幕間:コズエの日誌
出発一日目
気がつくとマユーの隣に座っていた。
今まで見えていた私とアニエラ様だけの幸せな世界は幻覚だったことを教えられて泣いた。
悲しみにくれる間もなく、アニエラ様の結界範囲を抜けると車両を引っ張っていた小型魔兵が消え、ここから徒歩での移動が始まる。
夜になってマユーは簡易型の野営用天幕の設置もできないことが判明した。
なんでこんなこともできないのか。
初日から先が思いやられる。
出発二日目
目が覚めると天幕ごと移動していることに驚く。
慌てて外を見るとマユーが天幕を片付けもせずに、地面ごと引き摺って歩いていた。
何を考えての行動なのか。
用を足すというので距離を取ってやったのだが、置いていくなと泣きながら追いかけてこられる。
無駄に魔力を消費して厠代わりの穴蔵を作ってやる。
大人しく入るのかと思ったが遠くにいくなと偉そうに念を押された。
仕方がないので側で待つことになる。
最低だ。
出発三日目
アマリッサ周辺に広がる樹海を切り拓いた細道を抜けきって、旅人や商人が使用している一般的な街道へと出る。
ここまでくると魔物や盗賊などにも気をつける必要があった。
そのことをマユーにも教えたが、この男なら問題ないと思っていた。
猪の魔獣であるシュミラスボアの親子と鉢合わせになったが、マユーが黒い装いになるとすぐに逃げだした。
予想通りであるが、シュミラスボアの肉は欲しかった。
出発五日目
アマリッサから一番近い名も無き村にたどり着く。
略奪や人離れが起きていたのが見て取れるほどに衰退しており、村という体も果てようとしているものであった。
見かける住人達は精気も覇気もなく、危険も感じられない。
宿屋がなかったので空き家を貸してもらう。
晩になるとマユーが何も言わずどこかへ行っていたようだ。
出発六日目
食料が随分無くなっている。
マユーを問い詰めると昨日寄った村にくれてやったと偉そうに言ってきた。
あまりにも馬鹿な行動に自分がマユーに何を言ったか覚えていない。
明日からは時間を割いて食料を調達しつつの移動にしなければならなくなった。
アニエラ様の頼み事じゃなければここに置いていきたい。
出発八日目
初めて盗賊に遭遇する。
何の策も練らず、馬鹿正直に正面から出現したのを考えると、戦闘訓練をしていた者達や組織立った者達ではなかったのだろう。
魔法を使用することもなく、マユーが素手で四人の盗賊を制圧する。
もはや抵抗もしなくなった盗賊の一人に「ウェイ! ウェイ!」と馬乗りになって殴り続けていた。
みっともないから止めさせ、気絶していた盗賊の荷物を調べる。
干し肉、水、少しの硬貨、他に目ぼしいものはなかった。
手足を縛った後、魔法で開けた穴に盗賊を放り込んで頭部だけ出して埋める。
運が良ければ通りがかった者に助けてもらえるだろう。
そのときマユーが怯えた目でこちらを見ていた。
晩の携帯食も食べずに寝るまで挙動不審であった。
出発九日目
たまたま目に付いた野兎とシュミラスボアを仕留める。
足を止めて血抜きをしているとマユーが逃げ出した。
おろしたばかりのシュミラスボアの肉を焼いていると逃げたマユーも戻ってくる。
目が輝いているボアを数匹同伴させていた。
食料を運んできたのかと思ったが猛反対をされて口論となる。
つぶらな瞳で様子を見ていたらしいボアは、傍にあった焚火に次々と入っていった。
マユーが泣いて何かを叫んでいたが面倒になので眠ることにする。
出発十三日目
人里が近いからか、ゴブリンの集団が移動しているのを見かける。
こちらに気がついていないので無視をしていたのに、マユーがそちらへ走り込んで戦闘を開始した。
放っておいても困ることはないだろうと一人で先へ進む。
陽が沈み天幕を設置していると、三十匹近いゴブリンを後ろに連れてマユーが戻ってきた。
どのゴブリンも野生の凶暴さが無くなった穏やかな表情をしている。
扱いに困るから戻してこいと叱ると、ゴブリン達は揃ってマユーに頭を下げてからぞろぞろと去っていった。
先日のボアといい、今のゴブリンといい、この男は何をしているのか。
明日は街に入るのだから大人しくしていてほしい。
コズエからの報告にアニエラは目を通す。
コズエには持たせた魔術書に「マユーを観察した日誌を書きなさい」と命令してあった。
そこに書かれた文章は、アニエラの手元にあるもう一冊の魔術書にも出現する。
端的に言えば、アニエラが勝手に「覗いている」状態である。
世界の現状を考慮すれば国が傾くほど価値のある魔道具であったが、コズエには教えていない。
コズエはコズエで、なぜこんな邪魔になる分厚い本を? と思ったがアニエラの言うことなので素直に聞き入れていた。
真由の状況を確認したアニエラは長距離通信を行う魔術を発動させる。
『対象の脅威度を三級から下げて四級に。召喚術式は「正常」に作動。いつも通りの扱いで問題無し』
それだけを呟いて終了した。
非常に強力な存在である「異世界人」を監視し、その処遇についての報告を互いに行うのが、戦場から消えた元「八魔」の仕事の一つであった。
報告を終えたアニエラは軽く溜め息を吐く。
面倒事になりそうな存在が体良く自分の手元から離れた安心感からであった。
コズエにはすまないことをしたと感じてはいたが、一晩だけ一緒に過ごしてやると言うと調子に乗って襲いかかってきたので丁度良い罰だとも思っている。
「バウォン!」
テラスの横、いつもの位置にテオドラがくる。
早く村へ行こうとアニエラを誘っていた。
魔兵をコズエに持たせてしまったので、アニエラは警備の為に村通いをしている。
だがそれも真由を引き離すための代償だったと思えば、苦にもならなかった。
面倒になったら魔兵を置いて、コズエのように魔兵を操縦できる新しい人物を、どこかから攫ってくればいいとも考えてはいた。