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モーフ・ザ・キャット

一話完結型の連載小説です。

整体師なのに猫背でニヒルなギャンブラーの小暮忍とアニメ好きの天然巨乳美少女の織原経華が出会い、カイロプラクティック整体を通じて東の古都・朝草の町に住む個性的な人々(患者)に触れていくハードボイルドな人情ドラマです。


カイロプラクティックとは

「背骨や骨盤のゆがみを徒手によって矯正する治療法。〈広義では薬物や手術による方法を除く体操・食餌・物理療法を含む治療法を指す。〉」(新明解国語辞典 第五版より引用)


初投稿・処女作です。

各話1500~2000字の読了時間30~40分尺でお送りしていきます。


よろしくお願いいたします。 はしも時計

 猫背の整体師


 第一話「モーフ・ザ・キャット」



 織原経華、21歳は朝草寺の境内に深々とお辞儀をし、手を合わせた。

「早く内定取ってコミケの原稿作りに早く取り掛かれますように!」

 帰り道の火鉢の煙をこれでもかと体に浴びせ、独りヘラヘラ笑って歩きながらも本当はヘロヘロに打ちひしがれていた。

 訪れた東東京のシンボルスカイツリーのお膝元、T区朝草に並ぶお寺の景色はいちょうの葉をお坊さんが箒で掃いたりしていて情緒溢れていたが、劣等就活生の彼女にとってこの11月という季節は只々徒に胃腸をキリキリさせる状況であった。その気合もあって面接時間より2時間も前乗りしてみせた。

「今日こそ必ず内定を取ってみせる!!そして早く今クールの録画アニメを消化しないと!」

 努力、友情、勝利…そう心に何度も言い聞かせながら、経華は公園のベンチでジャンプを読み、銀杏よりも黄色く、血色の悪くて可愛くない人形焼きを頬張り甘い決意を噛み締めた。


 今回の就活先はマイナビで見つけた全国チェーン展開している大手整体リラクゼーション施設の運営会社。今日はその朝草支店へ面接説明会を受けにやってきた。バイト経験のある接客サービス業であること、「業界未経験者歓迎!」という記載と、あわよくば自分の肩こりを直してもらおうという極めてシンプルな動機でエントリーしてみたのが経緯である。


 しかし、地図を辿っていけば行くほど、華やかな観光スポットとはかけ離れ、寂れたラブホ街や切れかかったネオンばかりが目立つ怪しい通りへと入っていった。

「きっと地元密着型の経営方針なんだな。多分面接で聞かれるから要チェックや!」

 と、面接への傾向と対策をねりねりしているがアナログ派の経華は大学の就活センターでプリントアウトしてきた地図とは完全に間違った道へと進んでいた。

「およよっ!」

 彼女が狼狽したときに出る口癖である。焦って歩き回っているうちに高鳴る心拍数、左のブラ線が下がっていくのを直す。そして左足にいつものしびれを感じ始め、経華は思わず足を止めそのたわわな左胸をぎゅっと抑え付けた。

「魔封波!」

 織原経華は小学校高学年の時から長身で巨乳のプロポーションに大きなコンプレックスを持っていた。彼女の青春時代はこの左胸の魔物に翻弄されたといっても過言ではない。


 小学校の運動会の高跳びでは胸がいつもバーにぶつかり、心無い男子に「ジャンピングホルスタイン」というあだ名を付けられクラス中にバカにされる。学級問題にもなり、学活の時間にみんなの前であだ名をつけてからかっていた男子生徒たちが泣きながら「もう二度とジャンピングホルスタインて言いません。ごめんなさい」と謝罪した光景は今もたまに夢に出てきてうなされる。


 中学校のマラソン大会でも揺れる胸の恥じらいとタイムロスを抑えるためにさらしを巻いて走ったら途中で窒息して倒れて救急車に運ばれる。そのせいでマラソン大会が中止になり学級新聞に「空前絶後!!何と巨乳でマラソン大会中止に!?」という号外を出され、学校に居場所が無くなり、不登校気味になる。コンビニでたまたま立ち読みした少年ジャンプのリボーンが心の支えになる。


