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発端

ネタっぽいタイトルですが、中身はがっつりホラーです。

性描写はこれっぽっちも出てきませんが、「身体欠損・大量出血を思わせる刺激の強い描写」に該当する作品なので、R15指定を入れさせて頂いてます。

 くそっ‥

 くそっ、くそっ、くそっ!

 交差点で信号を待ちながら、僕は心の中で毒づいていた。渦巻く怒りが炎となって、身体から吹き出てくるのではないかと思えるほど激しい憤りを覚えていた。

 いまだ信じられない気持でいっぱいだった。尽きることなく湧き上がる怒りが、憎しみや嫉妬を伴い心を深い闇へと沈みこませる。こんな事態を迎えるはずではなかった。それなのに何故‥

 青信号の点灯と共に人の波が動き始め、僕もその群れの一部となる。だが周りの奴らは世間にはびこる有象無象の輩共で、僕のようなエリートとは格の違う無能ばかりだ。そうだ、天下の三興商事の花形部署、第一営業部に籍を置く僕は優秀な人間だ。親の七光りなどと言う連中もいるが、あんなのは口さがないひがみだ。僕が優秀であることは、誰より僕自身が一番わかっている。それなのに、どうしてこんな惨めな思いを味わなければならないんだ?

 忌々しくも思い返されるのは、今朝の朝礼の事。にこやかに微笑む部長の紹介で清水さんの報告を聞いた時、足元の地面が崩れるような錯覚を覚えた。

 清水優奈さんは第一営業部で事務を務める二つ上の先輩で、クソ野郎ばかりの営業部で唯一僕に優しく接してくれる清い心の持ち主だ。彼女は他のくそったれ女子社員のように、僕の肉付きの良いお腹を見て笑ったりしないし、偉そうだの何だのと陰口を叩いたりもしない。いつも優しい言葉をかけてくれ、慈愛に満ちた笑みを向けてくれる聖母の様な女性。僕はそんな彼女を密かに恋い慕っていた。

 シャイな僕はなかなか勇気が持てなかったが、彼女とて好意もなしに微笑みかけては来ないだろう。意を決して食事に誘ってみよう。そう決意して、今朝は特別な決意を胸に出社してきたのだが、その気持ちは無残にも打ち砕かれた。

 皆の前で恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女は、婚約の報告をしたのだ。それもよりによってあのクソ上司との婚約を。

 クソ上司こと霧島係長は、僕とたった四つしか違わないのに早くも昇進を果たした同じ営業部の上役である。たしかにやり手で部下からの信望も厚い男だが、僕にとっては不倶戴天の敵である。奴は僕が専務の息子であることをひがんでいるのか、人の失敗にいちいち目くじらを立て、陰湿な嫌味を垂れてくる心の狭い男だ。他の部下との接し方も明らかに異なり、一度など「君は実力でここにいると思ってるのかね」などと胸糞悪いことを言ってくるような奴だ。

 そんなクソ野郎が、なぜ清水さんと結婚するんだ?駅の構内に入りながら、ますます募る怒りに身を焦がされていく。

 たしかに僕は容姿が良いとは言えない。体重も標準よりは多いだろう。だが、人間の価値を決めるのは知性と人格だ。清水さんの様な優れた人間にそれがわからないはずもないのに、なぜ彼女は僕ではなく、あんな心のどす黒い奴を選んだんだ?

 いや、きっと彼女はあの男にたぶらかされているんだ。純粋な彼女は疑うことを知らないのだろう。あのクソ野郎は上司と言う立場を利用して言葉巧みに彼女を操り、目を曇らせたに違いない。そうに決まっている。

 それなのに僕の心にリフレインされるのは、他の社員にはやし立てられながら、幸せそうに笑う二人の姿だった。それは僕にも見せたことのない素敵な笑顔で、鋭い刃を突きたてられた様に心が痛んだ。

 改札を抜け駅のホームに立つと、冷たい二月の風が吹きつけてくる。隣にいたサラリーマンがコートの襟を合わせるが、僕の心で燃え盛る地獄の業火を萎えさせるには至らなかった。

 ‥くそっ、なぜ清水さんはあんな奴を選んだんだ。

 ‥なぜ彼女の隣にいるのが僕ではないんだ。

 ‥僕は優秀な人間だ。僕こそ彼女に相応しいのに、僕が選ばれないのは世の中が間違っているからだ。

「そうだ、僕は何も間違ってない」

 声に出して呟くと、ますます自分の正しさを実感する。それにしても電車はまだ来ないのか。一体いつまで待たせるつもりだ。JRの怠慢はもはや致命的なレベルだぞ。

 そもそもなぜ僕が一時間も残業せねばならんのだ。政府の役人共が無能なせいで労働者の権利が守られてないじゃないか。

 大体僕が仕事をしてやってるんだ。会長はあんなクソ野郎より僕を評価すべきだろう。会長も部下も、いや社会の人間は皆クズだ。クソ野郎だ。そうでなければ、僕がこんな不当な扱いを受けるはずがない。

