07
「何者なんだって聞かれても……。ちょっと魔力操作が上手いだけの魔法使いよ」
「それ絶対嘘だろ……」
「別になんだっていいじゃないの。ほら、早くしなさいよ」
目の前の凶暴な存在に気を取られて集中できないんだがな。
なお、アニエラがひどい嘘を吐いていたことは後日判明した。
数年前、八人の魔法使い達が突然戦場に出現し、敵対してきた魔族を、人類を、攻撃してきたもの全てを叩きのめし、相手がいなくなるまでそれは続いたという。
人類側も魔族側も敵わないとさとり一時的に全軍が撤退、戦う相手がいなくなった八人は生物未踏の地である魔族領の奥地へ踏み入り、その後しばらく姿を眩ました。
たった八人で人類側と魔族側の争いを全て止めさせた最強の大魔法使い達。
彼らは「八魔」と呼ばれ、その中の一人がアニエラだった。
とまあ、そんなことを今の俺に知る由もなく冷や汗を垂らしていた。
邪神像と言われても納得できる姿となった魔兵は、その巨躯を屈めて女豹のポーズをとっている。
だがその貌の上では、八つの眼球はばらばらに忙しくなく動き、凶悪な口は半開きになって牙をガチガチと合わせ不気味な音を立てて、どこにもセクシー要素はない。
ゲームなどなら中盤から終盤のボス格のような造形美を持ったバケモノを相手に、いったい何ができるというのか。
魔法の練習なんてやっていたが、魔力の動かし方がどうたらとか発生させるにはなんたらとか、基礎っぽいことしかやってねえんだぞ。
あ、あとは攻撃を耐える訓練か。
『準備しないなら勝手にいくわよ』
茫然としていたところに突然邪神像が喋りかけてくる、と同時に突進をかましてくる。
巨大な見た目からは想像もしてなかった速度での攻撃に、俺の体は見事に吹き飛ばされた。
鬼の姿になっているにも関わらず、防いだ両腕の黒い外装が音を鳴らし弾き飛び、中身の腕が真っ赤になっている。
すぐに周囲の地面から黒の外装が充填されるが、腕の痛みがひくには時間がかかりそうだ。
『案外脆いのね』
「いや、そのバケモノがおかしいんだろ……」
五メートルほど後退した俺に追撃を加えようと、既に間合いに入っていた魔兵は握りしめた両手をハンマーのように振り下ろしてくる。
「ぬあっ!」
咄嗟に受け止めたが腕が折れそうに痛む。
追撃に次ぐ追撃──両手を挙げて無防備な状態に魔兵の貌が近づき、口からドリルのような舌が放たれた。
間一髪、首を横に曲げて直撃を逃れるも側頭部はガリガリと歪な音を立てて削り取られる。
今のをもらっていたら頭が砕き抜かれていただろう。
魔法の練習中にはここまで危険な攻撃をされたことがない。
……アニエラは完全に俺を殺す気でやっている。
頭上で抑えていた拳を殴って砕くと、後方に距離を取り体勢を整え直す。
砕かれた魔兵の拳はもう再生を始めている。
アニメや漫画でよく見た、一気にたたみかけないと駄目なパティーンだ、これ。
『アンタは通常魔法での攻撃がヘタなんだから、余計な考えてないで最初からそうくればいいのよ』
ほんと、そうであった。
動きを止めた魔兵の懐に入って魔兵の胴体に腹パンを打ち込むと、派手に鱗をまき散らして魔兵が後退する。
踏み込みが足りなかったせいか、致命打には程遠いようだ。
拳を再生させきった魔兵は、その手に魔力を発しながら再度殴りかかってくる。
執拗なラッシュを防ぐことはせずに、避けながら次の行動を考えた。
そして魔兵の股の下を抜けて背後へと回り、まずは右足に全力で後ろ回し蹴りを入れる。
目論見通り、これまでで一番の破壊力を持った蹴りは魔兵の右足を爆発させたかのように粉砕した。
その調子で左足を狙い、こちらも爆散することをできた。
両脚を破壊された魔兵は轟音を鳴らして首を真後ろに回転させると、上半身部を俺のいる場所に落としてくる。
まるで攻撃の手を休める様子がない。
一旦下がって上からの攻撃に──と考えたが、ここで距離を取って一息を入れると再生の時間を与えてしまう。
「当てて砕く」しかない。
「っらあああ!!」
狂猛な牙で俺を喰らわんと上から落ちてくる頭目掛けて、しゃがみ姿勢から全力でのアッパーをカウンターに入れることに成功した。
魔兵の頭部を突き抜けて背中に着地する。
これで俺の勝利──、と思ったのだがまだ両腕が何事もなく動いている。
その様子に唖然としている間に、周辺へ散った魔兵の土塊が集まり再生が開始されていた。
「……おい、どうしろってんだよ」
これ、粉々にしても復活するパティーンじゃねえのか。
殴って壊すだけの俺に勝ち目がねえだろ。
「あ、うん、上出来よ」
魔兵に向かって喋ったのに、魔兵ではなくアニエラ本体から戦闘の終わりを告げられた。
「今みたいにやれるなら問題ないわ」