 高校時代は明るい高校デビューするために女子高に入学。それにより男子の揶揄は無くなったものの、馬術部に入部した初日いきなり落馬事故。幸い大きなけがは無かったが最初に介抱してくれた先輩の「奇跡的ね。大きな胸がクッションになったのかしら」という冗談交じりのフォローがかえってトラウマになり、馬術部を辞め漫画研究会に入る。


 大学時代は周囲が大人になったので心無い身体への中傷は無くなったが、ファミレスや居酒屋バイト中に左胸から中心にくる左半身の疲れに悩まされる。スケベそうな酔っ払いに「お姉ちゃん、左のブラ線下がってるよ。オッパイのバランスが良くないんだな。おじさんが整えてあげるよグヘヘ」という下衆なセクハラに人知れず休憩中のロッカーでジャンプを涙で濡らしたこともある。


 これらの経験と信心深い両親の「人間は右半身には清らかなもの、左半身には不浄のものが宿る」という話を踏まえた結果、経華は自分の悪魔の左おっぱいに人生を台無しにされてきたという結論に至った。


 長年の体の重さと懐かしい心の痛みで左胸を握り締め、やや左足にしびれを感じながらたどり着いた雑居ビルの看板にはチャイナドレスに身を包んだ女性がマッサージする写真。

「店舗名『アロマ洗体エステ香蘭』…ここっぽい、間違いない!」

 整体関係だからきっと合ってる!という安易な考えから経華は自信満々にビル内へと足を進めた。ポストには他にメイド雀荘、(ハプニング)BAR、熟女パブなど如何わしいテナントが何個も名を連ねていた。

「なるほど、成人男性向けの大衆総合娯楽施設か。きっと緻密なマーケティングの結果、これらのコアなテナントが企業シナジーを産んで…」

 とポジティブな分析を進める経済学部の経華であったが、それはただそのエリアの治安の問題であるということには全く気づかないのであった。



 3Fのエレベーターが開くと目の前の照明を絞り切った薄暗いカウンターの先に薄汚い中年の男が背を向けてエロサイトを眺めている。

「お忙しい中、失礼いたします!!本日面接説明会を受けに参りました織原経華と申します。よろしくお願いいたします!」

 中年男はその元気いっぱいの声にびっくりして振り向いた。

「あれ、バイトの申し込み?電話あったっけ?」

「はっ!!大変申し訳ございませんでした!たしかにWEBエントリーの時点で日時のやり取りは済んでいるかと思っておりましたので、直接店舗に足を運んだ次第でして」

 何言ってんだこいつ?と中年男は心の中で思ったが、経華の整った顔と胸とヒップラインをさっと見て93・61・89の数字を瞬時にはじき出してからスイッチが切り替わった。

「君いくつ?」

「あ、はい。えっと、少々お待ちを!只今履歴書を…」

「そんなのいいから。年齢は?今まで付き合った人数は?スリーサイズは多分上から91・61・89と見たけどどうかな?」

 いきなりプライベートな質問…これは日常会話から接客能力を試されているパターンだ!と経華は質問意図を読み取り

「はい。織原経華、21歳。恥ずかしながら男性経験は今までございません。スリーサイズは昨日、スイーツバイキングでいささか食べすぎてしまったので不安ですが、自分の記憶が正しければおおよそ貴社の読みで合っているのではないかと思われます!」

「そうか。まさに巨峰、グレープのGカップか。イイネ。この業界は初めて?」

「はい。でも、昔よく父が治療の一環で整体院に通っていて、施術されて状態が改善する父の姿を見て、幼いながらも憧れはありました。あと自分が在学中に飲食業ではありますがサービス業をしていたので、その経験を活かしたいと思い、今回エントリーさせて頂きました」

