混乱
◆
阿鼻叫喚と言う言葉の意味を、僕は今までどう捉えていたのだろう。
辞書に何と載っているかは知らないが、わざわざ調べる必要はなかった。今まさに目の前で広がっている光景がそれだった。
それが起きてからと言うもの、電車内の混沌は到底表現しきれるものではなかった。怒号、悲鳴、泣声、ありとあらゆる言葉にならない絶叫が飛び交い、近くにいた人々は死体から遠く離れようとし、悲鳴を聞きつけて寄ってきた他の車両の乗客とぶつかってパニックを起こした。やがて短い時間の内に、電車内にテロとも殺人ともつかぬ事件が起きたことが広まると、人々は先を争って逃げようとした。そんな中、逃げ損ねた年寄りが群衆に踏み潰され倒れていた。その孫らしき女の子が近くで泣いていたが、救いの手を差し伸べる者はなく、その女の子もまた群衆の誰かに蹴倒された。
唯一とも言える安全地帯は、皮肉にも二人が爆発した死体の側であった。僕は魅入られたかのように彼と彼女であった物の側に立ちつくしていた。
絶え間なく奏でられる人々の悲鳴を聞きながら、僕はここで起きた事を現実として受け止めようとし、何が起きたのかを茫然と考えていた。だが、答えなど出るはずもなかった。幸せそうにいちゃついていた男女が突如爆発したのだ。下手なホラー映画でも起きそうにない状況を、どうして理解などすることができよう。
男の身体から広がる血溜まりが、一筋の川となって近づいて来て僕の靴を汚す。足元には白い何かが散らばっており、しばらく見つめている内に、それが飛び散った歯や骨片であることが分かった。もっとも、どちらの物かまでは分からないが‥
気がつけば電車が駅に到着しており、乗客は我先にと電車内から逃げ出した。何事かと覗きこんだホームで待っていた客達は、あまりにむごたらしい死体を目の当たりにして、先の乗客動揺パニックを起こした。幸い彼等は人が爆発する所を見ていなかったが、その場で吐きだす者や卒倒する者も少なくなかった。
パニックをかき分けて警官の制服を着た男達が現れたのは、それからしばらく経った後だった。彼等も一様に凄惨な事件現場に怖気付きはしたものの、さすがはプロと言うべきか。直ちに規制線を張って、尽きず表れる野次馬達を追い払いにかかった。先の年寄り以外にも電車内で怪我をしたり放心状態にある者が多く、救急が彼等を運び出す作業を始める。警察が立ち尽くす僕等に事情聴取を求めたのは、さらにしばらく経ってからだった。
「大丈夫ですか、一体何があったんですか!」
僕に話しかけてきたのは、制服を着た白髪交じりの警官で、その後ろには若い制服警官が控えていた。だが僕は何も言うことができなかった。ショックで口がきけなくなっていたわけではなく、どう説明すればいいのか見当すらつかなかったからだ。
「一体ここで何が起きたんですか」
見ればスーツ姿の刑事とおぼしきが、違う乗客に質問していた。この場から逃げ出さなかったのは、僕だけではなかった。カップルの男に声をかけていた眼鏡のサラリーマンが、強面の刑事らしき男から同じようなことを聞かれていた。
「‥爆発したんだ」