「……やる意味はあったのか?」
「アンタが全力で攻撃したらどのくらいかを見ておきたかったのよ、幾つかの状況でね」
「……そうかい」
ムカつくことに俺が勝てそうにないのも解っててやっていたらしい。
踊らされたようでかなり腹立たしい。
そんな俺の苛つきとは無関係に、魔兵はコズエが操作していた間抜け面した埴輪っぽい姿に戻されていた。
……こいつ、どこまで余裕があったんだ。
「ま、これでいいわ。お疲れ様、明日の朝まで休んでるといいわ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
こうして一方的な二回の戦いは、真逆な形の勝利を収めて終わる。
観戦していた村人達はただの酔っ払い集団になっていた。
その場に座りこんだ俺にクロミが駆け寄ってくると薄汚いタオルを渡してくれた。
「お、おう、ありがとよ」
「……いえ、お、お疲れ様、です、お兄さん」
クロミはその後も、雑巾のようなタオルで身体の汗を拭く俺の様子をじーっと見ていた。
テオドラの足元に転がっているコズエにも持っていってやればいいのに。
そして翌日の早朝になる。
村人のほとんどはまだ起きていないようで、田畑と家畜の世話をする当番の者だけがちらほらと姿を見せていた。
コズエは最期の晩になるとかなんとかでアニエラの家に泊まっていたようで、朝早くなのにとにかく元気に艶やかに呆けている。
一方、見送りに来ていたアニエラはげっそりとした姿で、ところどころ赤い痕があり、寝不足なのがまるわかりの顔をしていた。
何があったかは俺の知るところではない。
二人を運んできたテオドラなら何か知っているのだろうか。
そしてなぜか俺を遠くから見ているクロミ。
どうしたいんだ、あのガキは。
「それじゃ、必要になりそうな荷物はこの鞄に入れてあるから」
「おう」
「まあ、予定通りにいかなくてもアンタなら無事にランヴァラックに付けると思うわ」
「おう」
「あんまりコズエを困らせないであげてね。あの子はアンタと違って普通の子だから」
「……おう」
隣でにやけた顔をしているコズエを見る。
これは本当に連れていって大丈夫なのだろうか。
「とりあえずはこの国の首都ガリアンタまで頑張りなさい」
「おう」
「何回も言うけど、絶対に大人しくして目立たないようにしてなさいよ? 問題行動起こして異世界人なんてバレたらどうなるかわかんないからね」
街中で腰マントの男がいたら嫌でも目立つと思うんだがな。
「それじゃ、ハイ、これ地図。いってらっしゃい」
「……えっ」
「え?」
あれ? テオドラが途中まで送ってくれたり、魔法か魔術で途中まで飛ばしてくれたりはしないのだろうか。
「え、ここでお別れか?」
「それがどうしたの?」
「べ、別に、何でもねえよ」
「もしかして寂しいの?」
「ちっげえよ、送ってくれたりしねえかなとか思っただけだよ」
「……はー」
言ってみるものだった。
アニエラが地面に魔法陣のような物を描くと、昨日見た邪神像のような見た目をした小型のバケモノが人力車を伴い出現した。
「……わたしの結界を出る地点まではそれが乗せてってくれるわよ」
「おう、ありがとな」
こいつはこんなこともできたのか。
本当に何者だったのか。
「ほら、コズエにかかってる魔法が解ける前に行きなさい」
「えっ」
コズエが幸福の表情で惚けて大人しかったのは魔法がかけられていたからなのか。
泣いて騒いで駄々をこねられるよりかはマシであるが、人攫いのようでちょっと困る。
まあ、勝手に乗せるけど。
「それじゃあ、世話になったな」
「……いいのよ」
座席から見下ろしたアニエラはやや神妙な面持ちをしていた。
「なんだ? 何かあるのか?」
「ねえ、アンタは元の世界に帰りたいって思ってないの? 勝手な都合で召喚したこと、恨んでないの?」
こんなときになって予想外なことを質問される。
なんで今更そんなことを聞いてきたのか、意図はわからない。
「あ? 今頃気にすることかよ」
「アンタの魔術効果状態に不明点が多かったから聞かなかったのよ」
ああ、理由があったのか。
なるほど。
「恨んでもねえし、帰りたいとも思ってねえよ」
「そう。……ありがとう」
お、やっと普通に笑った顔をしたな。
なんだ、こいつやっぱ美少女か。
「それじゃ行ってきなさい」
「おう」
アニエラの指示と同時に小型の邪神像が爆走を始めた。
これ、テオドラより速いんじゃねえのか?
あっという間に村を離れて、点となったアニエラもすぐに見えなくなった。
コズエは幸せそうな顔を浮かべたまま変化はない。
…………可哀想に。
こうして、この世界で服を着る為の俺の旅が始まった。
一話終了