 まったく、どいつもこいつもクズの分際で、どうして僕の足ばかり引っ張るんだ。くそっ、電車はまだか。一体いつまで待たせるつもりだ。  

 その時、ようやく線路の向こうから電車の明かりが近づいてきた。


 電車に乗る前に、私は慎重に辺りを見渡して知り合いがいないことを確認し、乗り込んでからも念には念を入れてもう一度確認した。

 電車内の混みようはそこそこで、座席は埋まっているが立ち客は少ない。この時間にしてはむしろ少ないくらいね。仕事帰りとおぼしきは、奥の方の座席で並んで座っているOL二人に、乗降車口の右側でスマホを弄っている眼鏡の若い男性と、左側のなんだか目つきの悪い太った男性。よし、知り合いはいない。

 胸に抱えた紙袋を抱きしめ電車に乗り込み、反対側の乗降車口の近くに立つ。もう一度周りを見渡し、本当に知り合いが乗ってないことを確認して、ようやく胸をなでおろした。

 もっとも、仮に知り合いが乗っていたとしても、今の私に気付くかどうか。何しろ今日の私は、似合わないからめったにかぶらない帽子キャップに、目もとの印象ががらりと変わる黒縁眼鏡。服装もブルゾンにデニムといった普段らしからぬ恰好で、スーツ姿の私しか知らない人にはまず気付かれることはないと思う。心の中で大丈夫と自信を抱きつつも、危険な代物が詰まった紙袋を抱えると不安が増してきて、もし、とか万が一という言葉が頭をよぎる。

 ここまで変装して人目を避けるのには訳がある。今日は知り合いに、特に職場の同僚とは間違っても会いたくないのだ。だけど、もし誰かに遭遇して、万が一にも紙袋の中身が知られるようなことがあっては、私にとって耐えがたいこととなるでしょう。

 私の仕事は、言ってみれば怪物と戦う勇者。火を吐く怪物や毒を吐く怪物、はては呪いの言葉を唱えてくる怪物と戦って、城を守り抜くこと。多くの仲間が傷つき引退していく中、常に最前線で戦い、日々怪物の猛攻にさらされる。それが家電メーカー、キャッスル電工営業部カスタマーセンター、通称お客様苦情係に勤務する、私に課せられた使命なのだ。

「おめえんとこが悪いんだろうがよぉ、誠意を見せえや、誠意を!」と、ヤクザさながらに火を吐く怪物や、「せっかく貴方の会社を信用して買ったのに、こんな不良品掴まされるなんて裏切られた気分よ。まったく‥」と、ネチネチ毒を吐いてくる怪物、さらには「動かないもの売ってお金だけ取るなんて詐欺じゃないの、こんな仕事しかできないんなら死んじゃいなさいよ」などと呪いの言葉を電話越しにぶつけてくる魔女とも悪魔ともつかぬ連中を相手に、日々神経を擦り減らされる私は、内なる怪物、すなわちストレスとも戦わねばならなかった。

 そして、つい先日。火と毒を吐き、おまけに呪いまでかけてくる強敵から、延々二時間以上、愚痴とも恨み事ともつかぬ文句を聞かされた挙句「貴方、お客様は神様でしょ、真面目に聞いてるの?」と言われ、ついに私はキレそうになった。

「貴方は神様じゃない、モンスターよ!」と、本気で言いそうになったんだけど、分別が口をつぐませ、理性が最後の一線を越えることを押しとどめた。そして私は実感した。もう、限界。次の転属願いが受理されなかったら、この仕事は辞めよう。カスタマーセンター事務員の平均寿命は約二年、私はもう六年もいる。

 この仕事で学んだことは、ストレスと言うものは重たい金属でできており、一度飲みこんでしまったらいつまでもお腹に居座り、なかなか消化されないと言うこと。そのうえ貯め込み過ぎると最悪な形で破裂して、人生そのものを終わらせてしまう可能性すらある。だからなんとかして、このストレスを緩和するため、ついに禁断の趣味に手を染めてしまった。

 市内某所でトラが住むと言う穴蔵に足を踏み入れ、吟味に吟味を重ねた末、厳選して購入した五冊の書は俗にBL本と呼ばれる類。今年三十路を迎え、いい加減おばさんと呼ばれてもおかしくない歳なのに、本当何やってるんだろ、私‥