「イイネ、泣かせるね。ところで初体験はいつ?その体で本当に男を知らないなんて言わないよね?」

「申し訳ございません。よく聞き取れなかったのでもう一度言っていただけますでしょうか?」

 聞き返す経華の表情は芝居でも恥じらいでもなく、純粋なる無知だった。

 そしてそれを中年男は長年の経験から瞬時に察してスケベそうに笑った。

「採用。君はダイヤの原石だ」

「え!あの失礼ですがそれは内定と受け取ってよろしいのでしょうか?」

「大げさに言えばその通りかな。じゃあ、さっそく技術研修に入りたいけど時間ある?」

「はい、もちろんです!ありがとうございます!」

「ちょうどこの先を行った黄色いカーテンにバナナのマークが貼ってある部屋があるから。そこに制服置いてあるんで着替えて待っててもらえる?」

「はい、頑張ります!ありがとうございます!」

「うん、イイ返事だ。じゃあ最後にお客様に対しての自己アピールをお願いします。それとついでに写真も撮っちゃうけど気にしないでね。ちゃんと僕フォトショップも使えるからさ」

「はいかしこまりました!えー、まだ何にも知らないドジな私ですが、笑顔で元気いっぱい頑張ります!一緒に元気いっぱい健康になりましょう♪」

「最高にイイネ。あざとくない期待感が出てる。素質あるよ。じゃあ、またあとで」

「はい、心よりお待ち申し上げております!!あと恐縮ですがやはり履歴書受け取って頂けますか。乱筆で恐縮ですが、一生懸命書いたので」

「ああ、そうだね」

 履歴書を丁重に渡し、歓喜の涙をうっすら浮かべながら経華は駆け足でバナナの部屋へと向かった。

 中年男はパソコンの画面を店のHPに変え、新着情報に

 ”新人に待望の超大型純正日本人、クレイジーダイヤモンド入店!!”

 の見出しを打ち込んでから、

「キョーカちゃん。21歳。B93W61H89。男性経験なし。チャームポイントは素直で人を疑わないところ(疑わなさ過ぎてよく悪い人に騙されるますwww)。お客様へのメッセージは、と…」

 楽しそうにプロフィールを作りながら、引出しから中国語で書かれたラベルの精力強壮剤とエロマンガの表紙のようなラベルの液体ビンを取り出した。

「素人抱くのは半年ぶりだなあ。まあ、いろいろ勘違いしてるみたいだけどねじ込んじゃえばイイネ」

 とスケベな笑みでつぶやきながら強壮剤『夜の宝』を一気飲みしているところ、さっきの経華の熱のこもった声とは正反対の極めて冷徹な声がふと耳元でささやいた。

「どうしたの?楽しそうじゃん」

 ぎょっとして振り返ると白衣姿の180センチ強の二枚目が眠たそうな目をして立っている。

「小暮さん…どうしたんすか?」

 白衣の小暮忍は猫背をヌッとカウンターに寄せながらヘヘッと笑って答えはじめた。

「どうって野暮だなあ。施術後はどうも人肌恋しくなるんだよね。それにさっきスロットで万枚出たんだよ。すごくない?」

「そ、そうっすね」

「そうっすねじゃないよ~。40後半の中国人のおばちゃんたちをフォトショップで20代前半に仕立てた指名写真を平気で出すぼったくり中国マッサージ店とあえて知ってて来てるんだけどさ」

「あ、はい。ありがとうございます!」

 しかし実のところはその売り文句でマケて遊んでいく小暮を店長は疎ましく思っている。

「ところで誰、そのクレイジーダイヤモンドって?もう指名できるの?」

「いや、そのそれがまだ…」

「何、その履歴書?ここってちゃんと面接やるお店だったんだ。あれ?屋号と会社名全然違うじゃん?…キナ臭えな」

 小暮の素とも策とも取れないエッジの効いた攻めに中年男が狼狽していると、ピチピチのチャイナドレスを着た経華がスリットの裾を懸命に下げてモジモジしながらやってきた。

「すいません、店長。お手数おかけして大変申しわけないのですが、その…やはり昨日スイーツバイキングのせいか、サイズが合わないので今回はもうワンサイズ大きめの制服をお貸し頂けないでしょうか?多分、このまま研修に入ると確実にビリッといってしまうかと思われます!!」

 経華の元気にさらにビクつき始める中年男の姿を見てから、小暮は猫背を翻して経華にヌッと寄っていき尋ねた。

「クレイジーダイヤモンド?」

 小暮がどことなしにじっと経華を見つめる。経華は首をかしげて不意に尋ねた。

「どうしてそんなに遠い目をしてるんですか?」

「え?」

「ごめんなさい!私、思ったことつい口に出ちゃうタイプなんです!悩む前に体で反応!みたいな感じでして。初めまして、本日新卒❝内定合格❞を頂きました織原経華と申します。今後ともよろしくお願いいたします!先輩のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「先輩?」