か細く答える眼鏡の声に、刑事だけでなく、近くで聞いていた警官達までが眉をひそめた。無理もない、この一言で人間が突然爆発したなどと思えるようなら、僕は日本の警察への認識を改める必要があるだろう。だが、その後の彼が言った言葉は、僕の理解を越えていた。
表情を失った眼鏡の男は血塗れの顔を上げると、虚ろな目つきで僕を見つめ、続いて指差した。
「‥あいつだ、あいつが何かしたんだ」
一斉に周りの視線が集中するが、誰より驚いたのは僕だったはずだ。
「‥なっ」
一体何を言ってるのかわからず、僕は言葉を失った。が、刺すような視線で我に返った。強張った警官の顔には不振や疑いの色がありありと浮かんでおり、それは紛れもなく良くない状況だった。
「何を言ってるんだ貴様は、僕が何をしたと言うんだ!」
まさに言いがかりも甚だしい。しかしあまりの事に動転し、僕も到底論理的なことを言える状態にはなかった。それは眼鏡の男も同様だったろうが、奴は僕の言葉で生気を取り戻すと、ズカズカと詰め寄ってきた。
「ふざけるな、俺は見てたんだぞ。お前ずっと彼の事を睨んでいただろ!」
「馬鹿なことを言うな、そりゃたしかに見てはいたが、だからと言ってあんな風に人が死ぬわけないだろ!」
「嘘だ、あの目つきは尋常じゃあなかったぞ。きっとなにがしかの恨みを抱いていて、彼に爆弾か何か仕掛けたんだろ!」
爆弾と言う言葉に反応して、警官達の顔が青ざめる。そして、本当に僕が爆弾でも持ってるかのように警戒の姿勢をとる。事態はますます悪化を見せ、僕は窮地に立たされて行った。本当なら落ち着いて対処すべきであったんだろうが、ショックにショックが重なって、とてもそんな精神状態にはなかった。
「いい加減にしろ、ふざけた濡れ衣で僕に罪をなすりつけるな。大体あの男が爆発した時、側にいたのはお前じゃないか。お前こそ何かしたんじゃないか!」
ぎょっとした様に警官の目は眼鏡の男にも向いたが、状況を知らない彼等にとっては、疑わしいのは同様のようだ。激高した眼鏡の男は血塗れの顔をさらに赤らめ、僕の胸ぐらを掴んでくる。
「何言ってやがる、お前があんな幸せそうなカップルを無残に殺したんだろうが。しらばっくれてんじゃねえぞ、このクズの豚野郎がぁ!」
冷たい針が僕の脳に突き刺さった。今何と言った、この男?初対面の分際で、人にあらぬ濡れ衣をかけただけでは飽き足らず、この僕をクズの豚だと!
カッと頭に血が昇るのを覚え、僕は眼鏡の胸ぐらを掴み返した。
「よくも言ったな、この低能が。お前みたいなチンケなカス野郎が何様のつもりだ!」
返事の代わりに飛んできたのは、カス野郎のパンチだった。それは僕の頬で炸裂したが、痛みを感じるより、怒りが募った。すかさず殴り返そうと拳を固めると、ぼさっとつっ立っていた警官達が慌てて止めに入った。二人掛かりで腕を押さえられ無理矢理引き離されるが、僕の怒りはピークに達していた。
「このカス野郎、お前もあいつらみたいに爆発して死んじまえ!」
恨みを込めて言い放つと、スーツの警察に押さえつけられた眼鏡の男は、ますます顔を赤らめて僕を睨みつけ、意味不明の喚き声を返してきた。せめて殴られた分だけでもお返しをしようと警官の腕の中でもがいたが、さすがに多勢に無勢。引きずられるように引きはがされ、出来ることは奴を睨みつけるくらいしかなかった。
‥んっ?
