで笑いが出かかり、大きな声で喚きたくなった。僕が優秀であることは証明された。誰かに称えてもらいたかった。僕は、僕は‥

 ねっとりする様な血の臭いと地面に流れるぎらつく血が、狂気に歯止めをかけた。

 ‥‥‥

 ‥‥何が優秀な人間だ。こんなのは化け物じゃないか。

 心の中で呟いたことは真実だった。昂ぶっていた気持が一気に冷め、がっくりと肩が落ちる。さっき眼鏡の男に殴られた所が、今頃になってじんじんと痛みだしてきたが、今はそれが心地良かった。自分がまだ人間だと実感できる。もやもやしたものを吐き出すように、大きく息を吐いた。

 ‥本当はわかってるんだ。僕は優秀なんかじゃない。虚勢を張っているだけの、ただの嫌われ者なんだ。小さい頃から両親に過剰な期待をかけられて育ち、それに応えようと一生懸命やってきた。でも、次第に思い描いた理想の自分と現実の自分は乖離していき、能力が及ばないのを世間のせいにして過ごしてきたんだ。こんな化け物みたいな能力があるからと言って、僕が優秀なわけはない。

 だが、それを認めたところで、今更どうしろと言うんだ?自らの非力さを認め、へりくだって生きるなど僕にはできない。それに、こんな念じるだけで人を凄惨な死体に変えてしまう力を手にした今、普通の生活なんて送れるわけがない。あの警官がいい例だ。

 人が大勢いるにもかかわらず、いきなり拳銃を撃ってきた警官の事が思い返される。あの時、奴の瞳には恐怖が宿っていた。死を恐れると言う本能が、奴に行動を起こさせたんだ。この先僕の能力が人に知られたら、同じような輩が後を絶たないだろう。

 では、どうすればいい。事情を説明して警察に保護を求めるか?

 ‥駄目だ、警察がこんな話を信じるわけがない。それに今見つかったら、問答無用で逮捕されかねない。

 じゃあ警察などではなく、もっと上の政府の人間に庇護を求めるか?

 ‥同じだ、いずれにせよ危険人物であるには違いない。それに政治家なんて合理的な生物から見れば、僕を生かしておくより、殺して解剖に回した方が有益と思われるかもしれない。

 ならば、どこか人のいない所に逃げるか?

 ‥無理だ。いずれにせよ、人と全く関わらずに生きて行くなんて不可能だ。

 おしまいだ。どう考えても僕に未来はない。所詮この社会で突出した能力を持つ者など、排除される運命にあるのだ。こんな時、誰かに相談したくても僕には頼れる人間がいない。友達もいない、恋人もいない、親とはがっかりした顔をされるのが嫌で、もう何年もまともに顔を合わせてない。僕はどこで道を間違ったのだろう。何故こんな孤独な生き方になってしまったのだろう。これで人生が終わりだなんて、いくらなんでも惨め過ぎる。ならばせめて‥

 ‥ドクン

 僕の中の怪物が目を覚ました。自らの傲慢さと共に、認めるのを怖れた醜い自分。人が爆発したのを目の当たりにして、愉快に思っていた自分。狂気を宿して自棄的になり、怒りの感情を理性で抑鬱することなく発散させたがってる自分。

 ‥そうだ、こんな力が目覚めたのは、僕のせいじゃない。それなのに、世間が僕を受け入れないと言うなら、最後くらいはやりたいようにやってやる。

 心の中の枷が外れ、背徳的な考えが浮かび上がる。胸の中でつかえていた不安が拭い去られるようだった。ならば、僕の人生をメチャクチャにした原因を葬り去ってやる。僕から清水さんを奪い去った、あのムカつくクソ上司、霧島の頭を‥

 ‥いや

 花の様に微笑む彼女の顔が頭をよぎり、暗い炎が心を舐めた。

「‥ヒヒヒッ」

 歪んだ口元から笑いがこぼれる。ようやく本当の望みが見つかり、歓喜に心が満たされる。そうだ、勘違いしていたんだ。僕は守りたかったんじゃない。これこそ、心の奥底で望んでいたことだったんだ。

 口元に笑いをこびりつかせたまま、僕は立ちあがった。目指す場所はわかっている。今晩彼女は未来の夫と共に、イーストパークホテルでお互いの両親と会食をしているはずだ。タクシーを拾えば、警察に見つかることなくホテルへ着くことができるだろう。その後の事はどうなろうと知ったことか。

 今ほど清水さんに会いたいと思ったことはない。僕の本当の望みは、幸せに輝く彼女の顔を、木っ端微塵に爆発させることだったんだ。

 背徳の喜びを胸に、首無し猫の死骸を踏みつけて暗がりから出ると、タクシーを求めて大通りへ足を向けた。歩きながら、ふと心に引っ掛かっていたことが思い返される。

 そう言えば一つだけ解せないことがある。あの時僕が爆発するよう念じたのは男だけのはずなのに、どうして女まで爆発したのだろう?  


 夜の町を彷徨いながら、私は途方に暮れていた。いくら記憶から締め出そうとしても、変わり果てたユーヤの姿が脳裏から離れない。私が‥、私がユーヤを殺しちゃったの?