 小暮は自身の黒を基調にした白衣を見てピンときた。

「なるほど、たしかに俺は先輩になるね。店長、彼女の研修を自分が担当してもいいですか?ちょうど出張施術も終わってきたところですし。サービス残業で構いませんよ~、面白そうだから」

 ヘヘッと笑って小暮は中年店長を見た。経華はよくわからなかったからとりあえず満面の笑みで「私もサービス残業でお願いします」と同じように店長を見やった。



 10分後、バナナルーム。

 狭い部屋の端に畳まれている赤いチャイナドレス。暖色のダウンライトの下で、就活スーツに着替え直して研修を受ける事になった経華。手帳とペンを持って聞く気満々といった構えだが、隣り合ってベッドに座る小暮はマイペースに煙草に火をつけ始めた「君、どこから来たの?ご両親は元気?」

「はい、今は千葉で父と母と三人で暮らしています。お母さんは健康なんですけど、お父さんは私が小さい時から病気がちで。私も今日ようやく内定がもらえたので少しは安心してもらえたらいいんですけどね」

「あっそう」

「お父さんが昔、治療の一環で整体院に通っていたのをふと思い出したんです。子供ながらにカッコいいなあって。でも、私不器用だし、国家資格のマッサージ師になるにはお金と時間がかかりすぎてちょっと難しいかなって。でも、このリラクゼーション系なら無資格で未経験でも大丈夫なことを知ったので、受けてみました」

「そこまで考えて調べたわりに大事なトコ見逃してると思うけどね」

「なんでしょう?」

「さあね。ところでお父さんの心配をするのもいいけど君、背骨が煤けてるぜ」

 姿見に映る経華の背中を見ながら指で空をなぞった。その指先は背骨のラインにそってゆるやかに左右に蛇行しながら骨盤へと着地していく。

「もしかしてウェイトレス?居酒屋のバイトとかやってた?多分、左側の肩紐だけやけにずり落ちたりするよね?もしくはブラ線」

 今まさに言われなかったら経華は左肩のよれたブラ線をさっと直そうとする所だった。とっさに胸を隠しながらうずくまる。

「およよっ!?何でわかったんですか?」

「それはね、つまり背骨と骨盤の…」

「やっぱり左側のおっぱいが関係あるんでしょうか!?」

 経華ははじらいを含んだ大声で咄嗟に吠えた。質問の意図が呑み込めない小暮は聞き返す。

「何の話?」

「自慢じゃないですけど私、中学終わりぐらいのときから急に大きくなっていって、それからずっとこの左胸に私の人生を翻弄され続けて来たんですよ!!おまけにここ1~2年で左足まで疲れ始める始末でして…」

 急に左胸を掴み、積年の苦汁を噛み締めながら涙目になる経華に気圧されながらも小暮は諭すように話し始める。

「…言っておくがおっぱいの発育差は関係ない。基本的に女性は心臓の鼓動の関係で自然と左胸の方が大きくなる傾向が多い」

「ひえーっ!そうなんですか!」

「まあ、よく揉まれてる女は別だろうけどね」

 という本当は得意ではない下ネタを言い、しかも全く反応しない経華を見て小暮はわざとらしく咳をして無かった事にした。

「だからつまり胸の大きさは関係なくて、原因は君の胸椎第七関節だ」

「キョウツイダイナナカンセツ?…すみません。私クラシックには疎くて」

「違う。たしかに響きは似てるかもしれないが、骨の名前だ。つまり胸回りの背骨の歪みが原因なんだ。同時に骨盤にも影響が出ていると思う。背骨と骨盤の歪みを治すのが俺のやってるカイロプラクティックだ」