奴の様子がおかしかった。
僕同様、引きはがされた眼鏡はスーツの刑事に押さえつけられもがいていたが、途中から暴れると言うより苦しみ始めた。異常に気付いた刑事は、おい、大丈夫か、とか声をかけながら近くの救急隊員を呼びつけたが、僕はもしや、という思いに捕われていた。
眼鏡の男は仰向けに倒れ、頭を押さえて苦しんでいる。慌てて駆け寄ってきた救急隊員と刑事が見守る中、突如、奴の後頭部が膨れ上がったのには誰しもが驚かされた。僕と一緒にその様子を見ていた警官も男の奇怪な変化に心奪われ、腕を押さえつける力が緩んだ。そうこうしている内に眼鏡の顔は膨らみ始め、顔から眼鏡がずり落ちたかと思うと、ぎょっとするほど目が飛び出した。ヒッと悲鳴を上げて刑事が飛び退った次の瞬間、眼鏡の男は爆発した。弾けるように血肉が飛び散り、その様は夏の海辺で行われる、スイカ割りのスイカが割れる様に似ていた。
突如の破裂音に作業中の救急隊員、ならびに駆けつけてきた警官全てが目が集中した。新たに飛び散った彼の頭の肉片や頭蓋の破片、ぐずぐずの豆腐のような脳味噌が、不気味な芸術作品の様に無秩序な散らばりを見せる。僕の隣で年配の警官が腰を抜かし、がくがくと震えだす。眼鏡の男を助けようとしていた救急隊員の一人が、呆けたような声で笑い始めた。それを、顔の半分に脳とおぼしき肉片をこびりつかせた刑事が無表情に眺めていた。
今の怒りはどこへやら、僕は全身の血が一気に逆流したかのように身体が冷めるのを覚えた。思考が停滞し、一種の虚脱状態に陥る中、映画の字幕のように頭の中を文字が駆け抜けた。
『イマノハナンダ、ボクガヤッタノカ?』
知らず足が動き、一歩踏み出していた。僕を押さえつけていた警官の手がするりと離れ、また一歩を踏み出した。何が起きているかはわからない。だが、本能がこの場から逃げろと告げていた。僕はさらなる一歩を踏み出し、二歩、三歩、そして駆けだそうと足を踏み出した。
巨獣の咆哮が聞こえたのはその時だった。獣は後ろから威嚇の声を上げ、振り返らせるには十分な理由を作った。震える腕で拳銃を構え、僕に狙いを定める警官の姿がそこにあった。呆けていたような幾人かが、今度はその警官に視線を向ける。当の拳銃を構えた警官は、何とも形容しがたい表情を浮かべていた。今にも泣きそうな顔をしてるのに、口元には引きつったような笑いが、そして目には恐怖の色を湛えている。だが、何より向けられた銃口から目が離せず、射すくめられたように動けなくなってしまった。
再び獣の咆哮。今度は足元の床が音を立てて弾け飛んだ。それで呪縛が解けたかのように、僕は回れ右をするや一目散に駆けだした。ブルーシートが張られ、規制線の向こうに集まっていた群衆が、突然飛び出してきた僕に驚き道を開ける。その後ろで、今度は三度拳銃の発射音が聞こえた。
群衆の中から悲鳴が上がり、さらなる恐怖を覚えた。あの警官、一般市民のど真ん中向けて撃ちやがった。ようやく銃で撃たれたとわかり、たちまち辺りの人間が悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていく。幸いそれ以上の発砲音は聞こえず、ちらっと振り返ると、銃を構えていた警官が他の警官達に取り押さえられていた。今や惨殺死体のある現場は剥き出しのままで、そのうえ市民に向けて発砲する警官がいる駅のホームはパニックの坩堝と化した。恐怖に怯える群衆に紛れ、僕は駅から脱出し、夜の闇へと紛れこんだ。
◇
どこをどう走ったのか覚えてないけど、とにかく私は自分のマンションへと帰りついていた。震える手で何とか鍵を開けると、私の帰りを待ち侘びていたユーヤが喜びの声を上げた。でも、今はそれどころでなく、何も考えずにベッドの中へと飛び込んだ。
耳目を閉じれば、これ以上悪いことは起こらない。そう信じたかった。このまま眠りの中へ落ちて行き、再び目を覚ました時には、何事もなかったような平穏が待っている。本気でそう信じたいと思った。でも駄目だった。布団の中で私は身体がガクガク震えてくるのを止めることができず、下手なダンスのように足が勝手に踊りだした。両手で左足を押さえつけるも震えは止まらず、恐怖がぶり返してきたように身体が震え、じっとしていることができなかった。
けたたましくユーヤが私を呼び立てるが、私は自分の身体を抱きかかえるようにして恐怖と闘った。何も考えちゃ駄目、何も考えちゃ駄目、何も考えちゃ駄目‥
