03
テオドラと寝転がっていると要求した朝食が運ばれてくる。
薄汚れて固くなったパンらしき固形物と湯通ししただけの味がない野菜。
いや食えるだけありがたいのだ、文句は言うまい。
「ん?」
気が付くと少し離れた小屋の陰からクロミが俺を見ていた。
俺と目が会うと隠れてしまうが……なんだってんだ。
ガキのやることだ、無視しとこう。
朝食の礼と、木の器の返却をするために村の中へ村長を探しに向かう。
すると村人らが集まっているのが見えた。
隅にはあのでかい人形もいる。
「よう、村長はいるか? 飯、あんがとよって伝えてえんだけど」
「あ、ああ、さっきのお客人かい。すまないね、今村長は立て込んでて……」
「なんかあったのか?」
話を聞いてみると、宿屋に泊まっていた傭兵が難癖をつけていると、宿屋の亭主とかみさんが困っていると、のこと。
「村長が宥めに行っているんだが、また怪我なんかさせられなきゃいいんだけど」
「また?」
「ああ、以前にもこの村を通った傭兵さん達が「この村が平和なのは俺達が命かけて戦ってるからだろ!」なんて暴れてね……」
「誰もそいつらを止めなかったのか?」
「はは、相手はお客だし、傭兵さんだからね。こっちとしてもあまり強くでれないよ。……それにこの村には戦場から逃れてきた者が多い。今でも戦ってくれてる人達がいなきゃ、ここだってこんなに安全ではいられないよ」
最後に「いくらアニエラ様がいてくれても、こういう人間はどうしようもないね」と付け加えられた。
アニエラの影響力はさておき、客だろうと相手が困るだけの迷惑はかけちゃいけねえだろうが。
問題が起きている宿屋に行ってみると、外にまで怒声が聞こえてきた。
宿屋一階の食堂と思われる広間の一角で、いかにも荒くれ者といった風情の三人の男に向かい、村長と宿屋の夫妻らしき三人が頭を下げていた。
リーダー格と見られる汚い長髪に眼帯の男、デブにも見える筋肉ダルマ、頬の痩せこけた男。
ここまで如何にも異世界な人物どもを初めて見た気がしないでもない。
どいつも酔っぱらっているのか、テーブルの上に足を乗せていたり椅子を蹴飛ばした跡があったり、とても態度が悪い。
「おい、そこのお前、何睨んでくれてんだ?」
あ?
「んだ、おめー? 何か文句あんのか?」
偉そうにふんぞり返っていた頬が痩せこけた男と筋肉ダルマみたいな男がこちらへ絡んできた。
「黙ってないでなんとか…………お前、なんで裸なんだよ」
最初に言えよ、というか他の奴らも俺の恰好で熱下がってんじゃねえ。
「村の連中に迷惑かけてる奴らがいるって聞いたから、来たんだが」
「てめぇ!」
頬が痩せこけた男が俺を掴もうとしていたが服がないので攻めあぐねていた。
「ふざけんな!」
ようやく殴ることに踏ん切りがついたのか、筋肉ダルマに殴り飛ばされる。
壁にぶつかってようやく転がるのが止まった……のだが、殴られたのにまるで痛みがない。
むしろ顔を殴られたことよりも、ぶつかった背中のほうがまだ痛みを感じる。
「はっ、生意気な態度で出てきて一発じゃねえか! 情けねえ!」
壁にもたれかかった俺を見て傭兵どもが満足げに大笑いをしていた。
これで満足してくれるなら安い奴らだ、殴られた甲斐もある。
村長と宿屋の夫妻が俺を心配そうに介抱しようとしたが、さっさとここから出ろと伝えると言う通りに動いてくれた。
後は放っといても酔い潰れるか眠くなるかで黙るだろう。
もたれかかったままの姿勢でぼーっとしていると、クロミとかいうガキが俺の前に庇うように立って、傭兵どものほうを向いていた。
「……暴力は、駄目です」
傭兵どもは一瞬何を言っているのかわからなかったようだ。
俺にもわからなかった。
「……痛いし……怖いし、嫌です」
震えながらも掠れた声で傭兵どもに訴えかけている。
なぜこのガキは鎮火したものを再燃させようとしているのか。
「おいおい、そんな怖い目で睨まないでくれよ。絡まれたのはこっちなんだぜ」
頬の痩せこけた一人がわざとらしく両腕を上げて困ったといった仕草をする。
なんで異世界でもあるんだよ、そのポーズ。
これまで静かに笑っていただけの眼帯を付けた男が、身を乗り出してクロミの前に顔を出す。
「お嬢ちゃんよ、痛いとか恐いってのはこんなもんじゃあないんだ。俺達は戦場に行ってたから、よぉー……く、知ってる。こんなもんは気にしちゃあいけない。もっとな、腕が飛んで、首が飛んで、バケモンに身体食いちぎられてよ。いつ襲われるか、いつ殺されるか、そんな状況が恐いってんだよ。ほら、見てみろ。俺の片目……奪われたときは、死ぬほど痛かったんだよ、お嬢ちゃん」
「……っ!!」
男の迫力に驚いたのか、クロミが尻もちをついて声を出せなくなっていた。
その様子を見て眼帯はとても満足気だ。
「よくねえなぁ」
「あん? お前何か言ったか?」
「ガキを力で恐がらせるのはよくねえな」
言いたいことは理解してやれるが、ガキ相手にドスをきかせて言うことじゃねえ。
ガキが怯えてるじゃねえか。
「俺達はこのお嬢ちゃんに現実を教えてやっただけだ」
「傭兵の仕事ってのは、そんな誰でも言える愚痴を吐くことだったのか。随分気楽な仕事だったんだな」