「カイロ…なるほど!擦って貼る原理をマッサージに応用したわけですね!画期的!!」

「よく言われるけれど全然関係ない。カイロプラクティックとはアメリカ発祥の徒手によって背骨と骨盤の歪みを整える治療法の事だ」

「すごいですね、トッシュって人は!自分しか出来ないことがある人は就活にも強いですよねえ」

「人名じゃない。手、ハンドの事だ。初対面の君に言うのも難だが、俺が良いと言うまで黙っててくれないか?」

「はい、大丈夫です。両親にも落ち着いて人の話を聞きなさいとよくたしなめられますので!」

 経華は笑顔で口チャックした。小暮は頭を掻きながら

「本来なら資料を見せていろいろ説明するところだけど、論より証拠。君には特別に理屈抜きで施術と検査を体験してもらおう。鏡の前に肩の力を抜いて直立」

 コクリとうなづき経華は鏡の前に立った。小暮はその背後に回り、経華の両肩に人差し指を乗せた。その指先を始点に彼女の両肩の高さを見比べると鏡に映る経華の肩が右肩上がりになっているのがわかる。

「指先を見てほしい。左肩の方がやや下がっているのがわかるかな?」

 コクリ。

「はい、今度は前屈」

 コクリとうなづいて経華は前屈。床をよく見ると埃っぽい匂いやチリチリした毛などが落ちていて素手で触ると呪われそうな不快な印象を受けた。体の柔らかい経華だが果たしてこのまま両手を床に付けていいものかと躊躇っていると、お尻の辺りからパシャリと音がしてさらにびっくりした。

「ピギャーッ何するんですか!?ただでさえ吐き気をもよおす犯罪の匂いがしてるのに、さすがに今のアングルはドス黒い悪を感じます!!罠ですか!?」

「失礼。でも君の思うような悪意はない。黙って見てくれるかな?」

 小暮のiPhoneには前屈している経華の背中が映っていた。背中付近では左側に筋肉が盛り上がっているが腰に近い背筋付近では右側が盛り上がり、左右非対称に蛇行するようになっていた。上空から見ると、ちょうど経華の背中は首元からお尻にさしかかるところまで背骨がS字カーブを描いているような格好である。

「これはただ右側の広背筋が発達しているという事ではないんだ。側弯症という背骨が横に湾曲して筋肉が押し出されている状態を示している」

「わーっ、何ですって!!それってもしかして何か特殊能力の証しですか!DIOの星のアザ的な!?緋色の眼球的な!?わーっ!」

「君ならあり得そうな気もするがそういうSFなお話じゃない。ところで君はいつもニコニコしているけど、よく胃腸がキリキリ痛くなったりしないかい?あと疲れやすいとか」

 コクリ。とは素直にせず首を傾げる。そう言われてみればそんな気もするし、そうでない気もする。自分が悪いと言われてもずっとこの体の調子が当たり前で来たから、この問いには経華は素直に首を縦には振れなかった。