闇の中で、首から血を流し続ける男の身体が跳ねあがるのが思い返され、心が血の色に塗りつぶされる。不意にドスンと布団の上からぶつかってくるものがあり、私を心胆から寒からしめた。
悲鳴を上げて飛び起きると、そこにはユーヤが、今年三歳になるオスのシーズ―犬が布団の上で尻尾を振っていた。いつもなら私の孤独を慰めてくれるかけがえのない家族なのに、私は金切り声を上げて彼を怒鳴りつけていた。普段大声など出されたことなどないユーヤは、怯えたように部屋の外へと逃げて行った。
ぬるりとした感触が私を我に返らせる。見れば、頬に当てた手に乾きかけた血液がこびりついており、シーツや毛布にも不浄の赤がなすりつけられていた。見慣れた光景が血で汚されると言うのは耐え難いものがあり、泣きたくなるような気持を押さえ、バスルームへと駆けこんだ。
血だらけの着衣のままシャワーを全開にすると、まだ水が冷たいうちからかぶった。次第に熱くなる湯が身体にこびりついた血を溶かし、朱混じりの流れとなって排水口へ飲みこまれていくも、私の恐怖まで溶かすには至らなかった。着ているものを浴槽に脱ぎ捨て、私は泣いた。ずっと悲鳴を上げていたから喉が痛んだが、それでも泣いた。まるで身体の中の恐怖を絞り出すかのように、大声で泣き続けた。
ようやくバスルームを後にした時には、憔悴しきっていた。でも、少なくとも血だけは拭いされたことが慰めにはなった。いつもなら部屋着のジャージに着替えるのだけど、血のこびりついたデニムが思い返され、明日着て行く為用意していたスーツに袖を通す。バカらしいとは思いつつも、日頃着慣れているものの方が、現実へと引き戻してくれるのでありがたかった。
濡れた髪のままリビングに出ると、テレビが目についた。そうだ、ニュース。一体あれはなんだったの?リモコンを手に電源を入れると、チャンネルを探す必要はなかった。民放の番組が中断され緊急中継が行われており、興奮しきった女性キャスターが駅をバックに、現場は大変な騒ぎとなっております、とまくし立てていた。
画面右上の、緊急中継、爆弾テロ発生か!のテロップが目がとまる。爆弾テロ‥、じゃああれはテロリストの犯行だったわけ?ソファの上に腰を落とすと、番組がスタジオに切り替わり、神妙な顔をしたアナウンサーがニュースの途中経過をまとめていた。
『ここでもう一度ニュースをお伝えいたします。本日午後未明、走行中の電車内にて爆発物が爆発する事件が起き、少なくとも男女二名の死亡が確認されています。被害者の身元は不明。現場は大変混乱しており情報が錯綜していますが、犯人は未だ特定されておりません。周辺にお住まいの皆様は、不必要な外出を控え‥』
テレビと言う客観的な媒体を通じて見ると、不思議な説得力を覚える。放心したように今の報道の言葉を噛みしめると、それが真実のように思えてくる。そうよ、あれはテロだったんだわ、私はたまたまその現場に居合わせただけの被害者なのよ。何か釈然としないものを感じつつも、私はその考えを信じこもうとした。
画面は再び現場周辺に戻り、少し前のものと思われる映像が映し出される。監視カメラの物と思われる映像は、悲鳴を上げて逃げまどう群衆の姿を映し出しており、私もあの中にいたかと思うと今更ながらに恐怖を覚える。ニューススタッフが駅から逃げ出した何人かとの接触に成功し、女性キャスターがインタビューを試みていた。いずれもパニック寸前の人々で嘘か真か定かではないが、血塗れの男が逃げたとか、警官がいきなり発砲したとか、私の知らないことまで口走っている。でも共通してるのは電車内から逃げてきた人達が、一様に男女がいきなり爆発したと言ってること。それをもとに、自爆テロではないかとか憶測が飛び交いスタジオで議論が始まるが、どう見てもテロとは無縁なバカップルが、そんなことをするとは信じられなかった。
駅前のインタビューが最後の一人を映し出した時、なんとなくその人物には見覚えがある気がした。パーマをかけた四十代くらいの御婦人で、白いセーターには飛び散った血が不吉な紅葉模様を描いており、顔は露骨に青ざめていた。思いだした、たしか乗降者口の近くに座っていたおばさんだ。恐らくインタビューされた人の中で、最も事件現場に近かったのは彼女であろう。そのおばさんは、震える声でインタビューにこう答えた。
「ええ、電車に乗ってきた時から怪しい女がいたのよ。帽子に眼鏡をかけた地味な服装だったけど、何が入ってるのか知らないけど紙袋を大事そうに抱えて、死んだ人達の側に立っていたのよ‥」
‥そんな怪しい女なんていたかしら?