 無意識に人のいる所を避けていたのか。気がつけば住宅街を抜け、河川敷のほとりを歩いていた。コートも着ずに飛び出してきて、冬の夜風が身に染みる。でも、部屋に戻る気にはなれないでいた。

 街灯もない暗い夜道をとぼとぼと歩きながら、一体何が起きているのかを考えた。電車の中のカップルは、私が爆発しろと呟いたら、本当にそうなった。ユーヤが死んだのも、私が爆発しろと言ってからだった。つまり、爆発しろと言うキーワードを唱えたら、それが本当に起こるってこと?

 ‥‥呪いだわ。

 きっと毎日他人の恨み事を聞かされていて、それが私の中に溜まっちゃったんだ。その鬱積うっせきした負の力が何らかの理由で形をなして、言葉に力を持たせちゃう‥、こういうのなんて言ったかしら。そうだ、言霊ことだま。私の言葉に霊的な力が宿って、現実に力を持っちゃったんだ。

 じゃあ何、今後私が爆発しろと言ったら、本当に何でも爆発しちゃうわけ?ううん、それだけじゃないわ、馬鹿とか黙れとか‥、死ねとか‥。こんな言葉まで力を持っちゃったら、私どうなっちゃうの?

 それに、これが本当に自分のやったことなら、私は人を二人殺していることになる。不可抗力かもしれないけど、この力を自覚した今となっては、罪悪感を覚えずにはいられない。私は人殺し。それもあんな幸せそうなカップルを、面白半分の妬みで殺してしまったのよ。

 悲しい気持ちと一緒に涙がじんわりと込み上げて来た。それは大粒の涙となって溢れ出し、私はその場で泣き崩れてしまった。自分の罪が怖かった。とんでもない力を手にしたことが怖かった。また誰かを不用意に傷つけるんじゃないかと思うと、怖くて堪らなくなった。

 衝動的に死ぬことを考えた。今すぐ橋の上から、目の前の川に飛び込んだら死ねるかしら。いえ、もっと確実に高い崖の上からとか、線路に飛び込んだ方がいいかしら。とにかく、このまま普通に生きていくことなんかできない。どれだけ気をつけるにしても、負の感情の言葉をまったく口にせずにいることなんてできはしない。クレーム処理なんて仕事は論外、また誰かを傷つけてしまう前に、私がいなくならなくっちゃ。

 ところが、本気で死ぬことを考えたら、両親の顔が浮かんできた。優しいけど、門限にだけは厳しかったお酒好きの父。くどくどと口うるさいけど、いつも私の事を慮ってくれた母。もしも死んでしまったら、私の事を大切に育ててくれた二人はどれほど悲しむだろう。そう思うと、胸が潰れるような痛みを覚えた。

 涙が出尽くすまで泣いて、それから私は立ちあがった。よく考えてみれば、死ぬのにどこかから飛び降りる必要なんてないわ。ここで自分に向かって爆発しろ、と言えば事足りるのだから。でもその前に家族と話がしたかった。そんなことをすれば決意が鈍るかもしれないし、止められるのはわかっているけど、それでも二人に黙って死ぬのだけは気が引けた。

 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、父に電話をかけると、珍しくすぐに応答があった。温かい声を聞くとまた涙が出そうになったけど、私はできるだけ平静を装うことにした。

「‥お父さん、私」

「おや、こんな時間に珍しいじゃないか」

「うん‥、ちょっとね、声が聞きたくて‥」

 歯切れの悪い言葉から、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか。父の和やかな口調が心配したものに変わる。

「どうした、声が沈んでるぞ。何かあったのか?」

「それが‥ね、ちょっと説明しづらくって」

「なら会って話を聞こう。今ちょうど仕事が片付いたところだ。家まで行こうか?」

「ううん、こっちから行くよ。お父さん今どこ?」

「仕事でイーストパークホテルまで来てるんだが、近くにいるのか?」

「うん、じゃあラウンジに喫茶店があったでしょ。すぐ行くから珈琲でも飲んで待ってて」

「ああ、なぁ、仕事の事なら辞めてもいいんだぞ。お父さんはだな‥」

 通話を切ると肩から力が抜ける。やっぱり家族に何も言わずに死ぬことなんてできない。会ってどう話したらいいかわからないけど、とにかく事情だけは説明しよう。信じてもらえるかについてはもっと自信ないけど、これ以上人に迷惑をかけるわけにはいかない。

 でも、話す時は細心の注意をしないとね。今の私は悪い言葉を口にしただけで現実になってしまう恐れがある。電話の向こうまで効果が及ぶかどうかは知らないけど、今だって言葉を選びながら話していたし、父に会ってからもうっかり口を滑らせないよう気をつけなきゃ。

 ああ、せめて言葉が力を持つなら、愛してるとか、幸せになってねって言葉も現実になればいいのに。私の中にたまった負の力は悪いことしか現実にならない。何でこんな事になっちゃったんだろ。

 重い足を引きずるように、私はタクシーを探しに町中へと足を向けた。それにしても一つだけ腑に落ちないことがあるわ。電車の中で私が爆発しろと言ったのは彼女の方だけだったのに、どうして彼氏まで爆発したのかしら?

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