「じゃあ、これから施術して体がどれだけ変わるのか体感してみて」

 コクリ。

「そろそろしゃべってもいいよ」

 ゼエゼエと息を切らす経華。

「よかった。体診てもらう前にストレスで窒息するところでした!因みに経験済みです!」

「そりゃ危険だね。じゃあ、今度はあのベッドでうつ伏せ寝」

「はい!」

 経華は意気揚々とベッドに仰向けになった。

「逆。青空を向くから仰向け。鬱な気持ちになるからうつ伏せ」

「およよよ!なるほどわかりやすい!」

 経華がクルッと体を反転させる。小暮はその長い足元にまわる。

「頭を真っ直ぐにして」

 かかとをぴたりとくっ付けた。すると1センチ少々右足の方が短い。これも経華の踵アップのアングルでパシャリと撮る。

「また罠!今度も本当に悪意のないやつですか!?」

「もちろん。どっかの誰かさんみたいに無断転用、または画像加工はしないからご安心を」

 次に小暮は経華の臀部よりやや上の骨盤を両手で触った。これも足の長さに比例して左半分が下がり、右半分が上がり、爪先ほどに段差が出来ている。

「骨盤が右上がりになってるのわかる?」

「はい、なんとなく」

 さらに小暮の指先は経華の背骨を伝っていく。一個一個を探りながら

「ここ痛い?」

「ああ、痛いです!」

「ここの骨が胃腸ね。痛いよね?」

「ああ、胃腸痛いです!」

「ここの骨が肝臓。ここも痛いよね?」

「ああ、そういえば肝臓も痛いです!すっかり忘れてました!」

「背骨一個一個が内臓に直結している。人の体を家に例えるなら骨盤は土台で背骨は大黒柱。土台が歪めば柱も曲がる。そして家全体が傾く。それが君の左おっぱいの正体だ」

「上手い!現代文の先生みたいですね?もしかして教職も向いてるんじゃないですか?私は単位落としまくりましたけど」

「そりゃどうも恐縮です。でも、あいにく学校とは相性が悪いんだ。それでは施術に入ります。まずは左足首から回していきます」

 小暮はうつ伏せの経華の膝を曲げ、その踵を掴んで自身の胸元に近づけて、ゆっくりと大きく時計回りにぐりんぐりんと足首を回し始めた。

「およよっ!」

「痛くいないかい?」

「大丈夫です。一体何なんですかこれは!?」

「足首回転。カイロプラクティックの基本中の基本の技術さ。足首を回すことで自然と足首を矯正し、体全体の神経を和らげる効果がある。どうだい?段々体がポカポカしてきたと思うんだけど?」

「たしかに!足だけじゃなくてお腹回りもポカポカしてきました。あ~」

 おじさんみたいなため息を出す経華。時折、彼女の足首がこりこりと鳴ったり、上手く回らず反発したりする。

「こいつはとんだ暴れ馬だ。君ちゃんと寝れてないだろ?」

 コクリ。

「この技術はマッサージで例えるなら肩揉みみたいなもんさ。しかも、筋肉への揉み返しもないから自然と無理なくカラダ全体を弛緩させていく効果があるんだ」

 コ…クリ。

「話は変わるけど、さっきの遠い目をしてるってのはどういう意味かな?君で二人目なんだ。そんな事を言う人間は…」

「お父さん、内定取ったよ~。心配させてごめんね」

 ガッツポーズしながらヘラヘラして寝息を立てる経華に小暮は思わずヘヘッと笑ってしまった。

「居眠りされちゃ、現代文の授業もチャイム時だな」

 小暮は両足首回転を終えた後、ひざ回りの回転矯正、骨盤回りの押圧矯正をさらりと終えた。

 足の長さを測る検査を再び行うと両かかとはピタリと同じ高さに揃った。

 小暮の長い指先がそのまま経華の骨盤に伸びる。こちらも右左均等に揃っている。そのまま背中のブラウスから透けるブラ線ホックに手をかけるか否かのところでドアのノック音がした。慌ててその背中に先ほどの赤いチャイナドレスを毛布代わりにサッとかけた。



 ドアからは中年店長が顔を覗かせた。

「どうでしょう“研修”の具合は?Gカップ楽しんでますか?あれ、すいません服着てるってことはまだこれから?」

「どうもこうも、アンタの期待するような野暮な事は何もしちゃいないよ。一応、俺もプロの端くれだからね。ところで俺が言うのも難だが、この子の事はもう構わないでやってくれないか?会社間違ってココの面接に受けに来たこと知ってたんだろう?」

「何のことですか?彼女はウチの面接に来た女の子ですよ。これから店長の私がしっかり手取り足取り教育していきますよ。何も知らない娘のようですからねえ。ぐへへ」

「だから、さっきから俺は知らないままでいさせてやってくれと言ってるんだよね。つまり、内定を取り消せと言っているんだ」

「ふざけんな。お前にそんなこと言われる筋合い無い!調子に乗るな、むっつり按摩野郎!」

「…今、商人が客をお前呼ばわりしたね。上等だ。いいよ、俺が悪かった。今からそこの交番に行って、この店が不法滞在のチャイナガールに違法中出し本番させてると通報してくるよ。もうグレーな客じゃない俺は善良な朝草市民だからな」