今の発言で激昂したらしく、クロミを突き飛ばして三人が俺を囲んできた。
「こんなクソ田舎に隠れて安全に暮らしてる奴が偉そうにしてんじゃねえ!」
ようやく立ち上がった俺に頬痩せ男が再度殴りかかってきたが、もう一発もらってやる必要がないので受け止めさせてもらう。
先ほど殴られたときにも感じたが、思った以上に軽いので片手で防げてしまった。
こいつらはふざけているのかと問いたいほどに痛みがない。
拳を防いだのが気に入らなかったようで、筋肉ダルマまで殴りかかってくるがそちらも止める。
「てめえらが傭兵って、なんかの冗談だろ?」
二人の手を離してやると後ずさりはしたものの、一層強く怒りを込めた眼を向けてくる。
だが、全員無言で睨んでいるだけだ。
今の対処でちょっとは頭が冷えたのだろうか。
それでもさっきの行動を許す気はないが。
*
宿屋の騒動の様子をうかがっていた村人達の元へ、宿屋の扉をぶち抜いて筋肉ダルマが吹き飛んでくる。
それを追うように頬痩せ男と眼帯男が転がってきた。
中から堂々と真由が出てくる。
「人様に迷惑かけるような駄々こねてんじゃねえぞ」
真由が宿屋の前に仁王立ちをして、倒れている傭兵達に言い放つ。
成り行きを見守っていた村人の人垣が一斉に崩れていった。
転がってきた眼帯の男は何事もなかったかのように立ち上がる。
「……ただの田舎にいる頭がおかしい奴じゃあなかったわけか」
眼帯の男が左右の拳を合わせると、その拳に炎が纏わり始めた。
両手を燃やしてそれでも平然としているその様子に真由は驚き、若干落ち着きを取り戻す。
「おい、手ぇ燃えてんぞ」
「見るのは初めてかぁ田舎もん、こいつは「魔法」だ!」
眼帯の男がそう言って炎を纏った拳振り上げると、真由の足元から火柱が立ち昇る。
火柱は真由を一瞬で飲み込み、焦げた土埃を周囲に舞わせる。
「五等級魔法『イーニット・ピラー』! 死なねえ程度には手加減してやったがちっとの火傷じゃあすまねえな!」
それまでざわつきながらも一定の静けさを保っていた村人達から、驚愕の悲鳴があがった。
「騒ぐんじゃねえ! こいつが、俺に、このバナーカ様に! 舐めた口をきいたのが運の尽きだ!」
眼帯の男──バナーカと名乗った男が拳を下げて火柱も消えると、跡には立った姿勢のまま黒い塊となった真由が残っていた。
それを見て泣き出す村人もいれば逃げ出す者、衝撃に動けず崩れ落ちている者もいた。
バナーカは多量の汗をかいて肩で息をしながら、「こいつが悪いんだ」とぼそぼそ呟いている。
今の出来事に誰もが裸の男──真由が死んだと思っていた。
が。
数分も経たない内に黒い塊はひび割れ、殻のように真由を包んでいた黒い炭が弾け飛ぶと、中から何事も無かったかのように真由が出現する。
「おいおい、異世界ってえぐらいだから期待してたけどよ……こんなすげえもんなんだな」
今自身の身に起こったことよりも、魔法への関心と好奇心による興奮ではしゃいだ声を発していた。
バナーカも村人達も、なぜ真由が無事だったのか呆気に取られているが、本人にもなぜかは理解できていないし、そのことを考えていない。
ただ火傷の一つも無く髪の毛一本焦げてはいない、炎に包まれる寸前そのままの姿で真由が立っている。
「て、てめえ、何をしたんだ! なんで平然としてやがる!」
「何もしてねえよ。それより眼帯野郎、今の魔法ってのは誰でもできんのか?」
「ふざ、ふざけんな! 五等級魔法が誰にでもできてたまるか!」
バナーカが再度両方の拳を合わせて炎を出現させる。
「くそっ!」
イーニット・ピラーを発動させたが、その寸前に真由は一歩後ろに下がって火柱を避けている。
それを見て焦るようにバナーカが連続で火柱を立たせるがそれも躱される。
そんなことを数回繰り返す内汗だくになったバナーカは両腕をだらりと下げて、立っているのもやっとだという風体になっていた。
「そんで終わりか? 他の魔法ってのはないのか?」
「くそったれが……」
真由の挑発するような物言いに悪態を吐くも、バナーカは動けないでいた。
「じゃあ、もういいな……」
ふらふらと立っているバナーカに真由が近づき、片手で肩を抑えると腹部に拳をめりこませた。
バナーカがその一撃で気を失ったにも関わらず二発目を叩きこむと、今度は頭を掴んでから顔に一発を入れて地面に放り投げた。
いつの間にか意識を取り戻して様子を窺っていた頬痩せと筋肉ダルマの傭兵二人は、リーダー格であるバナーカが手も足も出ないまま殴り倒されているのを見て動けなくなっていた。
それに気が付いた真由は二人に向かって手招きをする。
そして二人は首を振る。
真由がそんな二人の頭を掴んでバナーカが転がっている所まで引きずっていくと、バナーカを足で転がして運び始めた。
二人は「すみませんでした」「申し訳なかった」「助けてくれ」と叫んでいるが真由はそれを全て無視する。
村人達はもはやどうなっているのか、どうすればいいのか考えるのを止め、関わらないでいるのが安全であろうと結論付けて、散開していった。
この一連の騒動の様子をじっと大人しく眺めていたテオドラは、もう役目は終わったというかのように身を翻してアニエラの家がある方角へと駆けだした。