 だが溜まりに溜まったストレスをなんとかしないと、現実の私が壊れてしまいそう。妄想の中の私は、五人の美男子に囲まれたハーレムで優雅に暮らしており、彼等に慰めてもらわなければとてもやっていけない。世間体を気にしつつも、未知なる想像の世界へ思いを馳せると、顔がにやけそうになる。定刻を迎えた電車がゆっくりと動き出し、私は気がはやるのを覚えた。


 その女を見かけた時、僕は思わず目を惹かれてしまった。

 明るく染められた長い髪に、愛くるしい瞳。天使のような笑みを湛えた二十歳前後の女性が、とある駅から乗り込んできたのだ。だが僕はすぐに顔を強張らせることになる。彼女は続いて乗り込んできた同じくらいの年頃の男と手をつないでおり、一目でカップルと知れた。

「ちっ‥」

 舌打ちが向かいに立っていた眼鏡のサラリーマンの気を引いたようだが、奴は何も言わずに手にしたスマホに目を戻す。なんだよ、いちいちこっち見てんじゃねえ。

 再び電車が動き出し、僕は意識からカップルを閉めだそうとしたが上手くいかなかった。カップルは反対側の乗降車口に近い、ジーンズの女が立ってる辺りでいちゃつき始めたのだ。何を話してるかまでは聞こえないが、小声でやり取りを交わし、時折甘ったるい笑い声が聞こえてくる。見るとはなし目をやると、だんだん怒りが募ってきた。傷心の僕の前でこれ見よがしにいちゃつくのは、嫌がらせのつもりか?

 気がつけば、僕は地味なハーフコートと黒いブーツの間から覗く、女の白い太ももに目をやっていた。すべすべで柔らかそうな肌を見ていると相手の男が妬ましく思える。カップルの男は背が高く顔も良い、男性モデル誌に出てきそうなハンサムで、女の腰に手をまわして今にも抱きつかんばかりだ。きっとこの二人はもうやってるんだろう。これから暖かい家かホテルに向かって、二人でベッドインか?イライラはさらに募り、心の内でどす黒い炎となって燃え上がる。

 そして唐突に気付いた。何故こんなにイラつくかと言うと、あの女の笑顔が清水さんの笑顔とかぶるからだ。どちらも心から楽しそうな笑みを浮かべ、幸せに目を輝かせている。見ている前で女が男の肩に手を回し、お互いじっと見つめ合う。それは言葉にしなくても、気持ちが通じ合っているのだと見て取れる。僕は男の顔を見ながら、忌々しげに心の中で呪っていた。

 くそっ、リア充め。爆発しやがれ!


「とかなんとか言って、すっごいはしゃいでたじゃないか」

「‥え~、そんなことないよぉ。もうっ、カズ君ったらぁ」

 果てしなく続くかと思える恋人達の会話に、私はうんざりした気持ちを隠せなかった。もう、いちゃつくんなら他所でやってよね。

 家まで後一駅と言うところで突如乗り込んできたバカップルは、私など眼中にないかのように、電車が動き出す前からいちゃつき始めた。あからさまな悪意のこもったクレームも困ったものだけど、こういう幸せオーラ全開なのも困ったものだわ。見たところ大学生ぐらいかしら。男女交際大いに結構ですけど、少しは場所を選びなさいよ。

 はぁ‥、そう言えば私って、男と最後に付き合ったのっていつだったかな。そうだ、カスタマーセンターに配属されて間もない頃だ。合コンで知り合った違う会社の彼氏に、つい仕事の愚痴をこぼしていたら半年で振られたんだっけ。以来男っ気なしに三十路を迎え、親からも心配される始末。あーあ、バカップルの彼氏なんて、顔はタイプなんだけどねー‥

「あんっ、こらぁ、まだ早いってば、こんな所じゃやだぁ」 

「ははっ、ごめんごめん乃愛のあがあんまり可愛いから、つい‥な」

 どうやら彼氏の方が彼女のお尻に手を伸ばしたらしく、顔を赤らめた彼女が慌ててるようだが、べたべたしてるのは相変わらずで、おもむろに二人は黙りこむ。目を上げると、二人は抱き合うようにしてお互いの目を見つめ合い、テレパシーでもあるかのようにお互い頷きあってる。

 アホらし‥

 毎日罵倒されたり嫌味を言われてうんざりしてるのに、世間にはこんな幸せな人もいるのね。窓の外に目を向けても、ガラスに映った二人の姿が目に入り、ため息をつきたくなっちゃう。うんざりした私は二人に聞こえないように、ぼそっと呟いた。

「‥もうっ、リア充なんか爆発しちゃえ」

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