「どこが善良だ!何がプロだよ!?ギャンブル崩れが片手間にマッサージしてるだけじゃねえか!デカい面してんじゃねえよバーカ」

 続けて罵ろうとした瞬間、中年店長は首根っこを掴まれ、宙に浮いた足をばたつかせた。小暮はハッとして手を放す。地面に墜落した中年店長はゲホゲホと咳き込む。

「わるい。この体格差はフェアじゃないな。じゃあ、ギャンブル崩れらしくシンプルな賭け事で話をまとめようと思うんだけどどうだ?今寝てる彼女が次どっちに寝返りを打つか?」

「…右だ。昔のデカ乳の女がそうだった。この道20年の俺の目に狂いはない」

「何の道だか知らないけどオーケー。俺は左だと思う。アンタが勝ったらこの子を好きにしなよ。負けたら俺の言う通り内定取り消しだ」

 寝息を立てる仰向け寝の経華を二人の男はじっと見た。右を向けばこちら側に背を向けることになり、左を向けばこちら側に顔を向けることになる。

「ついでにもう一つ約束してくれよ、小暮さん」

「何だい?」

「俺が勝ったらアンタこの店出入り禁止な」

「おっかしいな。超優良顧客のつもりだったんだけどねえ」

 そんな小競り合いをしている間、経華がう~ん、と唸って動いた。

「右だ、右来い、あっちむけホイ!!」

「うるさいなあ。起きたら勝負にならないから黙りなよ」

 経華の体はこちら側、つまり左に寝返りをうった。一つボタンの外れたブラウスから覗かせる胸元の谷間がまぶしく映る。

「小暮さん、あんたなんか仕組んだろ?」

「いや、何もイカサマはしちゃいないさ。彼女の背骨のクセがそうなってるだけだ。側弯症といって背骨が胸骨の辺りで、左に湾曲している。これは普段、左肩を下に、重心が引っ張られているから形成されたものだと推測できる」

「クソ!何か腑に落ちねえな」

 お気に入りのタバコ『中南海』を咥える小暮。顎で「火をつけろ」と店長に目くばせする。舌打ちと共に点いた中年店長の100円ライターの火は完敗という名の狼煙に姿を変えた。

「ありがとう。いろいろ忘れられるひと時だった。これは場代と口止め料」

 バナナルームのドア越しに唇を噛み締めながら項垂れる中年店長に1万円札を握らせ、小暮はヌッとカウンターに近づく。PC隣の経華の履歴書に煙草の火をつけ、灰皿にそっと置いて店を出た。


 清々しく経華は目覚めた、というより飛び起きた。体中がポカポカしていつもの固い腰や肩もじわりと軽かった。かつて父の治療と一緒に何度かマッサージや接骨院で受けた事があるが、それらとは違う柔らかな暖かさが体の芯から出ていた。鏡の前に立ってみると両肩の高さが揃い、寝起きにも関わらず左肩のブラ線も安定していた。何よりも今まで左胸に巣食っていた魔物が悪魔祓いされたようにふわりと消えていたのが嬉しかった。

「おお、すごいすごい!」

 思わずその場でピョンピョンとジャンプする。揺れる胸元。どんなに動いてもブラ線が乱れる気配は一向にない。。

「待てよ、寝起き?しまった!」

 経華は軽快なフットワークでバナナルームを出てカウンターに向かうと、項垂れた中年店長がそこにいた。

「店長申し訳ありませんでした!!がっつり寝てしまいました!あの、先輩はどちらにいらっしゃいますか?」

「俺が言うのもなんだけどさ、あの男には関わらないほうがイイと思うよ。あとその、申し訳ないんだけど今回の内定はなかったという事で」

「ピギャー!どうしてですか!私何でもしますから」

「だからさ…いい加減気づいてくれないかな」

 中年店長は経華にPC画面を覗かせる。そこには面接で経華が話したプロフィールとボカシ入りの履歴書写真。紹介文には『グレートなGカップだぜ!純日本製クレイジーダイアモンド入店』

「これが真っ当な整体院に見える?それでも入ってくれるなら止めないけどさ。ていうかこれ一本で一発ヤラせてくれない?ぐへへ」

 先ほど小暮にもらった一万円をスケベ顔で差し出す中年店長。経華は女性的本能で咄嗟に鞄から少年ジャンプを抜刀術の如く店長めがけて一閃した。店長はジャンプの角に頬をぶつけてそのままノックアウトした。

「はわわ、リアルアマカケルリュウノヒラメキ出ちまいました!!」

 全速ダッシュで経華は店を飛び出した。怖くて悔しくて、何だかわけが分からなくて涙が出そうだったが、どうも体全身の爽快さにかき消されてセンチな気持ちになりきれないでいた。病は気から、とはこういう事なのだろうか?