‥‥んっ?
‥‥‥それって、私じゃない!
女性キャスターが、現在警察がその女の行方を探しており、見かけられた方はこちらの専用ダイヤルまでご連絡を、と言うのを聞きながら、私は再びパニックに見舞われていた。
ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ何、私が爆弾で二人を殺したと思われてるわけ?冗談じゃないわよ、‥って、そりゃたしかに挙動が怪しい所はあったかもしれないけど、紙袋の中身は本よ。‥まぁ、ある意味危険物かもしれないけど、少なくとも爆発するものなんかじゃないわ。
完全に記憶から消えていたけど、当の紙袋は電車の中に忘れてきたまま。多分逃げ出した人にもみくちゃにされて、どこに行ったかはわからないでしょうね。早急に警察の誤解を解かなきゃ。で、電話。ハンドバッグに入れておいたスマートフォンを取り出しボタンを押そうとするが、それより直接警察に赴いて事情を説明したほうがいいんじゃないかと思い立つ。
しかし、私は突然足を止めて、不吉な考えに身を震わせる。あの二人はテロに巻き込まれて死んだ。そう思いこもうとしていた信念が、急に不安に見舞われる。もし警察に出頭して根掘り葉掘り聞かれて、ボロが出ちゃったらどうしよう。だって私あの時‥、リア充なんて爆発しちゃえって言っちゃったもん。
「クゥン‥クゥン‥」
部屋の隅から恐る恐るユーヤが近づいてきて、私の足元で尻尾を振る。いつもなら可愛い仕草だけど、そんな様子には目もくれず、力なくソファにへたりこむ。思い返したくもない忌わしい惨事の少し前、私はいちゃつくバカップルを見て、確かにそう呟いた。でも、それで本当に爆発するなんてあり得るわけないじゃない。お伽話の魔法使いじゃあるまいし、言ったことが現実になるなんて馬鹿げてるわ。
それなのに理性や常識がいくら否定しても、心のどこかでもし、とか万が一って考えがちらついて離れない。私の心配性もここまでくると病的ね。見ればソファの端にユーヤが飛び乗り、物欲しげな目で私を見ている。そう言えばご飯をまだ上げてなかったっけ。
私は自分を安心させるために。そんなことがあるわけないことを証明するために、ユーヤに向かって指を差し、短く呟いた。
「‥爆発しろ」
何を言われたのかわからないユーヤはきょとんとした表情を浮かべている。安堵の溜め息をこぼし、私はソファから立ち上がった。やはり警察に行って事情を説明しよう。その前にユーヤにドッグフードをあげなくっちゃ。えーと、買い置きの袋があっちに‥
ブシュッ
水の詰まった袋が割れるような音に、私は固まってしまった。その時去来した気持ちは、そんなわけないわよだったが、後ろを振り返った途端、ああ、やっぱりにとって代わった。
変わらずユーヤはソファの上に座っており、お腹が空いた時によく見せる仕草で、舌を出していた。
‥ただし、顎から上がなくなっていた。
飛び散った鮮血がソファに赤い水玉模様を描き、壊れたぬいぐるみの様にユーヤが、‥いえ、ユーヤだったものが横倒しにソファから転げ落ちた。
「いっ‥、いやああああああぁぁぁー!」
身も世もない悲鳴をあげて、私はマンションから飛び出した。何故か、二度とここには戻らない予感がした。