 息が切れて赤い佐津間橋の袂に寄りかかり、ただ流れる隅田川とそこに映る町の灯りを眺めながら今日の出来事を頭で整理していた。


 結局、あの長身で猫背の整体師は何者なのだろう?

 でも今はそれよりもまた内定を取れなかった事の方がショックは大きい。部屋に引きこもってボーっとアニメを観て現実逃避したい気分だ。お父さんとお母さんになんと報告すればいいだろう?そんな悶々としているうちに経華は始めから謝って叱られておけ!と思って父に電話した。

「もしもし、お父さん?あのね、ごめん。今日もダメだった」

「そうか。じゃあこのままもっとたくさんの会社にご挨拶をしていろんな事を学びに行きなさい。目先の勝利に拘らず、納得いくまでそのまま続けなさい」

「うん…わかった。ありがとう」

「何も礼を言う事じゃないよ。そんな事より、早く実家から届いた芋焼酎を開けたいから早く帰ってきてくれないか?お母さんは今日残業で帰りが夜中みたいだから、一人だと飲み過ぎてまた入院してしまうからね。経華も飲むだろ?」

「うん、飲む!じゃあ、今日は体も絶好調なので飛んで帰ります!」

「わかった。落ちたのに絶好調なのか。それは大いに結構」

 電話が切れた。それをスタートの合図にして経華は胸を弾ませ自宅に向かった。電車内で一息付こうとした時、大事な読みかけのジャンプを忘れて来た事を思い出し、涙目になる経華であった。


 一方、経華の二つ向こう側の青い鎌形橋の手すりに寄りかかり、中南海を吸いながら独り小暮は携帯をいじり、経華の写真を削除していた。そして不意に吹き出した。

「野暮な事は何もしちゃいないよ、とか」

 ヘヘッと笑って煙草をつけようとすると着信が鳴る。悪友の菅原大吾の野太く威圧的な声が小暮の耳に障る。

『よお、小暮選手!今ヒマ?麻雀メンツ一人足りなんだけど来れない?』

「やだね。今日は疲れたからめんどくさいよ」

『何?ツキがねえから負けるのこわいよ?ああ、たしかに負けが込んでりゃすかしたくもなるよな。いいよいいよ、おつかれちゃん。あ、ツケの返しはまだ気にしなくていいから。俺の場合は』

「おい、待てよ。勝手に話を盛るな。俺は麻雀では誰にもツケはないし、少なくともアンタに負け越してる記憶はないけどね」

『おっと、そいつあ悪かった。でもまあ、電話じゃ何とでも言えるからさ。口上手いからなあ小暮選手は』

「お前ほどじゃないさ。雀荘は『部長室』か?あと10分で着くから待ってろ。そっちが俺にツケることになるかもしれないけどな」

『ウハハハハ!了解了解、だから好き。そんじゃまた』


 電話が切れて小暮は頭を抱えた。結局どんなにクールを装っていてもギャンブルで理屈などどこか遠くに飛んでいく。もうすでに明日の施術予約時間までに麻雀を何半荘打てるか指折り数えている自分の思考回路に、小暮は猫背をより丸めながら一服してヘヘッと呆れて嗤った。川に映った町の灯りに煙草の火を溶かして橋を降りた。






この度は当作品を読んで頂いて本当にありがとうございました。

少し前書きで触れましたが今回が初投稿にして、小説処女作となります。皆さんのご意見を参考にどんどん勉強していきたいのでコメント頂けたら幸いです。

だいぶ偏った内容なのは重々承知ですが、作品を通してカイロプラクティックの面白さや今実際住んでいる浅草で日々、自分が見聞きした趣深い物事や人々をモデルに織り込んでパラレルワールド❝朝草❞の人々を色濃く描いていけたらなと考えています。


今後ともよろしくお願いいたします。 はしも時計

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